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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第302回   イージェンと南天の星《エテゥワルオストラル》(上)(1)
『空の船《バトゥウシエル》』は、五の大陸最東の国イェルヴィール王都から一の大陸南方海岸沖に戻ってきた。その翌々日、魔導師のルカナが、内密に訪問していたエスヴェルンのリュリク公を連れて、カーティアに戻っていった。
 ティセアは、南方大島生まれの赤ん坊魔導師ラトレルの世話をたどたどしくも楽しげにやっていた。ラトレルは、まだ魔力の発現はないが、『聡い』子どもだった。しかし、わざとぐずったりしてティセアに甘えていた。
「あぁうわぁあう」
 食堂で、ヴァンがティセアの代わりにスープを飲ませようとしていたが、ラトレルはスプゥンを振り回してスープを振りまいていた。
「はあ…」
 手ぬぐいで拭って、振り回しているスプゥンを取り上げると、ラトレルがウワァンと泣き出した。
「食べたら遊んでやるから」
 ラトレルがいやいやと首を振り、向かい側で繕い物をしていたティセアのほうに身を乗り出した。ティセアが気づいて繕い物を置いてラトレルを抱き上げた。
「やはりわたしが食べさせよう」
 ティセアがスープをすくって口元に持っていくと、ラトレルはおとなしく飲み始めた。
「俺じゃだめか」
 ヴァンががっくりと肩を落とした。
「もう少し大きくなったら、外で遊んでやれば喜ぶだろう」
 ティセアが気にするなと慰めた。
「ヴァンは子ども、好きなんだな」
 ティセアが微笑むと、ヴァンが照れくさそうにうなずいて頭をかいた。
 奥のテーブルではカサンとセレンが並んで座って、文字合わせをしていた。ヴァシルがカーティア国王側近のフィーリからの贈り物と届けてくれたもので、カサンはこんなよいものがあったのかと自分がもらったように喜んで、セレンに言葉を教えていた。
 海岸のほうでパァアンと小さな音がして、花火が打ち上がった。窓から見えたヴァンがカサンと食堂を出て、リィイヴを探した。リィイヴが下の階から上がってきた。
「今、合図の花火が上がった」
 リィイヴがうなずき、船長室の扉を叩いた。入ると、イージェンが窓際に立っていた。
「なんで呼んだと思う?」
 イージェンに尋ねられて、リィイヴが目を伏せた。
「…大魔導師との会談のことじゃないかな」
 そうだろうなとイージェンが腕を組んだ。船底にいたヴァシルがやってきた。
「半時したら行ってくれ」
 即答は避けることと言いつけた。ヴァシルが顔を青白くしてうなずいた。船長室を出たところに、レヴァードがやってきて、みんなで艦橋に向かった。床上げしたエアリアも上がってきた。
おそらくエヴァンスが大魔導師との会談をもちたいと言ってくるのだろうと話し合った。
「なにか条件をつけてくるかな」
 レヴァードがリィイヴに尋ねた。リィイヴがわからないけれどと悩みながら、あるとしたらと答えた。
「会談の場所かな。エトルヴェール島の新都でって言ってくるかも」
 後は大魔導師ひとりで来いとかかなとレヴァードが腕組みした。
「イージェンはいきなりエヴァンスたちを始末するかな」
 レヴァードが顎に拳を当てた。リィイヴが首を振った。
「ミッシレェがなければするかもしけないけど、発射のおそれがあるから」
 なんとか放棄させてから始末するのではと言った。カサンがうーんとうなって壁に寄りかかった。
「どうあっても始末するとなれば、放棄するよりは…と考えるかもしれないな」
 相手がパリスならばそうなるだろう。では、エヴァンスはどうか。
「エヴァンスが放棄させるといっても、パリスはしないだろう」
 レヴァードがいつも地図が投影される前面窓を睨むように見つめた。
 ユラニオゥムミッシレェを搭載したふたつの大型マリィンが、パリスの意のままに動く子どもたちによって抑えられている。その上、マシンナートのシステムを統制するキャピタァルのサントゥオル《中枢》もパリスの手の内と言っていい。だが、今は連動して動くことは難しいし、パリスもキャピタァルにいてはそう簡単には動けないだろう。
ヴァシルが時間なのでと艦橋を出て、船を飛び立った。
ほどなく戻ってきた。みんなで船長室の隣の部屋に向かうことにした。そのとき、レヴァードが胸の小箱が震えるのを感じ、驚いた。途中で小箱を開いた。
「…こんな…」
 レヴァードの手が震えた。影を感じて顔を上げると、リィイヴが目の前に立っていた。
「まさか電文?」
 レヴァードが首を振った。
「こんなもの…」
 消去しようとした。リィイヴが手を押さえた。
「イージェンに報告してください」
 レヴァードが戸惑っていたが、うなずいた。
 船長室の隣部屋は談話室と呼ぶことにしていた。その談話室には、ティセア、セレン、ヴァン、赤ん坊のラトレル以外のものたちが集まった。
 ヴァシルが書筒をイージェンに渡した。開けながらどんなやつがもってきたのか尋ねられ、ヴァシルが首を傾けた。
「ザイビュスと名乗っていたそうです」
 年は三十くらいで小柄で痩せた顔色の悪い男だと話した。カサンがリィイヴと顔を見合わせた。
「ザイビュス…あいつが…」
 カサンが戸惑ったようだった。イージェンが書面に向けていた仮面を上げた。
「知り合いか」
 カサンがああとうなずいた。消滅したバレー・アーレの中央管制棟副主任だったと話した。
「助教授で、ユワンやパミナと同い年だ。確か強硬派のセラガン大教授の教え子だ」
 セラガンは最高評議会の議員だが、規律に厳しく偏った人事などはせず、教え子だからといって優遇することはなかった。
「なかなか主任になれなくてじれてたが」
 研究やミッションよりもワァアクを着実にこなす類型だった。
「エヴァンスは強硬派でも使えるものは使うということか」
 イージェンに聞かれて、リィイヴが肩越しに気分の悪そうなレヴァードを見た。
「啓蒙派だけではやっていけないからね。啓蒙派はもともと少数派だし」
 うまく取り込んでいかなければならんだろうとカサンもうなずいた。
「うまく取り込んでいかなければ…か…エヴァンス自身の考えだけで動くわけにはいかないだろうな」
 エヴァンスがあくまで低レェベェルのテクノロジイでやっていこうと考えていても、他のインクワイァがみんなそれに同調するとは思えない。ユラニオゥムアウムズ使用反対は総意としても、啓蒙の遣り方で、もめるのではないか。
「エヴァンスからのアルティメットとの会談要望書だ」
 イージェンが読み上げた。
「第一大陸セクル=テュルフ・エスヴェルン王国所属アルティメット・ヴィルトへ。マシンナート最高評議会は、アルティメットとの会談開催を要望する。議題は以下の通り。
壱号議題、第一大陸セクル=テュルフ・カーティア王国における啓蒙ミッションの経緯説明、
弐号議題、第一大陸セクル=テュルフ・バレー・アーレ消滅の経緯説明、
参号議題、アウムズ使用の啓蒙ミッション首謀者についての説明、
四号議題、第二大陸ユラニオゥム精製棟消滅、深海基地マリティイム消滅についてアルティメットによる経緯説明、
五号議題、『パリス誓約』再締結について、
六号議題、今後の啓蒙ミッションについての主旨説明、
なお、議題進行によって、議題は追加予定。
会談場所、エトルヴェール島新都【ジェナヴィル】特別会議場、
会談日、アルティメットの了解次第。
会談出席者、マシンナート側、エヴァンス指令、オッリス大教授、ヴァッサ大教授、ガラント大教授、セヴラン大教授、シリィ側、アルティメット・ヴィルト。
 以上。返信は、書面にて、ザイビュス主任に手渡すこと。地上対策総司令エヴァンス」
 読み上げた書面をリィイヴに渡した。
「やっぱり大魔導師はヴィルトさんだと思ってるんだね」
 イージェンが仮面の顎を引き、隣のエアリアの肩を掴んだ。
「俺にヴィルトのふりができるかな」
 エアリアが目を見張ってイージェンを見た。
「…マシンナート相手ならできるのでは」
 少し戸惑いながらもそう返事した。
「ヴィルトのふりをするのか」
 カサンが目を剥いた。イージェンがうなずいて、うつむいたままのレヴァードを見た。
「どうした、レヴァード」
 レヴァードが手にしていた小箱をイージェンに差し出した。
「…電文が来たが…俺には読めない」
 レヴァードが片手で目を覆った。イージェンが読むようにとリィイヴに渡した。リィイヴが小箱を開いて、電文を開き、読み上げた。
「…ザイビュスの小箱から送信されてる…エヴァンス指令から、レヴァード医療士宛。君がマリティイムで死亡したと聞いて残念だと思っていたが、生存が確認できて、うれしく思う。かつて、担当医であった君の過失でザンディズ議長が亡くなったと思っていたが、それは間違いだった。あれはパリスと従兄のディゾンが仕組んだことだった…」
リィイヴが声を詰まらせた。すでに互いに断ち切った親子関係だが、エヴァンスが君の両親も君も許せないと憎しみを向けてきた意味が改めてわかった。エアリアが心配そうに腕を握った。声を震わせながらなんとか読み続けた。
「…ディゾンが集中治療室に入っていくところを見たという療法士の証言が握りつぶされていた。最近になってその証言を握りつぶした検察官が死亡し、私的覚書に書かれていたことから分かった。あの当時、わたしは娘を亡くし心の支えはザンディズ議長だけだった。そのザンディズ議長も亡くなってしまい、心神的におかしくなっていた。そのため、君に対しても必要以上に重刑を要求してしまった。本当に申し訳なく思っている。ぜひ、会って謝りたいので、エトルヴェール島に来て欲しい。それから、君とトリストのやり取りは聞いている。素子について、君の意見が聞けることを期待している。ついては、素子と接触した経験を活かして地上対策ミッションに参加してほしい。すぐに教授に復帰させる。来るべき大教授選の際は当選に向け全面的に応援し、中央医療棟所長に就任させる。この電文を発信したザイビュスが乗ってきたアンダァボォウトで来てくれ。待っている。以上」
 レヴァードが口元を押さえた。
「気分が悪い」
 ヴァシルが背中をさすった。レヴァードが驚いてヴァシルを見つめた。
「ヴァシル…」
 ヴァシルは心配そうに目を細めていた。リィイヴがパタンと小箱を閉じてレヴァードに返した。レヴァードが受け取ると、イージェンが突き放すように言った。
「行くか」
 レヴァードが目を真っ赤にして震えた。
「行くわけないだろう!こんなっ!…」
 激しく首を振った。イージェンがリィイヴから戻された書面を書筒に入れた。
「冤罪を謝りたいというのはいいが、その後が不愉快だな」
 トリストと何を話したのか尋ねた。
「素子研究など無駄だからやめろ、『ヒトの領域』ではないのだからと話した」
 素子は、いかなるアナラァイズトインストゥォルメントでも検出不可能だ。素子でないと認識できないと言ってやっただけだとため息をついた。
「探っているとでも思ったのか」
 イージェンが立てた膝の上に手を置いた。レヴァードがぎりっと奥歯を噛み締めた。
「レヴァード」
 イージェンに呼ばれ、伏せていた顔を上げた。
「エヴァンスに会うのは嫌だろうが、行って来い」
レヴァードの手を取って、ぎゅっと握った。暖かく力強い何かが流れてくるような気がした。
「テクノロジイを捨てるミッションなら参加してやると言ってやればいい」
 レヴァードがえっと驚いた顔をしてから、噴き出しそうになった。
「なるほどな、それも…いいな」
 ははっとようやく笑った。
「ヴァシル、ザイビュスに、大魔導師に連絡を取っているから一両日待つようにと伝えて来い」
 ヴァシルが了解した。
 リィイヴが唇を噛み締めていた。イージェンが察した。
「おまえと親は別だ、レヴァードもそれくらいわかっている」
 レヴァードがうなずいて、目を閉じたリィイヴの肩を叩いた。
 解散してそれぞれの持ち場に戻った。レヴァードは、船底から水を張った桶を持って後方甲板にあがり、いつものように床を拭き始めた。
 ぽつっと雨が落ちてきた。すぐに手すりから薄い膜のようなものが湧き上がってきて、船を包み込んだ。雨は弾かれ、甲板が濡れることはなかった。
「魔力か…」
 万能にも思えるその力、魔導師の魔力の使い方からして、源はその身体の中にあるように見えるが、果たしてどうなのだろうか。
 返信しておかないといけないかとポケットの小箱に触れた。


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