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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第301回   イージェンと水の国の守護者《デファンドォオゥル》(4)
 ランヴァトに見送られて総帥居城を出た。街から出て、報告ファイルにあった川を見に行った。白い泡と濁りで水草や土手の草は腐った色をしていた。汚水はどんどん流れてきていた。その周辺にいくつか鼠や鳥の骨や腐食した屍骸が見られた。
 街中に戻り、道の両脇の家々をゆっくりと眺めた。夕方なので、ヒトの行き来があり、見知らぬアダンガルのことを避けるように足早に通り過ぎていく。ぽつぽつと通り沿いに立つトォオチが点り始めた。家々の窓も明るくなっていく。
 すっかり暮れた夕空の中、総帥居城に戻ってきた。ランヴァトが夕食を用意してあると客間に案内した。アルシンも一緒にと誘ったが、アルシンは夕方プテロソプタで新都の育成棟に連れて行かれたという。
「おまえはどうするんだ」
 ランヴァトが島を出たいが文書作成担当として残るよう言われたと残念がった。
 夕食を済ませてから、従者が寝泊りしていた部屋で過ごしたいと案内させた。狭いベッドがあるだけの簡素な部屋だったが、ここでいいと下がらせた。
 アダンガルはしばらくベッドに横になって天井をぼおっと見ていたが、起き上がり、縁に腰掛けた。枕元に立て掛けてあった布に包まれた長いものを手にして、布を開けた。大振りの剣が出てきた。柄に巻きつけてあった布を取った。鞘には見事な彫が施されており、柄の部分にはセラディム王家の紋章が刻まれている。国を出てから、身分がわからないように柄の紋章を布で隠してあったのだ。その紋章に触れた。
「…セラディム…」
 アダンガル・セラディム、王子ではないが、王族のひとりとしてそう名乗ることを許されている。
ティケアの南の大国セラディム、その王都は麗しく美しい水の都《オゥリィウーヴ》。かの国の豊かな国土と真義の民を守らなければ。内なる害悪と外からの圧力から。
そして、国土と民の守護者《デファンドォオゥル》たるものの取るべき道は…。
その剣を大きく開いた脚の間に突きたてるようにして、どっしりと構えた。
「アートラン…来い…」
 アートランを呼んだ。すぐ側にいるはずだが、しばらく待ってもやってこなかった。
 アダンガルは剣をベッドに置き、青いつなぎ服を脱ぎ出した。肌着と下着も脱いで、裸になった。つなぎ服のポケットから小箱を取り出し、開いて釦を叩くと、小さな画面にジェナイダの笑顔が映し出された。
「…母上…」
 幸せそうな笑顔。目を細めて見つめ、やがて箱を閉じた。その小箱を床に置き、剣を鞘から抜いて、両手で柄を握り締めた。
「母上、お許し下さい!」
 真上から剣先を小箱に突きたてようとした。その剣先が小箱を貫くと思われたとき、さっと消え、剣先は土床に突き刺さっていた。
「これはまだ使うぜ」
 目の前に小箱を手のひらの上に乗せたアートランが立っていた。アダンガルがうれしさに泣きそうになったが、すぐにぐっと堪えて、きつく叱った。
「呼んだらすぐ来い」
 アートランが不敵にふふっと笑って小箱を投げて寄越した。パシッと片手で受け取り、ベッドに置いて、剣を鞘に納めた。アートランが真顔になった。
「あなたを殺さないといけなくなるかと思ったぜ」
 見た目にはすっかり啓蒙されたように見えたと腕を組んで肩をすくめた。
「じいさんにもう戻れないなと言われてかなりうろたえてたしな」
 アダンガルが顔をほのかに赤くした。
「それは…俺だって気持ちの揺らぎはあった、ほんとうにテクノロジイを使えないかと考えた」
 ザイビュスの言うとおり、本当に理解しているわけではない。だが、よい面だけ強調して教えられているということはわかる。
「民を飢えと病苦から助けてやれる手段だとは思う、でも」
 アートランを見つめた。
「異端の技は、ヒトの欲を駆り立てる。もっとたくさん、もっと楽に、そしてもっと強く…アランテンスは、この空と海と大地は大病を何度もした老人と同じだから、ヒトは、『理(ことわり)』の中で、生きとし生けるものと共に倹(つま)しい生き方をしなければならないと言っていた」
 俺も心からそう思うと言うアダンガルをアートランが見つめ返した。
「さすがは『大魔導師の愛子(まなご)』だ」
 アダンガルがさらに顔を赤らめた。周りがヨン・ヴィセンに遠慮しながらもそのように呼んでいることは知っていたが、アートランに言われるのは恥ずかしかった。
 アートランの左腕がおかしいことに気が付いてアダンガルが掴んだ。
「どうした、これは」
 半袖から黄金の鱗のようなものが見えていた。アートランが胴衣を脱いだ。左胸と左の二の腕まで、円盤状のものがびっしりと重なり合っていた。
「ジィノム操作で大きくされたパルアーチャ…好きになったから食ったら、あいつの身体の毒でこんなふうになった」
 アダンガルが相変わらずだなと呆れた。あの養魚プラント事故はアートランの仕業とはわかっていたが、食っていたとは思わなかった。
「一匹残らず食べてやりたいけど、さすがに全部は食べられない」
 だからもう止めさせるとアートランが鱗に触れた。アダンガルも指先で鱗を撫でた。
「まったく、おまえは魔導師ではなく、魔獣《マギィクエェト》だな」
 アートランが、ぷいと顔を逸らした。
「好きになったから…か…」
いきなり引き寄せ、きつく抱き締めた。
「…きついよ…」
 大人びた顔でアートランが目を細めた。アダンガルが険しい眼で睨みつけた。
 …俺の気持ち…わかっているくせに…
 いつもからかうようなことばかり言う唇を塞いだ。
 アートランとは疎まれたもの同士の結びつきであることはわかっている。あるいは主従関係だ。それでもこの生意気な『小僧』にずっと魅かれていたのだ。今でも、そしてこれからも。たとえアートランの気持ちが別のものにあったとしても。
 どうせ本気で拒まれたら何もできはしない。拒まない限り、このひとときの間だけは俺のものだと激しく抱いた。
 アートランの心と身体にアダンガルから激浪のような情欲が流れ込んできた。
「…アダンガル様…激し…いっ…」
ベッドの上で受け入れながら、アートランは、セレンのことを想っていた。この間帰ったときも、カサンと仲良くしている様子に『やきもち』焼きながらも、心を読むことはできなかった。きっと自分のことなど、もう……。
 …俺だってあなたのこと好きだけど、セレンへの気持ちとは違うんだよなぁ…
 身体が熱く荒っぽくなればなるほど、心はセレンへの想いにせつなくなっていった。

 少し空が白んできた頃、アダンガルがようやく身体を離して起き上がった。アートランも起き上がって、ベッドの縁に並んで腰掛けた。
アートランが書面を渡した。セラディムとアラザード、東オルトゥムの間での画策を記したものだった。
 ゆっくりと目を通していたアダンガルが険しい眼をした。
「イリナ妃の真意はなんだ?いくらパウラの息子たちが幼いと言っても俺をここまで押すには何かあるだろう」
 ああとアートランがうなずいた。
「てっとりばやく言えば、あなたに恩を売りたいんだ。国王が退位すれば、妃たちはみんな後宮を出なければならないけど、あなたの後見人となることで、留まることができる」
 アダンガルをなんとか即位させたい学院にも貸しを作ることになる。なるほどと納得した。
「イリナ妃は、政務には一切口を出さないが、後宮を束ねることで故国や自分の腹の姫たちに有利な流れを作っていたからな」
 姪のサフィラ姫を妃に輿入れさせようということからも今後もアラザードとの繋がりを強くしようとしているのだ。あまり露骨になると同じくナリア姫を嫁がせようとしている東オルトゥムが面白くなくなるだろうが、今のところはイリナ妃を味方にしたほうがいいのだ。
 アートランがそれとと付け加えた。学院長とハーネス将軍が、ヨン・ヴィセンが乱暴した娘たちの親に謝ったところ、四人の親たちは謝罪の証としてアダンガルが戻ったときには側室にしてほしいと願い出たのだ。アダンガルが驚いた。
「あの娘たちを?実家に帰したほうがよいのでは」
 アートランが首を振った。
「けっこう噂になってるから、今のまま帰すと傷物にされたというだけになるけど、国王の側室として宿下がりするなら、万歳で出迎える」
 側室となれば、一生年金がもらえるし、もし王子や王女を産んだら、実家は土地をもらうこともできる。
「あの娘たちを…」
 四人ともまだ九つか十で、母のジェナイダが乱暴されて自分を身籠ったのと同じ年頃だ。さすがにアダンガルも戸惑った。
「面倒見るってことはそういうことさ」
 何も分からない子どもなのにかわいそうだとは思うが、親たちも望んでいるのだし、できることをしてやるしかないのだ。もともと王宮に上がるということは、国王や王子の『お手付き』になることもありうるし、そうなればしめたものと思っている親もいる。
「後宮の女たちなんて、国王が何回自分を見たかなんてことで、『競い合い』してるんだから」
 かわいそうに思うならせいぜいかわいがってやればいいとアートランがあっさりと言うので、やれやれとため息をついた。
「王たる者は大変だな」
 女が苦手なアダンガルの投げやりな様子に、他人事じゃないぜと口はしをゆがめた。
「わかっている」
 ついにそっぽを向いたので、くくっといじわるく笑った。
 アートランが服を着始めたので、呼び止めた。
「このまま『空の船』に戻りたい」
 わざわざ旧都までやって来たのは、新都では、なかなかひとりになれないし、アートランを呼んでも部屋に入って来られないだろうと思ったからだ。アートランが首を振った。
「まだエヴァンスじいちゃんのよき孫をやっててくれ」
 今戻ると魔導師が無理やり連れて行ったように思われるだろう。
「あなた自身の口からエヴァンスにきちんと別れを言ってほしい」
 その時期は俺が教えると言った。
「それから、新都の部屋には監視の眼があるから気をつけてくれ」
アダンガルがえっと息を飲んだ。
「監視の眼…記録キャメラ…画像とか音声とか記録していたの…か…」
 それ以上言葉にならなかった。エヴァンスに添い寝をねだり、抱かれてうれしがっているさまも全て見られていたとは。
「さすがにユニットの中にはないけどな」
 アダンガルが怒りと恥ずかしさに顔を赤くして眉を吊り上げた。ようやく搾り出した。
「おじいさまも…ご存知なんだな…」
 もちろんとアートランがうなずいた。
「別にあなただけでなく、『外』のものは監視の眼で見張るようだけど」
「特殊検疫とかいうものは…」
 アートランが不愉快そうな眼を向けた。
「あなたを薬で眠らせて受けさせたんだ」
 そう言い残し、たちまち目の前から消え去った。ひとり残ったアダンガルも服を着て、顔を洗いに部屋を出た。

 北ラグン港にプテロソプタで到着したザイビュスは、出航準備ができたアンダァボォウトに乗り込んだ。乗員たちは、以前南方海岸の港にアダンガルを迎えに行ったときのカトルの部下だったものたちだが、素直に従っていた。
「港のシリィたちに話せば、魔導師を呼んでくれるんだな」
 ええとひとりがうなずいた。
「信号弾のようなものを打ち上げて、沖に停泊している船から呼び寄せてました」
 明け方には着くというので、到着するまで仮眠すると横になった。
 到着したと起こされたときには、すでにすっかり夜が明けていて、南方海岸の港に入っていた。明け方には着いていたが、よく寝ていたので、しばらく起こさなかったようだった。
 港は軍港とのことで、軍船が入港できる深さがあった。桟橋にアンダァボォウトを繋ぐために乗員たちが外に出た。その後に続いてザイビュスが開いた蓋から顔を出した。
「うっ…」
 潮の香りと生臭い臭いがエトルヴェール島よりもきつかった。鼻を押さえて桟橋に降りた。岸側を見回すと、木と土で出来た小屋のようなものが何棟かあり、そちらからシリィの軍服を着た者たちが何人か寄ってきた。桟橋の手前で止まって怒鳴った。
「そこで止まれ!」
 ひとりだけ来いと言われて、ザイビュスがゆっくりと歩いて行った。シリィたちのうち、ひとりが数歩前に出た。ザイビュスがその男の手前で止まった。
「エトルヴェール島から来たザイビュスだ。魔導師を呼んでくれ」
 しばらく桟橋の中で待つよう言い、後ろにいた部下らしきものに合図を上げるよう言いつけた。部下が小屋に向かって走っていった。やがて、ヒューンと音がして合図が打ち上がった。
 コンマ五ウゥル(一時間)ほど待たされて、じれ始めた頃、沖の方から黒い点が近付いてきた。次第になにかはっきりと見えてきて、灰色の布を被ったヒト影だと気が付いた。
「魔導師か…飛んでいる、空を」
 記録ビデェオでは見たが、実際に見るのは初めてだった。魔導師は岸壁に下りて、シリィたちに話し掛けていた。シリィがザイビュスを指差した。こちらを見てからうなずき、歩いてきた。三セルほど離れたところで止まるよう手をかざした。
「止まれ」
 魔導師は目深に頭巾を被っていて顔は見えなかった。
「どういう用件ですか」
 声はまだ若い男だ。だが、冷たく感情のない声だった。ザイビュスが手にしていた書筒で手のひらをポンと叩いた。
「マシンナートの地上対策指令エヴァンス大教授より、伝言だ。マシンナート最高評議会は、大魔導師との会談を要望する」
 魔導師がふっと顔を上げた。頭巾の間から顔が見えた。
…なんだ、まだ若造だな。
 はたちそこそこというところか。水色の瞳で睨みつけていた。
「ここに会談をもつにあたっての詳細が書いてある。段取してくれ」
 書筒を差し出した。若い魔導師がその書筒を受け取った。
「すぐに返事はできません」
 島に戻っているよう言われたが、首を振った。
「今すぐとは言わないが、なるべく早くに返事が欲しい。ここで待つ」
 魔導師が冷たい目で見返した。
「ご自由に」
 ばっと風が吹き、気が付いたときにはもう沖に向かって飛んでいた。アンダァボォウトの入口に立っていた乗員に手を振った。
「しばらく待つ。朝食出してくれ」
 桟橋にテーブルと椅子を出した。ザイビュスは座って、小箱を出して、何かを打ち込んだ。乗員がカファを置くと飲みながらつぶやいた。
「返信来るかな」
 送信釦(ボタン)を押して沖に目をやった。
(「イージェンと水の国の守護者《デファンドォオゥル》」(完))


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