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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第300回   イージェンと水の国の守護者《デファンドォオゥル》(3)
 翌朝アダンガルが中央棟の玄関口に下りていくと、ザイビュスが待っていた。
「おはよう」
 アダンガルが挨拶すると、おはようと屋根のないモゥビィルの運転席に乗り込んだ。その隣に座った。アダンガルが布に包まれた長いものを持っているので尋ねた。
「なんだ、それは」
 アダンガルが大切なものだと言って足の間に置いた。ザイビュスはそれ以上追求してこなかった。モゥビィルが走り出した。
 しばらくしてから、頭の上にバラバラと大きな音がかぶさってきた。見上げたアダンガルが青空に黒い機体を捕らえた。
「プテロソプタか」
 頭の上を通り過ぎていく機影を感じながら、ザイビュスがうなずいた。
「旧都からは空路で北ラグン港へ行くから、先に行かせて待たせておく」
 アダンガルが首を傾げた。
「なんで旧都に行くんだ?まさか、俺を送るためだけに行くとは思えんが」
 ザイビュスがモゥビィルの速度を速めた。
「素子との交渉に使う文書ってやつ、『紙』に書かないといけないから、旧都の総帥従者に書かせているらしい」
 それを受け取ってから北ラグンに行き、アンダァボォウトで向かうのだ。そうかとアダンガルが了解した。
一ウゥル(二時間)後、右手に折れる側道があり、ゆっくりと曲がって行った。側道の行き止まりに療養棟があった。棟内は無菌になっているので、特殊検疫が済んでいないと入れないと言われ、アダンガルがどんなことだとザイビュスに聞いた。
「検疫というのは、テェエルに出たマシンナートがバレーに戻るときに受けるもので、血を取ったり、排泄物を取ったりして、寄生虫や雑菌がないか、病気に罹っていないか調べて、薬や放射線で殺菌することだ。特殊ってのは、特に念入りにするってことで、脳波の測定、身体の透過図、断面図の撮影、ジィノム調査のための唾液や皮膚の採取、男なら精液の採取、女なら卵子の採取をする。シリィがバレーに入る場合は必ず実施する」
 説明している間に担当官がタァウミナルで調べた。
「特殊検疫…あ、受けてますね、失礼しました」
 アダンガルがえっと驚いた。
「俺は…受けた覚えはないが…」
 担当官が再度調べなおした。
「受けてますね、すべて陰性ですから、問題はないです」
 アダンガルがそうかと深く追求せず、中に入れてくれるよう頼んだ。
 殺菌室で着てきたつなぎ服を脱いで、透明の筒に入り、殺菌光を浴びて、真っ白な上下の服を着るよう指示された。アダンガルが、持って来た長いものを隅に立て掛けてから、脱ぎ始めた。
「あまり長居はできないんだが」
 ザイビュスが鍛え上げられたアダンガルの傷だらけの身体を見ていた。ザイビュスは骨が浮き出ているほど痩せていた。
「先に行っていい」
 別のものにモゥビィルを出してもらうからと言ったが、返事をしなかった。
 殺菌室を出てみると、まっすぐな廊下が別の棟に続いていた。硝子の窓に硝子の天井、見通しのよい廊下だった。
 棟は玄関口のようなところからまた三つの別の棟に別れていて、それぞれ病状などに合わせてシリィの老人たちを分けているという。
「まあ、老人って言っても、ほとんど四十代で、五十代は三人くらいですけど」
 裾の長い白衣を着た担当官が案内してくれた。この島は特に平均寿命が短く、三十半ば過ぎから、がくっと体力が落ちると説明した。
「この島にはクラ吸虫病という風土病があって、寄生虫が腸に入り込むんですが、かなり長い期間、卵のままでいて、十数年後それが孵化し、増えていって、腸から血を吸い、体力を落としていくんです。劇的な症状ではなく、少しずつ身体を弱めていくものです。稀に血管に入り込んで移動し、他の内臓を痛めることもあって、肝臓に入ると劇症化して激しく痛みます」
 そうなると、急激に病状が悪くなって死に至ることになるという。クラ吸虫は川に生息している貝などに寄生するもので、熱を加えると死ぬが卵の状態のときは硬い殻で死なないのだ。
「それに似た虫がセラディムにもいる」
 やはり川の貝に付く虫で、家畜がよく寄生され、痩せてしまうと話した。
「ヒトも罹るが、風土病というほどではないな」
 熱が高くなる瘧(おこり)や流感、疱瘡(ほうそう)などのほうが死ぬ確率が高い。
「垂れ流しで不潔だからな」
 ザイビュスがアダンガルの顔を覗き込んだ。アダンガルはまったく気にしない様子で、硝子ごしにベッドに寝ている病人たちを見つめていた。いくつか管や線が身体のあちこちに繋がっていて、ベッドの脇になにか数字などが表示される小さなモニタがあった。
「きちんと靴を履いて、品質管理されたプラントの食料を食べていれば、罹りませんから」
 繁殖地域を消毒したりしているので、いずれ撲滅されるという。
「流感などはどうだ」
 毎年大陸のどこかで流行り、子どもや年寄りが多く死ぬ。担当官が予防薬を注射したり、かかっても対抗抗生物質で治るので、テクノロジイが広がれば、死者の数は激減すると説明した。
「流感の原因菌は動物がいるかぎり撲滅は難しいです」
 動物のいないバレーでもまれに患者は出るらしい。ヒトの身体にも潜在的に菌が潜んでいて、完全に死滅させることはできないのだという。
なるほどとうなずいて、先に進んだ。比較的病状の軽いものたちの部屋を見せてもらった。椅子に座ってぼおっとしてる男に声を掛けた。
「具合はどうだ」
 はっと頭を上げた男がいいですとうつむいた。
「何か、困ったこととかないか」
 男がまた顔を上げた。戸惑った顔をしていた。
「その…畑、耕さないと…」
 もう半年も鍬(くわ)を入れてないから、だめになるとつぶやいた。
「息子夫婦や孫にも会いたいです」
 担当官が叱るようにたしなめた。
「畑はもう耕さなくていいんだから。家族とはいずれ面会させるから待ちなさい」
 みんな、こんな感じですとため息をついた。
「ジェネラル(一般知識)を画像でレクチャーしていますが、ただ眺めているだけですね」
 識字者はほとんどいないし、この年から覚えさせるのは難しかった。ほかのものたちもぼんやりとしているようで、ベッドに寝ているものも多かった。やることもなく、張り合いがないのだろう。
「家族とは同居できないのか」
 それは無理だと首を振った。
「子どもや孫の世代は啓蒙受けて、学習やワァアクしてますから」
 別居させないと、啓蒙の進行度に影響があるのだという。
「いずれこのものたちにもなにかワァアクをやらせたほうがいい」
 そうでないと張り合いがなくて『気鬱』の病になってしまうと心配した。担当官はわかりましたと返事していたが、あまりやる気はなさそうだった。
 レクチャールゥムに入り、モニタでジェネラルのレクチャーを受けている様子も見て、殺菌室の前に戻ってきた。さきほど声を掛けた男が立っていた。なにか言いたげだったが、後ろから看護士たちがやってきて、引きずるように連れて行った。
 殺菌室で着替えて、モゥビィルに戻った。幹道まで戻り、旧都を目指した。
 しばらく黙っていたが、アダンガルが尋ねた。
「特殊検疫というのは、知らない間に受けていることもあるのか」
 ザイビュスがいやと首を振った。
「気が付かないことはないな、麻酔でも掛けられていれば別だが」
 アダンガルが険しい眼で飛ぶように後ろに過ぎていく密林の景色を見つめた。
 昼過ぎに旧都に到着した。総帥邸までの大幹道の両脇の建物は確かにシリィの家々だった。ところどころに鋼鉄の柱や人造石の柱があって、電力線やらいろいろな線が家に引き込まれていた。
 総帥邸前でモゥビィルを降りると、青つなぎの男が寄って来た。
「旧都管制棟主任のニックスです」
 主任になっているがフェロゥ(研究員)だと自分で名乗った。管理棟の各部署を案内してから、管制室に向かった。ザイビュスが室内を見回した。ニックスはずっと青ざめていた。少し離れたところからザイビュスのことを上目遣いで見ていた。
 ザイビュスが察した。
「まあ、ここはおまえでいいんじゃないか」
 ニックスがほっとした顔で頭を下げた。
「がんばりますから」
 ああと返事をしてアダンガルに手を振った。
「総帥の『居城』ってのに行く」
 ニックスがアダンガルに旧都施設を回るとき、案内するので連絡をくれるようにと申し出た。
中央棟を出て、隣の建物に向かった。玄関口には幅広の階段があり、登ったところにある扉は開かれていた。
「誰もいないのか」
 アダンガルが眉をひそめた。中はがらんとしていて、誰もいない。石の柱だが、南方の館らしく風通しのよい造りになっている。
「おい!誰かいないのか!」
 あまりの無用心さにザイビュスが呆れていた。
 玄関広間の奥から伸びている廊下を進んだ。奥から濃い灰色のつなぎ服を着た男がやってきた。
「どちらさまでしょうか」
 新都管制棟主任ザイビュスと名乗ると、男は頭を下げた。
「連絡は受けています。侍従長のランヴァトです」
 ランヴァトはまだ三十にはなっていないようだった。奥の総帥執務室に案内した。執務室には大きな机があるだけでほかには何もなかった。机の上にモニタとボォウドがあり、何本か線が床を這っていて、窓から外に出ていた。ザイビュスが机の向こうに回ってモニタを覗き込んだ。モニタには書面にする文字デェエタが表示されていた。
「書き終わっていますので、すぐにお渡しできます」
 ランヴァトが机の上の紙を丁寧に丸めて用意していた書筒に入れて渡してきた。
「完了の連絡はおまえから入れてくれ」
 ランヴァトが了解した。
「すぐに北ラグンに向かうのか」
 アダンガルがモニタの文書を読みながら尋ねた。ザイビュスはその様子を見ていたが何も言わなかった。
「ああ、夕方には島を出るから」
 くるっと背を向けてザイビュスが執務室を出て行こうとした。
「ザイビュス、無礼な態度で魔導師の機嫌を損ねないようにしろ」
 ザイビュスが振り返ってフンと鼻を鳴らして出て行った。
アダンガルがランヴァトに庭を散策しながら話を聞きたいと頼んだ。ランヴァトが少しためらった後、どうぞと中庭に案内した。中庭はあまり広くなかったが、白い石でできた柱などがあり、南国独特の樹木に薄紅色の大きな花が咲いていて、よい庭だった。だが、雑草がぼうぼうと生えているし、芝生も荒れていて、手入れはされていないようだった。
「もったいないな」
 手入れしたほうがいいぞと言うと、ランヴァトが苦笑した。
「職人がいなくなりました」
 アダンガルが名乗っていなかったなと小さく顎を引いた。
「三の大陸ティケア・セラディム国王の弟アダンガルだ」
 ランヴァトが驚いて両膝を付こうとした。アダンガルが腕を引いて立たせた。
「今はエヴァンス指令の孫としてここにいる」
 最敬礼はしなくていいと止めた。母親がエヴァンスの娘だと聞いてランヴァトが目を見張った。アダンガルが屋根を見上げた。
「屋根の上に電波塔が立っているな。魔導師が来たときもあったのか」
 ランヴァトも肩越しに振り返って見上げた。
「カーティアの使者が来たとき、マシンナートたちが閉じ込めて帰さなかったので、いずれ魔導師が来るだろうと忠告しました」
 すると塔を降ろして隠したのだ。
…あの塔があったら、ヴァシルも気づいただろうな。
 それでも、都の様子をきちんと見ていたらわかっただろうが、ヴァシルの経験不足が招いた失態だったのだ。
 中庭の隅にある長椅子に腰掛けて、亡くなった総帥がどう啓蒙されたのかを尋ねた。
 十年前、東側の村で瘧(おこり)が流行り、そのときにマシンナートたちが薬で助けたのが始まりだった。最初総帥は異端の施しは受けてはいけないと『お触れ』を出したのだが、その東側の村からだんだんとマシンナートの薬を使う村が広がっていった。
海からの嵐が来たときも食料などをくれて、怪我人の治療をしてくれたり、崩れた家を直してくれたりした。初めて総帥とエヴァンスが会ったのもその嵐の災害から島民を助けてくれたのがきっかけだった。
その頃、総帥は腹の虫が暴れて痛みがひどくなっていて、エヴァンスがくれた痛み止めを飲むと楽になったことですっかりエヴァンスを信用し、啓蒙されていった。娘のアルリカ姫は啓蒙に大反対して反対派をまとめて島の西側に立てこもり、抵抗していた。だが、家族が啓蒙されてしまったものや空腹に耐えられなかったものたちが離脱していき、次第に反対派も減り続け、最後にカーティアの南海岸に移り住もうと侵略戦を仕掛けたのだ。
「その戦争に負けて帰ってきましたが、それでも異端は信奉できないと出て行きました」
 ランヴァトが大きなため息をついた。
「わたしも出て行きたかったのですが、弟君のお世話をするものがいなくなるので」
 それで残っていると話し終えた。
「アルシンだったな、どうしている」
 ソロオン助教授に啓蒙されていたが、最近忙しくて来られないので、すねてしまって引きこもっていた。
「そうか」
 まだ十歳と聞いていたから、父も姉もいなくなって寂しいのだろうと察した。
 しばらくランヴァトと話をしてから小箱で旧都管制棟主任のニックスに音声通信した。
「案内はいらないが、街中を少し歩いてみたいので」
 了解しておいてくれと切った。


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