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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第3回   セレンと仮面の魔導師(3)
 その日の夕方、街道から少し外れたところの農家に一夜の宿を借りた。馬小屋の隅でよいというのに、農夫はわざわざ一室を空けた。奇妙な仮面にもかかわらずのもてなしは、具合の悪そうな子連れと思われたからのようだった。食事も分けてくれた。セレンも少し口にした。仮面の男が茶色の小瓶を入れていた箱から別の薬瓶を取り出し、飲ませた。仮面の男が、添寝しながら、少しの間話した。
「家に帰りたいかもしれないが…」
 セレンは弱々しく首を振った。子供ながら、されたことの意味はわかる。少なくとも今は戻りたくなかった。
「わたしと一緒に来なさい」
 仮面の男は、ヴィルトという名の魔導師だと言った。
「薬を作ったり、星暦で占ったりしている。そのうち、セレンにも教えてあげよう」
 ヴィルトは師匠(せんせい)と呼びなさいと優しく言いつけ、明かりを消した。しかし、その仮面を外すことはなかった。
 次の朝早立ちしてから、街道を完全に外れ、深い森の奥深くへと入っていった。その夜は、いつも旅の時に野宿するという、大きな樹木の洞で一夜を過ごした。ヴィルトは、白い棒を何本か呪文を唱えながら、地面に刺して、獣除けの術を周囲に掛けた。
「こうしておくと、獣は寄ってこない。安心しておやすみ」
 その夜も仮面を脱がなかった。最初はその下がどうなっているのか、気になっていたが、しかし、セレンはもうどうなっているかなど、どうでもよくなっていた。優しい師匠と一緒にいられるだけで、うれしかった。
 翌日、暗い森を進み、日が落ちる寸前に、一軒の小屋にたどりついた。小屋の方から小さな獣が駈けて来た。頑丈な四足の子犬だった。うれしそうに鳴きながら、馬の回りを跳ね回っている。馬から降りたヴィルトが、飛び掛ってきた子犬を抱き上げた。
「ただいま、リュール。留守番ありがとう」
 リュールと呼んだ子犬をセレンに見せた。
「狼の仔だが、よく慣れている。体がよくなったら、世話してやっておくれ」
 狼と聞いて少し尻込みしたが、子犬と同じようなかわいらしさでキュンキュン鳴いているので、おそるおそる抱いてみた。おとなしく抱かれているリュールの鼓動がドキドキと響いてくる。なにか、安らぐ感触だった。
「わぁ…」
 セレンの頬が笑みで緩んだ。
 それから数日はまだ無理ができないと、のんびりと横になって過ごした。少しずつ食事を増やし、リュールと一緒に小屋の周囲を歩いたり、食事の後片付けを手伝ったりした。

 十日程経った頃、一羽の鷹らしき鳥が飛んできて、小屋の傍に立つ大きな柏の木の枝に止まった。ヴィルトが口笛を吹くと、降りてきて、差し出した腕に止まった。足に筒のようなものを付けていて、中に細く丸めた紙が出てきた。手紙のようだった。読み終えるとすぐに煙のように消えた。これが術なのかと、セレンが目を丸くした。
「これは困ったな」
 ヴィルトがセレンを見下ろした。しばし考えていたが、やがて、膝を付き、セレンの肩に手を置いた。
「セレン、二、三日、リュールと留守番できるか」
 セレンは、この深い森の中に置き去りにされるのかと、不安で顔を泣き崩した。
「心配しなくても、すぐに帰ってくるし、リュールが守ってくれる」
 セレンは、言いつけを守りいい子にしていなくては捨てられてしまうと思い、首を縦に振った。
 それからの二、三日はまるで一年にも二年にも思えるほど長く感じられた。三日目の夕方、セレンはリュールと一緒に小屋の前に経ち、待ちつづけていた。日が落ち、星も見えない中、暗闇に包まれた森をずっと見つめていた。しかし、ヴィルトは帰ってこなかった。
 今日こそはと、待ちつづけて、七日が経った。地下の貯蔵庫には食料がふんだんにあり、水も井戸があって、不自由はしなかった。しかし、不安は募るばかりだった。
「ねぇ、リュール、師匠はどうしたのかな。用事が終わらないのかな、雪でも降って戻れないのかな…」
 リュールに話し掛けているうちに、涙が止まらなくなった。
「師匠…早く帰ってきて…」
 さびしくて、おそろしくてたまらなかった。
 さらに七日が経った。ついに、待ちきれなくなった。リュールと自分の分のパンを袋に入れて、筒を水で満たし、小屋を出た。覚えている限りの記憶を手繰り、街道へと向かった。師匠がどこに行ったのか知らなかったが、街道との入り口まで行って、そこで待っていよう。ここにいるよりも少しでも早く会える。その思いで深く暗い森を進んだ。
 雪の少ない場所ではあったが、時折白いものがちらつき、寒さが増してくる。リュールを胸に抱き、暖め合いながら、進んだ。
 馬に乗ってニ日の道のりも幼い足では、五日掛かった。とっくにパンはなくなっていた。あの洞以外は、雨露を凌ぐような場所もなかったし、獣除けの術もわからなかったが、リュールがいてくれたので、心強かった。
 とっくにパンは底を尽き、空腹と疲れで足もよろけてきたころ、街道に出た。気が抜けて、端に座り込んだ。リュールを胸に抱き、膝に顔を伏せていた。何度か人や馬車、馬が行き来するのがわかったが、しばらく顔も上げずに休んでいた。馬が近くまで寄ってきた。もしや師匠ではと顔を上げた。
「あ…」
 セレンは、恐ろしさで腰を抜かし、動けなくなった。馬から降りてきた者がセレンの髪を掴んだ。
「これは驚いた、こんなところで会うとはな」
 黒布の男だった。抱いていたリュールが吠えた。男がリュールの耳を掴んで地面に叩き付けた。
「ギャン!」
 リュールが悲鳴を上げた。セレンが寄ろうとするのを男が腕を掴んだ。
「おい、あのいかさま師はどうしたんだ。もう飽きられて捨てられたのか」
 セレンは首を振った。
「師匠は出かけただけです。帰りを待っているんです」
自分にも言い聞かせるように向きになって言った。鞭の男も寄ってきた。
「頭、もしかして、あいつの家にもっとお宝があるんじゃ」
 黒布は、馬車と御者に先に王都の定宿に行くよう言って、鞭と二人でセレンを追い立てた。リュールはぐったりしていたが、筒の水を飲ませてやると元気が出てきた。
「ずいぶんと奥なんだな」
 途中でセレンの足が遅いので嫌がるのを無理やり馬に乗せた黒布が苛立った。鞭の男はかなりの健脚らしく、子供たちを追い立てていたときとは違って、走っているような速度で馬に続いていた。小屋に着いたとき、その粗末な造りに呆れた様子だったが、中に入って、家捜しを始めると、目の色が変わった。居間の棚の中から値打ち物の装飾品や遠い国の金貨などが出てきた。
「こりゃあ、相当なワルだな。たんまりと溜め込んでやがる」
 黒布が寝台の下にあった木箱を引っ張り出して、鍵を壊した。
「すげぇ」
 鞭の男が驚いて手を入れた。木箱一杯の金貨と銀貨、宝石の原石が輝いていた。両側に取っ手がついており、ふたりで持ち上げた。かなりの重量だった。居間で一度下ろした。
「頭、荷車かなにかでないと運べねぇぜ」
 箱から出して袋にでも詰めることにした。敷布を裂いて風呂敷にして包んでいく。縄で縛り、繋げていく。黒布が居間の隅で震えているセレンを引っ張り出した。リュールがその腕に噛み付いた。
「ちっ!」
 黒布がリュールを振り払い、短剣を抜いた。リュールを斬ろうとしたが、すばやく逃れた。馬に袋を括り付けに行った鞭の男が怒鳴ってた。
「頭!帰ってきやがったぜ!!」
 黒布がセレンの腕を掴んで引きずって外に出た。栗毛の馬の側にヴィルトが立っていた。セレンはその姿を見て、泣き叫んだ。
「師匠!」
 ヴィルトがゆっくりと歩み寄ってきた。
「よくここがわかったな」
 黒布が睨み付けた。
「この小娘が街道でおまえの帰りを待ってたんでな、ここまで案内させたんだ」
ヴィルトの足が止まった。
「この森をひとりで…」
 セレンが顔を伏せて泣いた。
「ごめんなさ…い、心配で…ごめんなさい」
 言いつけを守らなかった。もう捨てられてしまうと思った。
「すぐに帰ってこられず、すまなかった」
 ヴィルトがふたたび足を進め始めた。鞭の男は鉈のような打ち物を構えた。黒布が手の短剣をセレンの喉に突きつけた。
「とまれ」
 ヴィルトは止まった。黒布が少し下がった。
「金も宝石も好きなだけもっていけばいい。だが、その子は傷つけるな」
 黒布が怒りについに罵声を上げた。
「気取りやがって!そんなにこの小娘が大事か!」
 黒布の手が動いた。同時にヴィルトも動いたが、間に合わなかった。短剣がセレンの喉を刺し貫いた。叫びを上げることもできず、セレンは血を噴出して事切れた。
「セレン!」
「ざまみろ、いかさまヤロウ、せっかく助けたのに、無駄だったな!死体でも抱きやがれ!」
 セレンのなきがらをヴィルトの足元に投げつけた。鞭の男が大鉈を振り下ろしてきた。ヴィルトがその方を向いて、仮面に手をやった。
「うっわわわわあっ!」
 鞭の男が凄まじい勢いで霧のようになって、仮面を取った中に吸い込まれていった。
「なっ、なんだ!?」
ヴィルトが仮面を取ったまま、黒布の方を向いた。
「お、おまえ、それは!?」
 驚愕のあまり、腰を抜かしていた。諤諤と顎を動かしているだけになった黒布の男にヴィルトが言った。
「現し世にいてはならない存在」
 神秘的なまでに澄んだ高い声が響く。黒布の体が霧のように分解して仮面を取った中に吸い込まれていった。
 仮面を付け、すぐに頭陀袋の木箱の中から茶の小瓶を出して、中の靄をセレンの口に注いだ。右の灰色の手袋を取って、セレンの喉元に向けた。
 ヴォーンという低いうなりのような声を発すると、喉元が白く発光した。傷口が見る見るうちに塞がり、回りについた血の汚れ以外はきれいになっていた。やがて、セレンが青い瞳を晒した。覗き込んでいる仮面を見て、震えた。
「師匠…ぼく、生きてるの…?」
 ヴィルトが抱きしめた。
「ああ、生きているよ」
 抱き上げて小屋に向かう。足元をリュールが心配そうに巡っていた。セレンが心配そうに首を回したのに気づいた。
「あの男たちは追い払った。もう二度と現れない」
 小屋に入って、寝台に寝かせ、手袋の手でセレンの額の髪に触れた。
「今度から出かけるときは、君もリュールも連れて行くから」
 セレンがうれしげにヴィルトの愛撫を受けた。  (「セレンと仮面の魔導師」完)


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