カーティアの王都の外れに、政経学院の入学試験を受ける学生が寝泊りする安宿がある。その一室にヴィルトとエアリアが滞在していた。 すでに夜中になっているのに、戻りもせず、遣い魔も遣さないサリュースを心配していた。 「何かあったのでしょうか」 エアリアが窓の外を眺めて、何度も同じことを尋ねた。ヴィルトは、じっと黙っていた。 扉に何か当たる音がした。エアリアが出ようとしたが、ヴィルトが留めて、自分で行った。扉を開けるとサリュースが倒れていた。 「サリュース…」 真夜中なので、声を押し殺してサリュースを抱き上げ、ふたつあるベッドのひとつに上げた。エアリアが長靴を脱がせた。 「学院長様…」 サリュースが身体を起こした。エアリアが水差しから杯に水を入れて持ってきた。サリュースが飲み干して、大きな溜息をついた。 「大変だ、アルテル殿が殺された」 ヴィルトもエアリアも言葉なくサリュースを見つめた。 第二王子が王位を狙って内乱を起こし、王族と魔導師を殺害、学院長にあの男が納まっていると話した。 「あの男、イージェンと言っていたが、あれが殺したに違いない。災厄だ、あの男は」 王族同士の争いに学院が巻き込まれることはあるが、学院が真義と秩序に照らしてどちらに理があるかと判断し、どちらに味方するかによって王権の行方は決まる。第二王子には肩入れしないという方針であったとしたら、学院は第二王子の一派を始末したはずだ。だが、学院が負け、新しく人買いの弟が学院長となったのだ。 「恐ろしい存在だ。なんとか始末しないと」 ヴィルトが尋ねた。 「セレンには会ったのか」 サリュースがうなずいた。 「ああ、返せと言ったが、返さないと言われた」 ヴィルトが椅子に腰掛けた。 「元気だったか」 サリュースが小さく顎を引き、うなだれた。 「イージェンはあなたに『静観せよ』と伝えろと」 ベッドに倒れこんだ。 「軍事同盟も白紙撤回だ、陛下になんと申し上げればいいのか…」 エアリアが目を見張った。 「白紙撤回って…それは、つまり」 ヴィルトが肩で息をした。 「王位争いはこの国の内向きの事情だ。今後新国王がエスヴェルンに対してどのような外交方針を打ち出してくるかによって我が国の対応を決めることになる。イージェンという男を学院長に据えたことが新国王の意思ならば、それは王位争いの内との判断もありうる」 サリュースが驚いて声を高めた。 「ばかな!平気で魔導師を殺すような男だぞ、ミスティリオンも詠唱していない!あんな男を学院長として認めるのか!」 ヴィルトが指をたてて静かにするようにとうながした。 「他の大陸では魔導師同士の争いもなかったわけではない。ミスティリオンは完璧ではない。詠唱しても、魔力を良くないことに使うものもいるし、権力争いに乗じる輩もいる」 エアリアは窓の外を気遣っていた。第二の月が中天にかかっているのを見た。同盟締結が撤回となるということは、第三王女の輿入れがなくなるということだ。混乱を喜んではいけないのに、頭の隅でどうしてもうれしく思っている自分がいて、それがエアリアを苦しめていた。 「…真義と秩序を守るために…」 勤めなければならないと、口の中で必死に唱えていた。ヴィルトがエアリアのほうをちらと見てから言った。 「内乱の経緯もはっきりさせる必要がある。ここはエスヴェルンとしては、カーティア学院長の伝言どおり『静観』しよう」 ヴィルトは伝書を書き、エスヴェルンとラウド付き伝書官クリンスに向け、夜が明ける前に発信した。
朝になり、エアリアは王都の様子を見るために、屋根伝いに街の中を探った。街には兵士がたくさん配備されていて、市場も商店も全て閉まっていた。人通りはほとんどなく、ときおり、伝令や護衛兵の馬が駆け抜けているだけである。王宮の正門の近くまでやってきた。厳重な警戒だった。裏に回るころにはすっかり午後も遅くなっていた。裏門はさすがに食料や資材の搬入など出入りがあってヒトや馬車の行き来もあった。 ヴィルトには街の様子を見てくるだけで帰ってくるようにといわれたので、そこまでにして戻ることにした。 (「セレンと黄金の戴冠式」(完))
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