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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第282回   イージェンと罪深き島《イルディイクリィミネェル》(下)(4)
 話がついたところでとアートランが足元の保管箱をひょいと輪の真ん中に置いた。
「おっさんの指示通り、奪ってきたぜ」
 イージェンがレヴァードを見た。
「何か指示したのか」
 レヴァードが保管箱を開けた。蓋が開いた隙間から白い冷気が流れ出した。
「ずいぶんとあるな」
 レヴァードが覗き込んでいたが、イージェンの前に押し出した。
「これはあんたとティセアの検体、精液と卵子、受精卵だ。ラスティン副主任がキャピタァルに運んでワァカァの母体に着床させようとしていたので、その前にアートランに奪ってくるよう指示したんだ」
 イージェンが冷気の白靄を手で払った。
「これが…」
 蓋のついた深皿のようなものや透明な筒がいくつか並んでいた。
「キャピタァルに持っていかれてはまずいと思って」
「ついでに、アダンガル様の検体ってものかっさらってきたぜ」
 イージェンが首を巡らせた。
「まさかアダンガル殿も特殊検疫受けたのか」
 アートランがイージェンとヴァシルの間に座り込んだ。
「ああ、じいさんが薬で眠らせて受けさせた。採った精で優秀種とかいうやつを作れってラスティンに命じたんだ」
 そんな無茶なとリィイヴが呆れた。
「アダンガルさんは優秀だけど、メェイユゥルはできないと思うよ」
 レヴァードもおそらくなと同意した。
「処置というやつをされたのか」
 されてしまったら、世継ぎを儲けることができなくなるとイージェンが心配したが、レヴァードが首を振った。
「処置はキャピタァルでやることになっているから、あの島ではしないだろう」
 優生管理局の専門担当士が行うのだ。
「カトルと部下のふたり、捕まって、キャピタァルのアンフェエル作業場ってところに送られたぜ」
 生きて出られないところらしいとアートランが怒ったような顔をした。レヴァードがそうかと沈み込んだ。
「カトルはワァカァ出身なんだな…アンフェエル作業場というのは、廃棄物最終処理場で、氷点下六〇度以下の極寒の場所なんだ」
 ワァカァの違反者が送られるところで、三年持たないほど劣悪なワァアク環境なのだ。
「カトルは大魔導師に始末されるとしても、テクノロジイは捨てられないといっていたから」
 助けてやりたかったがとレヴァードが目を赤くした。
「キャピタァルか、いずれ行くことになるだろうがな」
 イージェンが保管箱の縁を握った。
「レヴァード、おまえがいてくれたおかげでいろいろと助かった」
 感謝すると言われ、レヴァードがぱっと顔を明るくして、ぐっと身を乗り出した。
「こんだけワァアクしたから、借金、少しは減らしてくれるか」
 イージェンが仰け反ってから、手を振った。
「それとこれとは別だ」
 レヴァードがやっぱりとがっかりした。
「わかった、甲板拭きで返す」
 はあとため息をついた。そのあまりにがっかりしている様子がおかしくて、ルカナがこらえきれずに笑ってしまった。
「なんか、おもしろいヒト」
 イージェンがふっと仮面を向けたのに気が付いて、あわてて居住まいを正し、申し訳なさそうに首をちょんと折った。
 アートランがもう一枚書面を出して広げ、イージェンに渡した。さっと目を通してから、エアリアに見せた。
「他国からも期待されているんだな、アダンガル殿は」
 エアリアがすぐにヴァシルに送り、ヴァシルもすぐにルカナに見せた。ルカナはじっと読んでいた。セラディムとアラザード、東オルトゥムの間での画策の話が書かれていた。
 アートランが腕組みしてうなずいた。
「ああ、アダンガル様は『大魔導師の愛子(まなご)』って言われるくらい、アランテンスがかわいがっていたから、宮廷、軍部をはじめ民の間でも人気があるし、周辺の国や自治州もランスに対抗できる為政者だって思ってる」
 ヴァシルが青ざめた顔を上げた。
「アダンガル様、心配です、啓蒙されてしまったら」
 もちろん学院は見捨てるだろう。
「心配ないと言いたいところだが…」
 イージェンもアートランの報告から心配していた。ルカナがようやく読み終えて、後ろのヴィルヴァに渡すと、すぐに目を通してイージェンに戻した。
 イージェンが保管箱にポンと手を置いた。
「アリュカは王太子を廃するだけでなく、国王も退位させるつもりのようだが、国王はどう思ってるんだ」
 アートランが目を閉じてしばらく黙っていたが、肩で息をして目を開いた。
「国王は、ほんとうはアダンガル様を王子にしたかったんだけど、周りがドゥオールに遠慮して先王の落としだねにしてしまったんだ。今だって、かわいいと思ってるけど、ヨン・ヴィセンの手前、わざと、素っ気なくしてる」
 王位を譲ることは了解しているのだ。
「もっとも、ヨン・ヴィセンはそのことわかってるんだ、国王がどっちが世継ぎにふさわしいと思ってるかってこと」
「アダンガル殿だけが国王の真意を知らないのか」
 イージェンが仮面の顎に手を当てた。アートランがうなずいた。
「国王はアダンガル様には憎まれたままでいいと思ってる。出来が悪くてもヨン・ヴィセンも自分の子どもだから、まったくかわいくないわけじゃない。だらしないのも自分に似たせいかと思ってるし、廃太子するなら、最後まで甘い父親でいてやって、自分も一緒に退こうと思ってる」
 もっともヨン・ヴィセンはそんな父王の気持ちなどわからないだろうけどとアートランが肩をすくめた。
「国王のことは幼いジェナイダを乱暴した畜生以下だと思っていたが」
 イージェンが意外だと戸惑っていた。
「あの国王は女好きだけど、子どもに乱暴したのは、ジェナイダだけだな。ジェナイダのことは異端の女だっていう物珍しさもあってかなり気にいってたんだ、それで、ずいぶんかわいがってた」
 学院から王太子宮に連れてきて監禁していたが、虐待はしていなかった。アダンガルを産んでから湖の「中の島」の離宮に幽閉された後もよく会いに行ってかわいがっていたので、ジェナイダは何度も身籠った。ヨン・ヴィセンを産んでから相手にされなくなった正妃が、そのたびに後宮の侍女長たちに命じて堕ろすよう薬を飲ませていた。そのせいで内臓を痛めて具合が悪くなり、亡くなったのだ。
「アランテンスはなぜジェナイダを返さなかったんだ」
 イージェンが尋ねると、アートランが首を傾けた。
「帰りたいとは言わなかったみたいだ」
 アリュカの記憶によれば、何度か念を押したが、帰りたいと言わなかったのだ。子どもを残して帰れなかったのか、シリィに乱暴された恥ずかしい身になったと思ったのかはわからなかった。アダンガルから聞いた話だけどとリィイヴが話した。
「アダンガルさんにテクノロジイのことを話すのを大魔導師さんに止められてたって言ってたけど…」
 だから帰りたがっていたのかと思っていた。
「それは止めるだろう」
 イージェンでも子どもには話すなと禁じる。
 アートランが肩越しに窓の外を見た。
「アダンガル様は、ジェナイダがいつも寂しそうにしていたのは、帰りたかったからだと思っているけど、案外、国王は次いつ来るのかとか思ってたのかもしれないな」
 ジェナイダの方も少しは情があったのかもしれないとアートランが立ち上がった。
「ドゥオールのじじいがいよいよ危ないから、もしかしたら、大きく動くかもしれない」
 イージェンが少し考えてから、また保管箱をポンと叩いた。
「それでも、アダンガル殿が自ら帰ってくるのを待つしかない」
 アートランもうなずいた。
「俺はまた島に戻る」
 ヴィルヴァも帰るとお辞儀した。
「そのうち五の大陸にも来ていただきたい」
 イージェンが了解した。
 ふたりで窓から出て、食堂をのぞいたが、すでに誰もいなかった。
「へさきのほうだ」
 ヴィルヴァがさっさと行こうとしたので、アートランが止めた。
「姫様がさらわれたときのこととか、聞かないのか」
 ヴィルヴァがちらっと後ろを見た。
「素子と間違えて連れて行かれて、研究とかに使われたんだろう。南の港で検体を奪われたとあわててる連中がいた」
 別にそれ以上詳しく聞く必要もないと歩き出した。
「なあ、あんた」
 アートランが呼び止めた。
「なんだ、またふざけたこと、言うのか」
 眉を吊り上げて振り返った顔を見て、アートランがいや、やめとくと手を振った。
 こいつ、ほんとうに気が付いてないや。
 まあいいかとへさきに向かった背中を追った。
 甲板では、ティセアとラトレル、セレン、ヴァンが敷物の上でのんびりとくつろいでいた。ヴィルヴァが近付くと、ティセアの膝の上に座っていたラトレルが胸にしがみついた。
「帰るぞ」
 片膝をついて手を伸ばしたが、いやいやしてティセアから離れようとしなかった。
「来たばかりじゃないか、もう少しゆっくりしていけばいい」
 ティセアがラトレルの頭を撫でた。ヴィルヴァがラトレルの腕を掴むと、ラトレルがおびえて泣き出した。
「乱暴するな、まだ赤ん坊じゃないか」
 ティセアがヴィルヴァの手を叩き退けた。
「そいつは魔導師だ。そこいらの赤ん坊とは違う」
 ビィビィ泣いているラトレルの足をぴしゃっと叩いた。
「嘘泣きするな」
 ラトレルがぶうと頬を膨らませた。ヴィルヴァが奪おうとすると、ティセアがかばうように背中を見せた。
「こんな赤ん坊に折檻するなんてひどいぞ!」
 にらみ合っているふたりに、ヴァンとセレンがどうしようと顔を見合わせた。船室からイージェンたちが出てきた。
「どうしたんだ、赤ん坊が泣いてるが」
 ティセアがさっと立ち上がり、ラトレルを抱えて裸足のままイージェンに走り寄った。
「イージェン、あいつ、この子を叩くんだ、やめさせてくれ!」
 抱きつくように胸に飛び込んだ。外套の中に包み込むようにして抱き、ヴィルヴァに仮面を向けた。
「まだ叩いてもわからんだろう」
 ヴィルヴァが眼を見開き、ぶわっと短い黒髪と灰色の外套を浮かび上がらせ消えた。
「ヴィルヴァ?!」
 西に白い雲が伸びていく。
「いったい…」
 どうしたんだとイージェンが雲の跡を追った。アートランが脇の通路から出てきた。
「また来るからそれまで預かってくれってさ」
 ティセアがほっとしてラトレルを抱きなおした。
「それまでわたしが世話していいか?」
 顔を輝かせて見上げてきた。イージェンが心配そうに尋ねた。
「かまわないが、もう大丈夫か」
 うなずいて敷物に戻り、ラトレルを降ろした。ラトレルはすっかり機嫌をよくして、セレンたちのほうに這い這いしていった。
 その様子を眺めているイージェンにアートランがランスの学院長に北方海岸の警戒をしろという伝書を出してくれと頼んだ。
「マシンナートを警戒しろという伝書は出したぞ」
アートランがランスとドゥオールの『たくらみ』を話した。
「異端警戒を言い訳にして戦争の準備するだろうから」
アダンガルのことやドゥオールとの関係があるから、アラザードの協力を得るためにもランスには動いて欲しくないのだ。
「ウティレ=ユハニのありさまもわかっているはずなのに、『対岸の火事』と思っているんだな」
イージェンがランスへの伝書をあらためて出すことを約束した。アートランが、じゃあと手を振った。
「あいつ、ラトレル、『聡い』ってやつだぜ」
 イージェンが仮面を向けると、もう姿が消えていた。セレンもアートランがいなくなったことに気づき、南の空を見上げた。
「アートラン…」
 その夜、船長室の隣部屋でカサンと数字パズルを作っていたセレンが、急に沈んだ顔でうなだれた。
「どうした?」
 カサンが心配して尋ねると、顔を上げた。目が真っ赤になっていた。
「ぼく、アートランに嫌われちゃったみたいなんです」
 前のように身体に触ってくれないと鼻をすすった。
「あのヒトに…きたなくされちゃったから」
 深海基地《マリティイム》の所長ディムベスに乱暴されたことを気にしていた。
「そんなことはないだろう、魔導師たちは忙しいから」
 セレンも忙しいことはわかっていたが、それでも悲しかった。
「前は声が聞こえたんです、ぼくを呼ぶ声。でも、今は呼んでくれない…」
 敷物に泣き伏した。カサンが優しく背中をさすった。
 セレンがそのまま寝入ってしまったので、部屋から毛布を持ってきてかけてやった。『理(ことわり)の書』を読んでいると、レヴァードがやかんと茶碗を持ってやってきた。
「部屋に行ったんだが、いなかったから」
 ここだろうと思ったと腰を降ろした。茶を一口すすってからカサンが茶碗から立つ湯気を見つめた。
「イージェンはどうしてもテクノロジイを滅ぼすつもりなんだよな…」
 レヴァードがああとうなずいてから、書棚を眺めた。
「自然やヒトを汚さないようにってことは、限りなく動物に近い暮らしをするってことだ。今のシリィたちの暮らしぶりは自然を汚さないように気遣いながらなんとか『文化的(キュルテュウル)』であると言える。おそらくこれ以上は進まないようにといろいろ操作してるんだろう」
 レヴァードは空になった茶碗におかわりを入れた。
「カトルのように大魔導師に始末されるとしても、テクノロジイを捨てない連中もいるだろう」
 あんたも捨てきれないなら戻ったほうがいいと言った。カサンがむっとして顔を逸らした。
「わたしは、おまえよりも地上に長くいるんだ。シリィたちがどんな暮らしをしているかってことは、おまえよりわかってるぞ」
 若い頃から啓蒙ミッションに関ってきた。実際に地上に出るようになって五年。その間、一度もバレーに帰らなかった。トレイルでは清潔な生活だったからというのもあるが、思っていた以上に地上が気に入ったからだ。
「おまえのように捨てるとは…言い切れないかもしれんが…でも…」
「ああ、わかってる」
 わかってるなら、そんなこと言うなとプイと横を向いた。レヴァードが相変わらず素直でないカサンに苦笑した。
「そういえば、さっき、また買出しに行かないとってヴァシルたちが話してたな」
 レヴァードが口元を緩めた。
「おまえ、まだ金返してないのに」
 また『ショウカン』とやらに行くつもりなのかとカサンが呆れた。
「今度はあんたも一緒に行こう」
 なんとなく様子がわかってきたから、今度は大丈夫と胸を叩いた。
「…ばかもんが…だれがいくか…」
 ぽっつとつぶやき、セレンの髪にそっと触れた。
(「イージェンと罪深き島《イルディイクリィミネェル》(下)」(完))


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