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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第279回   イージェンと罪深き島《イルディイクリィミネェル》(下)(1)
 ティセアが素子研究によって身籠ったと知ったイージェンは、テクノロジイでできた子どもを許すわけにはいかないと、堕胎薬を調薬していた。だが、レヴァードに止められ、しばらくして、小鉢と匙を持ってティセアの部屋を訪ねた。
 まだ夜明け前で、ティセアはぐっすりと眠っていた。ベッドの縁に腰掛けて、しばらくその寝顔を見ていたが、指先で頬に触れた。
「ティセア」
 ふっとティセアが目を開けた。
「イージェン…帰ってたのか」
 身体を少し横にして起き上がろうとした。手を貸してやり、起こしてやった。ベッドの側の小卓から匙を入れた小鉢を差し出した。
 朝食には早いがと言いながらもティセアがそれを受け取り、匙で中身をすくって口に運んだ。
 一口飲んでからああとうれしそうに顔を向けてきた。
「懐かしいな、豆の煮汁だ」
 あの小屋でよく作ってくれたなと何度もすくって飲んだ。すっかり飲んでからベッドの縁に腰掛けているイージェンに寄りかかった。その仕草のひとつとっても、美しかった。
 イージェンが右手でゆっくりと銀の髪をすきながら、左の指先でそっとティセアの腹に触れた。
 …ああ、ちいさな、ちいさな、光の粒が…。
 確かに宿っている。ちいさいが暖かく、力強く、そして、なによりも厳かだった。
湧き上がる想い。イトオシイ…。
 俺の子だ、どうして殺したりできるだろうか。
ぎゅっと抱き締めた。
「イージェン…どうした?」
 ティセアが抱き締められてうれしくて大きな胸に顔をうずめた。
「ティセア…おまえ…身籠っている」
 ティセアが顔を起こして見上げた。驚いて青い目を見開いている。
「まさか…リュドヴィク王の…」
 言いかけた口を塞ぐように指先で唇に触れた。
「その子は俺の子だ、俺の子なんだ」
 言い切られ、ティセアが目を赤くして微笑んだ。
「そうだな、この子は…おまえの子だ」
 うれしそうにイージェンの首に腕を回して抱きついた。その身を堅く抱き締めた。
その胎内に感じる新しい命の光、あたたかく、優しい光だ。守るべき光だ。
ティセアの美しい指が仮面の口の当たりに触れた。
「あの唄、今度こそ教えてくれ」
「ああ、教えてやる」
 ふたりで唄ってやろうと喜びで声を震わせた。
 ティセアが急に身を引いて困った顔をした。どうしたのかと思っていると難しそうに眉間に皺を作った。
「大魔導師様に隠し妻だけでなく隠し子までいると知れたら、大変なことになるな」
 イージェンは真剣な顔つきのティセアにくくっと笑ってしまった。
「ああ、確かに。なんとか隠し通さないとな」
 ティセアもふふっと笑い出した。
 レヴァードに止めてもらってよかった。こんな経緯であっても、生まれてくる命に罪はない。しかも、けして得られないはずだった自分の子どもだ。子どもを授かってうれしそうなティセアを見ているとこれでいいのだとは思う。
いや、そう思わなければ、これからテクノロジイを排除しなければならないことと自分の子どもは助けたいという身勝手さのせめぎあいで苦しい。
 このことが知られれば、さすがに学院も自分を大魔導師として認めなくなるだろう。そうなったらなったで、マシンナートを滅ぼしたその後、どこかでティセアと子どもと三人で暮らせればいい…そして、なんとしても守っていこう。今度こそ…。

 翌朝、レヴァードが食堂に顔を出すと、イージェンが食卓を拭いていた。
「おはよう」
 イージェンが挨拶してもレヴァードが暗い顔をしているので皿を運ぶのを手伝ってくれと声を掛けた。厨房に付いて行き、皿を受け取った。
「子どもは産むことにした。ティセアも喜んでいる」
 えっとレヴァードがびっくりして皿を落としてしまった。その皿が床に付く寸前にイージェンがすくいあげた。
「まさか、ファーティライゼーションのことを話したのか」
 イージェンが首を振った。
「いや、ここに来る前に抱かれた男の子どもだと思ってる」
 そうかとレヴァードが複雑な顔をした。イージェンがもう一度皿を渡した。
「ティセアが産む子は誰の種でも俺の子だ」
 死んでしまったが前の子もそうだったからと言うので、わかったと皿を持って、運んでいこうとした。その背中に呼びかけた。
「レヴァード…ありがとう」
 レヴァードが口元に笑みを浮かべて小さく首を振った。
 廊下でバタバタと歩く音と、キンキンとした女の声がした。
「ちょっとぉ、朝食作る当番させるなら、早く起こしてよ!」
 後ろからうろたえたヴァシルの声がした。
「わたしもぐっすり寝てしまって!」
 ばっと厨房に入ってきた灰緑の外套がイージェンを見てあーっと声を上げた。
「イージェン様ぁ!」
 イージェンが呆れてため息をついた。
「なにをばたばたしてるんだ、埃が立つぞ」
 すでに朝飯は出来上がっているのを見て、ふたりがほっとした。
「ルカナ、どうしておまえがいるんだ」
 イージェンが尋ねると、ルカナが、ヴァシルから緊急に手伝いに来てくれと伝書をもらった、事情が書いてなかったのでダルウェル学院長も困ってしまったが、とりあえず自分が来てみたのだと答えた。
「そうか、まだカーティアにいてくれたんだな」
 助かると礼を言い、できあがった料理を運ぶよう示した。パンを粥にし、いり卵と赤い野菜の汁を盆に乗せて、エアリアの部屋に持っていった。
 エアリアは目を覚ましていて、リィイヴが椅子に腰掛けたまま寝ていた。
「心配でずっと寝られなかったんだろう」
 側の小卓に盆を置いた。エアリアが目を赤くしているのに気づいた。
「師匠、リィイヴさんからその…実験のこと聞きました」
 どうするんですかと心配そうだった。後でみんなに話すと言い、リィイヴを起こした。
「おまえは食堂で食べろ」
 目を擦ってうなずいた。エアリアの部屋を出たところでセレンとぶつかった。熊のウルスを抱え、足元にはリュールが尻尾を振っていた。
「師匠(せんせい)」
 おかえりなさいと頭を下げた。セレンも暗く沈んでいた。その頭を撫でた。
「なにも心配しなくていい。ティセアは無事だったんだし」
 セレンがほっとして見上げた。イージェンがウルスとリュールを抱え上げた。
「イージェン」
 後ろからティセアがやってきた。
「食堂で食べられるか」
 うなずいて、うれしそうに見上げているセレンの手を取り、食べてくると食堂に向かった。
 ウルスとリュールを船長室に置いてから、厨房でパン粥の残りをふたつの小鉢に入れて戻った。おとなしく待っているはずもなく、ウルスがリュールの耳をかじりまくっていた。リュールは痛いのを我慢しているらしく、ググッと身体を縮こまらせていた。
「そのうち、こいつの耳がなくなるな」
 呆れてウルスのお尻をペシッと叩き、鼻面を突付いた。
「約束忘れたのか、熊シチューにするぞ」
 ウルスがギャンギャン鳴いてもがいたがビクッとしてからしょぼんとうなだれた。おとなしく座った二匹の前に小鉢を置き、船長席に座り、居ない間に届いていた伝書に目を通し出した。
 ティセアとセレンが食堂に入ると、料理は並び終わっていて、カサンやレヴァードが席についていた。レヴァードががたっと椅子から立った。
「ティセア、起きて大丈夫か」
 心配そうに尋ねるレヴァードに、ティセアがにこっと笑った。レヴァードたちの食卓に行き、その横に座った。セレンがカサンの隣に座り、ルカナが食前にと、すっとする葉を入れた水を出した。
 顔を洗ってきたリィイヴがヴァンの前に座り、ヴァシルやルカナも一緒の食卓について、朝食をいただいた。
「これ、薄荷みたいな感じだな」
 カサンがけっこういいなと珍しく素直に誉めて水を飲んだ。
「ミガンという葉です。夏にはよくこうして浸して飲むんですよ」
 さっぱりしますからとルカナが説明した。朝飯はもっちり焼いたパンと豆乳と青菜のスープ、いり卵、ラクゥオ(赤い野菜)を切ったものだった。ラクゥオにはゆで卵の白身の入った酢のたれが掛かっている。ルカナがスゥウプがおいしいと感心した。
「あとで調理箋見せてもらおうかしら」
 書き写して行ってカーティアの学院の食堂で作ってもらうわと言うと、ヴァシルが調理箋はないと返した。ルカナがもったいないと嘆いた。
「イージェンに書いてもらえば、俺たちも少しは献立の幅が広がるな」
 レヴァードが提案した。
「調理箋見ながら作ってもきっと同じ味は出せないぞ」
 ティセアがイージェンは桁違いに調理が上手いからとスープをおいしそうに飲んだ。
「同じにならなくても、手順や調味料の加減とか書いてあると助かる」
 レヴァードがやっぱり書いてもらいたいとパンを汁に浸した。
 セレンがふっと窓に目をやった。
「あ…」
 がたっと椅子から立ち上がった。みんなも窓を見ると、アートランが窓に貼り付いていた。ぎいっと窓を開けて、手を伸ばし、ヴァンの皿から手掴みで炒り卵を取って、パクッと食べてしまった。
「あっ、取るなよ」
 ヴァンがせっかく最後に食べようと残しておいた好物を取られてがっかりした。
「アートラン、頼んだことは」
 レヴァードが真剣な顔で見つめた。アートランが親指を立てた。
「ちょろいもんさ」
 レヴァードが向こうで話そうと急いでスープを飲み干した。アートランの後ろに影が立った。すぐ窓際のヴァンが驚いた。
「誰だ!」
 アートランの頭の上から灰色の外套を着た顔が覗いた。かなり背が高そうで、短い黒髪の若い男のようだった。
「そのスープ、具はいらないから、少し分けてくれ」
 こいつに食わせたいとひょいと何かを片手で持ち上げた。獣の仔かと見ると、ヒトの子だった。
「赤ん坊か」
 ティセアが驚きながらも顔を輝かせて身を乗り出した。
「食べさせてやろう」
 両手を差し出したが、若い男が首を振った。
「わたしが食わせる」
 すっと姿が消えた。厨房の方でキャッキャッという赤ん坊の声がした。ルカナがみんなに軽く頭を下げて厨房に向かった。あの男が小鉢に入れたスープを匙で赤ん坊に食べさせていた。
「あの…」
 ルカナが後ろから遠慮がちに声を掛けた。廊下側の入口にやってきたアートランが顎をしゃくった。
「学院長、仮面、戻ってる。そいつはあの姫様に預けて行こうぜ」
 ルカナがどこの学院長様なのかしらと目を見張って男を見つめた。よく見ると女のようだ。
「いや、少し腹に入ればいい」
 急いでふた匙ほど飲み込ませて匙を置いた。赤ん坊が不満そうにぶぅと頬を膨らませた。
「後で腹いっぱい食わしてやるから」
 抱きかかえて厨房を出た。アートランがルカナにも声を掛けた。
「あんたも来いよ」
 はあと訳がわからないまま、厨房を出ていった。
 船長室の隣部屋に集まることになった。食堂に残ったのは、ティセアとヴァン、セレンの三人だった。後片付けをすることにした。
「おまえはいかないのか」
 ティセアに聞かれたヴァンがうなずいた。
「俺は難しい話わからないから」
 そうかとティセアが小鉢を重ねた。


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