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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第277回   イージェンと罪深き島《イルディイクリィミネェル》(上)(3)
 翌日、旧都に向かったソロオンは、総帥居城の隣にある管制棟の主任にアートランの捜索を頼んだ。
「捜索っていっても、マァカァ渡してないし、探しようがないですよ、それにいなくなってもう三日か四日経ってますから」
 暗にもう死んでいると言っていた。ソロオンもそれは承知している。だが、一応、やるだけはやったとアダンガルに報告しなければならない。
「捜索したという記録を残して、報告してくれればいい」
 滞在していた部屋だけ見ておこうと居城に入った。ばたばたと草履の音がした。
「ソロオン助教授!」
 アルシンが目を真っ赤にして駆け寄ってきた。
「やっと、来てくれたんだね!ぼく、ずっと待ってたんだ!」
 抱きついてきて、わんわん泣いた。
「アルシン、ワァアクなんだ、ひとりでも学習してくれないと」
 アルシンが激しく頭を振った。
「ひとりじゃやだ!ソロオンが啓蒙してくれなきゃやだ!」
 ソロオンが険しい目をしてアルシンの肩を強く掴んで引き離した。
「そんなわがまま、聞いてられない!忙しいんだ!」
 もうこの子どもを啓蒙して島の民の心をひきつける必要はないだろう。この島はもうマシンナートの島だ。
 しりもちをついて泣き続けるアルシンから離れて、アートランがいた部屋を見に行った。荷物もない。
「まったく、面倒な」
 苛立ったため息をついて部屋を出た。
それでなくても本来のワァアクに支障が出ている。それでもアダンガルの啓蒙は有益なので、進めたいと思っているが、夕べのように、来たころのような横柄な態度をされたりすると気持ちが萎える。このところ、『王族』であることは忘れたような気持ちのよい対応だったのに。
プテロソプタで新都に戻ろうとしたとき、若そうな男女ふたりが近づいてきた。
「ソロオン様、エヴァンス様にお話が…」
 顎ががくがくと恐ろしさに震えていた。
「エヴァンス指令はとても忙しいんだ。個別に面談している暇はない。話は旧都の管理主任にしてくれないか」
 追いすがろうとしたのを避けて、さっさとプテロソプタに乗り込んだ。扉が閉まり、羽がバラバラと回り出したので、あわてて機体からふたりが離れて行く。
 呆然と見上げるふたりが次第に小さくなっていった。

 エトルヴェール島の家々はほとんどが木造で、しかも熱帯のため、草ぶきの屋根で少し高床式になっているが、旧都の中心部の建物は、石造りが多かった。マシンナートたちが入り込んでから、床を掘って、配管を通していたが、おおむねは外壁に管や配線を走らせていた。夜もトォオチで明るい街並みだった。
今年二十七になるジェランは妻マノアと北ラグンの港近くで代々の飯屋をやっていたが、昨年子どもが生まれたときに、この旧都に引っ越してきた。宿屋だった建物を集合住宅に改造した一室に住んでいた。
 ジェランは、食料配給班の配給係に配置され、マノアはまだ生まれて一歳になったばかりの息子リザンの子育てをやっていた。子どもは三歳になったら昼間の間は育成棟に預け、母親もワァアクすることになっていた。ふたりにとってリザンは三人目の子どもで、一番最初の子は乳飲み子の頃に亡くなり、翌年生まれた二番目の子は八つになるが新都の育成棟に引き取られていた。リザンはひさびさに授かった子どもだった。
マノアが朝から保育士にもらった離乳食を食べさせようと苦労していた。スプゥンで口に入れたとたんにリザンが咳き込んだ。
「ゲボッ、ゲボッ」
 白っぽい粘食をブファッと吐き出した。
「どうして食べないのかしら…」
 マノアが泣き出した。近所の赤ん坊はみんなよろこんで食べているのに、リザンはマノアが作ったものも保育士がくれたものも食べないのだ。なんとか母乳だけは口にするが、もう一歳過ぎたので、十分なほど乳は出ない。やせ細ってきていた。
 保育士に相談すると、医療士の診察に回してくれたので見てもらったが、とくに病気などはないと言われ、途方に暮れた。ジェランが密林の中からボォトゥという黄色い果肉の果物を取ってきてやると食べるのだが、なんとか配給の食べ物が食べられるようになってほしかった。
「またボォトゥ、とってくるか」
 この間もワァアクからの帰り道、そっと街を出て、探しに行ったが、もしも見つかったら逮捕されてしまう。配給以外の食べ物を食べることは禁じられているのだ。
「食べるわけがない、そんな汚れた食い物など」
 いきなり後ろから低い声がして、ジェランとマノアが振り返った。灰色の外套ですっぽりと体を覆った大柄な体格のものが立っていた。その格好から言って魔導師と思われた。
「ま、まどうし…さま…?」
 ゆっくりと近づき、マノアの腕からリザンを奪った。
「あ、なにを!」
 魔導師は冷たい眼でふたりを見下ろした。
「わたしは五の大陸トゥル=ナチヤ・イェルヴェール学院長ヴィルヴァ、魔力を持つこの子は、学院が引き取る。この子は『理(ことわり)』の守護者として、空と地と海とそこに住まう生きとし生けるもののために尽くす。この子は生まれなかったこととして、以後、一切消息もたどるな、生き死にも気にかけるな、これを違えることのないように」
 まさか自分の子どもが魔導師だったとは。恐れ震えるジェランとマノアに、ヴィルヴァが言い足した。
「何故この子がマシンナートの食い物を食べないか、教えてやろう、この小さな身体でも、魔導師の血が、その汚れた食い物を拒んでいるからだ」
 ふたりが抱き合い震えた。
「この島は汚れている。罪深き島だ。異端を信奉するきさまらにはいずれ大魔導師の鉄槌が下されるだろう。覚悟しておくんだな」
 ヴィルヴァが険しい目で睨みつけながらそう言い終えると、赤ん坊とともに姿を消した。マノアが悲鳴を上げた。
「いやぁっ!リザンがっ、リザンがぁ!」
 しばらく放心状態だったジェランが、やがてマノアをぎゅっと抱き締めた。
「エヴァンス様にお話しよう、きっと取り戻してくれる」
 学院はいずれ滅びると話していた。魔導師でもテクノロジイを受け入れれば、エヴァンスは助けてくれるだろう。泣き続けるマノアを立たせて居城隣の管制棟に向かった。

 五の大陸トゥル=ナチヤ東の王国イェルヴェールの学院長ヴィルヴァは、生まれて一年たった魔力をもつ子どもを引き取りに、南方大島にやってきて、愕然とした。すっかりマシンナートたちに侵食され、島民たちが啓蒙されてしまっていた。
 学院がないところとはいえ、ここまでとはたいへんなことになったと見回り、途中マシンナートの鳥のような飛行物と遭遇し、電光を放って墜落させた。その後、総帥の居城がある都に向かい、子どもを引き取り、島から離れるために北上していた。その途中、赤ん坊は腹が空いてぐずぐずと泣いていた。
「泣くな」
 ヴィルヴァが腕の中の赤ん坊の額をちょんと突付いた。ぶうとふくれっ面をした。
「おまえ…もうわかるのか?」
 まだ魔力の発現はないだろうが、『聡い』子のようだった。足元に目をやると、パンサエスの親子がいた。すっと降りて、近づいた。大きな木の洞の前で仔が三匹、母親の乳をすっていたが、ヴィルヴァたちに気が付いてびくっと顔を向けてきた。
「この子に乳を少し分けてやってくれ」
 まだ生まれて数ヶ月くらいの仔らがよたよたと母親の腹からどいた。毛に覆われた乳首に赤ん坊の口をもっていった。赤ん坊は乳首に吸い付き、手でぐいぐいと力強く乳房を押してごくごくと飲み始めた。ヴィルヴァは、その間、母パンサエスの背中を撫でてやった。仔がヴィルヴァの外套の裾にじゃれついてきた。その仔たちも撫でてやっていると、背後に鋭い気を感じた。
「出て来い!」
 ヴィルヴァが怒鳴った。鋭い気の主が、がさっと草を踏んで姿を現した。ヴィルヴァが振り向いた。
「きさまは…」
 まだ十二、三くらいの少年だった。金髪で紫がかった青い眼をしている。肩からなにか荷物を下げていた。シュッとすばやく近寄ってきて、仔たちを抱え上げ、頭を撫でた。
「かわいいな」
 ヴィルヴァがその腕をぐっと掴んだ。
「食うなよ、アートラン」
 アートランがはっとヴィルヴァを見た。
…こいつ…読みにくい…
 ぼんやりとしか読めない。イージェンの心は読めないのは当たり前なのだが、そのほかのヒトでこんな読みにくい心は初めてだった。総会の時にアリュカ学院長たちの会話を漏れ聞いていたということくらいしかわからない。心に壁が作れるようだった。
「好きになると食ってしまうんだったよな、まだ乳飲み子だ、やめておけ」
 母親が悲しむと母パンサエスの乳を飲んでいる赤ん坊の背中をさすった。
「あんたは誰だ」
 トゥル=ナチヤのヴィルヴァ。わかっていたが、尋ねた。
「言わずともわかってるんだろ?わたしは余計な手間を掛けるのは嫌いなんだ。いくらでも心を読んでいいから、無駄に尋ねるのはやめろ」
 アートランが肩をすくめた。
「仮面にやたらとヒトの心を読むなと言われてるんだ」
 そうかと納得してからトゥル=ナチヤのイェルヴェール学院長ヴィルヴァと名乗った。
「この島のこと、イージェン様はご存知なんだな」
 うなずいてちらっと後ろを振り返った。
「セクル=テュルフの南方海岸に『空の船』が停まってる。俺は今からそこに帰るんだが、あんたも来るか」
 仮面がいるかどうかはわからないがというと、一応寄っていくと赤ん坊を抱き上げて立ち上がった。


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