三の大陸ティケアは南の大国セラディム、北の大国ランスの二大大国を中心に、中堅国のアラザード、ドゥオール、東オルトゥム国、アダンガルが占領しかけたことのある西の国カルマン、小国の西海岸のイェンダルク、東海岸沿いの北リド・リトス国、東海岸を北上するとナドゥル自治州、ディアレラ自治州、セラディムとランスの間にふたつの自治州スーヴァム、ネルタがある。 南のセラディムは他の大陸にはない米の産地で肥沃な土地が多く、農産物は種類も豊富で豊かに実っていた。山岳もあって、鉱山もいくつも所有している。おそらくは五大陸一豊かな国であり、美しい水の都《オゥリィウーヴ》と呼ばれる王都以外にも、景観優れた場所の多い土地柄だった。 北のランスもまた、麦やマァイス黍(きび)をはじめとした穀物地帯を持っていた。マァイス黍などを飼料として鳥を飼いならして、燻製卵や燻製肉を多く生産している。銀鉱があり、腕のよい銀細工職人たちが銀製品を製作している工房の村があった。 セラディムとドゥオールを挟んで北海岸に接しているアラザード王国は、三十四歳になる国王が中堅国としての分をよくわきまえ、無理のない国政を行っていた。硝子製品を製造する工房があって、大魔導師アランテンスが精錬したという、少ない燃料で高熱を発することのできる罐(かま)があり、他の国で作っている硝子製品よりも透明度が高く、薄くて質がよいので高値で取引されていた。 しかし、近年、隣の大国ランスが、セラディムとの国境にある自治州のひとつネルタを吸収するという噂があり、ますます北での勢力を伸ばそうとしている脅威を感じていた。さらに、海を隔てた二の大陸で驚異的に国土を広げているウティレ=ユハニの国王従弟カトルを国王の愛娘トリテア姫の婿に迎え、軍事同盟を結ぼうとしていることがあきらかになった。 ランスには、かつてセラディムの王弟アダンガルをトリテア姫の婿に迎え、北はランスが、南はセラディムがそれぞれ領域を分け合い、うまくやっていこうという目論見があった。しかし、セラディムとしても、ランスの横柄な態度が気に入らないということもあり、アダンガルの母が異端であることを裏の理由にして断ったのである。その申し出を断られてからはそれならば勝手にやるぞという態度がありありと見られるような行動が目立っていたのだ。 アラザードの王宮にある魔導師学院を訪れたセラディム学院長アリュカは、学院長室でアラザードの学院長ランセルに面会していた。 ランセルは五十過ぎているがまだ髪も黒々としていて、溌剌としていた。窓際の長椅子に向かい合って腰掛けた。アリュカの話を聞いて、ランセルが難しい顔をした。 「妃殿下はそれでよいと?」 ランセルが確認すると、アリュカは第一妃からの親書だと差し出した。セラディム王の第一妃イリナは、アラザード王の伯母である。ランセルが親書を開いた。 王室系図にはアダンガルの母については侍女某となっていて異端であることは書かれていないので、王子として追認すればよいと書かれていた。 そして、ヨン・ヴィセンを廃太子し、国王を退位させて、アダンガルを即位させることに賛同するとあった。 イリナの娘である第一王女の息子たちはまだ幼い。そのため、国内のことはもとより、ランスとの関係もあるので、王太子ならばともかく、すぐの即位は避けたほうがいいというのだ。 「イリナ妃殿下は、ふたりの王子たちの資質もあるので、アダンガル様に王子が生まれたら、その中から宮廷と学院がふさわしいものを選んで王太子にすればいいとおっしゃっています」 ランセルがうぅむとうなった。祖母である身からすると、自分の孫を一番に考えて王太子にと思うはずだが、セラディムほどの大国を治めるには、それなりの資質がなれければと冷静に考えているのだと感心した。 「こちらの国王陛下にも親書を書いてくださいましたので、後でお渡しください」 アリュカがふところから書面を出してランセルに渡した。 「ランスは嫌がるだろうな、アダンガル様が即位したら」 アダンガルが摂政の補佐を始めてから、それまで以上にセラディムの国力が上がり、治安も良くなっていた。国政を取ることになれば、もっと力をつけるだろう。異端の血であることを理由に学院総会に提訴するかもと心配したが、逆に総会で決議になれば、反対するのはランス、西オルトゥム国、そしてドゥオールくらいだった。 「ほかの国はランスを抑えてほしいと思っているでしょう」 今の王太子ではこの先の外交も内政もうまくいかないことは目に見えている。すでに東オルトゥムをはじめいくつかの国の学院とは連絡を取っていた。 「妃殿下は、アダンガル様の妃に、サフィラ姫をお考えのようだが、いかがかな」 ランセルが少し困った顔で尋ねた。サフィラ姫はアラザード王の妹姫で、一度も嫁いだことはないのだが、今年すでに三十近い。『薹(とう)が立っている』。だが、イリナとしては、アラザードから妃を入れて、繋がりを太くしておきたいのだ。 「確か東オルトゥムの王女が嫁ぎたいという話があったはず、とてもかなわないのでは」 東オルトゥムの王女は今年十七だった。おととしから輿入れさせたいという話が来ていることはランセルも知っていた。 「私はどちらも妃にすればいいと思っています。正妃を決める必要はないでしょう」 王子が生まれ、王太子となったら正妃とすればよいのだ。 ランセルがなるほどとうなずいた。北のアラザードと東の東オルトゥムと姻戚関係ができることは大陸の秩序を考えても利がある。 「それでランスを抑えられれば…」 そこでドゥオールのことですとアリュカが身を乗り出した。 「今、ヨン・ヴィセン王太子がお見舞いに行っています」 ランセルが噂ではあるがと話した。 「どうもドゥオール老王は、おととしに頭の病で倒れてから、寝たきりではないかと」 頭の中の血の道が切れたようだった。 「ええ、恐らくは王命と称しているものはゾルヴァーが出しているのでしょう」 ドゥオール老王にもしものことがあれば、ヨン・ヴィセン王太子の継承権を主張し、併合することを考えているが、当然ドゥオールの宮廷は反対なのである。 「ゾルヴァー、本当にヨン・ヴィセン王太子に継がせるつもりなのかな?」 ランセルが首を傾げた。どう考えてもふさわしい人物ではない。セラディムが廃太子しないのは、ドゥオールのことがあるからで、そうでなければ、とっくにしている。ドゥオールもセラディムを脅す材料としか考えていないのではと思うのだ。 「老王の従妹の息子が一番近い血筋ですが、王族には列せられていません」 だが、もしヨン・ヴィセンの代わりに王位につけるとしたら、この人物だろう。 「どういう方かご存知か?」 ランセルはほとんど知らなかった。アリュカが暖かい茶をごちそうになりながら小さくため息をついた。 「良くも悪くも貴族というところですね、今年四十一で、商人の娘を妻にしていて、妻の実家の道具屋で『目利き』をして小金を得ているのです。子どもはひとり、娘がいて婿を取っています」 娘に子どもはいない。ぱっとしない人物なのだ。 「国王の器ではないな」 ええとアリュカがうなずいた。 「でも、ヨン・ヴィセン王太子よりはましかと考えているのでは」 大国の王太子をつかまえてひどい言い様だなとランセルが遠慮なく苦笑した。 「老王にもしものことがあったら、ヨン・ヴィセン王太子は葬儀の喪主となります。王位継承についての会議も開かれるでしょう」 セラディムとしては、ここでヨン・ヴィセンをドゥオール王に即位させずにセラディムに併合してしまうつもりなのだ。 「その前にドゥオールが世継ぎを決めてしまうだろうか」 今はそれをゾルヴァーが押さえているのだろう。ヨン・ヴィセンはドゥオールを継承する気満々だ。それもあって、ゾルヴァーを親しく引き入れ、送り込まれてくる側近や将兵たちを重用しているのだ。 「しかし、もし併合したら、ゾルヴァーが学院長に?」 おそらくゾルヴァーの目的は、セラディムとドゥオールの併合後、学院長に就任することだろう。 「まさか、そんなこと、させませんよ。第一、私のほうが魔力が上です」 国力から言ってもセラディムの学院長がそのまま就任するのが筋というものだ。 アリュカは、ドゥオールとの国境を固めてくれるよう依頼した。 「学院から異端監視という理由で王立軍を出させてください。もちろん、監視もする必要がありますから」 王立軍配備の理由をまったく捏造しているわけではない。 「わかった」 ランセルはすぐに手配すると引き受けた。
セラディムの王太子ヨン・ヴィセンは、堰水門の管理料納金のためにドゥオールの王宮を訪れていた。後宮の国王寝室でベッドに横たわる祖父王にひとこと呼びかけてから、迎賓殿の宿舎に移った。用意された食事を見て不機嫌そうに酒を飲んだ。 「相変わらずこんな料理しか出せないのか」 侍従長が頭を下げた。ゾルヴァーがまあまあと慰めた。 「これでもわが国では大変なご馳走ですよ」 側に立っていた女に酒を注がせてから、膝の上に乗るよう示した。 「お許し下さい」 瓶を置いて下がろうとしたが、強引に腕を引いて、抱き寄せた。 「俺の酌をする意味わかっているのだろう」 胸元に手を入れた。女が顔を伏せ、されるがままになった。 「おじいさま、もう目開けないな」 半年前訪れたときは、呼びかけると目を薄く開け、ああと応えるような感じがあったのだが、今回は、息はしているようだが、まったく反応がなかった。 「…はい…」 ゾルヴァーが困ったようにうなずいた。 「つまらんな、この女」 ヨン・ヴィセンが女を投げ出した。ゾルヴァーが手を振って床に倒れ伏した女を下がらせた。フンと鼻を鳴らして酒を呷った。ゾルヴァーが空の杯に酒を注いだ。 「ところで、アダンガルは見つからないようですが」 王太子護衛隊はもちろん王立軍も動員しているのだが、まったく消息が知れなかった。父王もどこか他国にでも行ったのかもしれんと投げていた。 「父上は、あいつがどこででもいいから生きていてくれればと思ってるんだ」 杯を壁に投げつけた。ガシャンと音がして硝子の杯が割れた。ぎりっと歯を噛み締めて、テーブルを拳で叩いた。 「異端の汚れた血なのに、少しばかり頭が回るからって、大魔導師の愛子(まなご)だなんだともちあげて、学院も軍部もみんなあいつばかり大切にして、正当な後継者の俺をないがしろにする!」 宮廷すら、国政に必要と言っている。父王も素っ気なくしているが、本音では優秀なアダンガルのほうがかわいいのだ。そうでなければ、摂政とした王太子の怠慢を注意もせず、アダンガルの評価が上がることになる補佐をさせるはずはない。ヨン・ヴィセンに手を上げたときも終身刑でいいだろうといってなかなか死刑にすることを承知しなかった。生かしておきたかったのだ。終身刑ならば特赦を出すこともできるからだ。 ヨン・ヴィセンが身震いした。 「セラディムもドゥオールも俺のものだ、あいつには渡さない」 瓶から直接酒を呷った。 「ナリア姫も俺のものだ」 ナリア姫は東オルトゥムの第一王女だ。東オルトゥム王室はヨン・ヴィセンの妃よりもアダンガルの妻のほうがいいとふざけたことを言っているのだ。 ゾルヴァーが少し考えるような素振りをした。 「セラディムの学院は居場所がわかっているのでは。あの女学院長とアダンガルは通じているでしょう」 ヨン・ヴィセンもうなずいた。 「あの化物もアダンガルの味方だろうからな」 ヨン・ヴィセンが化物と呼ぶセラディムの第一特級魔導師アートランは、年は十三歳と若いが、大陸一の魔力を持つ。ほとんど水の中で暮らしているという変わり者だが、アダンガルとは赤ん坊の頃から仲が良かった。 「王太子殿下、セラディムは併合を主張してくるでしょう。宮廷はともかく私は併合したいのですよ。ただし、こちらが主導となるよう殿下には動いていただきたいのです」 ヨン・ヴィセンがどう動けばいいのだと身を乗り出した。
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