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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第27回   セレンと黄金の戴冠式(2)
 夕方調薬庫に向かった。煎じる前の薬草が入った箱がうずたかく積まれていた。引き出し型の薬棚も無数にあり、ガラス瓶もたくさん置いてある。調薬中のものもあったようで、処方箋とともに机の上に出しっぱなしの薬草もあった。栽培しているものもあるのか、品質の揃ったものが多かった。やたらに触らないように言って、セレンを隅の椅子に座らせた。処方箋の束をぱらぱらとめくり、いくつか引き出して、調薬しはじめた。

 護衛兵が、後宮から薬を出してほしいという依頼書を持ってきた。発行人は侍従医長だった。それも一枚や二枚ではない。イージェンは呆れて侍従医長を呼ぶように言いつけた。やがて侍従医長が何人か伴ってやってきた。
「このたび侍従医長をおおせつかりましたソリンです。学院長殿」
 ソリンはまだ二十代後半くらいの若い男だった。そのほかに連れてきた、医療・厨房関係の責任者も皆若かった。どこの部門も先王に仕えた熟練老練なものは廃され、新しく就いたものはみな若いものばかりということのようだった。執務部や軍部も似たようなものだろうことは想像に難くなかった。
「俺は戴冠の儀式をやってくれと言われたので学院長を名乗ってるだけで、実際に学院長になったわけじゃない。こんなに調薬を頼まれてもやる義理はない」
 ソリンがほかのものと顔を見合わせてからイージェンに言った。
「しかし、王宮に調薬ができるものが他におりません、地方の薬房の調薬師を召集しておりますが、間に合いません。具合のよくないものも出ておりますし、負傷者もかなりいます。貯蔵していたものがもうなくなってしまったのです。なにとぞ、お願いします」
 一斉に頭を下げた。一蹴すればいい。なにも言うこと聞いてやる必要はない。そう思いながらも、引き受けてしまった。
侍従医のひとりを残して、手伝いをさせた。セレンにも葉を枝からむしる仕事をさせた。井戸から水を汲んできて、釜に入れ、お湯を沸かした。もともと家の手伝いをしていたので、そうした作業はわけもなかった。一晩では全部出来そうになかったので、緊急を要するものから作った。学院で貯蔵されていたものもあり、あるだけ貯蔵庫から出した。手伝いの侍従医はてきぱきしていて優秀そうだった。後は彼にやらせることにして、作り方や注意点を書き添えた処方箋と薬草を一揃えにして、一箱ごとにしてやった。

 セレンは途中で休ませた。すでに真夜中になっていた。一休みしようと侍従医と一緒に茶を飲んだ。侍従医はユディトといい、書き込まれた処方箋を見て、感心した。
「これは大変わかりやすいです」
 ユディトは空になったイージェンの茶碗に茶を注いだ。遠慮がちだが尋ねてきた。
「学院長様、お聞きしたいことがあります」
 イージェンが茶を飲みながら顔を向けた。
「今後マシンナートたちに従っていくことになるのでしょうか」
 それは不安だろう。医者も魔導師の教程の一部を学ぶ。マシンナートが異端であることもわかっている。
「実は、昨年、王都で流感が流行り、たくさんの死者を出しました。王宮にも病人が出て、東の館では第三王女殿下も罹病されたのです」
 流感はただの風邪の何倍も致死率の高い病だ。学院の薬も全ての病人に行き渡らせることはできず、王宮の中でも王太子宮、後宮が優先された。東の館は一番最後に回され、従者たちも次々倒れた。第二王子ジェデルは妹姫だけには薬をやってくれと先王に頼んだが王妃腹の王女たちが先と言われたのである。学院にも直接頼んだが、後宮にまとめて送っているので、そこから配布してもらってくれと断られてしまった。
意気消沈するジェデルに従者のひとりが白い服の男を引き合わせた。魔導師の薬などよりもよく効く特効薬を処方するというのだ。マシンナートのユワン教授だった。ジェデルも王族のひとりとして魔導師の教導師から学んでいるが、知るが故にマシンナートのテクノロジイが侮れないこともわかっていた。
 ジェデルはマシンナートの薬を妹姫に使った。同じくらい重病だった侍女は亡くなったが、妹姫は助かったのだ。
「最近になって知ったことですが、それ以来マシンナートたちが東の館を出入りするようになったようです」
「なるほどな、それでテクノロジイを信奉するようになったわけか」
 ユディトが頭を下げた。
「今回、わたしたちは…マシンナートの薬を使うよう言われたのですが、お断りして、学院長様にお願いをしたのです」
 イージェンが頬杖を付いて考え込んだ。
「それはまずいな」
 立ち上がり、薬箱を重ねていった。あわててユデットが手伝った。
「マシンナートの薬を使う振りをしたほうがいい。今は微妙な時だからな」
 ユデットがはっと目を見開いた。
「ソリン侍従医長殿にもそう伝えろ」
 ユディトが真剣な目でうなづいた。
 
 明け方、イージェンは調薬庫で仮眠するユデットの横で黙々と薬を煎じていた。一段落してから、起こさないように出て行って、寝室に向かった。
 ベッドの上ですやすやと眠っているセレンを見て、隣の学院長室で過去の文書を読んで朝方を過ごした。熱い茶を飲んでから、セレンを起こしにいった。セレンはすでに起きていて、顔を洗って戻ってきていた。イージェンが、抱えてきた衣装の山をベッドの上に置いた。
「これを着て、手伝ってくれ」
 衣装の山を指差した。午後に戴冠の儀式を行うので、そのとき、手伝えというのだ。
「ぼくにできることですか」
 気後れしておずおずと尋ねるセレンにイージェンが茶に氷砂糖を入れて溶かしてやった。
「ただ王冠を持って突っ立ってればいいだけだ」
 甘い茶を飲みながらセレンがなおも不安そうに下を向いた。
昼すぎに礼服に着替えるように言われた。儀式用の礼服は下着から釦(ぼたん)や紐が多く、なかなか着られなかった。そのうち、イージェンが着替えて戻ってきた。
「なんだ、そっから苦労してるのか」
 セレンはイージェンの姿に驚いた。真っ白な外套に金の縁取りの肩掛け、胸に黄金の飾りを下げていた。フードも金で縁取られている。背も高いので、いっそう立派に見えた。
「着せてやる」
 セレンの前にひざまずいて、釦をかけてやったり紐を結んでやったりした。セレンの礼服も白が基調で銀の縁取りが使われていた。
「こんなの着るのは、最初で最後だな」
 イージェンは、最後に伸びかけているセレンの髪を後ろで束ねて結んでやった。
 学院の外には護衛兵のついた二頭立ての馬車が待っていた。空を飛んだほうが早いがと苦笑しながら、馬車に乗った。揺られながら向かい側に座っているセレンに言った。
「明日、南方海岸にマシンナートの船を見にいこう」
 セレンはおそるおそるだが尋ねた。
「イージェンさんもマシンナートのテク…なんとかを信奉してるんですか」
 テクノロジイも信奉も意味はよくわからなかったが、師匠の怒り方からしてよくないことなんだろうと思っていた。
「信奉はしてない。使えるものなら、兄貴の仇を討つのに使おうと思ってるだけだ」
 セレンが戸惑った顔でイージェンを見た。あの火花の筒とかそういうものを使って師匠を傷つけるつもりなのだ。イージェンがふっと息を漏らして苦笑した。
「仮面が心配か」
 セレンは答えなかった。
「心配するな、仮面は俺なんかに負けはしない、ただ、悪あがきしてみたいだけだ」
 イージェンが寂しそうな顔をして、車窓の外を見た。師匠が勝つということはイージェンが負けるということだ。なぜか胸が痛んだ。
 しばらく揺られていたが、馬車が止まった。扉が開いて、フィーリが何人もの軍人、執務官たちと出迎えた。
「学院長殿、お弟子殿、本日はよろしくお願いいたします」
 フィーリが挨拶して頭を下げると、全員がお辞儀した。セレンは驚いて降りられなかった。イージェンがその手を引いて馬車を降りた。
「なんとか、やってみるさ」
 イージェンが言うと、一同がまた頭を下げて、感謝した。
 執務宮の儀式殿は、何百人も入れるような大きな広間だった。一番奥にカーティアの国章と王家の紋章の大旗が掛けられていた。すでにジェデルに賛同した貴族、執務官、軍人の上層部が並んで待機していた。魔導師の控室もあるのだが、そちらには向かわず、直接王族の控室に入った。黄金の飾りをちりばめた荘厳な礼服を纏ったジェデルが椅子に座っていて、その側に白いドレスに純銀の首飾りや髪飾りで装った若く美しい女が立っていた。イージェンが近づき、軽く礼をした。ジェデルが立ち上がり、頷いた。イージェンが言った。
「じゃあ、いくか、式場の連中をあまり待たせては気の毒だしな」
 ゆっくりと身体を回した。


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