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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第266回   イージェンと南海の嵐《スュードゥヴァンテ》(上)(2)
 カトルが麻酔弾を打ち込んだ男は、素子用のかなり強力な麻酔薬だったため、エトルヴェール島の北ラグン港に到着しても目が醒めなかった。港に着いてから、燃料を充填したプテロソプタに同乗させて、南ラグン港に向かった。
『電文が転送されてきました』
 操縦士の隣に座っていた部下が後部座席のカトルに報告した。小箱を開いて、前の座席から転送してもらった。
 一通目は、旧都で預かっていた子どもが夜になっても戻ってこなくて、今も行方が知れない。近辺を探したが見つからないので、指示を待っているという。
 二通目は、シムス堰水門の工事現場からで、みんな、がんばっている、ミッションが済んだら顔を見せに来てほしいという副監督からのものだった。
「アートラン、まさか新都に行こうとしたとか…」
 そうだったら、密林の中を迷っているのでは。主人に会いたくなったのだろう。ミッションの前に新都に連れて行けばよかった。
『旧都に降りてくれ、預かった子どもがいなくなった』
 だが、操縦士が先に南ラグン港に向かってくれと告げた。
『南ラグンで交替なんです、頼みます』
 ひと休みしたいのだ。すでに南ラグン港のほうが距離的に近かった。
『わかった、急いでくれ』
 南ラグン港のプテロソプタ離発着場に到着した。カトルが拾ってきた男を降ろしてしまおうと抱き起こしたとき、男が動いた。
「う…ん…?」
 まだ意識がはっきりしないようで、薄く眼を開けてゆっくりと瞳を動かした。
「おい、しっかりしろ」
 カトルが声を掛けると頭を振った。
「こ…いつは、麻酔か…ひどいな…」
 かなり強い麻酔薬だ。しばらく痺れが取れないだろう。
…あれ、なんでこんなところ…に…?
 はっと気が付いた。
「ティセア!?ティセアは、どこだ!」
 けんめいに首を回し、周囲を見た。カトルが険しい眼をした。
「ティセアってあの女の素子のことか」
 男が首を振った。
「なに、いってるんだ。ティセアは…素子じゃない…」
 カトルがまさかと青ざめた。
「あの船に銀髪の女の素子が乗っていただろ?だから…」
 男が立ち上がろうとした。カトルがそれを押し返し、男の両肩を掴んだ。
「違うのか、あの女、素子じゃないのか!」
 意識がはっきりしてきたのか、男は目を細めてカトルをにらみつけた。
「違う、普通のシリィの女性だ、でも、なんで素子を…」
 カトルが男の肩から手を離した。呆然として、天井を仰いだ。
「俺は間違えたのか…そんな…」
 恐らく今頃はもう実験しているに違いない。普通のシリィの女。アルリカと同じだ。 そんな目に合わせてしまったとは。
 小箱を出して管制棟に連絡した。
「トリスト大教授のマリィン・ラボの航行予定はどうなってる?」
 管制棟が少しして返答した。
『三時間前に南ラグン港に入港しました。五番提にしばらく停留するそうです』
 カトルが通信を切って、プテロソプタにあった白つなぎを男に渡した。
「シリィの服だと目立つ。着替えろ」
 男がカトルを見上げ、急いで着替えた。そこに交替の操縦士が入ってきた。
「すぐに旧都に行こうと思ったんだが、用事ができたから、待機しててくれ」
 カトルが指示すると操縦士が了解した。
 プテロソプタから降りたふたりは、離着陸場からモゥビィルの車庫に向かった。カトルがポケットから小箱を出した。
「おまえのだろ」
 男が海に落としたかと思ったと受け取った。車庫にはモゥビィルが出払っていて一台もなかった。歩いていくしかないかと港の一番東にある五番提に向かって歩き出した。
「おまえもリィイヴみたいにテクノロジイを捨ててシリィになるのか」
 カトルが尋ねると男がうなずいた。
「ああ、どこに逃げても大魔導師に始末されるしな、それに、地上で生きるにはテクノロジイはいらない」
 男がぽつっとつぶやいた。
「いったいなんのために素子を捕まえることになったんだ、連れて行って何をする気なんだ」
 まだ身体がうまく動かないようで、のろのろとしか歩けない。カトルが肩を貸した。言いにくそうにしていたが、口を開いた。
「…素子研究に使うと言っていた。以前アーレで採取した素子の精子でファーティライゼーションの実験するらしい。インクワイァの卵子での実験が失敗したので、素子同士なら受精するんじゃないかという仮説を立てたんだそうだ」
 男が身体を震わせ、膝をがくっと折った。
「大丈夫か」
 カトルが覗き込むと、その胸元を掴んで詰め寄った。
「そんなこと、止めさせなくては!大切なヒトなんだ、とても大切なヒトなんだ!」
 傷つけたくないと男が必死に訴えた。カトルも自分の失態を悔やんでいた。もっときちんと確認して撃てばよかったのだが、したくないことをするので、顔など見ると手元が鈍ると思い、胸元だけ見て麻酔弾を撃ってしまったのだ。布担架で引き上げられたときも受け渡しするときも見なかった。
「俺の失態だ、トリスト大教授に話して、止めてもらう」
 男がほっとして赤くなった目を抑えた。また肩を貸してもらって歩き出した。
「トリストが主任なのか、あいつは俺と一緒で外科専門だったはずだが」
ファーティライゼーションとは無縁のはずだ。
「知ってるのか、トリスト大教授のこと」
 カトルが意外なと男の顔を覗き込んだ。
「ああ、キャピタァルにいたときは俺より下のレェイベェルだったが、要領がいいというか、上に取り入るのがうまかったからな。アーレの評議会議員にまで出世していたな」
 おそらく出世のために素子の研究をしているのだ。自分がキャピタァルにいたのはもう十五年も前で、医療事故を起こして引責を問われ、教授から助手に格下げされてマリティイムに左遷されたのだと話した。
「引責を問われて…」
 カトルが当然自分もそうなるだろうなとため息をついた。監督を続けさせてもらうどころではなくなってしまった。
「俺はレヴァード、医療士だ」
 少しずつ身体の痺れが引いてきたようだった。カトルの胸の小箱が震えた。音声通信だった。
「俺だ、ああ、すまない、アートラン、シリィの子どもだ、新都に向かったんじゃないかと思うんだが…マァアクは渡してなかったよな。ああ、こちらの用事が済んでから、俺が探しにいく」
 レヴァードが終わるのを待って尋ねた。
「アートラン、いなくなったのか」
 カトルがうなずいた。
「そうか、船で一緒だったんだな、まだ子どもなのに、つらい仕事させられて、かわいそうだろ」
 シリィは子どもたちをつらい目に会わせてると厳しい顔をした。レヴァードがどこか突き放したように言った。
「俺はもうテクノロジイを捨てると決めたからな、それでいいんだと言うしかない」
 カトルが不愉快そうに下を向いた。途中、何台かモゥビィルが行き来していたが、一番はずれの五番提に近付くとモゥビィルもいなくなっていた。
 ようやく五番提に着いた。
 マリィンが繋がれていて、昇降台が桟橋に掛かっていた。入口には監視員が立っていたが、カトルを見て、すぐに中に入れた。
「その男は」
 部下だと言って通してもらい、レヴァードに付いてくる様うながした。
「いいか、俺がトリスト大教授に話しするから、おまえは黙ってろよ」
 レヴァードがうなずいた。オペェレェション室の前で訪問釦を押した。
『カトル助手です。トリスト大教授にお話があってきました』
 扉が開いた。中にはひとり、男がいるだけで、トリスト大教授はいなかった。
「主任はひと休みするって、宿舎にいったんだが、何の用だ」
「あなたは副主任でしたね」
 男が副主任のラスティンだとうなずいた。カトルが頭を下げた。
「あの女、素子だと思って捕獲したんですが、普通のシリィの女でした。わたしが間違えました。申し訳ありません!」
 ラスティンが口をあんぐりと開けて、カトルを見た。
「間違えたって…じゃあ…」
 ボォオドを叩いて、モニタァにデェイタを出した。
「…素子同士でなくても…受精するってことなのか…?」
 しきりに首を捻っていた。オペェレェション室の窓から処置室が見下ろせる。レヴァードがそっと窓に寄った。処置室の真ん中の処置台に女が横たわっていた。
「…ティセア…なんて…こと…」
 怒りで震えてきた。全裸にされて、何本も点滴の針を刺され、頭や身体のあちこちに誘導線を貼り付けられていた。広げて固定された股間にも内視鏡らしき細い管や小水を採る細管などが入っていた。ひどいありさまだった。疾病の治療や必要な手術のためにする処置ならば仕方ないが、本人には何の説明もなく麻酔を掛けられ実験のためにされているのだ。
「あの女を検体にするの、止めてください。船に返してきます」
 ラスティンが鼻で笑った。
「なに、ばかなことを。すでに実験は開始されてるんだ、素子でなくても、受精できたってことになると、これからもっと詳しく調べるから」
 返すなんで冗談じゃないとボォオドを叩いた。
「シリィなら受精できるってことは、もっといろいろな卵子と組み合わせられるな…ここの島の女たちから採卵するか…」
 目をぎらつかせ、ぶつぶつとつぶやいていた。意外な結果に興奮しているようだった。カトルがラスティンに詰め寄った。
「やめてください、島の女を検体にするのは!」
 そんなことはさせたくない。
「口出しできる立場か?出て行け、邪魔だ」
 ラスティンが追い払うように首を振った。レヴァードがカトルのオゥトマチクを奪って、ラスティンに向けた。
「なんだ、おまえは!?」
 ラスティンが目を剥いた。カトルが驚いて奪い返そうとしたが、レヴァードが銃口を振り回した。
「ティセアを返してもらう!」
 ラスティンが手元の釦を叩こうとした。カトルが素早く動いてラスティンの首筋を手刀で叩いた。
「うっ!」
 気を失ったラスティンがコントロォル机に伏せる寸前、後ろに引き倒した。
「カトル…」
 カトルが唇を噛んだ。
「やっちまった…」
 だが、すぐに決断したらしく、顎で処置室を指した。
「早く連れ出そう!」
 レヴァードがうなずいてオゥトマチクを返した。ふと、モニタァに表示されていた画面が目に入った。
「ちょっと待ってくれ」
 ボォオドを叩いた。
「…まさか…」
 コントロォル机の左側の引き出しを開けた。その中の小箱用の外部保存記録媒体《ヴァトゥン》を出して、机の上の差込口に差した。


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