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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第263回   イージェンと砂塵の大陸《ラ・クトゥーラ》(下)(2)
 イージェンがリジェラに少し話があるとヒト払いした。リジェラが強張った顔で下を向いていた。
「リジェラ」
 イージェンが呼びかけると頭を上げた。
「おまえは、俺の母に似ている。そっくりだといってもいい」
 リジェラが首を傾げた。
「俺の母は五の大陸トゥル=ナチヤの聖巫女クトだ、なにか縁があるか」
 リジェラが大きな黒い瞳が驚きで丸くなった。
「では…あなたは…」
 リジェラがしばらく目を伏せていたが、少しお待ちをと言って部屋を出て行き、何か書類のつづりを持ってやってきた。
「…クト様は、私の母の双子の姉です…」
 やはり、あまりに似ていると思ったが、リジェラは母の姪、自分の従妹なのだ。
「おまえは俺の従妹か」
 なにか不思議な気持ちがした。いずれかに身内はいるのだろうが、まさか出会うことがあるとは思わなかった。祖父がいると知って会いたいと切望したアダンガルの気持ちが少しわかるような気がした。
 聖巫女の一族であったクトとリジェラの母リーラの双子は五の大陸で産まれ、十歳のときに、リーラが四の大陸の聖巫女になるためにやってきた。ところがリーラは足を痛めてしまって踊ることができなくなり、聖巫女になることはなく、神官の一族の男と結婚した。その男が結婚する前にサイードを拾ってきて、育てていたのだ。その後リジェラが産まれた。リーラはリジェラが幼い頃に病でなくなっていた。サイードが看病したが、治らなかったという。
「十年前サイード様が大神官になったときに、五の大陸のサウリ神殿を閉鎖して、主だったものたちはこちらに移ってきたのです」
 そのときにもってきた文書だと差し出した。秘文と言って、神官や巫女が犯した罪の調書だった。最後の頁に聖巫女クトの事件が書かれていた。
「…二九九八年十二の月七日、聖巫女クトの取調べ…」
 九の月四の日午後に聖巫女の儀式を拝観したカンダオン王国魔導師フレグが、翌日夜クトの寝室に忍び込み、暴行した。その後も、信者たちにばらすと脅して、関係を強要した、自分が悪いのでクトは教団から追放するだけにしてくれというフレグの話が書かれていたが、クトの話は違っていた。
 最初に寝室に忍び込まれたとき、拒まなかった。恐ろしかったのではなく、聖巫女でありながら、儀式の後に面会したフレグに心魅かれてしまったからだ。自分がフレグを惑わせた、自分が悪いので、フレグは許してほしいと訴えていた。
 どちらの話が正しいか、教団では判断が付かなかったので、学院に助けを求めた。ふたりから再度話を聞くと、確かに最初はフレグが乱暴目的に忍び込んだのだが、その後愛し合ってしまい、何回も関係を持った。互いに相手に罪が及ばないようにとかばいあったというのが真相だった。
 教団も学院も困ってしまった。学院としては、フレグのふしだらさには頭を悩ましていたこともあり、厳罰に処したかったが、貴重な特級であることもあって悩ましいところだった。そこで、教団には寄進をするということで次のように決着した。
クトは神殿地下の壁に埋め込む刑に、フレグも死刑に処すと決めた。クトについては、乱暴された被害者のままならばともかくその後も関係を続け、処女ではない汚れた身で聖巫女としての儀式を行っていたことは、神への冒涜なので、死刑は免れなかった。ただし、フレグの身柄は学院で預かり、処刑の日時はのちほど決めるとなっていた。おそらく、決めるつもりはなかったのだ。死刑の場合撤回はかなり難しいのだが、ほとぼりが醒めてから特赦を出して復帰させるつもりだったのではないだろうか。
 追記として、フレグが学院に移送する途中で脱走し、クトを連れて逃亡したと書かれていた。
「…愛し合ってしまい…」
 イージェンは戸惑った声でつぶやいた。
どんなにひどい目に会わされても母は父から離れなかった。ひとりで生きるのが恐ろしかったのかもしれないし、子どもたちのためにもと我慢していたのかもしれない。だが、それだけではなかったのだ。
「あんなやつを」
 父もすべてを捨てて母を助けて逃げた。そういえば、あんな境遇になったことを母のせいにして責めることはなかった。あの父ならそのくらい言ってもおかしくなかったのに。
 だが、父は、わずかながらにあった魔力をイカサマの術に使い、酒と女で堕落して枯れさせてしまった。貧しさに卑屈になり、母に身を売らせた上に死なせてしまった。兄と自分を虐待し、兄を人買いに売ろうとした。父のことは許せない。死んでなお一番憎くて嫌いなやつだった。その気持ちは変わらないが、兄と自分が、愛し合ったふたりの間に産まれたということで少し気が楽になったような気がした。
「教団としては俺のことをどういう位置づけにするのか」
 リジェラがしばし考えていたが、返された文書に目を落とした。
「こちらに追記として逃亡中にクトに子どもが産まれ、大魔導師になったと書いて終わりにします」
 これは記録としてあるだけなのでと顔を上げた。
「そうか、ならば俺が書く」
 文書を広げ、追記した。
 三○○○年一の月逃亡先のユ=セヴェリ王国パァラン州山中で双子の男子出産、ウルヴとイージェン。三○一二年ダルク公国にてクト死亡、三○一四年レヴェリス自治州にてフレグ死亡、三○二五年一の大陸エスヴェルン王国にてウルヴ死亡、同年イージェン、大魔導師となる。以上。
 インクが乾いてから丁寧に閉じてリジェラに返した。
「伯母様は亡くなられているのですね」
 イージェンが、ああと返事をした。
「俺もおまえも両親兄弟なくしてひとりぼっちだな」
 リジェラが悲しそうにうなずいたが、少しして恥ずかしそうに顔を伏せた。
「でも、イージェン様のようなお従兄(にい)さまがいらっしゃるとわかって、うれしいです」
 イージェンがはっと肩を引いた。母にそっくりな女に『お従兄さま』などと呼ばれて、こそばゆい感じがした。
リジェラは、母もそうだったように、美しい容姿とたおやかな物腰をしている。だが、弱々しいだけでなく、あの境遇にあっても子どもたちを懸命に育てた母のような強さもある。なんとか教団をまとめていけるだろう。
リジェラが頼んできた。
「お顔を見せていただけませんか」
 イージェンが首を振った。
「すまないが、大魔導師はヒトに顔や身体を見せない決まりになっているんだ」
 無理やりそちらの顔を見ておいて申し訳ないがとあやまった。リジェラが残念そうに首を折った。
気を引き締めようと立ち上がった。
「さて、これからが大変だ」
 教団にとって、これからが苦難の道となるだろう。リジェラが目元を引き締めた。

 炊き出しの粥はやはり充分には行き渡らず、芋や豆もすべて出し尽くした。少しでも腹に食べ物が入っているうちに話をしようと、信者たちを大神殿の前の広場に集めさせた。およそ二万五千ほどいると思われた。
「ずいぶんと逃げ込んできたもんだな」
 イージェンが呆れて見回した。話をするにしても、行き届くだろうかとアディアが心配すると、リジェラが谷の構造で、奥から話すとかなり先まで反響するから静かにしていれば聞こえるはずと説明した。
 大神殿の門の上に少し広くなっているところがあり、そこにリジェラと神官たちが上った。ざわざわとしている信者に向かって、神官が大声を張った。
「静かに!聖巫女リジェラ様よりお話があります!」
 白い布をすっぽりと被ったリジェラが数歩前に出た。門の上なので、柵もなにもなく、高さは十五セルほどもある。落ちれば怪我ではすまないだろう。だが、リジェラは恐れもなく一番前までやってきた。ゆっくりと足元の信者たちを見回した。胸で息を吸い込んだ。
「信者のみなさん、よく聞いてください」
 張りのある澄んだ声で話し出した。確かに谷の岩壁に反響して、遠くまで聞こえていた。
「心を落ち着けて、聞いてください…みなさん、『神の王国』が作られると信じてここまで来たと思います、しかし」
 水を打ったようにしんと静まり返っていた。
「『神の王国』を作ると約束した大神官サイードは、砂漠の嵐を起こそうとして、魔導師に止められ、死にました!」
 悲鳴があちこちから聞こえてきた。前の方にいるのは熱心な信者たちのようで、中には気を失ったり、めまいがしたのか倒れ込むもの、泣き出すものや呆然とするものがいた。最前列にいた身なりのよい男がひっくりかえって胸をかきむしった。何人かが駆け寄り、どこかに連れていった。後ろの方は『神の王国』を当てにしてきたものたちらしく、落胆したり不愉快そうに怒り出したりするものがいて、その色分けははっきりしていた。
「だましたのか、永遠の安らぎが与えられると信じてきたのに!」
「麦は降ってこないの!?」
「苦しみがなくなるという話じゃなかったのか!」
 口々に失望したことをわめき出した。女子どもが泣き出し、そのうち、近くにいたもの同士で口争いになり、殴りあうものたちも出てきた。止めようとするものもいたが、むしろ、火に油を注ぐようなことになり、喧嘩が広がっていた。
「おやめなさい!」
 リジェラが必死に声を出したが、すでに聞こえる状態ではなかった。
「リジェラさま…」
 神官たちが青くなった。こんな錯乱状態になってしまったら、どうやって静めたらよいのか。このままでは怪我人や死人が出るだろう。
「リジェラ」
 後ろにいたイージェンが声を掛けた。リジェラが振り向いた。
「あの連中を黙らせてやる」
 イージェンが何かを信者たちの頭の上に投げた。それがパシッと破裂して、強い光とギィイィイーンという大きな音を放った。
「キャァッ!」「わあぁっ!」
 混乱していた信者たちが驚いて目をかばい、頭を抱えた。光が去ってから、おそるおそる顔を上げた。水を打ったように静まり返った。
リジェラが大きく息をしてから、再び話し始めた。
「みなさん、サイードが死んだことは、信じがたいかもしれません。でも、サイードは『神』になれず、『神の王国』も作れずに死んだのです。『神の王国』は夢の話でした。飢えも苦しみもない国、それは、死ぬことだったのです」
 信者たちは呆然と聞いていた。どれほどわかっていたかはわからないが、それでも切々と説いていくしかなかった。
「みなさん、どうか目を覚ましてください、教団はもう神の王国は目指しません。そして、サンダーンルークに反逆した罪を償い、昔ながらに三神の教えを守り、慎ましやかに暮らしていきます」
 リジェラが土下座した。
「サイードがみなさんを惑わしたことを止められなかったこと、あやまります。どうか、許してください」
 神官たちも頭を下げた。
…サイード様、あなたを悪者にするしかないのです。許してください…
 リジェラは心の中でひそかにサイードにあやまった。サイードには私欲などなかった。ほんとうに苦しみから信者たちを救いたいと思っていたことは間違いなかった。だが、その道が誤まっていた。そして、その誤りを誰も正すことができなかったのだ。
 聖巫女の話が終わった後、信者たちを故郷の州ごとに分ける作業が始まった。イージェンがその指示書を渡し、落ち着いて動ける兵士たちと神官を組ませて取り掛からせた。
 イージェンはソテリオスへの伝言を持って、サンダーンルークの王都に向かうことにした。各国の学院と宮廷に向けた伝書を出すのに、王都でないと遣い魔がいないからだった。
 後のことをアディアに任せ、エアリアの看病は巫女たちが交代で見てもらうことにした。
「少しでも食料を運んでくるから、水は充分に与えてやれ」
 リジェラが了解した。


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