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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第261回   イージェンと砂塵の大陸《ラ・クトゥーラ》(上)(4)
 リジェラが学院長に出した伝書の写しは遣い魔で送ったのだが、イージェンの手元には届いていないのだ。アディアが念のために控えておいた伝書を見せた。後ろに控えているリジェラを振り返った。リジェラは両膝を付いて下を向いていた。
 エアリアは、地下道から異端の道に入り、サイードを異端の施設まで追い詰め、そこで戦って、岩漿(がんしょう)にふたりで落ちて、エアリアだけ上がってきたのだ。
「そこでサイードは死んだのか」
 エアリアが死んだことを確認している。だが、サイードが仕掛けたものなのか、いきなり壁の穴から水が入ってきて、岩漿(がんしょう)から大量の蒸気が発生し、爆発を起こした。異端の施設も破壊し、各地に伸びている地下通路を爆風が走っていき、砂穴から噴き出して、砂嵐を誘発したのだと説明した。
「その砂嵐はカダルの州都から一〇カーセルのところでおきました。そのままでは州都が被害に会うので、『鎮化の術』を使うからと」
 アディアに報告役を頼んで、エアリアがひとりで鎮化したのだ。
「砂嵐はすっかり消え去りました。でも、エアリア殿は気を失ったまま、起きないんです…」
 アディアがううっと泣き伏した。イージェンがエアリアをゆっくりと横にして、手のひらを光らせ、頭を撫でた。
「いちどきに魔力を使いすぎたんだ。気が付けばいいが」
 心配そうに頬に触れた。
「…エアリア…」
 懐から茶葉を出して、リジェラに差し出した。
「これを薬湯のように煮だして、冷まし、布玉に含ませて唇を濡らしてくれ」
 リジェラが受け取り、入口にいた巫女に命じた。
 入れ替わるように別の巫女が入ってきた。
「リジェラ様、大変です、兵たちが大神官様に会いたいと押しかけてきました!」
 リジェラが青ざめ、アディアを振り返った。
 サイードが死んだことは、神官と巫女たちにはアディアが告げた。神官たちは恐ろしさのあまり倒れたり、おびえて震えたり、わめいたりしていたが、リジェラが残された信者たちのために目を覚ましましょうと叱ると、何名かは納得した。だが、ほとんどはふぬけた状態なので、牢に閉じ込めていた。巫女たちは以前からリジェラが束ねていたこともあり、家族を死なせずに済むのだと安心しているものも多かった。
「炊き出しが足りないと信者たちも怒り出しています。静める立場の兵たちがうろたえてしまっていては」
 アディアが暴動になりかねないとリジェラに説得に出るよううながした。イージェンが首を振った。
「もう少しサイードのことを詳しく話してからにしろ」
 光らせた手でエアリアの頭と胸を撫でながらリジェラの口から聞きたいとうながした。
 リジェラが戸惑った様子で口を開いた。
「サイード様は親のわからない捨て子でした。神官であった私の父が奥地に戻る途中で拾ってきたのです、赤い眼に白い髪、白い肌で、そうした赤ん坊はほとんど育たないのですが、サイード様はとても丈夫で、そのうち五つくらいの頃から傷を治したり、水を出したりして、神官たちが神の子だと大事に育てたのです…」
 サイードは、十歳くらいのころから身体の成長が止まっていて、大人になっても子どもの姿のままだった。養い親の父や母を大事にし、その後生まれた自分を妹とかわいがり、穏やかに暮らしていた。リジェラがものごころ付いた頃のサイードは、包帯で顔を隠すことはなかったが、ときどき暗く沈んでいて何かに悩んでいるようだった。そして、十年前、大神官になったときからおかしくなったのだ。
「わたしはつい最近地下道の部屋のことを知ったのですが、サイード様は十五年前に見つけたと言っていました」
 アディアは、自分は見ていないが、エアリアから、岩の壁に赤い字でなにかびっしり書かれ、魔力で書かれた書物がたくさん置いてあったと聞いた。
「サイード様は、その部屋で学院の非情さを知ったと泣いていました。そして、神官や兵たちに学院を憎むようにと命令し出したのです」
 養父は、学院に反発すれば、教団が潰されると何度もサイードを説得しようとしたが、サイードは聞き入れなかった。もめにもめた末、ついにサイードは養い親を殺してしまったのだ。
「はずみだったと思います。父に叩かれて、突き飛ばしたとき、神の力で…」
 イージェンが手のひらで土の床を叩いた。
「なにが神の力だ、その力は魔力だ!サイードは魔導師だ!」
 リジェラが下を向いて、か細く、はいと答えた。
「おまえは親の仇なのに、サイードに従ってきたのか」
 イージェンが手をエアリアの胸に戻して、厳しく問い詰めた。リジェラが震えながらうなずいた。
「信者たちを救う道だと言われて…ここ数年、税金が厳しく取り立てられ、飢饉も続いていて、食べられなくなって駆け込んでくるものが増えていました。来るものは拒まないのが教団の主旨ですが、このままでは立ち行かなくなると思いました」
 教団を存続させるにはサイードが必要だと思ったのだ。最初は自治を求めるのではと思っていたのだが、違っていた。
「その救う道が…みんなを砂の下に埋めることだと知り…」
 自分も説得してみたが、自分の言うことなど聞く耳はなかった。力の差はあきらかなのに、ついに武力蜂起してしまった。信徒兵たちには、失敗して捕らえられたら死を選べと、気分が高まる薬を与えて術を掛けた。
 イージェンが立ち上がり、アディアとリジェラをうながした。
「その部屋を見よう」
 リジェラが、控えている巫女にさきほどの茶でエアリアの唇を濡らすよう言いつけて、神像の台座横の入口に案内した。

天井も低く狭い通路で、イージェンは腰を折って進まなければならなかった。ようやく突き当たりの扉を出て、広い道に出た。
「これがマシンナートの地下通路か」
 アディアがこちらですと歩き出し、続いていたイージェンが振り返った。リジェラが扉を出たところで強張ったまま立ちすくんでいた。
「どうした、早く来い」
 リジェラがしきりに首をめぐらせている。
「暗くて…なにも見えません…」
 さきほど地下道ではアディアに手を引かれていた。イージェンがうっかりしていたとリジェラの手を握って歩き出した。魔導師のふたりには昼間のように見えているが、リジェラには真っ暗闇で何も見えなかったのだ。リジェラがおそるおそる足を進めていた。
「この先です」
 アディアが指差した先に別の脇道があった。左側の脇道に入っていくと、その奥に扉があった。鈍色の扉に近づき、押し開いた。
中はけっこう広く、天井がドームのような形にくりぬかれている。イージェンがリジェラのために手を光らせた。
 アディアが壁際に近づいた。
「これは…」
 壁は岩がむき出しになっていて、そこに赤い細かい字でびっしりと書かれていた。
「センティエンス語です、でも、魔力で書いていませんね」
 イージェンが近寄って指先でその文字に触れた。
「…血だ…血で書かれている…」
 リジェラがああっと泣き伏した。
「そうです、それは…サイード様が自分の腹を裂いて…その血で書いたと言っていました…」
 床に血溜りの跡があちこちにあった。乾燥していて、黒々となっている。イージェンはぐるっと身体を巡らせて、瞬時にして壁一面に書かれている文書を読んだ。
「…サイード…」
 イージェンが戸惑った声を出した。それはサイードの苦悩と血の叫びを綴ったものだった。
 アディアも一度には読みきれなかったが、読んでいる途中で手で顔を覆った。
「イージェン様…サイードを殺してしまって…よかったのでしょうか…」
 イージェンが足元に積まれている書物を手に取った。ぱらぱらと捲った。著者は大魔導師ツヴィルクだった。
「そんなこと、エアリアに言うなよ。どんな理由があるにしても、サイードは、王国と学院にたてつき、大勢を死に追いやったんだ。その罪は免れない」
 アディアが顔を覆ったまま何度もうなずいた。イージェンが泣き伏しているリジェラを見下ろした。
「リジェラ、サイードが死んだからといって、教団の罪がなくなったわけじゃないぞ、サイードの暴挙を止められなかった神官たちや巫女たち、教団上層のものたちは連帯で責任がある」
 リジェラが顔を上げた。
「…覚悟はしております…」
 イージェンが両方の手のひらを壁に向けて光を放った。
 光が壁一杯に広がり、消えたとき、血文字もなくなっていた。アディアが息を飲んで見回していた。
「アディア、ここに書かれていたことは、いずれ書面にして学院長に配布する。おまえにも渡すから、それまでは何も言うな」
 アディアがうなだれた。
「ツヴィルクの著書がたくさんあった。サイードはこれを読んだんだ」
 サイードがここで学院の非情さを知ったと言っていたのだから、ここにあった著書を読むために、どこからか、センティエンス語の教本を手に入れたのだろう。
 イージェンがリジェラの手を引き、アディアをうながして、外に出た。魔力で封印をした。
「いずれあの書物を引き取りに来る」
 三人はもとの神殿に戻った。
(「イージェンと砂塵の大陸《ラ・クトゥーラ》(上)(完))


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