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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第257回   イージェンと暁の星《オォゥヴエトワァアル》(下)(3)
翌朝、雨も上がった夜明けの空の下をラウドが散歩していた。後ろから少し距離を置いてイリィが後に付いていた。中庭を抜けて妃の部屋の庭に入った。まだ薄暗い。朝も早いうちなので、起きだしているものもあまりいない。
「…殿下、いけません、お戻りください」
 声をひそめて呼びかけたが、ラウドは聞こえないふりをして、そのまま向かってしまった。
 庭から部屋の窓を眺めるだけで帰ってくるつもりだった。テラスにヒト影が見えた。
「…妃…」
 ジャリャリーヤが空を眺めていた。明けて来た空にはまだ暁星が残っていた。
 しばらく眺めていたジャリャリーヤがすっと身体を回し、長い髪を翻して部屋に戻っていった。少し登ってきた陽の光を浴びて暁の海の波のような髪がきらめいていた。
 キレイだと眼を細めて見ていたラウドも身体を回し、戻っていった。
 朝一番、国王の執務室に、内務大臣ルスタヴ公、法務長官ヴァブロ公、王立軍大将軍リュリク公、魔導師学院学院長サリュース、ラウド王太子が、御前会議の前に挨拶にやってきた。朝会である。昨夜の出来事はすでに国王に報告されていたが、ラウドからあらためて経緯を説明した。だが、サリュースが捜索を拒否したことは話さなかった。国王もそのことは知っているが、問い質さなかった。つまり、そのことは問題にしないとしたのだ。
王太子妃が隣国に付いていきたいと言っていることを聞いて、国王が難しいと小さくつぶやいた。
「父上、そこをなんとかお願いします。ようやく気持ちがほぐれてきたところなんです」
 ラウドが頼み込んだ。ヴァブロ公もあまり賛成できないと反対した。
「確かに妃殿下のお気持ちは大切にして差し上げたいのですが」
 やはりあの儀式の様を見ると、できると言われてもにわかには信じがたいのだ。
 それまで黙っていたサリュースが口を開いた。
「私もヴァブロ公閣下と同意見です。隣国にまで行って恥を晒してくるのですか」
 カーティア国王の戴冠式や婚礼式を荘厳に挙げてやったイージェンの『贔屓』が不愉快だった。カーティアの国王はじめ宮廷がさぞかし鼻を高くしているかと思うとこれ以上隣国に対して恥をかきたくないのだ。
 リュリク公が明らかに不愉快な眼をサリュースに向けた。リュリク公が一歩前に出ようとしたとき、ルスタヴ公が頭を下げた。
「陛下、確かに婚礼式などの妃殿下のご様子を見ると、心配は尽きませんが、しかし、あれほど侍女に髪を結わせることを嫌がり、ドレスも拒んでおられた妃殿下がご自分からおっしゃられたということは、評価して差し上げてよいのではと思います」
 ルスタヴ公もラクリエからさんざんジャリャリーヤの様子を聞かされていたし、学院長が放置していたことも知っていた。ラウドが、エアリアをあきらめて嫁いでくる王女を大切にしろと言われて、そのとおり大切にしようとして、懸命になって気持ちをほぐそうとしていることがけなげに思えた。そのラウドの熱意を汲んでやりたかった。
リュリク公は、自分が言おうとしていたことをルスタヴ公が言ってくれたのでほっとした。根回しはしていない。ルスタヴ公が同じ気持ちであることがうれしかった。
「陛下、私もルスタヴ公と同じ気持ちです。ここはおふたりのご成長のためにお許し下さい」
 サリュースが一歩前に出た。
「お待ち下さい、妃殿下をお迎えするに当たり、結納金をはじめ婚礼式や祝宴の費用、王太子宮の準備、民への祝いの品配布などでかなり国庫を使っています。王太子夫妻が外遊するとなると、それなりの準備や費用が必要ですが、今年の春の『災厄』によってリアルート地方は麦の収穫がひどく落ちると思われます。おそらく来年にまで影響するでしょう。長期予測で今年の冬、東パロウ地方は例年にない寒波が来るはずです。そうした援助に回す分を捻出しなければならない状態で、これ以上王太子ご夫妻のために費用を出すことは諸侯も賛成しないでしょう」
 ルスタヴ公やヴァブロ公がそれは…と声を漏らし、ため息をついた。確かに財務大臣リウッツィン公から予算修正が必要との意見書が出されていた。さらに魔導師学院から今年の冬の気候について昨年以上に厳しくなると予測が出されていた。
国王が手を振った。
「学院長が言っていることは充分わかっているが、今回だけは王太子の頼みを聞いてやりたい」
外遊の費用は王室から補助を出すと言い、ルスタヴ公に手続きをするよう命じた。サリュースが険しい眼を床に向けた。
「わかりました、学院の助言も意味がないようですね」
ラウドが国王の前に進み出て、片膝を付いた。
「ありがとうございます、父上」
 朝会はそこで終わった。
 サリュースとラウド、ルスタヴ公が下がった後、リュリク公とヴァブロ公が国王と内密の話を始めた。内密の話というのは学院に知られたくない場合のことで『耳』で聞かれないために筆談でするのだ。
リュリク公。
『昨日の書面、ご覧になり、陛下のご意見をお聞かせいただきたい』
 その一方で雑談をする。
「妻の具合もかなりよくなりました。近々屋敷に運ばせて、養生させようと思います」
国王。
『このままだと学院が王太子を見放すこともありうるのか、それが心配だが』
「それはよかった。後で水菓子でも送らせよう」
「恐縮です。どうかお気遣いなさらず」
 リュリク公が茶碗を皿に乗せて、国王に差し出した。
ヴァブロ公。
『学院というより、学院長が態度を硬化させているのです。大魔導師様のことも『災厄』と非難して…』
「ところでリュリク公に、王太子ご夫妻が来訪する旨の通達をもってあらかじめカーティアを訪問していただきたいと思いまして」
リュリク公。
『大魔導師様と連絡を取りたいのです、できれば直接お話してきたい』
「セネタ公とは旧知の仲、この機会に挨拶もしたいと思いまして」
国王。
『余の密書を持って行ってくれ、大魔導師殿に渡してほしい』
「おお、それはよい。かつては対峙した仲だが、旧交を温めてくるとよい」
 リュリク公とヴァブロ公が片膝を付いてお辞儀し、国王が御前会議までに一休みすると別室に移った。リュリク公が灯りを点して、今の会話の紙面を燃やした。
 御前会議では王太子の隣国外交に王太子妃が同行するという発表がなされ、諸侯や執務官、王立軍将軍たちが仰天した。だが、王太子の熱心さに感心するものも多く、すでに国王も了承しているので、表立って反対するものはいなかった。
 その日の午後、ラウドはジャリャリーヤへの伝書をイリィに託した。侍女のレオノラから受け取ったジャリャリーヤは、何度も伝書を読み返していた。
 一緒に隣国に行くことの意味、公務の大切さ、そのために使う費用のこと、そして、国王やリュリク公はじめ大臣たちの心使い。それらを丁寧に書き綴り、出発までに一の大陸の『しきたり』を覚えて、立つ朝、正式に装い、ふたりで国王や諸侯に挨拶をしに行こうと書かれていた。それまで、ひとりで寂しいだろうが、きちんと食事を取り、昼間は外に出て、元気に過ごしていてくれと結ばれていた。
「…王太子…」
 伝書をそっと胸元に押し付けた。
 その夜、ジャリャリーヤは、食事を取った後、明日はカムゥと水出しのお茶以外は王太子の好きな料理を出すよう、レオノラに言いつけた。湯浴みを手伝わせて、寝間着もきちんと白絹のものに着替え、鏡の前で髪を梳かせた。
「王太子がこの髪をキレイって言ったの」
 小さな声でつぶやいた。レオノラが丁寧に梳きながらええとうなずいた。
「とてもおキレイですよ」
 恥ずかしそうに下を向いていた。
 翌朝もレオノラに手伝わせて、しきたりの服を着て、革の靴を履いてみた。
「痛いわ」
 少し歩いてみて、ジャリャリーヤが顔をしかめた。侍女長を呼んで見てもらった。
「大きさはいいようですけど、甲の高さが合わないのでは」
 そのためきつくなっていたようだ。足に合わせて靴を直すことにした。靴職人が男と聞いて、ジャリャリーヤは最初嫌がっていたが、しぶしぶ入れさせた。靴職人は、ジャリャリーヤが履いてきた布の靴を見て、大きさや形などを紙に書き写していた。
「普段お履きになる楽な靴もお作りしましょう」
 ジャリャリーヤが喜んだ。翌日には靴が直ってきて、かなり痛くなくなっていた。
 公式の席での『しきたり』の書面も読み、革靴で裾の長いドレスを着て、歩く練習をし始めた。だが、最初からさっと歩けるわけもなく、裾を踏んでひっくり返ってしまった。
「きゃっ!」
 ドスンと床に転がった。
「妃殿下?!大丈夫ですか!」
 レオノラや侍女長たちがあわてて駆け寄った。
「…やっぱり…歩きにくいわ…」
 しくしくと泣いたが、立ち上がり、何度もこけながら練習した。
どうやら同年代の娘たちには気を許すようなので、レオノラの他にも若い侍女たちを集めて世話をさせた。
リュリク公夫人が具合を悪くして養生のため屋敷に戻ると聞いて、見舞いの手紙を書いて侍女に持っていかせた。受け取ったラクリエは、困らせて悪かった、早く良くなってくれと書いてあるのを読んで、心からうれしかった。身体がすっかり軽くなり、馬車まで自分の足で歩いていった。
 午後は気晴らしにと花園を見に行ったり、花の書物を読んだりして過ごした。ただ、やはり外に出るときや男と顔をあわせなければならないところでは顔覆いを外さなかった。
 ラウドのほうはと言えば、午前中は条約締結の書面作りに参加し、午後には勉強会となかなか忙しく過ごしていた。ジャリャリーヤの様子はレオノラが伝書を寄越してくれていた。なんとか慣れようとしているようで、うれしくてたまらなかった。
 勉強会も無事終わり、条約の書面作りも完了した。出発の準備も整った。
 出発の朝、ジャリャリーヤは髪を高々と結い上げ、青い石で縁取られた髪飾りを付けた。薄い水色が基調のしきたりに合ったドレスを着て、革の靴を履いた。
 だが、唇に紅を差し終えると、さっと顔覆いをしてしまった。
「妃殿下」
 侍女長が取ろうとしたが、ジャリャリーヤが首を振った。
「…これだけはイヤ…」
 侍女長が険しい顔を向けてたしなめようとすると、レオノラが顔を覗き込んだ。
「妃殿下、これ以上殿下を困らせないで下さい。こちらの『しきたり』どおりにすると宮廷と約束したのですから、その覆いを取っていただかないと」
 殿下が叱られますよと言うと、ジャリャリーヤが下を向いて震えていたが、つぶやいた。
「王太子を呼んで」
 それは無理だというと、頭を振った。
「呼んで!」
 侍女長がレオノラに手を振って、ラウドを呼びに行かせた。
 ほどなく正装したラウドが居間に入ってきた。寝室にいるというので、ヒト払いをし、中に入った。
「妃」
 ジャリャリーヤが鏡の前で座っていた。きちんと髪を結い、ドレスを着ていた。側まで寄り、片膝を付いて見上げた。ジャリャリーヤが少し顔を向けて来た。顔覆いをしていたが、とても美しく思えた。
「どうした」
 優しく尋ねると、ジャリャリーヤが眼を赤くした。
「…顔覆いだけは…取れないの…お願い…」
 許してと震えるので、ラウドが困ったなとため息をついてから、じっと見つめた。
「四の大陸では、嫁ぐ前の娘が顔覆いするんだよな?妃は、もう国旗と大紋章旗の前でエスヴェルンの国土と民の許しを得て、俺の妃になったんだ。たとえ…その…」
 ラウドが顔を赤くして眼を伏せた。
「その…最初の…夜を過ごしていなくても…俺の妃なんだ」
 ジャリャリーヤが眼を閉じた。
「だから、四の大陸の『しきたり』から言っても、そなたが顔覆いをしているのはおかしいだろう?」
 もう顔覆いは外そうとラウドが言うと、ジャリャリーヤがゆっくりとうなずいた。
「わかった…外すわ…」
 王太子が外してとか細い声を出した。
「ああ」
 そっと手を伸ばして、耳に掛けていた輪を取り、顔覆いを取り去った。恥ずかしそうに顔をそらしたが、整った鼻筋や形のよい唇が見えてきた。
「…妃、とても…キレイだ…」
 ラウドが声を震わせてジャリャリーヤを見つめた。ジャリャリーヤがすこしすねたような顔でぷいと横を向いた。
 ラウドが目元に笑いを浮かべ、鏡の前に置いてある木箱を開けた。中には青い透明な石が散りばめられた美しい白銀の首飾りが入っていた。それを取り出し、ジャリャリーヤに掛けてやった。
「これは、父上が母上に婚約の時に贈ったものだ、母上の形見だ」
ラウドが言うと、ジャリャリーヤが両手でそっと触れた。
「知らなかったわ、投げ出したりして、悪かったわ」
ごめんなさいと謝った。ラウドが、手を差し出した。
「さあ、行こう。父上たちを待たせてはいけない」
 その手に手を重ねた。ゆっくりと立ち上がると、ジャリャリーヤも立ち上がった。そのまま手を引いて歩き出した。ジャリャリーヤが少し首を折ってラウドの耳元で言った。
「王太子、早く私よりも大きくなってね」
 髪を高く結い上げたためにいっそう背が高くなってしまったジャリャリーヤを見上げて、ラウドが困ったように苦笑いした。
「頑張ろう」
 きっとよとジャリャリーヤがうれしそうに微笑んだ。ラウドがうなずき、寝室の扉を開け、居間の扉を開けた。
 控えの間から廊下には王太子宮の従者、侍女たちがずらりと並んでいた。
「王太子殿下、妃殿下、いってらっしゃいませ」
 次々に頭を下げていく間をふたりは微笑みを浮かべて顎を引いて応えながら、ゆっくりと進んでいった。
(「イージェンと暁の星《オォゥヴエトワァアル》(下)」(完))


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