ジャリャリーヤは、たてがみにしがみついて顔を伏せていた。 「いいか、妃、俺はまだ伸び盛りなんだ!そのうちそなたよりも大きくなるんだ!それに、赤毛が嫌だって、自分だって、赤毛が混じってるくせに、そんなことで、嫌われたくないぞ!」 ジャリャリーヤがぶるっと震え、しくしく泣き出した。 「あ…いや、その…」 ラウドが戸惑った。泣かせるつもりはなかったが、あまりに納得のいかない嫌われ方だったので、かっとなってしまったのだ。 ジャリャリーヤが泣きながら首を振った。 「そうよ…わたしも赤毛だから、嫌なの…母上みたいにキレイな金髪じゃないんですもの…だから、嫌の…」 ラウドがジャリャリーヤの背中で波打つ長い髪に触れたくなったが、思いとどまった。 「でも、そなたの髪は金色に赤が混じって、その…朝焼けの海の波みたいにキレイだぞ」 顔を赤くしながら、ラウドが気持ちを伝えようとした。 …もう戻れないのだから、ここで自分となんとか過ごしていくことを考えてほしい。 うまく言えるだろうか。迷っているとジャリャリーヤが顔覆いをしている顔を上げた。目が真っ赤になっている。 「…ほんと?ほんとにキレイ?」 何度もうなずいた。 「ああ、本当だ、とてもキレイだ」 ジャリャリーヤがぷいっと顔を逸らした。 気持ちがつかめなくてため息をついたが、ラウドが前を向いた。 「妃、見てみろ、これがエスヴェルンの国土だ」 ジャリャリーヤがしぶしぶ前を見た。 崖の上から樹海を見晴るかせる場所だった。深い緑の森林、ところどころに青緑の湖や沼があり、それが延々と広がっている。 ジャリャリーヤもこのような景色を書物に書かれている絵で見たことはあったし、魔導師に連れてこられたときに上空から見たが、ゆっくり目にしたのは初めてだった。それはあまりにも故郷の灰色と鈍色の砂漠とは違う景色だった。 「異大陸に嫁がされてつらいのだろうけど、もうここがそなたの故郷なんだ。そう思って、俺と過ごすことを考えてくれないか」 ジャリャリーヤが顔を伏せてじっと馬のたてがみを見つめていた。 ようやくイリィたちが追いついてきて、少し離れたところで控えていた。ラウドがさっと馬に乗り、首を回した。イリィたちの横を並足で通り過ぎた。 「戻る」 イリィたちも馬に跨り、後について行った。途中、それまで馬にしがみついていたジャリャリーヤがふと身体を起こした。両脇をちらちらと見ている。高い木がまばらに生えている林の中だ。木漏れ日が差し込んできらきらとまばゆい。 「停まって」 小さな声でささやいた。ラウドが停めると、顔は伏せたまま、林の中を指差した。 「あれ、採って」 指差した先には、リアリという大きな花びらの白い花が咲いていた。 「あの白い花か」 こくっとうなずいた。降りて、下草を掻き分けて林の中に入り、一本手折った。差し出すと受け取り、しげしげと見つめた。 「花、好きなのか」 また首をこくっと折った。後ろに乗って馬を歩かせた。 「王宮に花園がある。そこにならいろいろな花がたくさんある。気晴らしに見に行くといい」 じっと花を見ていて、やがて小さくうなずいたが、またしくしく泣き出した。 「どうした」 まったくどうすれば気持ちが落ち着くのかと途方に暮れた。 「…おなか、空いたの…カムゥが食べたい…」 「でも、俺が作らせたものは食べたくないんだろう?」 わざといじわるく言ってみた。どうも、意地を張っているだけのような気がしてきたのだ。 ジャリャリーヤは黙っていたが、やがてぽつりとこぼした。 「王太子が作らせたものでもいいわ」 おなか空いたと肩でため息をついた。ラウドが少しは気持ちがほぐれたかなとうれしくなった。 王太子宮に戻ると侍女長はじめ侍女たちが心配そうに玄関の扉を開け放って広間で待っていた。馬から降りたジャリャリーヤがすたすたと中に入っていく。 「妃殿下」 侍女長が後を追っていく。ラウドがレオノラを見つけて手招いた。 「昨日の献立を作らせて出してやってくれ」 でもと戸惑うレオノラにふっと笑ってみせた。 「俺の作らせたものでもいいそうだ」 レオノラが、はあと戸惑った顔で了解した。 あまり無茶をするとまた鞭打ちですよというイリィの小言をたっぷり聞かされた後、テラスからそっと抜け出し、花園に向かった。 花園は後宮が管理していて、飾りつけや食材などのために四季折々の花を育てていた。装飾品などあまり贅沢しないエスヴェルン王室だが、花を飾るくらいはしていた。前触れもなく王太子が訪れたので、花園の管理人は驚いて最敬礼した。 「少しもらいたいんだが」 赤色や薄紅色や黄色と色とりどり、大きさもさまざまな今が盛りの花で束を作ってもらった。 そろそろ夕餉の時刻だ。この花束を寝室にそっと置いておいたら、食事から寝室に戻ったとき、きっとジャリャリーヤは驚くだろう。もしかしたら喜ぶかもしれない。 そのときの顔を思い浮かべようとしたが、顔覆いをしているから青い眼しかわからなかった。それでも少しずつ、近付いている。そのうちきっと抱き合って朝を迎えられるときが来る。 そのときまで、顔覆いの下は楽しみにしておこう。 妃の部屋の庭に腰を低くして入り込んだ。テラスに上がり、寝室を覗き込む。ヒト気はなかった。静かに部屋の中に入り、ベッドの脇の小卓の上に花束を置いた。 そのまま帰ろうとしたとき、居間でバンッと音がした。男の声が聞こえてくる。誰だろうと扉に寄って耳を当てた。 「妃殿下はもうエスヴェルン王室の一員なのですよ、こちらの『しきたり』に従った食事を召し上がっていただかなくては。この食事は下げさせます」 サリュースの声だった。 「…でも…王太子が…いいって…」 ジャリャリーヤがか細い声を出した。サリュースがパンと手を叩いた。 「殿下のされたことは『しきたり』に反したことです。例え殿下がいいと言われても、宮廷と学院は許しません」 皿がかちゃかちゃと音を立てている。ワゴンで運び出されているようだった。 「エスヴェルンでは、幼ない子でもこのようなわがままは許されませんよ、いったいサンダーンルークではどのようなしつけをされていたのですか!」 厳しく責め立て始めた。 「婚礼の式や祝宴で見苦しい振舞いをし、王室や宮廷、学院に恥をかかせて!ごくふつうにはしきたりもならわしもわかっていると思っていたのに、こんな愚かな王女だったとは、思いもしませんでしたよ!」 ラウドは出て行きたかったが、この扉を開けて出るわけにはいかない。テラスから居間の窓の外に向かった。 「サンダーンルークの王室と学院にだまされました!こんな王女だったら、妃に迎えませんでしたよ!でも、いまさら返すわけにもいかない、だから、どうあってもこちらの『しきたり』に合わせていただきます!」 ジャリャリーヤは、テーブルの椅子に座り、下を向いていた。 「うっ…ううっ…」 ジャリャリーヤは肩を震わせて泣いていた。 ラウドが居間のテラスから中に飛び込んだ。 「もうやめろ!」 サリュースが振り返った。ジャリャリーヤも驚いたようで真っ赤な眼を見開いてラウドを見ていた。 「殿下、庭から入り込むなど、なんてはしたない、それに殿下が妃殿下の部屋を訪ねることは禁じられていますよ」 ラウドがぐっと歯を噛み締めてからテーブルに寄った。 サリュースが険しい眼でにらみつけた。 「学院から四の大陸の仕様書を持ち出したそうですね、あれは魔導師以外読んではいけないものです、だから、センティエンス語で書かれているのです、魔導師ではないのに勝手にセンティエンス語の書物を読むなど許されませんよ!」 ラウドが目を逸らした。 「それは…悪かったと思っている。だが、妃が、ずっと食を断っていると聞いて心配で、どうしても食べてもらいたかったんだ」 サリュースが不愉快そうにジャリャリーヤを見下ろした。 「妃が食事をしないのは、こちらの食事が口に合わないからではないか、だから、最初から全部変えるのではなく、少しずつ慣らしていけばいいじゃないかと思ったんだ!」 サリュースが突き放すように言った。 「そんな生ぬるいことで妃殿下のわがままが治るとは思えませんが」 サリュースがさっとジャリャリーヤの顔覆いをはがした。 「キャァアッ!」 ジャリャリーヤが悲鳴を上げて、両手で口と鼻を隠した。真っ赤な顔をして下を向き震え泣きしている。 「ヒィッ、ヒィック」 ラウドが驚いてサリュースから顔覆いを取り替えそうとした。 「なにをする、いくら学院長でも無礼だぞ!」 サリュースがさっとかわして冷たく言い渡した。 「四の大陸の『ならわし』など、捨ててください」 ジャリャリーヤが手で覆ったまま、首を振った。 「だから、どうしてそう急ぐんだ、いきなり連れてきたのはそなただろう!もっとこちらに慣れるよう、考えてやったらどうなんだ!」 サリュースが返事せずに、ジャリャリーヤの目の前を拳でコンコンと叩いた。 「それと、『床入り』を拒まれたそうですが、継嗣を儲けるという王族の『義務』をご存知ないわけはないですよね」 ラウドが顔を赤くしてジャリャリーヤを見た。ぼろぼろ涙を零している。 「『義務』など、ベッドに横になって目を閉じていれば、すぐに済みます、継嗣を儲けるまで我慢しなさい」 ラウドがかっとなってサリュースの腕を掴んだ。 「そなたはどうしてそういうひどい言い方をするんだ!」 掴む手が震えた。サリュースが腕を振り払った。 「ひどいですか、王室や宮廷、そして学院に恥をかかせた妃殿下はひどくないのですか」 ラウドが拳でテーブルを叩いた。 「もういいっ!俺と妃のことに口出しするな!ふたりで話し合う!」 サリュースが顔覆いをテーブルに置いた。 「わかりました、わたしは宮廷から苦情を受けたので、対処したのです。そういうことなら、殿下から宮廷におっしゃってください、今後学院はおふたりのことには関わりませんので」 引き下がって、丁寧にお辞儀して出て行った。 ラウドが大きく胸を膨らませて息をした。顔覆いをジャリャリーヤの前に置いた。 「つけてていいぞ」 ジャリャリーヤがさっと取って耳に掛けた。ラウドがパンパンと手を叩いた。侍女のレオノラが入ってきて、ラウドがいるのでお辞儀した。 「殿下」 ラウドが下げた食事を戻すよう言いつけた。 「学院には話をした。俺の遣り方でやる」 はいとレオノラがワゴンを運び入れ、食卓に並べなおした。水出し茶の硝子の筒を置いて下がった。 ラウドが硝子の筒から杯に茶を注いだ。 「腹が空いてるんだろう?俺は帰るから」 気兼ねなく食べるといいとテラスに向かおうとした。 「まって…」 ジャリャリーヤが呼び止めた。ラウドが振り返るとジャリャリーヤが下を向いたままつぶやいた。 「ここにいて。また学院長が来るかも…」 こわいと肩を震わせた。ラウドがテーブルに戻ってきて、ジャリャリーヤの反対側に腰掛けた。 「わかった、ここにいるから、心配しなくていい」 サリュースはもう来ないだろうと思ったが、少しでも一緒にいる時間ができてうれしかった。 食べ始めたジャリャリーヤが、ラウドがずっと自分を見ているのに気が付いた。 「王太子は夕餉を食べたの…」 いやまだだと言うと、ジャリャリーヤがパンパンと手を叩いた。レオノラが入ってきた。 「…取り皿とスプゥンをもってきて…」 呼んだのが王太子妃とわかり、レオノラがびっくりして目を見開いた。すぐに皿とスプゥン、杯を持って来た。王太子の前にと言われて置いた。 「これ、王太子に」 カムゥの料理を指した。レオノラが取り皿に少し取り分け、ラウドの前に置き、お辞儀をして下がった。 「俺も一緒に食べていいのか」 ジャリャリーヤがうなずいた。 食べながらもあまり話はしなかったが、おいしいなとラウドが言うと少し目元に笑いを見せてうなずいたりしていた。 終わってから帰ろうと腰を上げたラウドにジャリャリーヤが尋ねた。 「…あした…も来てくれる?学院長が来るかもしれないから…」 こわいからと恥ずかしそうにうつむいた。ラウドがどきっとして顔を赤くした。 「あ、ああ、でも…」 ここではなくと言いかけて、やめた。まだ寝所で食べようとは言えなかった。 「わかった。明日も来よう」 一品、俺の好物にしてもいいかと言うと、ジャリャリーヤがいいと返事した。 「おやすみ」 ラウドが手を振ってテラスから外に出た。
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