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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第250回   イージェンと試練の島《エトルヴェール》(下)(2)
 アートランはカトルが忙しくてほおっておかれているのを幸いに島の各地を見て回っていた。島民の啓蒙の度合いを測っていたのだが、かなり浸透していて、説得では難しい状態になっていた。
「無理に引き剥がすしかないだろうな、恨まれるだろうけど」
 どうやら、大々的に都の建設を始めるようなので、その前に始末したほうがよいだろう。
 新都は地下深くにまで筒や通路、動力源の施設があった。新都以外の街や港では、排水の浄化装置が間に合わないらしく、海や川に垂れ流していた。
「屎尿だけならともかく、消毒の薬とか造り物の油脂とかはまずいな」
 ポットは湯で尻を洗うようになっていて、その後に消毒薬を流すようになっている。調理の汚水も石鹸液や合成油脂が混じっている。すでに旧都の近くを流れる川には油の膜や泡が浮いていて、澱みでは水の中の空気が足りなくなっているようだった。あまり経たないうちに生き物が住めなくなるだろう。浄化装置も完全ではないのでは。分解できない汚染物質が残るはずだ。
 夕方旧都に戻って紙を探した。用意してきた紙では書き足りなくなってきたのだ。図書室を探し、中に入ると、書棚がからっぽだった。続きの部屋は書庫だろうと見てみたが、やはりからだった。
「書物がない…」
 紙も見当たらなかった。
 アルシンの従者をつかまえ、本がないがどうしたのか尋ねた。
「マシンナートたちがみんな燃やしましたよ」
 逆賊の島だが、教導師もいただろうし、『理(ことわり)の書』などもそれなりの体裁で揃っていたはずだ。
「教導師さまたちはどこにおられますか」
 従者が首を振った。
「アルリカ様と島を出られました」
 紙は少しならあると総帥の執務室から持ってきてくれた。島の様子を書き止めていたが、伝書で送るよりも一度『空の船』に戻ろうかと考えた。セレンの顔も見たかった。
この島に来てから、側にいないせいなのか、ひどくセレンが欲しくてたまらなくなっていた。
 今だにセレンの心を読むことも、呼びかけることもできなかった。もし心の中にイージェンのことしかなかったら、もし応えてくれなかったら…と不安になるのだ。カサン教授やヴァンと楽しそうに過ごしているのも妬けてしかたなかったが、うれしそうな顔を見ているだけでいいかとずっと我慢していた。
…いや、もう少し探ろう。アダンガル様のことも心配だし。
 昨日は新都まで行ってアダンガルの心を読んでみた。テクノロジイについてはかなり悩んでいる。エヴァンスにはすっかり取り込まれているし、ソロオンにも好意を感じ始めている。あのままだと『理(ことわり)』を守らなければと思いつつも、テクノロジイを為政の手段として選ぼうとするかもしれない。そんなことになったら、学院は見捨てるだろう。イージェンも殺すしかないと言っている。
 エヴァンスといえば、最終の目的はマシンナートによる地上の支配だ。『啓蒙』というのは手段に過ぎない。アルティメットとの交渉をうまく長引かせて時間を稼ぎ、シリィを取り込み、最終的には自分達の支配下に置こうとしている。そのためには、エヴァンス自身の考えというよりは、最高評議会として、抵抗する国に対しては『瘴気』を使わない通常のアウムズでの戦争もやるつもりだ。
…なにが『ほんのすこしの…』だ。なにが『シリィと共存したい』だ、きれいごとばかり並べ立てて。
 不利益をほとんど説明してないじゃないか。シリィのことだって、『ヒト』ではなく言葉をしゃべる獣くらいにしか思っていないくせに。
 アダンガルのことは大切に思っているようだが、逆らえばどう豹変するかわからない。ずっとかわいがっていたカトルも状況が変わったら、あの扱いだ。リィイヴが思っていたように、所詮はエヴァンスもパリスと似たり寄ったりではないか。
 翌朝、アダンガルの気配を手繰ると、南方大島から遠ざかっていることに気が付いた。
「どこに…」
 気配を追ってみた。空を東寄りに北上している。方向的に三の大陸だ。そっと旧都を飛び立ち、海面をすれすれに飛びながら、島を離れた。
遥か前方上空に鳥のように白い翼を広げたプレインと呼ばれる空の乗り物を捕らえた。その中にアダンガルが乗っていた。あまり近付くとテクノロジイの探る目で気づかれるかもしれない。
いったい何の目的で向かっているのか。
海に飛び込み、グンと速度を上げて、プレインの真下まで追いついた。
『耳』を澄ましてみる。ゴオオッというプレインのプライムムゥヴァの音が聞こえてくる。さらに研ぎ澄ますと会話を拾うことができた。
「…の後任は決めたのかね」
 エヴァンスだ。声に張りがあり、弾んでいる。
「…いいえ、なかなか適任者がいなくて」
 落ち着いた女の声。
「…確かに大変なワァアクだが、早く替えないとヴァドがなにかするかもしれん。君の息子のグレインを着けたらどうか」
 エヴァンス。
「…パリスのように自分の子どもをつけるようなことはできないわ。独裁的なパリス一派とは違うというところを見せ付けないと」
 たしかにとエヴァンスが小さく返事をした。女の心を探る。
 キャピタァルのデェイタ・コォオド統制管理、中枢、現任のパリスの三番目の息子ヴァドは意志が強い、気弱なグレインには無理。
 女は、本当は息子を着けたいのだが、性格的にも能力的にもその激務に耐えられないだろうと思っている。そのため、息子ではないものを任命して、独善的ではないと見せようとしているだけだ。キャピタァルの中枢デェイタ管理のワァアクはかなり難しいようだった。
 …それを今はパリスの息子がやっているのか。
 ファランツェリも油断ならない感じだったが、そのヴァドという息子も注意が要りそうだった。
 アダンガルは別の部屋にいる。ソロオンと『学習』をしているようだった。
「…どのくらいで着く?」
 アダンガルが尋ねている。ソロオンが首を傾げ、聞いてくると一番前の操縦室に移動した。この速度なら午後には着く。
 ソロオンが戻ってきた。
「…四時間くらいです。なにか飲みますか」
 アダンガルがいらないとつぶやいた。アダンガルの心の中は不安でいっぱいだった。
 もしこのプレインが学院に見つかったら…。
 学院に攻撃されるだろうと心配していた。自分がというより、エヴァンスの身を心配しているのだ。
 アートランは少し深く潜り、速度を上げていった。すぐにプレインを追い越し、三の大陸目指して驀泳していった。

 『空の船』は、ティセアが来てから、いっそう騒がしくなった。しかし、それはなごやかで心温まるものだった。
 ティセアは、美しく気高い感じで、まさに『姫様』だったが、口調が男勝りで気取りがないので、かえってみんなは『姫様』と緊張しなくてもよくてすぐに打ち解けることができた。
 天気の良い朝、ティセアは、ヴァンと敷布などの大物を洗濯して、後部甲板の縄に干していた。近くで甲板を熱心に拭いているレヴァードに気づいて、じっと見ていた。レヴァードはヴァシルに言われた通り、なるべく見ないようにずっと下を向いてせっせと拭いていた。
 ティセアがすっと近づいて腕捲くりした。
「ひとりで大変だろう、手伝おう」
 桶の中の雑巾を絞った。レヴァードが手を振った。
「いや、いい!これは俺のワァアクだから!」
 ティセアが首を傾げた。
「ワァアク…?仕事ってことか?」
 うんうんとうなずいて、とにかくひとりでやるのでとくるっと背を向けた。ヴァンが笑いながらティセアから雑巾を受け取った。
「ティセアさま、レヴァードさんはイージェンに借りたお金を返すために甲板拭きしてるんです、だからひとりでやってるんですよ」
 ティセアが青い眼をくるっとさせた。
「イージェンにか?いくら借りてるんだ」
 ヴァンが金貨二枚だというと、ティセアが驚いた。
「金貨二枚ってそんなに何に使ったんだ」
 ヴァンがそれがとしゃべり出した。
「レヴァードさん、港街にあるショウカ…ムグウゥッ」
 真っ赤な顔をしたレヴァードが後ろから手でヴァンの口をふさいだ。
「バカバカ!言うなっ!」
 頭をぽかっと叩いた。
「何だよっ!痛いよっ!」
 ヴァンがもがいて振り払おうとした。ティセアが首を捻っていたが、本気で喧嘩しているわけではないふたりの様子にくっと笑った。
「きついだろうが、がんばってくれ」
 レヴァードがうなずいて、ようやくヴァンを離した。ティセアが洗い桶を持とうとしたので、ヴァンが、自分が運ぶからと持ち上げた。レヴァードも桶の水を取替えに行くとヴァンに続いて船室に入って行った。レヴァードが船底に向かったヴァンに追いついた。
「ヴァン、あんなこと、言うなよ」
 頼むからとレヴァードがため息をついた。ヴァンがむっとしてどんどんと足音を立てて降りていく。レヴァードが、その後を追った。
「ヴァシルにみだらなことは言うなって言われたじゃないか」
 ヴァンが停まって振り返った。
「知られたくないんだ、ショウフと寝たこと」
 レヴァードが恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「ああ、なんか、恥ずかしい、ティセアに知られるのが」
 へぇとヴァンが目を見張った。呆れている様子にレヴァードがそっぽを向いた。
「なんだ、おかしいか」
 ヴァンが船底の洗い場に桶を置いた。
「おかしくないよ、あれだけきれいなヒトだもんな、嫌われたくないよな」
 言わないよと笑った。レヴァードがほっとした。
「見てるだけで、なんか、こう、うれしくなるっていうか」
 生きててよかったなぁと思うんだとしみじみとしていた。
 ヴァンもうなずいた。
「エアリアはかわいいって感じだし、カーティアのお妃さまもすごくきれいだったけど、ティセアさまのほうがきれいだな」
 レヴァードが水を取り替えて甲板に上がっていくと、ヴァシルが舳先のほうでじっと海を見つめていた。
「どうした」
 レヴァードが同じように見てみた。黒い点が動いているように見えた。
「あれはマシンナートの小船ですね、岸に向かっています」
 エヴァンスの連絡を持って来たのかもとヴァシルが目で追った。
「岸に近付いているのに、速度を落とさない…」
 ヴァシルが青ざめ、舳先から船尾に走って行った。レヴァードも追いかけていく。
バァアアーン!
 ヴァシルの『耳』に、小船が海岸に突っ込み、爆発した音が聞こえた。黒い煙の柱が立ち上った。
「なんだ、海岸にぶつかったのか」
 レヴァードが手すりに腹をつけて身を乗り出すように陸の方を見た。
「岸にぶつかっただけであれは…」
 ヴァシルが様子を見てくるとレヴァードに告げ、飛び上がった。ヴァシルが陸に向かって飛んでいる姿を見ていると、ティセアやリィイヴ、セレンたちが甲板に出てきた。
「どうした?」
 ティセアがばたばた駆ける音がしたと見回した。レヴァードがマシンナートの小船が岸にぶつかったようなので、ヴァシルが様子を見に行ったと説明した。ティセアが見に行こうとして、船尾の先に近寄ろうとした。
 船首の方から、バラバラッと音が聞こえてきて、次第に大きくなっていく。
「プテロソプタ?」
 リィイヴが振り返り、船首に向かって走り出した。南からプテロソプタが一台飛んでくる。テェンダァの事故らしいので、岸に向かっているのかと思ったが、次第に近くなってくるようで不安になった。ティセアやレヴァードたちも船首甲板にやって来た。
「プテロソプタか、こっちに来るのか」
 レヴァードが眼を凝らした。
 急にティセアがあっと小さな声を上げて、うずくまった。
「ティセア?」
 レヴァードが覗き込んだとき、プテロソプタが速度を上げて近寄ってきて、小さな筒のようなものを甲板に投げ込んだ。筒から白い煙が吐き出された。たちまち甲板が白い煙で見えなくなった。
「わぁっ?!」
 レヴァードが袖で口を覆いながらティセアを探した。
「ティセア!」
その間にプテロソプタが甲板の上までやってきた。
「なんだっ!」
 ヴァンやカサンたちも甲板に飛び出してきた。
プテロソプタの羽が回る音が激しく頭の上にかぶさってくる。
「レヴァードさん!ティセアさん!」
 リィイヴがもうもうと立ち込める煙を掻き分けて近寄ろうとした。白い煙の中、プテロソプタから縄橋子が降りてきている。誰かが甲板に降りたようだった。
「なにするんだ!やめろっ!」
 レヴァードの声がした。白い煙が少し薄くなった。ガスマスクをつけたねずみ色のつなぎ服ふたりがティセアを吊り上げ用の布の担架に載せて引き上げさせてから、梯子に足を掛けた。
「よせっ!返せっ!」
 レヴァードがその梯子に飛び掛った。
「ティセアさん?!」
 リィイヴたちが駆け寄ろうとすると、プテロソプタから身を乗り出していた青つなぎがオゥトマチクを足元に向けて発砲した。ピシュンピシュンと甲板で弾丸が跳ね返った。
「わあっ!」
 リィイヴたちがそれ以上近づけないでいると、プテロソプタが上昇していく。レヴァードが縄梯子の端に必死にぶらさがっていた。
「レヴァードさん!」


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