イージェンは、国王の執務室に向かった。ジェデル、フィーリ、そしてユワン、ラウドをたぶらかそうとした教授カサン、そのほかに軍人が二名いた。一応形だけジェデルに頭を下げた。作戦会議だった。フィーリが報告した。 「ルタニア辺境軍の掌握できました。もともと陛下のお祖父様に恩顧を受けていた将校が多かったので、ほとんど問題ありませんでした。南方大島派遣軍については、小競り合いが発生していますが、相手の勢力は小さく、それほど長引くことはないと思われます」 思ったよりも早く事が運んでおり、一堂の間にもほっとした空気が流れた。イージェンもサリュースのことを告げた。 「エスヴェルンは、軍事同盟というより、姻戚関係を結びたかったようだ。話のもってきようによってはまだ可能のようだが、どうする?エスヴェルンを味方にできるのなら、したほうがいいと思うが」 イージェンは、婚儀の件をサリュースには薦めず、ジェデルには薦めた。ジェデルが不愉快そうに机を叩いた。 「その必要はない。いずれエスヴェルンはマシンナートを使う我国とは断絶し、全面的に争うことになる。それまでのわずかな時のために姻戚関係を結ぶ意味はない」 フィーリが青ざめた。反論はしたいが、できない。そんな感じだった。イージェンがこの話の終止符を打った。 「それもそうだ。では、戴冠式の後、エスヴェルンに破談の公式文書を出すことだな」 ジェデルが頷いた。ユワンが円卓に地図を広げた。 「現在、トレイル壱号車と弐号車は、南方海岸を目指して移動中です。参号車はエスヴェルンとの国境に待機しています。そして」 差し棒で南方海岸沿いを辿って、軍港であるレアンの港を示した。 「こちらの港の沖合いに海中戦艦が待機しています。派遣軍の制圧が済んでからとは思いますが、許可いただければ、南方軍の軍船に向けて、攻撃します」 「海中戦艦とは?」 イージェンが尋ねる前に年配の軍人が尋ねた。カサンが咳払いをした。 「海中戦艦とは、海の中を潜行して進み、海中から船を攻撃できるすばらしい軍船だ。下から攻撃されては手も足もでないだろう」 耳障りな高い声で自慢げに語った。フィーリはじめ軍人たちが声もなくカサンを見つめた。イージェンが興味深げにレアンの港を指差した。 「ぜひ、その軍船に乗せてもらいたいもんだな、ユワン教授殿」 ユワンがあのにこりとした笑みで承知した。 「わたしは当地に残るので、カサン教授に案内させよう」 カサンが目をむいて怒鳴った。 「こんなイカサマ師の案内など冗談じゃない!それなら参号車に戻らせてもらうぞ!」 ユワンが冷たく言った。 「君は失敗してわたしの指揮下に入るよう命令されたのだから、従いたまえ」 カサンは納得していない様子でそっぽを向いた。 「イージェン殿、明後日、戴冠式を執り行いたいと思いますが、準備は間に合いますか」 フィーリが尋ねるとイージェンがふところから紙を出した。 「こちらの準備はすぐにできる。そちらもこれで用意してくれ、そんなに揃えにくいものはないと思う」 フィーリが紙を見て、困った顔をした。ジェデルが解散を宣言したので、イージェンはすぐに部屋を出た。フィーリが追ってきた。 「どうした」 フィーリが周囲を見回して、ここではちょっと…と言葉を濁し、別の部屋に連れこんだ。 「陛下にはお妃様がいません」 用意するもののなかに王妃となるものの礼服などのしきたりが書いてあったのだ。 「許嫁もいないのか」 フィーリが沈んだ顔で頷いた。 「それなら、儀式の文句を変えればいいだけだ。そんなに気にしなくていい」 言いつつ、あまりに落ち込んだ様子に不審を嗅ぎ取った。 「まさか、妃を娶れない体か」 フィーリが驚いて首を振った。 「いずれお妃様は決めなければなりませんが、なかなか難しいのです」 決めるのに揉めそうだということかと理解した。 「あんたもいろいろと大変だな」 フィーリをねぎらって、学院に戻っていった。フィーリが執務室に戻るとジェデルだけ残っていた。 「陛下、お願いがあります」 フィーリがひざまずき、頭を下げた。書類に目を通していたジェデルが驚いた。 「なんだ、あらたまってのことか」 しばし間を置いてから、顔を上げた。 「ネフィア様をエスヴェルンに輿入れされないのなら、いずれかの大公家に降嫁させてください。陛下もセネタ公のご息女を王妃様にお迎えくださいますようお願いいたします」 ジェデルが手元にあった杯の中身をフィーリに勢い良く掛けた。 「そなたが口出しすることではない!ネフィアはどこにもやらない!」 髪から滴り落ちる雫を拭いもせずにフィーリはなおも食い下がった。 「百歩譲りましてネフィア様を留められたとしましても、王妃を立てないわけにはいきません。王太子を儲けなければ王権の安泰は望めません」 ジェデルがフィーリに杯を投げつけた。 「余の代で終わってもいい!妃などいらん!」 銀杯が当たって目の上をふくらませながら、フィーリは引き下がらなかった。 「どうか、ご明察いただき、ご承知ください!」 ジェデルとネフィアをなんとしても引き離さなければ。前王に密告した従者は始末したが、いつ露見するかわからない。別の女に目がいくよう、仕向けたかった。セネタ公の息女はネフィアにはかなわぬもののそれでも宮廷でも一、二位を争う美女である。学問も修めており賢く、家柄も申し分ない。王妃としてふさわしい姫だった。 「下がれ!聞きたくない!これ以上申すなら、そなたとて容赦しないぞ!」 ジェデルが立ち上がりながら、腰の剣を抜いた。フィーリが深くお辞儀して転がった杯を円卓に戻し、出て行った。
学院に戻ったイージェンは、幼年部の教室に寄った。そこで五つか六つの子どもが使う教本を探した。学院の魔導師はほとんど、学院生でも魔力のあるものは全て殺されていた。それ以外の子どもたちまでは始末するには至らず、宿舎に軟禁されていて、落ち着いてから親元に帰されることになった。絵本仕立ての教本をいくつか見繕い、学院長室に戻った。 部屋に入る前からいやな予感がした。ゆっくりと扉を開けた。中は暗くなっていて、机にふたりはいなかった。カーテンをめくった。サリュースが隠れていた。 「学院長殿ともあろうものが、子どもとかくれんぼか」 座り込んでいるサリュースが顔を逸らした。イージェンが、別のカーテンをめくってセレンを探した。 「セレン?」 部屋のどこにもいない。サリュースの胸倉を掴んで吊り上げた。 「セレンはどうした!」 サリュースが苦しそうに身体を振ったが何も言わずにいた。イージェンの右腕が光り出した。サリュースがあわてた。 「待て!遣いに出したんだ!」 イージェンが光を消して、サリュースの頬をひっぱたいた。 「王都のどこかにいる仮面のところにだな!あんな子どもを遣いに出すなんて!」 倒れたサリュースの首根っこを捕まえ、廊下を引き摺って学院の外に出た。 「この広い王宮から出られるかどうかもわからんのに!出られたとしても、今王都には戒厳令が敷かれてる!子どもだって不審者とみなされたらその場で斬られるかもしれないんだぞ!」 玄関を出て、そのまま夜空に飛び上がった。サリュースは首を締め付けられ、もがいたが、それは自分を苦しめるだけだった。王宮の東側、湖崖の方でいやな感じがした。まさか、崖から湖に落ちたのでは。その崖の近くも起伏があって危険な場所だった。闇の中を気を張って見回した。ヒトの息を感じた。そこに降りていった。深い窪みの底だ。小さな身体が倒れていた。 「セレン!」 サリュースを放り出して、セレンを抱き上げた。 「大丈夫か」 上から落ちたのだろう、泥だらけで、顔や手足も傷だらけだった。セレンがうめいた。 「う…うっ…」 足が折れているようだった。イージェンがその足に手のひらを押し付けた。白く光り出し、折れた足を治した。苦しそうだったセレンの顔が少し和らいだ。目を開けてイージェンを見て悲鳴を上げた。 「やあぁ!」 身体を振って逃げようとした。 「どうした、俺だ、わからないのか!」 だが、セレンは地面に突っ伏して泣き続けた。 「ごめんなさい…ごめんなさい」 イージェンから逃げ出した。優しくしてもらったのに、裏切った。きっと今度こそ怒って人買いの男のように切り刻むに違いない。 イージェンはセレンの怯えを感じとって、せつなくなった。 「セレン…」 突っ伏して泣くセレンの小さな背中をさすった。 「おまえは悪くない、遣いに出した学院長が悪い」 ようやく顔を上げたセレンの頭を抱き寄せた。今度は拒まなかった。サリュースが下を向いていた。 「おまえみたいな浅はかなやつが学院長では、仮面もさぞかし苦労してるだろうな」 サリュースはこんなに屈辱的なことを言われたのは初めてだった。顔が真っ赤になった。 「このまま放してやるから、仮面のところに行って、『静観せよ』と伝えろ」 サリュースが顔を上げた。 「この事態を静観しろというのか」 イージェンはセレンを抱き上げ、立ち上がり、サリュースを蹴った。 「おまえは伝えればいい!」 そのまま空に舞い上がった。サリュースもあちこち痛む体で飛び上がり、なんとか王宮を脱出した。 (「セレンと動乱の王国」(完))
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