エトルヴェール島の新都《ジェナヴィル》中央棟最上階で最高評議会暫定議長タニアからミッションを与えられたカトルは、プテロソプタで南ラグン港に戻り、上陸者名簿により配属先や配給などの手配指示書を作成した。 マリティイムから脱出したマリィンは、キャピタァルに向かう途中でエトルヴェール島に向かうよう指示され、やってきたが、まだ配属先や居住の手配が出来ていなかったので、下りられずにマリィンの中で過ごしていた。ようやく上陸できるとあって、マリィンから降りてくるものたちの顔もほっとしていた。 「新都に配属される方たちを送るモゥビィルは明日出ますので、今日は港の宿泊所に停まってください」 カトルがバレー・アーレの教授の小箱に手配指示書を送信した。港に配置されたものはマリティイムに所属していたものたちで、バレー・アーレのインクワイァたちは新都に配属になっていた。 「個室ではないのか」 宿泊所も多人数部屋と聞いて、教授が不満そうだったが、明日には移動できるからと聞き、仕方ないとぶつぶつ言いながら案内されていった。 明るいうちに旧都に向かうつもりだったが、すでに夜になってしまった。行くのをあきらめ、小箱を出して、旧都の管理棟に連絡した。 「居城にシリィの子どもを預けてきたんだが、ちゃんと食事してるかな、様子分かるか」 居城には今誰もいないと言うので、見に行ってもらうことにした。 「ついでにアルシンに、まだ当分ソロオンは手が離せないからって言ってくれ」 切ってからすぐにシムス堰水門工事現場の管理所に連絡を入れた。 「少し工程が遅れてるようだが、どうかしたのか」 毎日工事工程の報告書が届くので、目を通していたのだが、通常よりも効率が悪くなっていた。管理所にいた副監督がぼつっと返した。 『カトル助手が外されるって噂になってて。それでどうも進まなくて』 それでなくても作業効率は低いので、予定より工事工程は遅れている。これ以上遅れると、シリィたちを作業から外すといわれそうだった。 「俺は外されないから、心配するなって言ってやってくれ。竣工まで一緒にがんばろうって」 しばらく顔を出せないが、がんばっていてくれと言うと、副監督が喜んだ。 『わかりました、みんなとがんばってます』 会話を終え、小箱を畳んで、両手で顔を覆った。 「…なんて難しいことを…でも、やらなくては…」 タニア議長が命じたミッションはとても危険で難しいことだった。しかし、それができれば、堰水門工事を最後までやらせてくれるというのだ。なんとしても成功させないと。 「あの船にいるんだよな」 カトルがぐっと唇を噛み締めた。 「なんとかなるか」 小箱が震えた。旧都からの連絡だった。 「…やっぱりあまり食べてないか、仕方ないな」 果物とか土地で取れたものを出してやるように指示した。 『どうも、昼間ほとんどいないようなんですけど』 夕方にはきちんと戻ってきているというのだ。 「そうか。しばらく旧都に戻れそうにないんだ。アルシンと勉強しているように言ってくれ」 そのアルシンはソロオンが来ないとすねてしまって従者が困っているということだった。ほおっておいていいと言い、通信を切った。
さかのぼること数日前、第二養魚プラントの火事跡から飛び立ったプテロソプタは、島内に点在する食料プラントを見学して回った。 確かに畑でもないところで綺麗に生えそろい、実っている野菜や麦を見てアダンガルは驚いていた。しかも、作るのに、数十人もの作業員がいれば、種蒔きから収穫までやってしまうのだという。収穫高を聞いて愕然とした。百人からの村がふたつ、みっつ食べていけるくらいの量だった。年寄りから子どもまで一家総出で朝から夜までずっと働いても、みんなの腹が満たされるほどの収穫は望めないのに、こんな少人数でしかも軽作業で出来るのだ。収穫箱などの洗浄や搬送などをしているのがシリィと聞いて、話を聞いてみた。 「このプラントで作るようになってから、ひとりも腹が減って死ぬものはいません」 何人かにも話を聞いたが、みんな、血色が良く、穏やかな顔をしていた。腹が満たされているから、ぎすぎすとすることもない。交替で休みが取れるので、のんびりと過ごせる日もあるという。それに、手足が萎えて来る風土病があったのだが、楽になる薬を貰い、ずいぶんよくなったと喜んでいた。風邪くらいで死ぬものもいなくなり、怪我も痛み止めを貰えるので苦しむことも少なくなったし、十分な手当てを受けられるということだった。 翌日、島内を一周して見て回った。アダンガルは、島の西側にある旧反対派の牙城を空の上から見下ろした。 「あそこに反対派が暮らしていたのですか」 海岸沿いに建っていた。頑丈な砦になっていて、後方の海辺には軍港の跡も見られた。 「なかなか強情な連中でね、総帥の娘が指導者になって扇動していたんだよ」 工事を妨害してきたりしたが、こちらからは手を出さなかったと話した。 「力づくで排除するようなことはしなかったので、反対派にもわたしたちの気持ちが通じたものたちが出てきて、ずいぶん離脱したんだ。最後には第一大陸に移り住もうと出撃していったが、運悪くというか、カーティアに味方していたマリィンの攻撃を受けてほとんどやられてしまったんだ」 それがカーティアの南方海戦だったのだと事情がわかった。カーティア国王は啓蒙されてマシンナートを使ったことをひどく後悔していた。だが、それは戦争に使ったりしたからだ。そうでないことに使うのならば…。 …だめだ、そんなこと。そうでないことなら、いいということにはならないっ… アダンガルは心の乱れをエヴァンスに悟られないように押さえ込んだ。 その夜からエヴァンスは、ソロオンに、アダンガルに初歩的なジェネラル(一般知識)を学習させるよう指示した。アダンガルは熱心にモニタァに出て来る知識を読み、ボォオドの打ち方を覚えようとしていた。あまりに集中しているので、ソロオンが根を詰めないようにと気遣った。 「一遍には無理ですよ、ゆっくりすればいいんですから」 アダンガルがふっと息をついた。 「ゆっくりか…おじいさまはずっといていいと言ってくださっているが、学院が許さないと思う」 そろそろ迎えに来るのではと思っていた。自分もこれ以上は気持ちを支えられなくなりそうだった。 腹を空かせることもなく、風邪や怪我で死ぬこともなく、キレイな水や湯がたくさん使え、子どもたちが勉強することのできる余裕ある生活。 幸せそうな民。 …俺がいくら豊かな国にしようとがんばっても、あんな生活は与えられない。 ぐっとこみ上げてくるものがあって、口元を押さえた。 「ぐっうっ…」 ソロオンが驚いて腕を掴んだ。 「どうしました」 アダンガルが首を振った。 「いや、…この島の民が幸せそうなので…」 おそらく五大陸のうち、もっとも豊かな国であるセラディムであっても、ほとんどが貧しい生活にようやく暮らしている状態だと声を詰まらせた。 「それはそうでしょう、どんなに肥沃な土地でも、動力が人力と動物の力くらいでは効率が悪くて生産性が上がるはずはありませんから」 机に突っ伏している背中をゆっくりとさすった。 「アダンガル様、もっともっとテクノロジイのこと、学んでください。ヒトが幸せになる手段なんです。あなたは指導者として、学院の遣り方ではなく、マシンナートの遣り方を選んでください」 そうすれば、ここと同じような生活をあなたの民に送らせることができますと説いた。アダンガルが顔を上げた。目を赤く腫らし唇を震わせている。苦悩しているのだ。ソロオンが椅子から立ち上がってアダンガルの手を握り締めた。 「アダンガル様、悩むことなんかありません。どちらを選ぶべきか、あなたにはもうわかっているはずです」 「…ソロオン…」 アダンガルが戸惑った声でソロオンを見上げた。
タニアがエトルヴィール島にやってきた日の午後。 展望室から自分の部屋に戻り、タァウミナルを起動させながらアダンガルがソロオンに尋ねた。 「あの…タニア様は…おじいさまの奥様かなにかなのか」 ソロオンが隣の椅子に腰掛けて首を振った。 「いえ、昔から親しいお友だちであり、同じ啓蒙派の同僚ですよ」 インクワイァには結婚の制度はないと説明した。 「そうか、抱き合っておられたからそういう立場の方かと。さっきも隣に座っていたし」 ソロオンが苦笑した。 「たしかに仲はいいですね、でも、男女の仲というのではなく、友だちとか同僚ということですよ」 アダンガルは、今ひとつ納得のいかない様子だったが、モニタァに向かった。ふと気になってソロオンが聞いた。 「アダンガル様は奥様というか、そういう女性はいるんですか」 アダンガルがボォオドを叩きながら首を振った。 「いや、いない」 素っ気なく言われた。あまり突っ込んで聞くことでもないかと、そのまま学習に付き合った。 一息いれようと窓際の長椅子に移り、ラクォウ(赤い実の野菜)と人参の汁を絞った果汁を飲んだ。アダンガルがあまり気乗りしない感じだが話し出した。 「五年ほど前に大陸北のランス王国の王女の婿にという話が来たし、おととしにも東の国の王女を妻にという申し入れがあったが」 異端の血が混じっているので、断らなければならない。だが、公式で異端の血が混じっているとは言えないので、北の王国ランスには宮廷に必要なので他国に婿に出すことはできないと断り、東の国にはまだ王太子が妃を迎えていないのでそちらにどうかと薦めたのだ。だが、東の国では、王太子の素行が良くないので、学院が反対していた。異端の血が混じっていることは学院を通じて分かっているはずだが、王室が、王太子が他から妃を迎えてからでもよいのでアダンガルに…とまだあきらめていなかった。そのことで、ヨン・ヴィセンは腹を立てていっそう暴行がひどくなっていた。 「国内でも娘を側に置いてくれという貴族や大商人もいるが断っている」 少し眼を伏せて、杯の中の赤っぽい汁を飲み干した。 「わたしの身体に傷がたくさんあるだろう?剣の稽古や戦争でついたものもあるが、ほとんどは弟の暴力によるものだ」 子どもの頃からずっと続いていると聞いて、ソロオンがやはりと肩で息をした。 「弟はわたしの大切なものを奪ったり壊したりするので、家族など持ったら、なにをされるかわからない」 子どもの頃から、飼っていた犬を池に沈められたり、書写した本を焼かれたりなどしょっちゅうだった。異端の血であっても王族の『しきたり』である後継ぎを儲ける『義務』はあるのだが、王太子の暴行が目に見えているので、妻や側女を持たないほうがいいのだと話した。もう一杯欲しいと果汁を注がせた。 「今のこと、おじいさまには言わないでくれ」 ひどい目に会っていたことなど聞かせたくないと頼んだ。ええと返事はしたが、今の会話も記録されている。後で知ることになるだろう。 「アートラン、どうしているか、後でいいからカトルに聞いておいてくれないか」 ソロオンが了解した。小箱が震え、夕食の準備が出来たと連絡が来た。 展望室に大きめのテーブルが用意されていて、その上にいくつか料理を盛った皿が置かれていた。エヴァンス、タニア、トリスト、ソロオン、アダンガルの五人が席に着いた。全員で硝子の杯を持って掲げた。エヴァンスが隣のタニアに笑いかけた。 「やっとわれわれに『風』が吹いてきた。地上にもわれわれの『風』を吹かせよう」 乾杯と掲げた。杯を開けてから皿の料理に口を付け始めた。ソロオンが小皿に取った肉を小さく切って食べ、アダンガルに渡そうとした。アダンガルが手を振った。 「いや、いい」 自分で皿から直接食べ始めた。エヴァンスが嬉しそうに目を細めた。 「アダンガル、さきほどエヴァンスとも話していたのだけど」 タニアが豆のスゥウプを飲みながらアダンガルに話しかけた。アダンガルが小さく頭を下げた。 「ジェナイダが素晴らしいと絶賛していたセラディムの国都を見てみたいわ。上空からでいいから、案内してくれないかしら」 アダンガルが驚いて目を見張った。 「上空というと、プテロソプタで…?」 プテロソプタではないプレインだけどとタニアがスプンを置いた。 「キャピタァルでのワァアクが忙しくて、当分テェエルに出てこられそうにないから、ちょっとでも見ておきたくて」 ずっと地上にいられるエヴァンスがうらやましいと水を飲んだ。アダンガルが少し考えてから答えた。 「あまり近づくと、学院に気づかれるのでは。攻撃を受けると思います」 タニアがあらと苦笑した。 「あなたがいれば攻撃してこないでしょ?」 アダンガルが困った顔をした。 「それが、わたしは今、王太子を殺そうとしたことで国を追われています。学院はひそかにかばってくれていますが、マシンナートといるところを見かけたら…」 容赦なく攻撃してくるだろうと話した。 「ほんの少し見られればいいのよ、すぐに引き上げれば大丈夫でしょ」 アダンガルは、あまり気乗りがしなかったが、エヴァンスも承知しているようなので了解した。
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