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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第248回   イージェンと試練の島《エトルヴェール》(上)(3)
 マリィンをラボに改造することはそう難しくはない。もともとマリィンの医療班区の設備は、地上でのミッション中の負傷や疾病、疫病などに対応するために非常に整っているのだ。検疫班の設備も同様に完備されている。
 検体を慎重に搬送したトリストが、ラスティン、マリィン艦長たちと出航準備をしているとき、パリスから音声通信が入った。
『時間取れるか』
 単刀直入に尋ねてきたので、包み隠さずタニア議長の指示で配置換えがあって打ち合わせ中だと答えると、パリスがふっと笑いを漏らした。
『そうか、素早いな、まあ、そういうヤツは嫌いじゃない』
 がんばってくれと通信を切った。
…意外にサバサバしてるんだな。
 逆にそれくらい切り替えが早くないとやっていけないのかもしれない。
…まさか、なにか逆転できる『隠し玉』でも持っているのか。
 タニアの元に戻ったこと、間違えではないよなと気持ちを落ち着かせようとした。
 タニアが乗艦してきて、艦橋にやってきた。艦長が、出航許可が出たことを報告してきた。
「出航します」
 艦内に出航警報が鳴り響き、固定機から離れて艦体が揺れるガコンという音がして、ゆっくりと潜行していった。
トリストが艦長室の隣にある貴賓室にタニアを案内した。カファを入れて差し出すと、うれしそうに受け取った。
「去年の年頭以来だわ、エトルヴェール島に行くのは。とても楽しみ」
 もっとも暫定議長としてのワァアクが忙しいので、すぐに帰ってこなければならないのだ。
「議会の実務処理はアンディランがすることになっているんだけど、決済はわたしのクォリフィケイションが必要だから、あまり留守にもできなくて」
 エトルヴェール島までの間、仮眠することにした。トリストも自分の部屋に向かい、狭いベッドに横になった。
「…パリス大教授、これからどうするんだろう」
 パリス派の粛清が始まるのだろうか。
 現在、第二大陸でパミナ教授のラボによって、リジットモゥビィルと白光空弾《ブランドゥファシフェルスゥ》の実証ミッションが行われている。ミッシレェこそ使わないが、南方海戦よりも被害は大きくなるはずだ。ミッションを認可したのはパリス。その実証の結果は今後のテェエル侵攻のときに大きく影響するだろう。テクノロジイを受け入れない国に対しての恫喝として、その結果を利用しながら、被害の責任はパリスに取らせるつもりなのではないか。
「アルティメットの出方によっては、パリスは死刑か…」
 パリスを処刑することで謝罪の意を示すことになるかもしれない。そうなると、パリスの五人の子どもといとこのディゾンは、終身刑ということもありうる。本来は親子であっても、連帯で罪を問われることはないが、パリスの子どもたちの場合、復讐を考えないとも限らないから、投獄する必要があるのだ。
…ファランツェリ、一生牢獄かもな。
気の毒とは思ったが、これが『時流』ということだろうと振り払った。
 到着までの間、タニアとエトルヴェール島のバレー・ジェナヴィル建設についていろいろと計画を聞いた。
「素子研究はラスティンを主任にして、あなたを素子対策の指令にと思っているのよ」
 いずれの話だから、しばらくはこのまま研究を進めればいいと言ってくれた。ジェナヴィルは、地上ミッションの中心となる。いわば、地上におけるキャピタァルのようなものだ。
「すべては、アルティメットとの交渉がどうなるかね。なるべく長引かせるつもりなんだけど、なにかいい手はないか、議会以外からも意見を聞く予定なの」
 アルティメットの声は聞いたが、姿は見ていない。カサンから仮面を被った背の高い男だと聞いた。エスヴェルン王国で会ったとき、アルティメットと知らずに食って掛かったらしい。よくその場で殺されなかったと震え上がっていた。そういえば、そのカサンも死んでしまったのだ。
「交渉する『つて』のようなものはあるのですか」
 言ってから、エスヴェルン王国の学院に連絡すればいいのかと思いなおした。
「それがね、いい『つて』があるんですって」
 タニアがにこにこ笑っていた。
 午後、エトルヴェール島南側のマリィンの接岸できる南ラグン港に到着した。隣の桟橋にマリティイムから脱出してきたというマリィンが停泊していた。
 乗降梯子がマリィンと桟橋をつないだ。ゆっくりとタニアが出入口から出てきた。
「いい風」
 潮風がさあっと吹き、タニアがきつく結んでいた紐を解くと、豊かな栗色の髪がふあぁっとなびいた。
 桟橋に降りたところにがっしりとした体格の青つなぎの若い男が待っていた。丁寧にお辞儀してきた。
「ようこそ、タニア議長」
「ひさしぶりね、カトル」
 はいとうなずき、新都でエヴァンス指令が待っているので、案内すると先導した。タニアの後にトリストとラスティンが続いた。港の管制塔のそばにプテロソプタの離着陸場があった。三人を後部座席に乗せて、防護兜を渡し、防護帯を着けるよう示した。
『離陸します』
 カトルが声を掛けた。プテロソプタが激しい風を巻き上げて、上昇した。空に上がってすぐにラスティンが窓にへばりつくようにして外を見た。
『わぁ…これは、全て樹木ですか…』
 眼下に広がる緑の絨毯を指した。
『ええ、樹林よ、島には熱帯性樹木による密林が広がっているのよ』
 タニアがトリストにも見るように窓を示したが、トリストが首を振った。
『わたしは高いところは…』
 苦手ですと外を見ないようにしていた。
『環境ビィデェオそのままですね…海も上から見るとキレイです』
 ラスティンはすっかり気に入ったようで、ずっと外を眺めていた。プテロソプタは十五ミニツほど飛行して、新都《ジェナヴィル》中央棟裏の離着陸場に降りた。降りると連絡を受けていたエヴァンスが出迎えた。タニアの姿を見て、両手を広げて近寄った。
「タニア!」
 タニアも同じように両手を広げ、エヴァンスと抱き合った。
「エヴァンス」
 お互いの背中をポンポンと叩き合った。
「アンディランにすぐに帰って来いって文句言われてしまったわ」
 タニアが苦笑するとエヴァンスがもっともだと笑い返した。エヴァンスの後に立っていたアダンガルが驚いていた。タニアがアダンガルに気づいた。
「まあ、あの子がそうなの?」
 エヴァンスがうれしそうにうなずき、エヴァンスを手招いた。
「アダンガルだ。こちらはタニア、わたしの良き同僚だ」
 アダンガルが一歩近づき、胸に手を当ててゆっくりと頭を下げた。
「アダンガルです、ごきげんよう、タニア様」
 タニアが顔を上げたアダンガルをまじまじと見つめた。
「なかなか立派じゃないの、あまりジェナイダには似てないけど」
 顔つきのことを言っているのだろう、母親似のヨン・ヴィセンと違い、アダンガルは顔や身体つきは父親似だった。
「はい、父王似ですので」
 エヴァンスが首を振った。
「いや、目のあたりなどはジェナイダに似ている、それにとても礼儀正しく優秀だ。セラディムのだらしのない無能な国王や弟とは違う。さすがにジェナイダの息子だけある」
 タニアがくすっと笑いを零した。
「要するにあなたの孫だけある、と言ってほしいわけね」
 エヴァンスがかなり入れ込んでいることをやんわりと皮肉ったが、エヴァンスは気にしていない様子だった。
 タニアが連れてきたふたりを紹介した。
「バレー・アーレの評議会議員トリスト大教授、優生管理局から引き抜いたラスティン助教授よ」
 ふたりが頭を下げ、挨拶した。トリストはアダンガルをしげしげと見た。来る途中、ジェナイダがトレイル転落事故で生きていて、シリィとの間に子どもまでできていたと聞いて驚いてしまった。不潔で不便なシリィの生活などよく耐えられたものだと身震いした。
エヴァンスが、話は中でと建物に向かった。アダンガルがプテロソプタの側にいるカトルに近寄ろうとしたところ、エヴァンスが一緒に来るよううながした。
「アダンガル、君も来なさい」
 アダンガルが物言いたげにカトルを見たが、はいと従った。ソロオンがそっとカトルを手招いた。気が付いたカトルがプテロソプタの操縦士に待つように言い、ソロオンに寄っていった。
カトルが少し疲れた様子で何の用か尋ねた。ソロオンが中でカファを飲もうと誘った。
「すぐに南ラグンに戻らないと」
 カトルはそう言いながらも玄関広間に入り、大きなため息をついた。
「そうとう疲れてるようだね」
 ソロオンが気の毒そうにカファを差し出した。玄関広間の左奥の応接席に座りながらふたりで杯を傾けた。
「なんかな、これからは上が仕切るらしいが」
 せめて建設中の堰水門(ダム)の現場監督だけでもやらせてほしいんだがと手の中の杯を見つめた。
「建設分野はかなり上級の教授が監督に来るらしいからね。新都も今の十倍の広さにするって」
 北側にも地上対策のラボやアウムズ研究のための実験場を作る予定で、そのため、現在建設中の堰水門(ダム)による水力発電だけでは足りないので、ラカンユズィヌゥのユラニオウム発電の出力を上げて供給することになったということだった。将来的には水力発電や火力発電では電力量が足りないので、ユラニオゥム発電所の建設も計画されることになるという。
「そんな話…聞いてない…」
 ラカンユズィヌゥの設備管理はユラニオウム発電部門も含めてカトルが管理していた。地上でのワァアクが忙しくなったので、別の助手と手分けして行っていたが、しかし、設備点検などはカトルが行っている。そんな重要な話ならば当然自分に相談がなければならないはずだった。
「もう…俺は…」
 いらないんだなとうなだれた。
「もとのようにラカンユズィヌゥの設備部門を任されるんじゃないかな。今まで忙しすぎて大変だったから、楽になるよ」
 確かにラカンユズィヌゥの設備管理と地上のプラント設備管理、現場監督など激務が続いていたが、それはとても充実していた。毎日寝る時間も削って飛び回ることは少しも苦ではなかった。そんな忙しい合間にもシリィへの啓蒙活動やアルリカたち反対派との交渉なども行っていた。そしてアルリカと愛を育ててもいたのだ。
 ソロオンの小箱が震えた。エヴァンスからの音声通信だった。
「あ、はい、…わかりました」
 来賓室に来るよう言われたと腰を上げた。カトルも立ち上がった。
「エヴァンス指令に頼みに行く」
 シムス堰水門の現場監督だけでもやらせてほしかった。ソロオンがやめたほうがいいと止めたが、やってみると聞かなかった。

 中央棟の最上階の展望室に上がったエヴァンスたちは、カファを飲みながら、しばし眺望を楽しんだ。
「ほんとうにすばらしい眺めです!これは一刻も早くみんなで住めるように地上を占領するべきですね!」
 ラスティンがずっと硝子窓から外を覗き込んで感動していた。タニアがそのはしゃぎように苦笑しながらたしなめた。
「一刻も早くというのは賛成だけど、あくまで『啓蒙』によってよ。アウムズではなくね」
 ラスティンがすまなそうに頭を下げた。
「第二大陸でのパミナ教授のミッション、どうなったか、連絡はあったのか」
 エヴァンスが尋ねた。タニアが首を振った。
「いえ、ミッション開始の連絡はあったようだけど、あれだってパリスが独断で決行許可していたのよ、さもこれから実行するような口ぶりで決議して」
 ひどいものねと眉をひそめた。
「なんですか、二の大陸でなにか」
 イージェンには、聞かなくていいと言われたが、尋ねてみた。エヴァンスが手を振った。
「ああ、君には関係ないことだよ」
 そうですかと口を閉じた。エヴァンスがトリストの方に顔を向けた。
「トリスト君には重要なミッションを任せたいと思っているから、がんばってくれたまえ」
 トリストが飲みかけていたカファの杯を置いて、頭を下げた。
「はい、がんばります」
 そこにソロオンとカトルがやって来た。エヴァンスが、これから少し難しい話合いをするので部屋でジェネラル(一般知識)の学習をしていてくれとアダンガルの手を握った。
「夕食はここでパミナたちと食べよう。ソロオン、それまで世話してやってくれ」
 ソロオンが了解して、アダンガルを連れて出て行った。残っているカトルにエヴァンスが手を振った。
「君は呼んでいないぞ。早く南ラグン港に戻りたまえ」
 明日朝、パミナを迎えに来るよう指示した。カトルが頭を下げ、頼んだ。
「エヴァンス指令、お願いです、シムス堰水門の現場監督だけでも続けさせてください!」
 エヴァンスが首を振った。
「堰水門建設も含めて、全建設ミッションの主任にはキャピタァルから来る専門分野の教授が就く。君は元に戻って、ラカンユズィヌゥの設備管理主任をしていればいい」
 カトルがブルッと震えた。
「あの堰水門(ダム)の建設の作業員たちは、わたしが啓蒙したシリィたちです。最後まで一緒にワァアクしたいんです、お願いします!」
 島のシリィたちにテクノロジイの有益性を訴え、堰水門の建設はこの島の治水と電力供給に必要と教えた。最初怯えているだけのシリィたちが熱心に説得するカトルに心を動かされて、作業するようになってくれた。竣工まで一緒にやりたいのだ。
「自分が啓蒙したと思っているのかね、ずいぶんうぬぼれているのだな」
 エヴァンスが呆れたように首を振った。
「いいかね、この島は君が来る前からわたしがずっと種を撒いていたんだよ、その芽が出たところに君が来たんだ。自分の成果のように思っているとしたら大間違いだぞ」
 カトルが顔を赤くして震えた。エヴァンスが長椅子の背もたれにどっともたれかかった。
「せっかく目をかけてやってきたのに、やはりワァカァ出身はだめだな」
 不愉快な目で睨んだ。
「ちょっと優遇してやるといい気になる。シリィの女との性交渉だって、わたしがミッションの内と報告してやっているから処罰対象にならないんだぞ。わかっているのかね」
 隣に座っていたタニアがまあまあとエヴァンスの肩を軽く叩いた。
「よく働いていたじゃないの、そんなに冷たくしないで」
 エヴァンスがふうと大きなため息をついた。タニアがくるっと身体をエヴァンスに向けた。
「重要なミッションがあるの、今回はそれをお願いしに来たのよ。そういうことなら、それをカトルにやらせてみたらどうかしら。シリィやテェエルのこと、詳しいし」
 それができたら現場監督を続けさせてやればいいとカトルを見上げた。カトルが緊張して目を見開いていた。
(「イージェンと試練の島《エトルヴェール》(上)」(完))


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