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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第246回   イージェンと試練の島《エトルヴェール》(上)(1)
 マシンナートの首都キャピタァルは極南島《ウェルイル》の地下奥深くにある。深海研究所マリティイムからキャピタァルに移動してきたトリスト大教授は、最初にパリス議長を尋ねようと中央塔に向かった。その途中で、指導教授だったタニア大教授から音声通信が入った。タニアは現在最高議会議員だが、反主流派だった。パリスの強硬論に反対している一派のひとりだったので、指導教授で恩もあるのだが、付かず離れずでやっていた。バレー・アーレの評議会議員になれたのは、パリス議長の意を汲んで動いたからだった。
『話があるのだけど、わたしのラボにいらっしゃいな』
 お食事でもしながらとタニアがとても機嫌の良い声で誘ってきた。困ったなと思いつつ、トリストが返事した。
「ありがたいのですが、別の用がありまして、そちらを済ませたらお伺いしますので」
 また連絡しますと切ろうとした。
『あら、いいのかしら、あなたの将来に関ることよ』
 えっとトリストが息を飲み、それでは今からと返した。
…わたしの将来って…
 まさかアーレの消滅や素子の検体損失の責任を取らされるのか。心配になってきた。パリス議長は、責任は問わないと約束してくれたし、そのためもあって娘のファランツェリと関係を結んだのだ。
 メディカル専門分野の第一人者でもあるタニア大教授のラボは、中央塔の医療班区ではなく、別の区にある医療棟の中にある。中央塔の医療班区は診療所のようなもので、マシンナートのメディカル関係すべてを統括する中枢はこちらの医療棟だった。
ラボに入ると、何人かの若い助手や研究員(フェロゥ)たちが頭を下げた。顔見知りもいる。ここにはあまり来たくはなかったというのが本音だった。
一番奥の机に座っていたタニアが立ち上がって出迎えた。
「お久しぶりね、アーレの議員になってからはまったく顔も出さないんですもの。ほんと、つれない子なんだから」
 タニアが恨みがましい眼をして奥の個室に連れて行った。すでに六十過ぎのはずだが、豊かな栗色の髪をきっちりと結い上げ、張りのある肌が艶やかだった。
職員がワゴンで食事を運んできて、料理の乗った皿や杯をテーブルの上に置いた。向かい合って座り、二人の前の杯に職員が発泡系のアルコォオルを透明のグラスに注いだ。
「乾杯しましょ」
 あまり酒を飲みたくなかったが、一杯だけとタニアの杯とかち合わせて乾杯し、飲み干した。
「あの…わたしの将来についてのお話だそうですけど」
 早く聞いて、パリス議長のところに顔を出さなくてはならない。先にタニアのラボに顔を出したと知ったら、気分を悪くするだろうなと悩ましかった。
「そんなに焦らないで。ゆっくり食事しましょう」
 そんなことを言われても落ち着けるわけもなく、はあと困った顔を隠さずに食べた。
「アーレでは大変だったわね、マリティイムも同じ目に会ったわよ」
 えっと息を飲んだ。トリストはファランツェリを南方大島に置いてから、第五大陸近くの大陸棚海底に停留しているバレー・アーレの核フロアに向かい、研究のための資料と検体を運んできたのだ。
「あそこにいたらわたしも…」
 タニアが目を細めて天井を見るような仕草をした。
「それがね、ほとんど脱出してきたのよ、何人かは巻き込まれたようなんだけど」
 マリティイムの所長ディムベス、アーレのカサン教授、レヴァード医療士が主だった犠牲者だという。
「レヴァード、あれからずっとマリティイムでしたね」
 レヴァードは、メディカル専門の中でも特に外科の分野で優れた技能を持っていた教授だった。難しい手術を迅速かつ的確に行うことで知られていた。その手術を見学したことがあったが、あまりに見事な執刀ぶりに嫉妬してしまったほどだった。年も近いので、この先出世していくのに最大の敵手になると思っていた。負けじと技能を磨く一方で、実直なレヴァードにはできない処世術にも磨きをかけた。ところが、レヴァードは、十五年前、医療事故を起こして、その責任を問われ、マリティイムに左遷されたのだ。優秀な人材なので、それほど経たないうちに、キャピタァルに呼び戻されるか、ほかのバレーにでも転属されるのではないかと思っていたが、ついに深海の『檻』に追いやられたまま死んだのである。
「ええ、あの事故がなければ、今頃、この医療棟の主任大教授になってたんじゃないかしら」
 いずれ最高評議会議員になったかもとトリストの空の杯にアルコォオルを注いだ。
「第二大陸のユラニオゥム精製棟も消滅させられたし、アルティメットを怒らせてしまったようだわ」
 トリストが少し飲んだが、どうも腰が落ち着かない。感じ取ったタニアが苦笑した。
「落ち着かないようね、パリスのところに行きたいのかしら?」
 トリストがどきっとして顔を伏せた。
「賢いあなたのことだから、行かないわよね、パリスのところには」
…これは謎掛けか…?
「別にパリス議長のところに行きたいとか…そういうことでは…」
 タニアがやれやれと呆れた顔をした。
「慎重ね」
 最近肉は胃にもたれてと皿を下げさせて、スゥウプをお替りした。
「パリスはもう議長じゃないわよ、罷免されたの」
 トリストが肉を切っていた手を止めた。
「まさか…そんな…」
 十四年間もの間、最高議会議長としてマシンナートたちに君臨してきた。その地位は磐石だったはずだ。
「議長は、自分が投票した議題を否決されると、罷免提議出来るでしょ、パリスはユラニオゥムミッシレェの使用許可の決議を否決されて、罷免提議されたの」
 そして、罷免賛成十票、反対五票で罷免されたのだ。
「三分の二が…」
 パリスの敵に回ったということだ。これまでならありえない。信じがたいことだ。最高議会内で何が起こったのだろう。
「それで議長選をするのですか」
 パリスは罷免されたとはいえ、立候補するだろう。対立候補はエヴァンスに違いない。
「暫定議長としてわたしが選ばれたわ、エヴァンスが副議長」
 本来エヴァンスを暫定議長にしたいのだが、地上での啓蒙ミッションを重視する方針なので、テェエル対策本部司令を兼任するために副議長となった。
「タニア大教授が、議長…」
 アルティメットに、『ユラニオゥム』アウムズを廃棄し、開発使用を推進した指導者を罷免したと申し出て、再度『パリス誓約』を結ばせることになったのである。エヴァンスはその交渉も担当するのだ。
「それが終わった後、議長選をすることになるわ」
 トリストは口に肉の切れ端を運びながら、ちらっとタニアを見た。にこにこと笑っている。さきほどの謎掛けといい、自分のもとに来いと言っているに違いない。しかし、指導教授だったタニアを裏切ってパリスに慣れ寄った経緯がある。いまさら自分から傘下に戻りたいとは言いにくい。
 言いにくいこと、汲み取ってくれないだろうか。戻ってきなさいと言ってくれないだろうか。
 そんなずうずうしいことが頭を過ぎる。
「そうそう、パリスが罷免されたことで、ここ三ヶ月の議長裁量の人事とミッション許可は白紙になったから」
「そうですか…」
 トリストががっくりと肩を落とした。
せっかくの素子研究も白紙か。
 タニアが食後のカファを出すように職員に言った。
「白紙にしたけれども、その中のいくつかは破棄するには惜しい研究もあって、たとえば…」
 ふっと顔を上げると、タニアの笑っている口元が見えた。
「検体による素子研究とか…いいわよね、とても興味深いわ」
「タニア議長…」
 ここで頼んだほうがいい、認可してもらうということで、タニアの傘下に戻るのと同じことになる。
「それはわたしが提出した研究計画です。ぜひ、認可してください」
 頭を下げた。
「この研究が認可されるかされないかで、あなたの将来も変わってくるわよね」
 このままパリスの傘下に留まるか、それとも。
「認可してください、教授(せんせい)、お願いします」
 昔指導を受けていたときのように甘えるような声で頼んだ。ふふっとタニアが苦笑したのが聞こえてきた。
「そうやってきちんとお願いすればいいのよ、あなたはわたしのかわいい教え子なんだから」
 悪いようにはしないわとカファを勧めた。
 パリスが用意していた研究チィイムとラボはそのまま使えるようにしてあるので、明日からでも取り掛かってみてはと言われた。
…わたしには運がある。『トキ』のヒトに目を掛けてもらえるんだから。
 素子の標本損失の失態も乗り越えた。
どんなに医療の技能が優れていたとしても、『機』を見ることに長けていなければ出世もできないし、生き延びることもできない。
…わたしの勝ちだな。
 一方的にだったが敵手と見ていたレヴァードに、これで完全に勝ったと口元をゆがめた。

 翌日、トリストは、医療棟内にある優生管理局に向かった。医療棟内には、各メディカル専門の更に細分化された分野のラボだけでなく、優生管理局、検疫管理局、健康管理局など行政の機関もある。まさに、マシンナートのメディカル分野の中枢だった。
 昨夜、結局パリスのもとには行かなかった。電文で到着の挨拶を送ったが、罷免のことはまだ正式に報道されていなかったので、触れなかった。パリスから返信はなかった。
 優生管理局の責任者は、タニア議長から連絡を受けていると言って、すぐにクォリフィケイションの開放をしてくれた。
 その足で用意されているラボに向かった。副主任と挨拶してきたラスティンは、優生管理局にいたファーティライゼーション担当士だった。助教授だという。年は三十半ばくらいで繊細な作業をするようにも思えないほど肉体作業をするワァカァのようながっしりとした体つきだった。
「お力になれると思います」
 よろしく頼むと握手した。チィイムの構成員たちもみんなレェイベェルの高いものばかりで、パリスもこの計画に期待していたことが伺われた。ほんの少し、パリスに悪いかなと後ろめたさを感じながらも、政争に負けたヒトに遠慮して『機』を逃してはならないと奥歯を噛み締めた。
 ラスティンが、トリストが昨日のうちに送っておいたデェイタは目を通したがとモニタァに示しながら尋ねた。
「結局素子のジェノム地図はできなかったんですね」
 トリストがうなずいた。血液やバァイタァルなどの通常の検査数値は出るのだが、ジェノムだけは解析不能と出てしまうのだ。
「キャピタァルでやりなおしても無駄だな、解析コォオドが同じだし」
 もっと精緻な解析コォオドを開発しなければならないとすると、すぐに地図作成はできない。
「どうしましょう、適合卵子を抽出することができませんが」
 トリストがある認識番号をボォウドで打ち込んだ。
「最初にその認識番号の卵子を使う」
 地図作成の解析コォオドの開発はもちろん進めるが、その一方で指定した卵子や無作為に抽出した卵子を使用することにした。
 副主任が了解して、まずその認識番号の卵子を用意するよう手配し、さらに無作為抽出で二十例準備させることにした。
 トリストがもってきた検体は冷凍保存されていた。それは、バレー・アーレの特殊検疫棟でイージェンから採取した精子だった。慎重に解凍し、ラスティンが顕微鏡で視た。
「形状は…ごく普通、ですね。活性良好。受精卵の先天性疾病については検査できませんが、いいんですね」
 トリストがかまわないと手を振った。最初の卵子が用意できたというので、検体を持ってファーティライゼーションルゥウムに移動した。
 移動しながらアンダァボォウトの中でのことを思い出した。


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