…ミッシレェをどこかに移動させているじゃないかしら。リィイヴさんがいたら、わかるのだろうけど。 とにかく、近付いてみようとそっと空洞の中を進んだ。鋼鉄の荷車は、前に大きな灯りをいくつも並べて足元を照らしていた。天井の方は暗闇だ。上から大筒の上に降り立って、胴体に手を当てて見た。痺れるような感じがして、頭がズキズキしてきた。よくないものだ。気持ちが悪くなって吐きそうになった。 『耳』を澄ましてみた。 「…ロジオン副所長、精製棟経由で入電です…」 「…運搬ミッションは予定通りします、ドヴァアルギアへの搭載は標準仕様ですよ。何か問題でも?」 少し高めだが、落ち着いた男の声だった。 …なんだろう、ドヴァァルギアって。 大筒の胴体に書かれている文字列に気が付いた。次々に飛び移り、五台全部を覚えた。五台全て違うものだった。 「…なにかあったんですか?」 「…別になにも。わたしは積み込みを完了させたら、そのままドヴァアルギアに搭乗していくので、あなたがたは台車を精製棟まで返送してください」 その後は静かになった。どんどん東に向かって進んでいく。 …搭載…積み込み…マリィンのようなものに乗せるのかしら。 終点まで追いたかったが、アディアの手伝いをしなければならなかった。ミッシレェから離れ、あの砂穴のところに戻った。 砂穴から外に出た。あの一行は岩場に向かっていた。まだ着くのに間がありそうなので、気づかれないように先回りして、湧き水を飲み、水の筒に入れた。 奥地までは岩場はなく、近付くにつれて、足元が砂だけでなく、岩もごろごろとしてきた。 あと五カーセルというところで、砂地に下りて、歩くことにした。気配を消さなければならないだろうが、果たしてアディアと出会えるだろうか。 大きな岩が両脇に門のようにそそり立ち、緩やかな坂が地下に向かっている。それがグルキシャルの聖地、砂漠の奥地と呼ばれる場所だった。門には門番のようなものはいない。門扉もなかった。 中に入ると、緩やかな坂のあちこちに野宿するヒトたちがいた。出発するときにソテリオスにもらった顔覆いをして、頭巾の上からさらに灰色の布を被った。ゆっくりと歩きながら、『耳』を澄ました。 「…炊き出しの粥、もらえるかなぁ」 「…水は、どこにあるのかね」 椀を持ってくればよかったかもと思いながら、炊き出しの場所に寄って行った。数十人並んで待っている。粥は麦粥のようだった。青物が少し入っているようだった。みんなうれしそうに家族のところに持ち帰って、分け合い食べている。 「おいしいねぇ」 セレンと同じくらいの年頃の子どもたちがはしゃぎながら食べていた。この子たちも、ここが攻められたら『神の王国』を建国するための犠牲になるのだろうか。先ほど助けた赤ん坊も、あの若夫婦も。 サイードを殺す。 それで解決するだろうか。あるいは、大神官が死んだと知ったら、みんな後追いするかもしれない。なんとか信者たちを助ける方法はないのだろうか。 炊き出しの鍋に近づいた。奥で追加の粥を作っている。うきみにしている青物が見えた。 独特の葉の形をしている。 …まさか。 そろりと近寄り、その青物をちぎって袖の中に隠し、その場を離れた。 かなり離れてから、葉を指先で潰し、そっと舌で舐めた。 …やはり… 気分が高揚する効能のある薬草だ。気持ちの落ち込んだ病人などに少し与えることはあるが、元気なものに与えるものではない。逆に興奮しすぎたり幻覚を見たりしてしまうことがあるのだ。こんなものを炊き出しの粥に混ぜるというのは、いったいどういうつもりなのか。 食糧庫らしき岩室の近くまでやってきた。見張り番が立っていた。奥から食糧の袋を担いた男たちが三人出てきて、どこかに運んでいく。浮かび上がって、そっと後をつけた。北側の岩壁沿いの坂道を登って行く。信者たちは、南側の岩壁にいくつも開いている岩洞の中にいた。かなりの人数だ。こちら側の坂道にはヒトがほとんどいない。 一番後ろの男がちらっと南側の岩洞を見た。 「…かなりヒト増えてきたな、食糧、大丈夫なのか」 州都襲撃以前から逃げてきていたが、失敗してからこっそり逃げてきたものたちもいるしなと話している。 「…あと五日持てばいいんだって話だぞ」 …あと五日… 「…そっか、そしたら、空から麦が降ってくるんだな…」 冗談かと思ったら、三人は真剣な様子だった。岩壁にあいている横穴の神殿のひとつに入って行く。入れ替わるように、そこから兵士たちがバラバラと出てきた。 「行くぞ」 先頭の兵士長か隊長らしき軍人が手を振り、坂道を降りて行く。高度を上げて上から見下ろした。なにかあったのか。もしやアディアが? 気づかれないように回りを警戒しながら、兵士たちを追った。兵士たちは門に向かっていた。後から別の兵士たちが丸太を何本も運んできて、みんなで岩の門の前に柵を作り始めた。 …アディアも気配を消しているのだろうから、見つけるのは大変だわ。 エアリアが手伝いに来ることは知らないのだし、このままではらちが開かない。 …奥に行ってみよう。 王都に戻るにしても、もう少し探りを入れなければ。 もう一度、奥の神殿のほうに戻った。さきほど、兵たちが出てきた神殿ではなく、それよりも奥にある空の神エティアエルの標しがある神殿に入った。高い天井にへばりつき、静かに中に進んでいく。神官らしき男たちと巫女らしき女たちがしきりに行き来している。 突き当たりに小振りの神像があり、その前に両手を組み、ひざまずいている女がいた。頭から白い布をかぶっていて、顔などはわからない。 台座の横が動いた。冷たい気配を感じる。 …もしや。 息を殺した。台座の横から、白い固まりが出てきた。女がすっと立ち上がった。 「サイード様」 エアリアが強張った。だが、気配を消したまま、天井に沿って動き、サイードを正面に捉えた。赤い瞳が包帯の間で光って見えた。背は高いようだが、そのわりには顔が小さいように思えた。 「リジェラ、どういうわけか、魔導師が逃げた」 リジェラが青ざめたようだった。サイードがふわっと浮いているような動きでリジェラの前にやってきた。 「あの痺れを解毒できるものは少ないはず。わたしが調合した薬でも飲まない限りな」 おまえが逃がしたんだなと不愉快そうに見下ろした。 「魔導師を殺せば大変なことに…」 声を震わせている。 「何が大変なことなのだ、どうせ、全て砂の下だぞ」 リジェラが首を振った。 「今朝、信者の赤ん坊が生まれたので祝福してやりました、あの赤ん坊も…砂の下に…」 もちろんだとふわふわと浮かびながら背を向けた。 「でも、せっかく生まれたのに…」 サイードがフンと鼻を鳴らした。 「どうせ、生きていても苦しむだけだ」 ここで永遠の安らぎを得るのだとうそぶいた。 「おまえも信徒たちを助けたいと言っていただろう」 リジェラが顔を上げた。顔覆いのため、目だけしか見えないが、悲しみとも怒りともつかない黒い大きな瞳が細まっていた。 「たしかに助けたいと思いました、でも…」 おそろしいと震えていた。リジェラが立ち上がり、サイードに近寄った。 「どうしても、『砂漠の嵐』を起こすのですか」 サイードが避けるように動き、さっと振り返った。 「今さら何を言っているのだ。信徒たちも早く『楽』になりたいだろう」 サイードはエアリアの気配に気づいていない。 …もしかしたら、わたしの魔力で殺せるかも。 でも、さっき気になったように、サイードを殺すことで信者たちが錯乱したら。やはり、師匠に相談しないと。 サイードが台座の横の扉の中に消えていった。 ここは引こう。その場から離れた。 さきほど、魔導師が逃げたと話していた。アディアだろう。もうこの奥地から出ていったと思われる。 エアリアは少し疲れを感じていたが、王都に一刻も早く戻ろうと速度を上げた。
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