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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第242回   イージェンと砂漠の聖巫女(2)
 大神官が目通りするからと先導した。儀式を見ていた信者たちはぐったりと寝ていた。そのまま本当に寝ているものもいた。その間を通って、本殿の外に出た。
 本殿の外の広場では、麦粥の炊き出しが行われていて、後で儀式に参加した信者に振舞われるようだった。神官がその横を通りながら使者たちに頭を下げた。
「今日は、あなたがたの領主様からたくさんご寄進いただいたので、干し肉をつけることができます。ありがたいことです」
 かつて地下の空洞であった場所だが、天井がなくなり、谷の底になっていた。
 下りになっている道を進むと、別の神殿が現れた。神殿と行っても岩をくり貫いて作られているものだ。神殿の中では、巫女が引き継ぎして、奥の部屋に連れて行った。
 部屋はそれほど広くないが、小振りの三神像が奥に置かれていて、その前に白い布の固まりがあった。
「大神官様」
 巫女の声で白い布の固まりは振り返った。使者たちは、白い布の間も白い包帯らしきもので顔が覆われていて、赤い眼だけが見えているので、ぎょっとして身を引いてしまった。
「アグアド自治州の方々だな、大神官サイードだ、このたびは多くのご寄進をありがとう」
 小さく頭を下げた。使者たちはあわてて片膝を付き、お辞儀した。
「大神官殿、信者たちの腹が少しでも膨れればと思いまして」
 ひとりが背負ってきた袋を開けた。
「食糧のほかにも、こちらをどうぞお納めください」
 袋の中には、金貨や銀貨が入っていた。サイードが首を折った。
「食糧だけでなく、このようなものまで…お心使い感謝する」
 使者のひとりが首を振ってたいしたことではと返した。
「さきほどの聖巫女様の儀式、見事なものでした。あのような儀式は始めてで、なんといったらいいか…震えがきましたよ」
 サイードが含み笑いをしたように見えた。
「あなたがたは運がいい、聖巫女リジェラの儀式は、信者たちも一生に一度は見たいと無理をしてここまで巡礼に来ている。ちょうど訪れたときに見られたのは、信仰の篤さゆえ、三神の加護があったのだろう」
 『信仰の篤さ』などと言われて、使者たちは内心苦笑していた。
巫女たちが盆に杯を載せてやってきて、杯を使者たちの前に置いた。サイードが勧めるので、少し口を付けた。ただの水のようなので飲んだ。
「大神官様、儀式のとき、サンダーンルークのお方を…お見かけしたような…」
 少し声を落として尋ねた。サイードが首を振った。
「ここでは、どこの誰ということは一切関係ない。神々の前では、誰もが身分も名前もないのだ。したがって、ここで誰に会おうと、胸のうちにしまっておくことだ」
 使者たちが了解すると、サイードが声を潜めた。
「アグアドは砂漠の嵐には会わない…領主殿にお伝えいただきたい」
 使者たちが頭を下げて、ふたたび顔を上げたとき、サイードの姿は消えていた。呆然となっている使者たちのはるか頭の上、天井近くに浮かび、見下ろしていた。巫女たちに連れられて使者たちが出て行った。
 サイードはゆっくりと降りて、次の来訪のものたちを待った。ほどなく、細身の若い男と兵士らしき男ふたりが入ってきた。サンダーンルーク王族のハザーンとお付きのものたちだ。
「大神官殿、聖巫女の儀式への参列をお許しいただいて感謝します」
 ハザーンは、サイードに向かって最敬礼した。お付きのものたちもためらいなく従っている。サイードが膝でにじり寄り、ハザーンの手を取った。
「楽に」
 ハザーンが恐縮して何度も頭を下げた。さきほどのように巫女たちが杯を持ってきた。どうぞと勧められてハザーンが飲み干した。
「これから砂漠の嵐が起こる。ハザーン様はその嵐に巻き込まれたということでよろしいのだな?」
 サイードが念を押すと、ハザーンがうなずいた。
「わたしは大神官殿の教えに従います…」
 この四の大陸に限らずだが、病弱な体質に生まれれば、育つことは難しい。ハザーンは、王族ゆえによい薬を貰い、充分な食べ物が摂れたからこそ、この年まで生きながらえることができた。だが、周囲から幼い頃からずっと長くもたないと言われてきて、今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれないという死の恐怖に苛まれてきた。
 三年前、グルキシャル教団の信者が、警護兵となり、夜中にも恐ろしい夢にうなされているハザーンに、神殿で神官の説教を聴くとよいと勧めた。半信半疑で神殿に向かい、そこで神官から『祈り』を捧げることで、神の恵みを感じることができると言われた。ためしに『祈り』の言葉を習い、捧げてみた。それで身体が丈夫になるわけではないが、恐ろしい夢を見る回数が減り、気持ちが落ち着いてきた。
 それからハザーンは、神殿に通うようになり、熱心な信者になった。王都のはずれにある神殿はとても小さかったが、信者はいろいろなところにいた。王宮の下働きから執務官の中にも入り込んでいた。神殿の神官は、ハザーンに聖地に巡礼し、大神官から教えをいただくとよいと勧めた。
 ハザーンは、神官の教えでこんなに気持ちが落ち着いたので、大神官から教えをいただけば、もっと安らぐのではないかと思い、海の近くにある王族の離宮に静養に行くと行って、王都を抜け出して砂漠の奥地に向かった。
 ハザーンは自分がこんな旅ができるとは思わなかった。途中で死ぬかもしれないと思ったが、大神官に会いたい一心で歯を食いしばり、がんばった。聖地にたどり着き、その荘厳な岩の都に感動した。
 大神官はハザーンを歓迎してくれて、何日も教えと祈りを授けてくれた。すっかり心酔し、大神官に従うと誓った。大神官はハザーンの熱心さに感心して手を取った。
「いずれわたしは三神の言葉と祈りを司る『神』となり、『神の王国』を築く。あなたは『神』に命を捧げ、安らかな眠りにつくといい」
 多くのものたちがそのときに永遠の安らぎを得るのだといった。ハザーンは、やっとこの苦しみから解かれるのだと涙を流して喜んだ。そして、今日、聖巫女の儀式を見て、さらに心が洗われるような気持ちになった。
「大神官殿、建国はいつになるのですか」
 眼を輝かせて聞いてきた。サイードが手を振った。
「そうあせらずに…心安らかにして待つことだ」
 ハザーンがうなずいた。ところでとサイードが尋ねた。
「あなたと同じく病弱で気持ちがふさぎがちな姫はどうされたか」
 ハザーンがため息をついた。
「信者を侍女にもぐりこませたのですが、まったく聞き耳もたずで…一の大陸のエスヴェルン王太子への輿入れが急に決まって、すでに嫁いでいきました」
 国王の第一王女ジャリャリーヤは、ハザーンと同じく子どもの頃から病弱で、今は少しはよくなったということだが、ヒト嫌いで引きこもってばかりいた。信者にして連れてこようと思っていたのだ。
「わたしのように安らぎを得られたらよいのにと思っていましたが」
 ハザーンが残念そうに眼を伏せた。サイードも顔を伏せた。
「ふぅむ、エスヴェルンか、最後の大魔導師が所属する学院の王国だったな…」
 最後の大魔導師、いずれここにやってくるかもしれない。学院を憎む自分のことを知ったら。しかし、そのとき、ここは。
「お疲れだろう、もう休まれるといい」
 サイードが後ろに控えているお付きのふたりに指示した。ふたりは両脇からハザーンを支えて下がって行った。

 砂漠の奥地。サンダーンルークとタービィティンが共同で保有している地域で、かつて砂漠の嵐《ヴァンディサァブル》と呼ばれる大陸規模の砂嵐によって一夜にして砂に埋もれた都のあったところだ。
 昨日の夜に到着したアディアは、頭から灰色の布を被り、信者に紛れて神殿に近付いていた。神殿では、数日前に『聖巫女の儀式』というものが行われ、信者のほとんどは残っていた。その上、武力蜂起を起こしたものの制圧されてしまった州都周辺の信者たちが逃げてきていて、かなりの混雑になっていた。
「カダルとエンタルクはみんな『命』を捧げたそうですよ」
 カダル、エンタルクは州名だ。
「ええ、もうすぐですね」
 信者たちの話からして、カダル州とエンタルク州は奪回されたようだった。残る州はあとふたつだ。他の州にいた特級が回るだろうから、時間の問題だろう。
…なんとか大神官のいる場所を探らなければ。
 州都を奪回したとしても、このままでは禍根を残すことになる。『災厄』のもとを立たなければならない。
 ゆっくりと信者たちが座り込んだり寝転んだりしている間を巡り、神殿のひとつに近付いた。
「…のです、来て下さい…」
「…お加減悪いようで…」
 神殿脇から箱を抱えた五十すぎた老人と兵士の服装の男が出てきて、崖の沿って登って行く。剣も帯びている。病人が出たようだ。そっと後をつけた。すでに信者たちの姿もなく、人ごみに紛れてというわけにもいかず、しかたなく、崖から出っ張っている屋根や階段を飛び移ってつけて行く。老人と兵士はアヴィオス神の標(しるし)のある神殿のひとつに入って行った。アディアもそっと降りて石柱を使いながら間合いを取って進んだ。この神殿も含めて、この都の造りは、岩壁の横穴を利用して作られている。そのため、各部屋は窓もなく、扉は布による仕切りだけなので、声は拾えるが、逆に様子をうかがうのは難しかった。しかも、中は迷路のように複雑になっている。
 老人と兵士が奥まった部屋に入った。近付こうとしたとき、前から神官たちが向かってきた。あわてずに下がって両膝を付いてお辞儀した。神官たちはちらっと見たが、そのまま通り過ぎた。『耳』を研ぎ澄ました。
「…さきほどいただいた薬でもお苦しみが止まらなくて」
「…そうなりますと…」
「…お、お医者様、…大神官様を…呼んでくだ…」
 兵士が出てきた。
…ここに大神官が来るの?
 アディアがお辞儀したまま外套の中で、短剣を握った。『耳』を澄まして、じっと息を殺していた。やがて、兵士の気配が近付いてきた。
「…こちらです、お願いします…」
 しかし、他のものの気配はない。
「…ちょっと待て…」
 いきなり声が聞こえてきた。気配はないのに。背筋がぞっとした。
…相手のほうが魔力が上だわ。
 アディアは瞬時に判断して、飛び去った。廊下を猛速で飛んでいく。
 神殿を出た瞬間、後ろからドォーンという音と共に光の矢が無数に飛んできた。魔力のドームで弾いたものもあったが、いくつか防げずにドームを突き破ってきた。
「ああっー!」
 光の矢が背中や足に突き刺さった。ドォッと地面に叩きつけられるように落ちた。
「ぐうっ…」
 神殿の中から白い布の固まりがゆらりと現れた。
「…サイード…かっ…」
 顔は包帯が巻かれていてわからなかったが、目のところだけ開いていて、そこから真っ赤な瞳が冷たく見下ろしていた。
「タービィティンのアディア、『ラ・クトゥーラの風』だったな、どうせ来るとしたら、おまえしかいないと思っていたが」
 身体がしびれて動けない。すーっと降りてきた。取れかけていた顔覆いをむしり取られた。
「くっ!」
 伏せようとしたが顎をつかまれた。その手も包帯が巻かれていた。
「屈辱だろう、顔覆いを取られるのは」
 きっと顔を上げてにらみつけた。
「ならわしだからしているだけよ!」
 赤い瞳が細まった。
「大神官様、そいつは!」
 神殿から護衛兵や神官たちが出てきた。
「タービィティンの魔導師だ。縛り上げろ」
 魔導師と聞いて怯える護衛兵たちに痺れさせているから大丈夫だと安心させた。鉄の鎖で縛り上げ、立ち上がることができなかったので、何人かで抱えていった。
「殺すのですか」
 神官のひとりが恐る恐る尋ねた。振り返ったサイードがうなずいた。
「まだ十二、三の子どもとはいえ、大陸で一、二を争う魔導師だ、殺して屍骸を晒し、学院を震え上がらせてやろう」
 アディアはなんとか身体が動くようにならないかと必死に解毒してみたが、できなかった。しかも、両手両足にかけられた鉄の輪の裏側の突起に毒が塗ってあるらしく、痺れが増してきていた。
『ラ・クトゥーラの風』の異名をもつアディアは、四の大陸では一、二を争う魔力を持っている。そのアディアをねじ伏せたのだから、サイードの魔力の強さはそれ以上ということだ。
 護衛兵たちが牢にアディアを転がし、出て行った。
 しばらくもがいていたが、やがてそれもできなくなってきた。
…死ぬのかな…
 ターヴィティンの学院長ネルバルの顔が浮かんできた。すでに五年前から学院長代理としてネルバルの手伝いをしてきた。ネルバルは師匠でもあったが、師匠というより優しいおじいちゃんだった。
 ネルバルは、サンダーンルークの王女ジャリャリーヤを気にかけていてクスース(砂とかげ)の燻製で作った滋養の薬を何度か届けにいかされた。ヒト見知りの激しい王女がネルバルだけには心を許していたようで、行くたびに『じいや』の様子を聞かれた。まだ子どもだったために、おじいちゃんを取られるような気がして、つい素っ気なく元気ですとだけ答えていた。大きくなってからも悪いかなと思いながらも、つい突っぱねるような言い方をしてしまっていた。王女を一の大陸に送っていったときもなんとなくばつが悪くて冷たい態度になってしまったのを後悔した。
 いろいろと思い出されてきて、悲しくなってきた。サイード暗殺の使命も果たせずにこのまま死ぬのも悔しかった。
カチャッと音がした。なんとか顔を向けると、白い布をすっぽりかぶった細身の女が入ってきた。顔覆いをしているので顔付きはわからない。近づいて来て屈み込み、黒い瞳を向けてきた。


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