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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第241回   イージェンと砂漠の聖巫女(1)
 四の大陸の中央にあたる砂漠の奥地には、サンダーンルークとタービィティンが共同で保有している地域がある。かつて砂漠の嵐《ヴァンディサァブル》と呼ばれる大陸規模の砂嵐によって一夜にして砂に埋もれた都のあった場所だ。
 その都はサンダーンルークとタービィティンがひとつの王国であったときの王都だった。麗しき湖の都《ラ・ヴィ・サンドラァアク》と呼ばれていたその王都は、水量豊かな地下湖の上に築かれていた。砂漠の中にあって、民たちの命の源だった。
だが、マシンナートの『大災厄』ユラニオゥム弾道ミッシレェの攻撃を受け、その地域一帯は無残にも破壊され汚染された。大魔導師ツヴィルクは、二の大陸の大魔導師シャダインの協力を得て、『瘴気』を浄化し、砂漠の嵐《ヴァンディサァブル》を起こし、この地域を砂漠の底に沈めてしまったのだ。
 地下湖はそのとき破壊され、そのため、その地域一帯は、水源を失い、ヒトが住むことができなくなって久しかった。
 だが、地下湖は、以前よりは規模は小さかったが、わずかながらに蘇っていた。そして、その地下の水溜りを命の糧にして住み着いた集落があった。地下の湖の側に自然の岩場をそのまま利用し、神殿群を築いたグルキシャル教団である。
 グルキシャルは、古くから空・地・海の三神を戴き、敬虔な態度で慎ましい生活を旨としていた。それら三神は、理《ことわり》を神格化したものと言われていた。それらを信仰することは、理《ことわり》を大切にすることだが、魔導師学院は、信仰は迷信と断じ、王室と別に敬意の対象が存在することを嫌っていた。
一時期迫害も行っていたと言われていて、そのため各大陸に広がっていた神殿の勢力は、四の大陸と五の大陸の一部に残るくらいで、そのほかの大陸では神殿も朽ち果てたまま放置されていて、信者もほとんど見られなくなっていた。
 神殿では、集まってくる信者に神官と巫女による儀式と施しが行われていた。その中でも、美しい姿で清らかな乙女の聖巫女は、特別な存在だった。四の大陸の聖巫女は、『踊り』を踊って信者を癒し、五の大陸の聖巫女は、『歌』を歌って信者を癒していた。
 しかし、五の大陸トゥル=ナチヤの聖巫女クトは、二十数年前に戒律を犯して男と通じ、逃亡した。当時聖巫女の継承者はまだ育っていなかった。そして、それ以来、トゥル=ナチヤの『総本山』であったカンダオン王国のサウリ神殿は凋落の一途を辿った。今では五の大陸の神殿はほとんど寂れてしまい、神官も巫女もわずかしかいなかった。
 ラ・ヴィ・サンドラァアクは信者から聖地と呼ばれ、全ての神殿の中心である大神殿には、十年前から《紅玉の双眼》といわれる大神官サイードが君臨していた。
赤い瞳に白い髪、透き通るような白い肌。産まれてすぐに砂漠に捨てられたところを信者に拾われ、奥地に連れてこられたということだった。年は三十過ぎで、いつも白い包帯で顔を隠し、白い長い衣で身を覆っていた。
 大神殿の奥殿に鎮座する巨大な三神の像に向かって瞑想していたサイードに神官のひとりが話しかけた。
「大神官様、アグアドの領主の使いのものがお目通りを願っておりますが」
 サイードがふわっと浮き上がった。そのまま空中を滑るように神官の側にやってきた。
「寄進だけでなくか」
 神官がうなずいた。アグアドは、四の大陸の自治州のひとつで、南の港を州都としていて、大国に対して抵抗勢力となりつつあったグルキシャル教団に寄進をして、資金面での協力をしていた。以前はただ寄進の品を置いていくだけだったが、今回は目通りを願っているという。
「ふっ、アグアドか…どうせ、都合が悪くなれば知らぬ存ぜぬだろうが」
 サイードが浮遊したまま背を向けた。
「お目通りはいかがいたしますか」
考えを巡らせるように首をかしげた。
「ふぅむ、どうするかな、もうすぐ、リジェラの儀式が始まるから、それを見せてから会うか」
 神官が了解して奥殿から出て行った。サイードは三神像の奥の扉の中に入った。岩の隧道(トンネル)が長く続いていて、ところどころに扉がある。神殿のいろいろな場所につながっているのだ。そのひとつから外に出た。
 小さな灯りがひとつあるだけの拝殿だった。小振りの神像に向かって両手を組み、ひざまずいている女がいた。
「リジェラ」
 サイードが声を掛けた。リジェラと呼ばれた女が振り向いた。闇の色の長い髪が床まで垂れていて、大きな黒い瞳を見開いた。年の頃は二十歳くらいで顔覆いをしている。
「サイード様」
 リジェラは立ち上がり、サイードに向かって拝礼した。
「そろそろ儀式の時間だ、今夜はアグアドの使いのものが参列するから、とくに念入りに踊れ」
 リジェラが悲しそうに眼を細めた。
「お言いつけに従った信者たちのために踊ります」
 今回八つの州都を襲撃し、四つ掌握したが、四つは王立軍に奪回された。州都を襲撃した信者たちには、捕まるならば死を選べと教えられていた。そしてみんな忠実に教えを守っていた。
「わたしがウゥドゥを弾く」
 リジェラが目を伏せた。
 サイードが部屋を出て行ってから、リジェラが隅に行き、儀式用の白い衣装を身に着けた。両手首、両足首、首にたくさんの鈴をつけた環を通し、長く垂らした髪のところどころにも鈴の飾りを編み込み、鈴を付けた冠を被って、支度を済ませた。
 本殿では、五百名あまりの信者たちが腰を降ろして待っていた。聖巫女の儀式は、月に一度。前回のときに見損ねたものも清掃などの奉仕をしながら、待ち続けているものもいた。
 そろそろ儀式の時刻が近づき、大勢の巫女や神官たちが、信者たちにちいさなパンのかけらを渡し、それぞれが持つ水の筒にほんの少し水を入れて回った。信者たちは、儀式までの間、パンと水を頂いた。
 ビイィィンという硬い音がした。それは何度か聞こえてきて、信者たちが水の筒を腰に下げ、次々に両膝を付いて、頭を地面にこすり付けた。
 アグアドの使者たちは、信者が最敬礼する中を通って最前列に案内された。ビィイインという音は弦楽器の音のようだった。案内してきた神官が左隅に導き、用意された椅子に座らせた。
「拝礼されたくなりましたら、どうぞ、椅子から降りてください」
 使者たち三人は、はあと顔を見合わせた。寄進はするが信者ではない。ふつうにお辞儀はするが、最敬礼するつもりはない。
 使者たちは、アグアドの名前を借りてはいるが、ヴラド・ヴ・ラシスの手の者だった。いろいろと見聞してきて、後で報告するように言われたので、あちこち目配りをしていた。
 信者たちのほとんどはサンダーンルークとタービィティンの民だったが、なかには、西の国々のものたちもやってきていた。
 以前は、グルキシャルには聖地を訪れて拝礼する『巡礼』のような慣わしはなかった。この大神官になってからするようになったようだった。
「…あの反対側にいるものは…」
 使者のひとりが反対側に座っている男に気づいた。
「まさか…王族の中にもいるかもと聞いていたが…」
 その男はサンダーンルーク国王の従兄の息子で、ぎりぎり王族に列せられていた。年は二十三くらいでやせ細っていて、確かあまり長生きしないと言われていたはずだ。椅子に座っていたが、誰かが石の壇上に上がってくるのに気づき、椅子から降りて地面にひざまずいた。石壇の上には、神官が立っていた。
「聖巫女リジェラ様の儀式、これより始めます」
 ビィイィーン!ビィイィーン!
 弦が複数弾かれる音がした。繰り返され、耳を刺激した。不快ではないが、足元がぽっかりと空いてどこかに引き込まれるような感じがする。
 弦の音がやんだ。
 頭を地に付けていた信者たちが顔を上げて、石壇上を見つめた。真正面奥の三神像の台座が開いた。台座の中から白い布を被ったものが現れた。聖巫女リジェラである。
 シャラァンシャラァンと小さな鈴の音とともに石壇の中央にやってきた。つま先で、まるで浮き上がっているように見えるほど羽のように軽やかに歩んでいる。壇の中央で止まり、身体を覆っていた白い布を鳥が翼を広げるように左右に大きく腕を伸ばし、片膝を付いて信者に向かってお辞儀をした。信者たちが息を飲んで見上げていた。
 サンダーンルークの王族ハザーンは眼を潤ませて見つめていた。
 白い布を身体に巻きつけただけの衣装だが、長い黒髪と澄んだ黒い瞳、顔半分は白い布で覆っているがその姿の美しさは胸を打つ。
石壇奥の暗がりに座っていた大神官が声を出した。低く重々しく胸にズンと響く声だった。
「…グルキシャルの神々の民たちよ、この聖地、かつて麗しき湖の都《ラ・ヴィ・サンドラァアク》と呼ばれたこの地にて、神々の使い、聖巫女リジェラの美しき踊りで心を癒せ。辛きヒトの世からのしばしの慰めを遠からず永遠の安らぎとするまで。
空の神エティアエル、空の理《ことわり》の神よ、空よりの恵み、気よ、水よ、風よ、われらに授けたまえ、
海の神マクリエム、海の理《ことわり》の神よ、海の恵み、生きるものの命の源よ、大いなる浄化の器よ、われらを受け入れたまえ、
大地の神アヴィオス、大地の理《ことわり》の神よ、大地の恵みよ、生きるものの命の糧よ、大いなる育ちの器よ、われらの力と身体を培いたまえ、
尊きグルキシャルの民びとたちに、永遠の安らぎが訪れるまで、その恵みを与えたまえ、授けたまえ…」
 ビィイィーン!とウゥドゥ(弦楽器)の音が響いた。単調だが、リズムを刻む音が続く。その音に合わせて、リジェラが足で調子を取り、ゆっくりと左右に翼を羽ばたかせるような動きで踊りだした。
 そのゆっくりとした動きとウゥドゥの不思議な響きが合わさり、荘厳な空間を作っていく。信者たちはみんな両手を掲げ、賛嘆の文句を唸り出した。
「ディウーゥゥ…ディウーゥゥ…」
 聖巫女の美しさに眼を奪われていた使者たちが信者たちの唸り声を耳にして驚いた。その不気味さに眉をひそめた。
 リジェラが石壇の上をくるくると身体を回転させながら回り始めた。その動きはあくまでもゆっくりとゆるやかだった。だが、単調な調子の弦音と踊り手の動き、小さな鈴の音はヒトの心を陶酔状態にしていく。加えて、儀式の前に配った水はわずかながら気分の高揚する薬草を浸してあるのだ。
 ウゥドゥ(弦楽器)を弾きながら大神官が唇を震わせた。
…ウゥワ…ディウーゥゥ…ウゥワ…
 弦音に紛らせて心に作用する『就縛の術』を掛けていた。『就縛の術』は瞳を合わせたり、声によって、瞬間的に縛り付け、言うことを効かせる場合と、サイードがしているような、音や言葉でもって働きかけて持続的に命令に従うように作用させる場合がある。例えば、魔導師のミスティリオンはこの心に作用する『就縛の術』なのだ。
 使者たち三人は水こそ飲んでいなかったが、この異様な雰囲気の中で次第に頭がぼおっとしてくるような感覚が襲ってきた。
 踊りは実に半とき続き、聖巫女は、少しの間石壇の上に身体を伏せた。信者たちも唸り声を止めて、ひれ伏していた。五ミニツほどか、その間も、弦音は続き、やがて、また同じことを半とき、計いっとき(百二十ミニツ)踊り続けた。
 リジェラは、最後、ずっと掴んでいた白い布をはらっと落とし、三神像に向かって最敬礼してから、信者たちに頭を下げ、白い布を取り、また台座の奥に消えて行った。弦音が止んだ。
 信者たちはその場で次々に倒れこんだ。ハザーンも倒れこんで息を荒くしている。お付きらしいものふたりが抱えあげて運び出していた。使者たちはずっと圧倒されていて、やっと大きく息をついた。案内してきた神官が近寄ってきた。
「こちらへ」


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