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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第240回   イージェンと月光の戦姫《いくさひめ》(下)(4)
 一の大陸南方海岸沖に浮かぶ『空の船』の上では、レヴァードが、毎日熱心に甲板掃除をやっていた。ヴァンが手伝おうかと申し出ても、ひとりでやらないとと断っていた。
「意外に真面目なところもあるんだな」
 カサンが手すりに寄りかかりながら、レヴァードに皮肉っぽく言った。
「意外は余計だろ?あんたもぶらぶらしてないで船室の窓でも磨いたらどうだ」
 カサンがいつも以上に不機嫌に返した。
「きさま、どうしてそう、わたしに対しての口のきき方がぞんざいなんだ、わたしのほうが上司なんだぞ」
 ヴァンが近くで聞いていて、呆れてリィイヴの肩を突付いた。
「カサン教授、まだ上司だのなんだのって」
 レヴァードはキャピタァル中央棟の医療班にいたのだ。かなり優秀だったのだろう。そのままうまくいけば、カサン教授よりもはるかにレェィベルが高い教授になっていたかもしれないのだ。そういうことが、レヴァードに少し横柄な態度をとらせているのかもしれない。
 セレンが熊のウルスと仔狼のリュールを連れて甲板に出てきた。
「日光浴させようと思って」
 するとウルスがするっとセレンの腕から抜け出して、レヴァードが拭いているところをぺたぺたと歩き出した。
「わっ、乾くまで歩くな」
 レヴァードがしっしっと追いやろうとしたが、ウルスは余計にレヴァードの周りを歩き回った。四つんばいで拭き掃除をしているレヴァードを仲間とでも思ったのかもしれない。
「遊んでくれてると思ってるんじゃ?」
 ヴァンがおかしそうに笑って、ウルスを抱き上げた。
「こっちで遊んでやるから」
 ウルスが腕を振り上げてじゃれた。
 頭の上が一瞬翳ったように思えた。気が付くと、甲板に灰色の柱が立っていた。
「イージェン」
 真っ先にリィイヴが寄ろうとした。イージェンが降り立ったすぐ側で拭き掃除していたレヴァードが声もなく見上げていた。
 イージェンが誰かを抱えていて、そっと甲板に降ろしたのだ。
「だれなの、その、ヒト?」
 リィイヴもおかえりを言うのも忘れてしまった。長い銀髪を背中に垂らした、すらっと背の高い女だった。
「ものすごい…美人…だ…」
 レヴァードがふらっと立ち上がった。こんな美しい女は初めて見た。エアリアも美人だが、それ以上だ。食い入るように見つめていた。
「師匠(せんせい)、おかえりなさい」
 セレンが近寄ってお辞儀した。イージェンがセレンの頭を撫でた。
「ただいま、黙って行ってしまったが、怒ってないか?」
 セレンがはいと笑って答えた。ヴァンもカサンもイージェンの側に立っている美しい女に驚いた。
「だれだ、あれは」
 カサンがヴァンにこっそりと尋ねた。ヴァンが知らないと首を振った。
 船室からヴァシルが出てきた。
「師匠(せんせい)、おかえりなさ…」
 言いかけて足を止めた。女を見て、目を見張った。
「ティセア様?なんで、ここに?」
 元イリン=エルン王の側室であり、今はグリエル将軍の夫人であるティセアが、なにがどうなると、ここに来ることになるのか、さっぱり見当がつかず、固まってしまった。
 イージェンがセレンに、ティセアに茶を入れてやるよう頼んだ。
「食堂で待っていてくれ、先に伝書を見てくる」
 呆然としているヴァシルをうながして船長室に向かった。セレンが案内しますと言うと、ティセアが手を握った。
「セレンだったな、イージェンからとても素直でかわいい弟子だと聞いたぞ」
 いとおしげな眼差しで微笑んだ。セレンが真っ赤な顔で下を向き、ぎこちない様子で船室に入って行った。
 レヴァードが二、三歩よろめき、はあとため息をついた。
「子どもはいいなぁ、俺も子どもだったらなぁ」
 あんな美人に手を握られてとぽっと顔を赤くした。カサンが呆れて髪が伸び放題になっているくしゃくしゃの頭を振った。
「きさまはまったく下半身だけで生きてるようなやつだな」
 ばかものがと罵るとレヴァードが憤慨した。
「下半身は大事なんだぞ、あんたも使ったほうがいいぞ」
 カサンが真っ赤な顔でぷいと船室に入っていった。
イージェンは、船長室で集まっていた伝書を読みながら、ヴァシルにティセアのことを話した。
「おまえはまだ十二、三くらいだったか、ティセアが王宮からいなくなった時期があるのを覚えてるか」
 ヴァシルがうなずいた。
「はい、陛下はラスタ・ファ・グルアの残兵だった軍人や護衛隊に命じて、熱心に探させていました。学院にも探すよう要請は来ていましたが、学院長様は、自分だけでいいからととくにヒトを増やして探索などはしていませんでした」
 その時期に出会って、夫婦として暮らしていたと言った。
「ティセア様とですか…」
 イージェンが戸惑うヴァシルに、別れたときのこと、グリエル将軍との結婚の経緯を語った。
「もう大魔導師になった俺とティセアが一緒に暮らすのは、決まりに反するふしだらなことと思うかもしれないが、ティセアが自分で決めた生き方をさせてやりたいんだ」
 仇に身をまかせるような生き方をすることを非難した。非難されたことで、ティセアもそうした生き方を止めようと出てきたのだから、受け止めてやりたいのだ。自分もずっとティセアが好きだった、『この身』となった今でも好きでたまらない、だから、一緒に暮らしたいと正直に胸の内を明かした。
 ヴァシルは考え込んで返事をしなかった。イージェンもあえて了解をうながさなかった。
「四の大陸は、これだけでは状況が不明だな」
 エアリアとアディアが、砂漠の奥地に向かったという伝書が来ていたが、その後がまだ到着していない。
「すぐに四の大陸に行く」
 三の大陸のセラディム学院長アリュカからの伝書は、アラザード王国の学院長を訪問、ヨン・ヴィセン王太子がドゥオールの祖父王の見舞いに行ったと書かれていた。
 アートランからの伝書には、しばらく見入っていた。
「師匠、アダンガル様を早く連れ戻したほうがいいのでは」
 エヴァンスに啓蒙されているというので、ヴァシルが心配した。
「ここで連れ戻せば、確かに啓蒙されないかもしれない。だが、アートランが意見しているように、自分で乗り越えなければならないことだ」
 アートランのことをでたらめに生きてきたように思っていたが、そんなことはなかった。きちんと『理(ことわり)』のなんたるかを知っていて、守らなければならないということもわかっているのだ。
…さすがに姉と同じく素子の実《クルゥプ》だけあるな。
 むしろ、『理(ことわり)』については、エアリアよりもわかっているかもしれない。
「おまえも余計な手間ばかり増えて大変だろうが、よろしく頼む」
 ヴァシルがはあと困った顔をしてうなずいた。
 ティセアは、セレンに連れられて食堂の隅のテーブルについた。リィイヴが湯を沸かし、セレンが茶を入れるのを手伝った。セレンが、茶碗を静かにテーブルの上に置いた。
「ありがとう」
 ティセアが、丁寧に皿ごと持ち上げ、ゆっくりと含んで、飲んだ。
「さすがにイージェンの弟子だ、入れ方がとても上手だ」
 セレンが何度も首を振って頭を下げ、厨房に走っていった。レヴァードとヴァンが食堂の入口の影からそっとのぞきこんでいた。
後から急に声を掛けられた。
「なにしてるんだ、おまえたち」
 イージェンだった。レヴァードとヴァンが驚いて飛び跳ねた。
「な、なんでもないっ!」
 ふたりしてあわてて逃げていった。
 イージェンが首をかしげて見送ってから食堂に入った。ティセアが立ち上がった。
「俺はこれから四の大陸に行かなければならない。すぐには帰ってこられないが、みんなとここで待っていてくれ」
 ティセアがうなずいた。
「わかった」
 イージェンが、顎を引いて、手ぶくろの指先でティセアの頬に触れ、隣に来たセレンの頭を撫でた。
「わからないことがあったら、教えてやってくれ」
 セレンが見上げて、はいと返事した。
 イージェンがふたりと甲板に出てきた。リィイヴとヴァシルも出てきた。
「気をつけて」
 ティセアが手を振った。イージェンの姿がすっと消えた。
 しばらくたそがれの空を見上げていたが、セレンが声を掛けた。
「ぼく、お夕飯の当番なんです、いってもいいですか」
 ティセアがふっと笑った。
「そうか、わたしも手伝うかな」
 セレンがにこっと笑って厨房に向かった。ヴァシルが追いかけてきて、やらなくていいと手を振った。
「いや、ここにいる以上はわたしもみんなと同じようにするから」
 気遣いは無用だと首を振った。
「でも、ティセア様にできるとは…」
 生まれながらの『姫君』だし、後宮では、お茶くらいしかいれることはない。急にやろうとしても無理だろうと心配したのだ。
 ティセアが厨房で鍋に水を入れ、かまどに火を点けた。
「うまくはできないが、なんとかやれる」
 貯蔵庫を開けて食材を見て、献立を決めているようだった。
「たしかに、何もできなかった。家事なんて、する必要なかったからな。でも、イージェンと暮らして、いろいろと教えてもらった。うまくいかなくてすぐに投げ出しては、叱られてばかりいたけどな」
 思い出して微笑んだ。ヴァシルはティセアがそんなふうに笑ったところを初めて見た。イリン=エルンの後宮では、身体がなまるからとよく兵士と手合わせをしたり乗馬をしたりしていたが、それ以外は沈み込んでまるで病人のようだった。こんなに嬉しそうに笑うとは。その微笑は美しかった。ヴァシルはまぶしそうに目を細めた。
「わからなかったら、セレンに聞くから」
ティセアが優しい眼でセレンを眺めた。
 ヴァシルは、それではとお辞儀して下がった。艦橋にいたリィイヴに、みんなを船長室の隣部屋に呼んでくれるよう、頼んだ。
 いつものように敷物の上に上って、円になった。あの美人の話だろとレヴァードが身を乗り出したのをカサンが肘打ちした。レヴァードが気分悪そうにカサンから少し離れた。
「あの方は、二の大陸にあったラスタ・ファ・グルア自治州の領主のご息女でティセア様といいます」
 そして、ラスタ・ファ・グルアが八年前にイリン=エルンに滅ぼされて捕らわれたことから、イージェンと出会った経緯、別れたのち、今度は、ウティレ=ユハニで捕らえられてグリエル将軍と結婚させられたが、異端の攻撃の混乱に紛れて、逃げてきたと話した。
「…イージェンの奥さんだったんだ、あのヒト…」
 ヴァンが目を見張って驚いた。インクワイァには結婚の制度はないが、ワァカァにはある。イージェンの妻と聞いて、ヴァンだけでなく、みんな驚いていた。
「いいなぁ…あんな美人が奥さんだなんて…」
 レヴァードがため息をついてうらやましがった。
 リィイヴは、セレンがアートランと行ってしまったときにダルウェルが言っていたことを思い出した。
…好きなやつに去られるのは誰でもつらいが、あいつの場合はのめり込み方が半端じゃないから、その分つらさが増す。
 あのヒトに去られたとき、とてもつらかったんだろう。自分だって、もしエアリアにそんなことをされたらひどくつらいに違いない。
「師匠は、ティセア様が自分で決めた生き方をさせてやりたいと言っていました、だから、ここで一緒に暮らすって」
 レヴァードがヴァシルをにらみ付けた。
「おまえ、魔導師が結婚だなんて『決まり』に反するとかふしだらだとかって言って、あの美人をいじめるつもりじゃないだろうな」
 ヴァシルがきっとにらみ返した。
「そんなこと、しません」
 逆にレヴァードにぐっと詰め寄った。
「あなたこそ、ヘンなことを言ったり、ヘンな目で見たりしないでくださいねっ!」
 レヴァードが目をぱちっとさせた。
「ヘンなことって…」
 ヴァシルが顔を真っ赤にした。
「み、みだらなことです!」
 レヴァードがむっとした。
「ヒトの奥さんにそんなことしないぞ、俺は」
 カサンが腕組みしてうなった。
「いやー、わからんぞ、さっきも子どもなら、手を握ってもらえるとかなんとか言ってたしな」
 ヴァンもうんうんとうなずいた。
「俺も覗き見に付き合わされたし」
 ヴァシルが真剣な目つきで顔を近づけた。
「わたしが言ったこと、守ってくださいよ!」
 レヴァードが弱ったなと腕で顔を覆うようにして、ヴァシルの視線を避けた。
「わかった、わかったよ!」
 はあと大きなため息をついた。ヴァシルもふっと息をついて、立ち上がり、棚から書物を持って来た。
 エリュトゥ語なので読めるでしょうと、レヴァードに二冊、カサンに一冊、渡した。
「師匠から、それをよく読むようにと」
 レヴァードが背表紙を見てから、中を開けた。
「医術の書…こっちは調薬の書だ」
 カサンも中を見た。
「空の『理(ことわり)の書』…」
 ヴァシルが戸惑っているふたりに言った。
「わからないことがあったら、聞いてください。教えます」
 レヴァードとカサンが顔を見合わせ、ヴァシルを見た。レヴァードが丁寧に頭を下げた。
「よろしく」
「しかたない、読んでやる」
 相変わらず『へそ曲がり』なカサンに、ヴァンが吹き出して、笑った。リィイヴも思わず苦笑していた。
 こんなひととき、長くは続かないだろうな…。
 このまま穏やかに済むはずはない。パリスの地上への攻撃、エヴァンス所長の啓蒙工作。その上、グルキシャルとかいう集団の脅威。
リィイヴがすっかり暗くなった窓の外を見て、不安にかられるのだった。
(「イージェンと月光の戦姫《いくさひめ》(下)」(完))


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