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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第238回   イージェンと月光の戦姫《いくさひめ》(下)(2)
「…ティセア、無事だったんだな…ルキアスも…」
 ティセアがうなずいて一歩近寄った。
「異端の襲撃のどさくさに紛れて王都を出てきた。ルキアスがとても苦労してここまでつれてきてくれた」
 ぐっと唇を噛んだ。
「イージェン、おまえに会いたかった、会って謝りたかったんだ、イリン=エルンの王宮でわたしは…」
 胸が詰まって言葉が続かなかった。
「そんなこと、今更謝らなくていい。無事であることをウティレ=ユハニの宮廷に知らせるんだな」
 グリエル将軍の屋敷跡で遺体を捜していたと突き放すように言い、肩を回して窓に向かった。
 ティセアが首を振った。
「いや、わたしはもうウティレ=ユハニには帰らない」
 イージェンが止まらずに歩いていく。
「待ってくれ、話を聞いてくれ」
 腕を掴もうとしたが、すっといなされた。窓の前で止まり、振り返った。
「話…いったいなにを話したいんだ」
 怒っている声だ。でも、話さなければ。
「おまえでなくイリン=エルン王を選んだこと、すぐに後悔することになった。でも、それは自分が選んだことだし、ただ、おまえに謝りたいんだ、わたしが悪かった」
 おまえを傷つけてしまってと涙を零した。
「そんなことはもういい。どんな女だって、どこの『馬の骨』ともわからない男より、国王のほうがいいに決まってる。ましておまえは『姫君』だしな。俺がばかだったんだ」
 愛を確かめ合ったのだから、自分について来てくれると思ってしまった、『若気の至り』だったと自分をあざ笑った。
 ティセアが苦しそうな顔を伏せた。
「謝ることもさせてくれないのか…」 
 グリエル将軍との結婚も、自分が望んだことではなく、王妃の非難を避けようとしたリュドヴィク王が仕組んだことで、臣下の妻を隠れ蓑に囲い者にしようとしたのだと話した。
「わたしだって、自分で選んだ生き方をしたかった、でも、いつのまにかそういう話になっていて…」
 床に崩れ落ちた。
「グリエル将軍ではなく、リュドヴィク王の慰み者だったのか」
 髪を振り乱して頭を振った。
「そうなりたくないから、逃げてきたんだ!」
 イージェンが背中を向けた。
「グリエル将軍は夜営を襲撃されて死んだが、リュドヴィク王はおまえに会いに王都に戻ってきていて、かえって命拾いをした」
 乱れた髪の間から涙で濡れた顔を上げた。
「わたしに会いに…」
…結局、待つしかない身か…
 そう嘆いたのをグリエル将軍が伝えたのか。
「リュドヴィク王の気持ちは本物だ。おまえの遺体が見つからないと聞いて泣いていた。生きていると知ったら、喜ぶだろう」
 だから、王のもとに行けとつぶやいた。声が震えていた。
…与えてやる。俺を愛し、俺に愛されるために生きるという意味を…
 リュドヴィク王の熱いささやき、力強い腕。断ち切るように、銀の髪を振り上げてイージェンの後ろ姿を見上げた。
「リュドヴィク王の気持ちが本物だとしても、わたしの気持ちはどうなんだ!おまえが好きだっていう、わたしの気持ちは!」
 ゆっくりと立ち上がった。
「この気持ちを殺して、リュドヴィク王のもとに行けというのか」
大きな背中に抱きついた。
「もう、そんな生き方はいやだ」
イージェンは振り払わなかった。ティセアが背中から大きな身体を囲むように腕を回した。
「おまえが好きだ、イージェン、おまえの側にいたい」 
 やっと言えた。ティセアは湧き上がってくる想いに震えていた。
 イージェンは振り払えなかった。ティセアから流れ込んでくる、熱波のような想い。
 こんなに俺のことを。
 うれしくないはずはない。ただひとり好きになった女だ。自分と一緒に生きてくれないとわかって、つらくておかしくなったくらい好きになった女だ。
 でも…もう俺は…。
「でも…俺は…大魔導師なんだ、もう、ヒトの営みはできないんだ…」
 泣いているような声だった。
「いいんだ、おまえの側にいられれば。こうしているだけで…」
 充分うれしい。
「俺の側にいたら、もっと恐ろしい目に会ったり、つらい目に会ったりするぞ」
 ティセアはこくこくっとうなずいた。
「わかってる。異端と戦っているんだろ?」
 イージェンがしがみ付いている手を取り、振り返った。昔と変わらない青い眼で見上げている。でも、若い頃よりも艶やかさが加わって、いっそう美しい。
「ティセア…」
どうしてこんな想いが湧き上がるのだろうか。もうヒトではないのに。ヒトの身体はないのに。身体があったときの想いが、感覚が、そっくり蘇る。
「ティセア…」
 気持ちが押さえきれず、ぎゅっと抱き締めた。堅く、堅く。息も詰まるほど。
「ティセア、好きだ」
 ティセアもぎゅっと抱きついた。
「わたしも好きだ、イージェン」
 もう離さない。
 もう離れない。
 長く離れていた互いの想いがあざない、ひとつになった。
 
 イージェンは、ティセアにはすぐにでも出発しなければならないので、仕度をしておくようにと言って、アルバロ学院長に会いに詰所に向かった。
 詰所の入口には護衛兵がふたり立っていた。
 イージェンの姿を見て、びくっと身構えた。
「アルバロ学院長、ここにいるな」
 護衛兵はうなずいた。
「大魔導師が来たと伝えてくれ」
 護衛兵たちが目を剥いて顔を見合わせ、ひとりがあわてて中に走っていった。すぐにアルバロともうひとり魔導師がやってきた。
「イージェン様、ようこそ」
 詰所の応接の間に通した。かなり年の魔導師が膝を付いて挨拶した。
「ガーランドのリギルトです、大魔導師イージェン様」
 イージェンがうなずいた。
「大魔導師イージェンだ、無理の出来ない年かもしれないが、がんばってくれ」
 手を取って立たせ、ぎゅっと握った。
「ありがとうございます、力を尽くします」
 アルバロが椅子を勧め、三人で座った。
「ふたりのことで手間を取らせたな。まさか、伝言をおまえに頼むとは、ルキアスもなかなか頭が回るヤツに育った」
 腕っぷしもなかなかのようだしと話した。
「あの…ティセア様には…」
 アルバロが遠慮がちに尋ねた。
「会ってきた。おまえたちにはどのように話したのか」
 アルバロとリギルトが困ったように顔を見合わせた。
「おふたりの昔のことは聞きましたが…わたしたちは聞かなかったことにしますので」
 アルバロが、学院に所属していなかった時期のこととはいえ、今は全ての魔導師の頂点に立つ方なので、ほかのものの目もあるからおふたりのことは伏せていたほうがいいとため息をついた。 イージェンが少し仮面を伏せた。
「また俺や学院の恥を晒すことになるからか」
 アルバロが答えにくそうに下を向いた。
「俺は恥だなんて思ってないが、おまえたちが動きにくくなるのなら、都合のいいようにすればいい」
 アルバロが軽くお辞儀をして、ウティレ=ユハニ王都の様子を尋ねた。
「あの無残なありさま、二の大陸の学院長には、全員見ておくように伝書を出すつもりだ」
 他の大陸の学院長たちにも見せたいくらいだと椅子の肘掛を拳で叩いた。
「マシンナートのモゥビィル部隊は、河を渡るときに濁流に流されてしまったということだ。新しい部隊が来るかもしれないので、バレーの入口付近の北海岸の警戒をさせようと指示した」
 紙を貰い、二の大陸全学院の学院長に向けて指示書として書いた。
「これを遣い魔で送ってくれ」
 伝書用の筒が足りなかったので、アルバロが学院に戻ってから出すことにした。
「明日中には出してくれ」
 できるだけ早く被害のありのままを見ることときつく指示した。
アルバロは了解し、出した後にすぐにウティレ=ユハニに向かうことにした。アリーセ王妃は無事と伝書が来ていたが、国王から見舞いにいくよう言われていたのだ。
「それと、このバランシェル湖の地下にはマシンナートの都がある。近辺には出入り口らしきものはないようだが、湖周辺や湖底を調べてくれ」
 アルバロとリギルトが青ざめた。
「この下に…マシンナートの都があるのですか」
 イージェンがうなずいた。アルバロが床に手を付いた。
「どうか、マシンナートの都を…始末してください…」
 イージェンが立つよううながした。
「いずれ始末するが、すぐは無理だ。今は警戒して、攻撃前に逃げるしかない」
 モゥビィルだったら、まだ逃げようがあるかもしれないが、ミッシレェを打ち込まれたら、王都をまるごと飲み込む範囲は壊滅だ。
 打ち込まれてしまうかもしれないと、不安でたまらない。
…やはり『天の網』が動くかどうか調べる必要がある。
 あまりにいろいろ起きるので、じっくりと調べに行くことができないのかもどかしかった。
「ティセア様はどうされるのですか」
 イージェンがふたりに交互に仮面を向けた。
「俺の側にいたいというから、連れて行く」
 死んだことにしておいてくれと頼んだ。
「わかりました、この大陸のどこにいかれても、落ち着けないでしょうから、そのほうがいいでしょう」
 むしろアルバロがほっとした顔で了解した。
リギルトが気落ちした。仕事のついでならともかく、そうでないのに娘と孫の顔を見に行くわけにはいかなかった。
「ルキアスに会ってから、すぐに出発する」
 周辺や湖底を調べた結果を『空の船』のヴァシル宛に送るよう指示した。
「よろしくな」
 深くお辞儀するふたりを残し、ルキアスのいる仮寝部屋に向かった。だが、いるといわれた部屋にルキアスはいなかった。どこかに出かけたのか。
 そっと浮き上がり、上空から村を眺めた。どこかの家にでも入っていたら、そうそうは見つからない。見つからなければ、手紙でも残しておくかとあきらめかけたとき、湖岸近くの掘っ立て小屋の前にいるのがわかった。扉が開いた。
 少し離れたところに降りた。
「…エルチェにこれを渡してくれ。明日か明後日には出て行くので」
 ルキアスが、小柄な中年の男になにか渡していた。男は戸惑ったように頭を下げて、奥に怒鳴った。
「おい、エルチェ、旦那がおまえにってなにか下さったぞ、出てきて礼ぐらい言え!」
 何かを投げつけてきたらしく、バンッと音がした。男がすまなそうに頭をかいた。
「すんません、なにしろ、あのとおり、がさつなもので…」
 ルキアスが首を振ってから、それじゃあと手を振って、家の前から離れた。
 声をかけようとしたとき、小屋の中から走って出てきたものがいた。
「おい!」
 大柄でがっしりとした身体つきの若い娘だった。胴衣と男がはくようなズボンで、真っ赤な顔で険しい眼をルキアスに向けていた。


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