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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第237回   イージェンと月光の戦姫《いくさひめ》(下)(1)
 朝の光が宿屋の部屋の窓から差し込んでいた。ティセアは、数日ぶりにベッドで寝ることができて、疲れもすっかり取れていた。窓に寄り、大きく開いて、朝のさわやかな風を入れた。窓の下で座り込んでいるものがいた。
「…ルキアス?」
 ルキアスがあわてて立ち上がり、戸惑った顔でお辞儀して走り去って行った。番兵もいたのに、一晩中見張ってくれていたのだ。
「ありがとう」
 ふっと空を見上げた。よく晴れそうな空だった。
 ルキアスは詰所に戻り、厨房で朝飯はいいと断って茶だけ貰った。
「おはよう、よく眠れたか」
 あの兵士長が夜勤明けだと朝飯を貰っていた。
「いえ、姫様の見張りしてました」
 番兵がいただろうと呆れたが、忠誠心に感心していた。兵士長の部屋で一緒に食べることになった。持ち帰りの料理をもっていき、兵士長にも勧めた。滅多に食べられない鹿の炙り肉、山鳥ののゆで卵、魚のチーズ焼き。
「ずいぶんと奮発したもんだな」
 先日も湖に大魔導師の『空の船』というものが来たらしく、もてなそうと大変だったようだと話した。
「でも、もてなしは受けなかったのでは」
 そのようだったと兵士長が首を折った。ふたりで料理をつまんだ。
 兵士長は今回異端を警戒するために王都から派遣されてきた王立軍だった。
「俺はバウティスだ」
 ふるさとはどこだと聞かれたので、ナルヴィク高地だと答えた。
「ナルヴィクか、俺はパリムだ」
 パリムはナルヴィクの南側の地方だ。
「あちこち回されることが多くてな、なかなか落ち着けん」
 食べ終えて茶を飲んでいると、兵士が指令書を持って来た。
「夕方まで休めそうだ」
 これから寝ると手を振った。ルキアスも仮寝部屋に戻り、横になった。
 少しだけ休むつもりだったのだが、ぐっすりと寝てしまって、目が覚めたのは夕方だった。
「うわっ!」
 あわてて井戸で顔を洗い、宿屋に駆けていった。
「姫様!すみません、寝過ごしました!」
 部屋で村長の娘となにか縫い物をしていたティセアが苦笑した。
「ゆっくりしていてよいのに」
 キレイに洗った絹の寝間着を直しているようだった。
「こんなものでもこの娘が婿を迎えるときに着たいというのでな」
 本当は絹糸でないとキレイにいかないが、木綿の細い糸で繕っていた。
村長にはこの娘しか子どもがいないので、村の若者を婿に迎えて、後を継がせるのだという。
「俺の母親も村長のひとり娘で、州兵だった父親が軍人を辞めて婿になったんです」
 いずれ村長を継ぐはずだったがと言葉を詰まらせた。
 外が騒がしくなった。ルキアスが剣を抜いて構えた。
 扉の外で何人かの声がした。
 扉が叩かれ、魔導師のリギルトが声をかけた。
「リギルトです。学院長が来ました」
 ルキアスが剣を納めて扉を開いた。
「入ってください」
 リギルトに続いて、同じような灰色の外套をすっぽり被ったものが入ってきた。頭巾を後ろに落としてティセアをしげしげと見つめた。
「アルバロ学院長、ひさしぶりです、ナルヴィクのルキアスです」
 よく来てくれましたと胸に手を当ててお辞儀した。アルバロが目を向けた。
「ルキアスか、ずいぶんと見違えたぞ」
 あのころはまだ小僧だったのにとため息をついた。父親を殺し、みんなを高地に閉じ込めようとしたアルバロたちを怒りで震えながら睨みつけていた。よく見るとその面影が残っていた。
 アルバロが椅子から立ち上がったティセアの前で丁寧にお辞儀をした。
「ティセア様、ガーランドの学院長アルバロです」
 ティセアのことはよく知っていたが、会うのは初めてだった。ティセアがゆっくりと顎を引いた。
「この非常事態に呼びつけるようなことをして申し訳なかった」
 アルバロはとんでもないと手を振った。
 村長の娘を下がらせて、アルバロとリギルトに椅子を勧めた。ルキアスはティセアの椅子の後ろに立った。
「異端の攻撃を逃れてこられたそうですね、大変だったでしょう」
 グリエル将軍と結婚したことは、アリーセ妃の侍女長が定期的に寄越す伝書でガーランドにも伝わっていた。
「ところで、わたしに話があるというのは…」
 そう言ってルキアスを見上げた。ティセアが振り返ってルキアスを見た。うなずいたルキアスが話をした。
「学院長様にお願いがあります、大魔導師イージェン様に連絡を取ってください、姫様のことで話があるって」
 アルバロが戸惑い、首を捻っていた。
「イージェン様が大魔導師だと、何故知っているんだ?」
 ダルウェルに一の大陸で働かないかと誘われたときに聞いたと答えた。
「そうだったか、それで、イージェン様にティセア様のことで話というのは」
 それは…と話しにくそうなルキアスをティセアが手で制した。
「わたしが自分で話す」
 八年前、ラスタ・ファ・グルアがイリン=エルンに占領され、父キリオスは戦死、自分も捕らわれてしまい、残った州民を助けたかったら、イリン=エルン王に身を任せろと迫られて、やむをえず側室になった。ほどなく身籠ったが、王が州民たちの殺害を命じたというので、王宮を逃げ出し、民たちが隠れ住んでいた村に行った。はたして、民たちはみな殺されていて、追ってきた王宮護衛隊隊長に殺されるところを助けてくれたのが、イージェンだった。
 他の大陸から来た男で、身重の自分を山奥の小屋に匿って、世話をしてくれ、腹の子の父親になりたいと求婚された。本人は隠していたが、魔導師、それも特級であることはわかっていた。ひとりで育てられないし、国や学院からも追われているので、魔導師ならば庇護者としてこれ以上ない。求婚を受け入れて、夫婦となった。なんとか子どもも無事に産まれ、キリオスと父の名を付けた。
 産まれてひとつきが経ったので、三人で国外に逃げようとしたとき、学院長や父の部下だったものと出くわした。学院長によれば、州民を殺したのは、追ってきた護衛隊長が勝手にしたことで、王の命令ではなかったと言われ、イージェンを置いて王宮に戻った。
「イージェンは王宮まで追ってきて、三人で一緒に逃げようと言った…でも、キリオスは国王のたったひとりの男のお子だし、そのときは、国王もわたしを妃にしてくれる、ラスタ・ファ・グルアの州名も残すと言ってくれた。だから、残ったんだ。結局、キリオスは取り上げられて、名前も変えられ、妃にもしてもらえなかった」
 アルバロもリギルトも難しい顔をしてうなっていた。
 アルバロが眼を伏せた。
「ナルヴィクの『災厄』の何年か前ですね。イージェン様は、トゥル=ナチヤからこの大陸に来て…ティセア様と出会った…」
 先だってウティレ=ユハニの侵略が始まる前、リュドヴィク王に身を任せて、侵略を思いとどまらせろと密書を持たされウティレ=ユハニに向かわされた。関門の街で捕まり、不埒なことをしようとした傭兵たちから助けてくれてグリエル将軍の元に連れて行ってくれたのがルキアスだった。
「グリエル将軍は、わたしが密書を届けても、戦争は回避できないと」
 結局心の支えにしていたキリオスも敗戦国の王としての責任を取って、自害させられた。終戦まで匿われていて、将軍と結婚させられたのだと話した。リュドヴィク王のことはさすがにまずいだろうと、伏せた。
「そうでしたか…おつらい目に会われていたんですね」
 アルバロが気の毒そうに目を落とした。
「ウティレ=ユハニの王宮でイージェンと再会したのだけれど、詳しく話す間もなく…」
どうしても、イリン=エルンでのことを謝りたいので、襲撃の混乱を利用して逃げてきたと話し終えた。
 アルバロはしばらく考え込んでいた。あまりに長かったので、不安になったルキアスがおそるおそる声をかけた。
「学院長様…イージェン様に伝えてもらうの、だめですか…」
 アルバロがいやと手を振った。
「お伝えしよう」
 ただ、ティセアが話をしたいとルキアスとともにガーランドにいるとだけ送るからと言った。
「たしかにティセア様と出会われたときは、学院に所属していなかったのですが、今は全ての魔導師の頂点に立つ方なので、ほかのものの目もありますから」
 自分もリギルトも聞かなかったことにしておくとお辞儀して部屋を出た。
「大魔導師様は、この大陸に向かっておられる?」
 リギルトがアルバロに尋ねた。アルバロはうなずいて、扉を振り返った。
「困ったな、イージェン様に会われるのはいいとしても、その後、わが国にいていただくのも難しい」
 ラスタ・ファ・グルアの戦姫はあまりにも名が知られている。ひそかに暮らしてもらうにしても、またイリン=エルンでの幽閉状態と同じようになるだろう。あるいは、聞きつけて手に入れようと他国からも王族や貴族、軍人が訪れて面倒なことになるかもしれない。
「一の大陸に行ってもらったらどうか。ダルウェルがいるガーランドなら、知られていないだろうし」
 リギルトがよかったら送っていくがと言った。
「ついでに孫の顔、見たいのか」
 アルバロが顔をしかめた。リギルトが申し訳なさそうにうなずいた。
ダルウェルと一緒に学院から放逐されたマレラは、リギルトが巡回中にある村の女と過ちを犯してしまって出来た子どもだった。ダルウェルとともに追放されてからしばらく消息が知れなかったが、所帯を持ったと聞いたときはそれもまたいいことかもと思っていた。ふたりの間に子どもが出来ていて、女の子だったとアルバロから聞かされ、こっそりでいいから見てみたいと思ったのだ。
「もちろん、名乗りはしないから」
 アルバロがやれやれと呆れた。
「異端の騒動がどうなるか」
 それが落ち着いてからだと話しながら、詰所に向かった。

 翌日ティセアは、昼の間は村長の娘においしいお茶の入れ方やちょっとした行儀作法などを教えてやって過ごした。夜になって、小さな鏡を花瓶に立て掛けて櫛で髪を梳いた。
 その小さな鏡の隅に灰色のなにかがぼおっと写っていた。はっと振り向くと、灰色の外套をすっぽり被った大きな身体が立っていた。椅子から立ち上がった。
 灰色の頭巾の下に眼も鼻も口もない、わずかに目の部分に窪みがあって、鼻の部分が盛り上がっているだけの仮面が見えた。ティセアが青い眼を見張った。
「…イージェン…」
 仮面が静かに見下ろしていた。


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