レスキリが少し膝で横に退くと、リュドヴィク王が片膝を付いた。深くお辞儀をして少し震えていたが、がばっと外套が浮き上がるほどの勢いで両手を地面に付けて額を押し付けた。 「過日の無礼の数々、お詫びいたします、どうか、ウティレ=ユハニの国と民に力をお貸し下さい!」 周囲も国王のこんな姿は初めて見た。驚きのあまり、固まっていた。最敬礼する国王の横に少し足を引きずった女が座り、同じように額をつけた。 「王妃アリーセです、大魔導師様、どうか、わが国にお力を…」 イージェンは腰を折り、両手でふたりの腕を取った。 「立ってくれ」 アリーセはすぐに女の魔導師が手を取り、支えた。 「王妃陛下は足を痛めたのか、具合はどうだ」 女の魔導師が、魔力で治療しているのでしばらく安静にすれば治ると思われると返事をした。 「気持ちは受け取った、休んでくれ」 アリーセがほっとした顔で下がっていった。 「陛下は怪我などしなかったのか」 リュドヴィク王がうなずいた。 「俺は大丈夫だが…」 大勢死んだと目をつぶり唇を噛んだ。レスキリが事前に国境砦襲撃を報せてくれたのに、うまく伝わらなかったとくやしそうに話した。 「ユリエンはどうしたんだ、怪我でもしたのか」 レスキリが話しにくそうに下を向いている。リュドヴィクが大きくため息をついた。 「アサン=グルア離宮の地下室で、探し物をしていたらしく、伝書を受け取るのが遅れ、こちらに来たのは襲撃の翌日昼すぎだった」 しかも来るなり、アサン=グルアに遷都するべきだと言い出して、リュドヴィク王と衝突したのだ。 「王都はここしかない。この無残なありさまを置いて、逃げるようなまねはできない」 すると、ユリエンは、怒ってアサン=グルアに戻ってしまったのである。 「三の大陸からの使者にも会わなければならないからと」 ランスの王女と従弟のカイルの縁談は、おそらく破談になるだろうがとため息をついた。 「そういえば、あのときの従弟は」 「ガニィイルは死んだ」 屋敷が爆撃され、父親の大公やほかのいとこたちも一緒に亡くなった。 「カイルはアサン=グルアにいたので、助かったが、ほかのおじやおばたち王族や大公家もかなり亡くなっている」 ちらっと周囲を見回した。 「…グリエル将軍だったか…どうした」 リュドヴィク王が目を赤くした。 「アサン=グルアに移動中だったが、その夜営も襲撃されて…死んだ…自分は王都に戻って来ていて」 爆撃は受けたが、なんとか命拾いした。夜営にいたら一緒に死んでいただろうと声を詰まらせた。 「陛下は王都に戻っていたのか」 レスキリのもってきた途中報告の書面を見ながら尋ねた。どことなく気まずそうにうなずくリュドヴィクに女にでも会いに来ていたのかもとそれ以上は尋ねなかった。 すっと影が降りてきた。 イージェンが書面に仮面を向けたまま、話しかけた。 「リンザーだな」 リンザーがさっと片膝をついて、お辞儀した。 「クザヴィエ学院学院長リンザーです。大魔導師様」 仮面を見上げている顔に向けた。 「大魔導師イージェンだ。おまえのことは、ダルウェルから聞いている。今回もよく動いてくれているようだな、助かる」 リンザーが深く頭を下げた。 「マシンナートの動きについて報告したいことがありますが、少しお待ちを」 そう言って、リュドヴィク王の側に寄った。 「屋敷は、ひどく破壊されていて、何人かの遺体らしきものはあったのですが、その…夫人のご遺体の確認は出来ませんでした」 リンザーがこそりと報告していた。リュドヴィク王がぐっと唇を噛み、拳を堅く握った。 「そうか…あのとき、屋敷から逃げられたものはいなかった…せめて遺体だけでもと思ったんだが…余計なことを頼んですまなかったな」 いえとリンザーが首を振って、軽く頭を下げて離れた。リュドヴィク王が手で顔を覆って肩を震わせた。嗚咽を堪え切れない様子だった。 イージェンが、その様子を見ていると、リンザーがレスキリとやってきた。ひとけのないところまで案内された。 「マシンナートの攻撃部隊は、リタース河を渡って、侵入してきました」 隣国のハバーンルークにあるアプトラス平原あたりに隠していて、そこからやってきたようだった。 「ハバーンルークの学院は何をしていたんだ」 おそらくは昨年、あるいはそれ以前から入り込んでいたはずだ。 「ハバーンルークの学院は特級が三人しかいないのです。それでスケェエルの番だけでも手一杯なのです」 巡回も測量もなかなかできていないようすだという。 「王都を襲撃したあと、マシンナートたちはリタース河に戻っていきました」 王宮で瓦礫に埋もれたものたちを救出したりしてから、再度追いかけていくと、車列は水に押し流されていた。 「河に落ちたというのか?」 確か浅いところでないとさすがに渡れないだろうとリィイヴたちが言っていた。 「いえ、どうやら、乱水脈に流されたようです」 イージェンが首を捻った。 「『乱水脈』か…ずいぶん都合よく起きたものだな」 リンザーが言いにくそうにしていたが、声を低くして話した。 「『乱水脈』については確認していませんが、ジェトゥが、マシンナートの飛行物五台を破壊していました。それと、マシンナートのアウムズは始末したからと」 もしかしたら、ジェトゥが『乱水脈』を誘発して、モゥビィルを押し流したのかもしれないとリンザーは睨んでいた。 イージェンが絶句したようだった。しばらくしてようやく戸惑った声を出した。 「ジェトゥが…いったいどういうつもりで…」 リンザーもよくわからないと首を傾げていた。 「イリン=エルンを放置したことも、わたしにはわからんだろうと言っていました。そして、本来あるべきところに戻ると」 イージェンが仮面を伏せた。 「イリン=エルンの素子記録庫に最新の記録簿がなかった。おそらくジェトゥがもっていったんだろう」 「ということは…」 思い当たってリンザーが目を険しくした。レスキリが意外だと戸惑っていた。 「あまり感情など外に出さない方でした。むしろ、冷淡で、学院の者以外では、亡き王太后様ぐらいしか話をすることもなかったです」 イージェンがそのうち落ち着いたら、探そうとジェトゥの話は打ち切った。 「ジェトゥが始末した以外のマシンナートのアウムズがあるかもしれない。警戒は緩めるな」 大陸の地図が残っていたらもってこいと命じた。レスキリが少し待っていてほしいと探しにいった。その間にとリンザーが尋ねてきた。 「ダルウェルたちは元気ですか」 マレラは赤ん坊の世話ができているのかと心配そうだった。カーティア国王の側近の母親のところで世話になっているので、心配ないと話してやった。 「そうですか、それならよかったです」 笑うと優しい女の顔付きになる。魔導師でなければ、エアリアのように『引く手あまた』というやつだろう。 「さっき、リュドヴィク王に報告していたのは」 リンザーが困ったようすで目を伏せた。 「グリエル将軍夫人のご遺体を捜してほしいと頼まれまして…でもみな損傷がひどくて確認できませんでした」 …もしや、リュドヴィク王が王都に戻って来ていたのは… 逃げたようすはないというのが本当なら、ティセアは…。おそらくルキアスも。 イージェンが仮面を逸らした。レスキリが戻ってきた。なんとか残っていたと地面に広げた。 「ここにマシンナートのバレーがある」 ガーランドのナルヴィク高地から北西に五百カーセル、七百カーセルほどのそこから北海岸に指を走らせた。 「この位置までバレーから地下軌条通路が通っている」 バレーが地下にあることはわかっていたが、位置までははっきりわかっていなかった。 「セクル=テュルフのバレー・アーレは最悪の事態に備えて、一部切り離して脱出するようになっていたが、このバレーではどうなのかわからんな。アーレのようにバレーの一部が海中に出られるような広い通路ではないだろう」 リンザーが顎に指を当てて考え込んだ。 「この位置は…バランシェル湖の地下ということですね」 入り口は北海岸のはずだが、バランシェル湖の警戒もしたほうがいいとアルバロに言いつけることにした。入り口の北海岸は旧イリン=エルンの領土なので、旧イリン=エルンの学院のものを交替で置くことにした。 「ユリエンに訓諭していきたいが、のんびりしてもいられないんだ」 四の大陸でのグルキシャルの『乱』を鎮めなければならないのだ。 「グルキシャルは、この大陸ではほとんど見られませんが、それでも警戒はしなくては」 レスキリが悩ましげにため息をついた。 「こうもあちこちにいっぺんに起こると、ひとりではどうにもならない、今さらながらに、ヴィルトの言葉が思い知らされる」 イージェンも深いため息をついた。 …ひとりでできることは少ない。大勢のために力を尽くすためには、組織の力も必要であること、君であれば理解できるはず。 組織の力を使いたい。なかなかうまくはいかないが、それでも、少しずつ、自分と共に力を尽くしてくれるものが増えている。それがうれしかった。 バサッバサッと羽ばたきながら遣い魔がやってきて、イージェンの肩に止まった。足の筒の中を開けて読んだ。 しばらく紙面に仮面を向けていたが、伝書はシュッと煙のように消えた。 「…ガーランドに寄って…バランシェル湖を警戒するよう、アルバロに言ってから帰る」 逐次報告の伝書を『空の船』のヴァシルに送るよう指示した。 「俺はあちこち移動するから、遣い魔が迷うといけないからな」 急ぎの場合は、ヴァシルから転送してもらうことにした。 「また来るが、しばらくはおまえたちでがんばってくれ」 レスキリとリンザーがそろってお辞儀した。 (「イージェンと月光の戦姫《いくさひめ》(上)」(完))
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