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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第233回   イージェンと月光の戦姫《いくさひめ》(上)(1)
 異端の襲撃を受けたウティレ=ユハニ王都から、辛くも逃げ出したティセアとルキアスは、翌日の昼、ようやく馬を止めて休むことにした。途中何度か停まったりはしたが、ほとんど走り続けで、馬も二人乗りの上かなり無理をさせたので、そうとう疲れていた。
「もう一頭買えないか。私は乗れるぞ」
 ティセアが案を出した。ルキアスがさきほど近くに村があったので、譲ってもらうと、近くの林にティセアを残して向かった。湧き水の側だったので、馬に充分水を飲ませてやると、自分で足元の草を食んだ。少し曇ってきた。雨が降るかもと空を見上げた。
 まもなくルキアスが戻ってきたが、空身だった。
「ここの村、廃村です」
 おそらく『災厄』か、災害か、疫病か、もしくは戦乱などで村が滅んだのだろう。
「そうか、このままで国境までいけるか」
 国境付近には関門の街がある。
「国境は、バランシェル湖の手前です。なんとか越えられれば」
 後はバランシェル湖を越えて王都に向かえばいい。ルキアスが顔を赤くして下を向いた。
「それ…寝間着ですよね」
 白絹の寝間着だ。言われて急に恥ずかしくなった。思わず肩を自分で抱いた。ルキアスが外套を外して、ティセアを包んだ。
「関門の街まで我慢してください」
 幹道を通るのは難しい。もしかしたら、ガーランドからの派兵があるかもしれない。それに、どう見ても不審者だ。出くわして捕まったりしたくなかった。
 少ししてからまた馬を駆った。夜まったくの暗闇なので動くことができず野営した。 小さな焚き火だけつけて、ルキアスが見張り番をした。
…こんなふうに…ふたりで逃げ回るようなことをしていると。
 思い出される、イージェンと廃村から逃げたときのことを。
…イージェンに会えたら。
 あのときのことを謝って、いつのまにかこんなことになっていたことを話そう。ルキアスの言うとおり、きっとわかってくれるはずだ。
 あまり眠れないと思っていたが、疲れもあり、ぐっすりと寝てしまっていた。日が昇ったらしく光で目が覚めた。
「姫様、行きますけど…」
 仕度はいいですかとルキアスが声を掛けてきた。湧き水で顔を洗うからと起き上がった。水を飲み、顔を洗って、そっと薮の陰で用を足した。
 日のあるうちに少しでも先に進もうと馬に無理をさせた。夕方、かなり息を荒らしていたし、少し足を痛めたようだった。
「一晩休ませてもこの足だとあまりもたないかも」
 山道でしかも二人乗りだったので、余計に負担が掛かったのだ。ルキアスが簡単な地図を広げた。将軍宅にあったものを書き写したらしい。
「関門まであと少しですから」
 明日朝からは、自分は歩くので、とにかく国境関門まで行きましょう、関門の街ならば馬も買えるからと早めに休むことにした。堅パンと水だけの食事だったが、少しもみじめではなかった。
 木に寄りかかって身体を楽にしながらルキアスが話し出した。
「俺、イージェンに一の大陸で働かないかって誘われてたんです」
 高地の村びとを助けてくれた魔導師のダルウェルがわざわざ誘いに来てくれたのだ。
「そのときは将軍閣下の下で働きたかったから断ったんですけど」
 ティセアが差し出してくれた水の筒を受け取った。
「そうか、今からでも遅くないのでは」
 ルキアスが首を振った。
「雇われ兵になったのは、軍人になって金を稼ぎたかったからだけど、ガーランドの王立軍はとうさんを殺したので、入りたくなかったんです、でも」
 州兵になって、ふるさとを守りたいとつぶやいた。
「無法者や乱暴なやつらがいるし、異端のこともあるし」
 ティセアがうなずいた。
「そうだな、そのほうがいいかもしれない」
 ルキアスが今夜も見張るから休んでくれと言った。
「三晩も寝ずの番は無理だろう」
 目がはれぼったくて顔色が悪かった。
「いえ、焚き火は付けておかないと」
 獣が近寄ってくると周囲を見回した。
「少しでも休め。私が起きているから」
 なにかあったら起こすからと言うと、ほっとした顔で目をつぶった。やはり相当疲れていたのだろう。すぐに寝息を立て始めた。寝顔はまだ幼くて、かわいいものだなと、気持ちがなごんだ。
 夜空を見上げた。なんとか雨には降られずに済みそうだった。薄曇の雲の向こうに月がぼんやりと見えた。
 翌日の夕方、ようやく関門の街近くまでやってきた。街外れの農家の納屋に泊めてもらうことにして、ルキアスひとりで馬を買いに街に向かった。
 農家は年のいった夫婦とその息子夫婦の四人で、嫁が白湯を持ってきた。外套を被って顔を隠していたティセアに差し出した。
「ありがとう」
 礼を言ったティセアをじろじろと見ている。どうやらティセアの着ている絹の寝間着が気になるようだった。出て行くと、亭主に耳打ちした。
「ずいぶんと上等な寝間着着てるよ、あの女」
 絹じゃないかと言うので、三十すぎの亭主が首をかしげた。
「妙なふたりづれだと思ったが、寝間着とはもしかして」
 金持ちの娘か奥方と若い使用人が駆け落ちでもしてきたのではと邪推した。
「警邏隊に知らせたほうがいいかも…」
 亭主が父親に相談に言った。父親は、ふたりづれを見ていなかったが、様子を聞いて、知らせろと言いつけた。
「やっかいごとはごめんだからな」
 亭主がこくっと首を折って、外に出て行った。
 ルキアスは、馬を買おうと街にやってきたが、馬の市は月に二回で、今月はあと十日先だという。市でなくても譲ってくれるところはないかと聞いて回った。
「馬は軍や執務所がうるさいから、市じゃないと買えない」
 馬はいつも用意されていたので、そういうことになっているとは、気が付かなかった。
 国境を越えて湖を渡ってから、ガーランドで手にいれるしかないようだった。
「湖はどうやって渡ってるんだ?」
 尋ねられた水売りの男は、ふっと頭を上げた。
「渡り船が毎日出てたんだが、このところ、なにかあったらしくて止められてるよ」
 魚を獲る漁師の船くらいしか出ていないらしい。
…ガーランドで戒厳令でも出たのかも。
 学院を通して他の国に異端襲撃は伝わっているだろう。逆にウティレ=ユハニ側がのんびりとしているのは、まだ王都も混乱していて、国内に報せなどが行き届かないからではないか。
 ルキアスは馬を諦めて農家に戻ろうとして、ティセアの服を買わなければと思いついた。だが、もう夜なので、服の店は閉まっている。明日朝出直すことにした。
 農家の納屋の隅で身体を休めていたティセアが、外に馬とヒトの気配を感じた。納屋の中になにか打ち物がないかと腰を低くして捜した。天秤棒があったので、それを握った。
「…今は女がひとりです、男のほうは街に何か買いに行きました」
 ひそひそと話し声が聞こえる。この家の息子のようだった。
「…とにかく、上等な寝間着何ぞ着ていて。顔は見られないように布被ってましたよ」
 嫁の声。
「…このへんでは見かけないものたちなんだな」
 低い男の声に別の声がかぶさった。
「この亭主によれば…駆け落ちではないかと」
 ふむとうなずいたようだった。
…まずい、駆け落ちに間違えられたか。
 掴まって身分がわかってしまうのもまずいし、ばれなかったとしても、ふたりとも晒し者にされるかもしれない。
 どこか逃げる道はないかと納屋を見回した。ルキアスの荷物袋を背負って裏の窓に寄った。裏にまで回っていない。長い裾をたくし上げて腰のところで縛った。白い脚があらわになったが、この際気にしていられない。窓をそっと開けて、飛び出た。同時に背後で扉が開いた。
「おい、女、警邏隊の『改め』だ!」
 誰もいないと見回した警邏隊の男が、窓が開いているのに気づいた。
「逃げたぞ!」
 あわてて外に出て裏に回る。息子夫婦がおろおろとしていると、老夫婦も出てきた。
「どうしたんだ!」
「とうさん、あの女逃げたみたいだ」
 馬のいななきが聞こえてきた。警邏隊が乗ってきた馬がガッガッとひづめの音を立てて走り出した。
「馬を盗られたぞ!」
 馬は四人の前を駆け抜けて行く。馬上には白い寝間着と長い銀髪を翻した美しい女が乗っていた。警邏隊の兵士がすぐに馬で追いかけた。もう暗くなっているし、始めての道のせいで、あまり速度を出せなかったので、追いつかれてしまった。
「おい!停まれ、停まらないと引き摺り下ろすぞ!」
 怒鳴り声がすぐ側で聞こえる。ふっと振り向くと両脇からふたりほど近づいていた。右側の男が手を伸ばしてくる。ティセアが天秤棒を振り上げた。
「はっ!」
 バシッと伸ばしてきた手を払いのけ、素早く水平に払って、腹を叩いた。
「ぐぁっ!」
 ぐらっと揺れて馬から落ちた。左側にも迫ってきた。左手に持ち替えて馬の横腹を天秤棒の先で刺すように突いた。
「ブルルルルッ!」
 馬が痛がって暴れ、騎乗者は押さえきれずに落馬した。
「わあぁっ!」
 ティセアは振り向きもせず、ひたすら前方にわずかにぼやっと見える街の明かりを目指した。
 前からヒトがやってくる。夜道を走ってくる馬に道の真ん中で身構えた。
 脇に逸れようとしたとき、声がした。
「姫様!?」
 あわてて停めた。
「ルキアス!早く乗れ!」
 呆気にとられていたが、すぐにティセアの後ろに飛び乗った。
「どうしたんです!」
 ルキアスがティセアの背中の荷物袋を取って背負った。
「駆け落ちと思われて、警邏隊に通告された、捕まったらまずい」
 ルキアスが驚いた。
「か、駆け落ちぃ?!」
 恥ずかしくてかあっと顔が赤くなった。胸がどきどきしている。落ち着けと胸を押さえた。
「この馬、返さないといけない。警邏隊詰所の近くにつないでおこう」
 ティセアが街の入口近くで停めた。
「もう服屋が閉まっていたので、明日買おうと思ってました。でも」
 ルキアスが、関門で通行証を使うような状況ではなくなったので、このまま国境を越えてしまおうと言い出した。関門から少し迂回すれば塀がなくなるので、越えられる。
「湖の渡り船も今は出てないそうです。漁船とかに乗せてもらうしかないです」
 ルキアスが馬を詰所裏手の小屋の取っ手に繋いだ。ティセアを追っていた連中はまだ戻ってきていなくて、詰所には夜番しかいなかった。
「行きましょう」
 ルキアスがさっさと歩き出した。ティセアは裸足のままなので、石がごろごろしている道が歩きにくかったが、天秤棒を杖の代わりにして、なんとかついていこうと懸命に歩いた。足の裏が傷だらけになり、血が滲んできたが、それでも歩き続けた。何度も転んだが、その度に懸命に立ち上がった。
…大丈夫だ、このくらい。なんでもない。
 がんばろう。イージェンのところに行くんだ。
…ティセア、好きだ。
 あの声が聞きたい。
 そういえば、一度も言ったことなかったな、イージェンのこと、好きだって。
「会ったら言わなきゃな」
 ルキアスが呼ばれたのかと足を止めて振り返った。
「姫様?」
 ティセアが首を振った。
「なんでもない、先を急ごう」
 塀が途切れ、暗闇になった。袋から灯りを出して中の蝋燭に火打石で火を点けた。塀から三カーセルほど過ぎてから、湖に向かって緩やかな崖を降りていく。この崖の途中が国境だ。崖は薮になっていて、今度は足元に朽ちた木の枝や葉、草が生えていていた。今度は足の裏だけでなく、草で脛が切れた。
「こっちです」
 ルキアスが手招いた。降りる道かと踏み出した。足元がずぼっとはまった。
「あっ!」
 ふわふわと草が重なっていただけのところを踏んでしまった。


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