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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第231回   イージェンとエトルヴェールの新都【ジェナヴィル】(下)(3)
 アートランは食べたとたんに気持ちが悪くなったが、なんとか食べられるだけ食べた。パルアーチャは、最初に歯を立てたとき、身体が痺れて痛みは感じなくなっているはずだった。
 アートランが血溜りとなった水槽から上がったとき、口からは血が滴り、顔も手も胸も血だらけだった。水槽棟を出て、湖で体を洗った。
腹がぱんぱんに膨れていた。消化を始めたが、食べた魚の肉や骨が棘のようにチクチクと胃の壁を傷つけてきた。
「ぐっうっ!」
 のけぞるほど痛い。胃の辺りに魔力で光らせた手のひらを置き、さすった。
…俺の胃!消化してやるんだ、そいつを!
 いくらさすっても痛みは消えない。むしろますます痛みが強くなっていく。背を逸らし腹を折って耐えた。
「いっつぅ…!」
 身体が取り入れることを拒んでいるのだろう。吐きそうになるのを必死に押さえた。次第に消化されていき、胃の壁に吸い込まれていく。すさまじい勢いで魚であったものの粒が、どくどくと血の中に入り込んでいく。粒には棘が生えていてチクチクとその血の道の壁を傷つけていく。痛みは全身に広がっていった。歯をくいしばった。
 やがて、その粒は身体のあちこちに到達した。
…ひとつになるんだ、ひとつに!…
 粒がパシッパシッと弾け、アートランの血となり、肉となり、筋となり、骨となり、身体の力となっていった。
 そうして、何時間か痛みにのたうっていたが、白々と夜が明けてきた。ようやく消化できたようで、腹がすっきりしていた。
 急いで宿舎に帰り、荷物袋を身代わりにして掛けていた掛け物をめくり、横になろうとした。胸のあたりに違和感を感じた。イージェンに付けられたただれのあたりから胸に掛けて、ささくれだった感じがした。首を折って見てみた。
「これは…」
 ただれの下あたりから皮膚が堅く黄色っぽく変化していた。円盤状のものがびっしりと重なり合っているように見える。
「あいつの鱗みたいだ」
 左胸と左の二の腕までを覆っていた。変えられた身体の粒を消化したときに分離した毒素が皮膚を変えたのだろう。アートランはいとおしそうに撫でた。
「きれいだな」
 窓から差し込む朝日が当たって、いっそうきらめいていた。
 服を着て、廊下に出た。何人かのマシンナートが行き来していて、あわただしい様子だった。ひとり捕まえた。
「あの、カトル様は」
 そのマシンナートは怒った顔をした。
「プラントで事故が起こって向かったよ」
 部屋に戻り、窓からプラントのある方角を見上げた。
「あんたに迷惑かけることになったけど」
 それはしかたないなとふっと唇を歪めた。
 
 カトルはあまり眠れずにいたところに、緊急の通信が入り、急いで支度し、プテロソプタの操縦士を叩き起こした。
「第二養魚プラントで火災事故だ!」
 操縦士もあわてて飛び起き、発進した。
『カトル助手、あれ!』
 真っ暗な密林の間に真っ赤な火と黒い煙が立ち昇っていた。いくつかある水槽棟がかなり激しく燃え上がっているので、少し離れたところにある臨時の離着陸場に降りて、モゥビィルで駆けつけた。
「カトル助手!」
 場長がうろたえていた。消火班によって消火活動はされているが、思うように進んでいないようだった。ようやくプテロソプタからも消火液をまき始めた。
「どうしたんだ、まだ消えないのか!」
 そのとき、まだ燃えていなかった水槽棟が爆発した。
 バァアアーン!
「うわっ!」
 爆風を避けるために地面に伏せた。おそらく水槽に設置している圧縮酸素のタンクが爆発したのだろう。
「どうも、最初の火事もタンクに引火して爆発したようです!」
 実験水槽棟だったという。隣のふたつの水槽棟も燃えていた。硝子の筒が熱で割れているようで、ガシャーンという音が絶え間なく聞こえてくる。
「ここの消火班だけでは無理だな。せめて周辺に燃え移らないようにしないと」
 湖の水をポンプで汲み上げて周囲に散水するよう指示した。
「消火液が足りないんだ!すぐに運んで来てくれ!」
 カトルが、湖の対岸にある第一養魚プラントに連絡した。ラカンユゥズィヌゥにいるエヴァンス所長にも連絡した。すでに場長から連絡はいっているが、あらためてカトルが音声通信しようとした。
「繋がらない。エヴァンス所長とは連絡とれたんだよな?」
 隣にいる場長に言うと、やはり繋がらなかったので、ユゥズィヌゥの中央管制室に連絡し、エヴァンス所長に電文を送ったという。
「とにかく消火を急ごう」
 ポンプを三台湖へ運び、汲み上げて、パイプで送る。カトルが到着してから、指示が行き届き、対岸のプラントからも作業員がやってきた。
 なんとか類火は防げたようで、五つある水槽棟のうち二棟、実験水槽棟一棟がほぼ全焼していた。水槽棟一棟が半焼、管理棟の一部が燃えた。夜が明けていた。
 みんな疲れきって座り込んでしまっていた。カトルが管理棟の作業員にカファを配るよう言い、再度エヴァンス所長に通信してみた。エヴァンスに火災事故の報告をしようとしたが、遮られた。
「…今そちらに向かっている…」
 お待ちしていますと切った。当然だがそうとう機嫌が悪い。
「北ラグン港の作業員をこちらの後始末に回してくれ。警備隊は残していい」
 北海岸の港の作業員を呼び寄せることにした。荷物牽引車や大型資材運搬車などを建設部から回すよう手配した。事故調査もしなければならない。
アートランが、近くの木の上からその様子を見ていた。
魚があまりに大きくて、食い尽くせなかったので、残りを焼いて灰にしてやろうと思い、硝子窓を切った水晶の矢じりを飛ばしてタンクを爆発させたのだ。
アートランは、アダンガルが近づいているのを感じた。
 心を読んで見ると、薄くもやが掛かっていた。『理(ことわり)』を守らなければという気持ち、民を飢えや貧しさ、無知から救える「ほんの少しの…」。そのせめぎあい。
…くもりがないあなたが好きなんだ。くもらないでくれよ。
 ここで自分が声を掛けるのはたやすい。それで気持ちが戻るだろう。だが。
知ってしまったからには、アダンガルが自分で乗り越えないといけないことだ。
もし乗り越えられなかったときには。
 つらい選択をしなければならないなと暗い気持ちになった。
プテロソプタが飛んできた。エヴァンスたちが乗っている。ゆっくりと臨時の離着陸場に降りた。カトルと場長が出迎えた。
「エヴァンス所長、申し訳ありません!」
 カトルがさっと頭を下げた。場長も同じくした。
「ひどいものだな、原因は」
 上から被害の状況が見えた。
「圧縮酸素タンクが爆発したようですが、詳しくは現場検証して調べます」
 アダンガルが焼け跡に行こうとしたので、エヴァンスが腕を掴んで止めた。
「アダンガル、養魚プラントは他にもあるから、そちらに行こう」
 アダンガルがうなずいた。
「まったくこの島でこんな事故は初めてだ。圧縮酸素のタンクなどそうそう爆発しないぞ。なんのために君が巡回しているんだ。設備点検はきちんとされていたのかね」
 静かだが、厳しい口調だった。
「はい、こちらも昨日巡回したばかりです。きちんとされていました」
 エヴァンスが人差し指でカトルを指弾した。
「きちんとされていたら、事故が起こるかね!作業中ならともかく、夜間に火災など普段の管理が甘かったから起こったんだろう!」
 急に怒鳴りつけた。カトルが黙って頭を下げた。
「カトル、現場検証はキャナオンに任せて、君は、南ラグン港でマリィンの入港に立ち会いたまえ」
 キャナオンはカトルと同じ助手で、ラカンユゥズィヌゥの担当だった。
「マリィンが入港するんですか」
 詳細は電文で送ると言ってアダンガルを連れてプテロソプタに乗り込み、飛び去った。
「カトル助手…」
 ずっと見送っているカトルの背中を場長が心配そうに見ていた。
 アートランが樹木の間を飛びながら、上空を飛んでいくプテロソプタを追った。
…カトル、ごめんな…
 思わぬ過失に気落ちしているカトルに心の中であやまった。

 昨夜、ソロオンは、作業指示書などの打ち込みを少しだけしてからアダンガルの部屋に戻った。来訪釦を押したが、返事がない。やはりそんなに簡単に使い方がわかるはずもないかと、小箱で扉を開けた。来客室は、清掃などのために管理のクォリフィケイションによって開閉が可能だった。
「アダンガル様、やはりボォオドの使い方わかりませんか…」
 呼びかけたが返事がないので、窓際の長椅子に近付いた。横になっていて眠っていた。よほど疲れたのだろう、ソロオンが近くに寄っても起きなかった。
「アダンガル様」
 起こそうと手を伸ばしかけてやめた。夕食までまだ二、三十ミニツあるので寝かせておくことにした。
 小箱でカトルに連絡を取った。
「ああ、わかった、伝えておく」
 従者と言っていた子どもは、旧都に泊まらせ、カトルが面倒見ることにした。
…あの子どもに服を脱がせたり、身体を洗わせたりしてるのか。
 アダンガルの寝顔を見下ろした。毒見もするということは、あの子どもが代わりに毒で死ぬこともあるということだ。
…子どもにそんなことまでさせてるなんて。
「野蛮だ、ひどい」
 もちろん、アダンガルのせいではない。シリィの習慣が野蛮なのだ。エヴァンスもなんとか啓蒙して、第三大陸に拠点を作ろうとしているようだし、自分もアダンガルに文明的な考えを教えてやりたいと思った。
 小箱が震えた。エヴァンスからの音声通信だったので、部屋の隅に寄った。
「はい、今仮眠しています、少し疲れたようです」
 アダンガルの様子が気になったのだろう。
「えっ…これからですか」
 まもなくそちらに到着するというので、了解して通信を切った。五ミニツほどしてから訪問音が鳴った。開けると、ワゴンが二台入ってきた。白衣の男がひとり、窓際に近付いてきた。


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