シリィの学校は、王立の学院である魔導師学院と政経学院を頂点として、各州都に大学院、高等学院、幼年学院がある。各街や村には学校があり、読み書きと算術を教えている。優秀な子どもは村の推薦で州都の幼年学院に通うこともあるが、学校にすら通えない子どもがほとんどだ。教室は男女別室で、同じ教室で学ぶのは魔導師学院だけだ。もっとも、どの学校、学院でも女子は少ないが。 「分ける必要があるのかね」 男女別室を知っているエヴァンスが言った。 「必要というか、ならわしなので」 その返事にエヴァンスが少し不愉快そうな目を向けた。女の子に自分の名前を打ち込むように言った。 「はい」 女の子は素直にボォゥドを叩いて、画面に自分の名前を表した。 「この子はおととしまで農耕の作業をさせられていて、文字も読めなかったが、今ではすらすらと読めるし、打ち込みもできる」 作文を読んでみなさいとエヴァンスが言うと、女の子はパッと文章が書かれている画面に切り替え、読み始めた。 「マシンナートのみなさんへ。わたしの家は、おとうさんとおかあさんとお兄さんが二人、わたしと妹で暮らしていました。畑で取れる芋と一番上のアヴィン兄さんが山で取ってくる木の実を売って塩と麦を買います。でも、お役人さんが来てのうぜいというものをしないといけないと言われて、お金や麦を持っていってしまいます。お役人さんがきたあとはお金も麦もありません。それでいつも芋のツルや木の実やねずみを食べていました…」 女の子は母と下の兄、そして妹は流行り病で亡くなってしまってとても悲しかったと、とても大変な暮らしをしていたことを読み上げ、その後にマシンナートたちが来て、食べ物をくれ、薬をくれ、読み書きを教えてくれて、お湯がたくさん出る、きれいなうちに住まわせてくれた、感謝していますと結んでいた。 読み終わった後、教師が拍手をし、子どもたちも全員手を叩いた。 「よく書けている。これからもがんばりなさい」 エヴァンスが頭を撫でると、女の子はうれしそうにはいと頭を下げた。女の子は身奇麗にしていて、顔色もよく、元気そうだった。アダンガルが膝を付いて顔を覗き込んだ。 「父親たちはどうした?」 女の子はえっとと考えてから首を振った。教師が答えた。 「この子の家族は、北地区に住んでいます。もともとあった街を改造したところですが、こちらとほどんど変わらない快適な暮らしをしていますよ」 その教室を出て、もう少し年齢の高い子ども達の部屋に行こうとしたが、アダンガルが手を振った。 「いえ、だいたいわかりましたので」 「いや、上の学年ではファンデェイションと呼ばれる基礎科学を学んでいる。それは是非君にも学んでほしい」 …やはり俺を啓蒙しようというんだな。 それは会う前からわかっていたことだが、啓蒙されてしまった子どもの作文など聞きたくなかった。 「わかりました」 素直についていき、十二、三歳の子ども達の教室に入った。教室ではそれぞれのモニタァに子どもの習熟の段階に応じた学習をしているということだった。 画面には、「物体と物質、物質の見分け方」という大きな文字が書いてあり、その下に説明が書いてあった。 エヴァンスが説明を読んでみなさいと画面を指で示した。アートランと同じくらいの男の子が座ったまま読み始めた。 「物質の見分け方には、いくつか方法があります。ひとつめは、形や見たようすを観察する。独特の色や形などがある場合おおよその目安になる場合があります。ふたつめは、加熱したときのようすを調べる。加熱して変化するか、また、何度で状態が変わるかなどを知ると物質が特定できます。みっつめは、質量と体積を調べて密度を計算する。物質によって密度は決まっています。その数値は、物質記号をファウンデェイションのデェエタ表の検索窓に入力して調べることができます」 もういいと止めさせた。 「この子はさっきの従者にしている子と同じくらいの年頃だ。あの子の年頃はこういう勉強をたくさんして、理論を学び、将来、テクノロジイを使って、より便利で快適な生活が送れるようワァアクや研究をするようになるべきなんだよ」 教師に授業を続けるよううながしてから廊下に出た。 「わたしがこの島に来るまで、この島は五大陸のどの国よりも貧しく劣悪な環境だった。寿命は四十歳に満たないし、子どもは三人にひとりしか成人できない。乳児の死亡率は三割にも達している。風土病も蔓延していたし、簡単に治る病気や怪我でもすぐに命を落としてしまう」 アダンガルはじっと聞いていた。エヴァンスの語りは次第に熱を帯びてきた。 「食料だってここが南の島だからなんとか口に入るものはあるが、少し荒れた土地や北方の国だったら、飢えで何人命を落とす?旱魃や災害があったら、どれだけ被害を受け、飢えで苦しむヒトがいる?たいした病気や怪我でないのに、死んでしまうものたちがたくさんいるだろう?君ならわかるよな?」 廊下のところどころにある休憩所らしきところの椅子に座らせた。 「ほんのすこしテクノロジイを使って、食料をプラントで大量生産し、機械で水を汲み上げ、電力を起こして機器を動かす。薬や手術で病人やけが人の命を助ける。それだけのことだ。みんな、それで命も助かるし、空腹もなくなる。子どもたちも育成棟に通って勉強することができる。小さいときからつらいワァアクをさせられて、無知で、野蛮な獣に等しい暮らしをさせずに済むんだよ」 アダンガルが膝で拳を作ってぎゅっと握り締めた。 言われていることはわかる。国と民を守ることをいつも考えてきたのだ。どうすれば国が豊かになるか、どうすれば民が腹をすかせずに済むか。どうすれば少しでも幸せに暮らすことができるか。 …ほんのすこしの… 異端だ、ほんのすこしも、たくさんも同じなのだ。アランテンスからはそう教わったのだ。そう教わった…。 その拳にエヴァンスが手を置いた。 「魔導師たちは、自分たちは王宮で楽に暮らしているのに、シリィのヒトたちをつらい目に合わせている。テクノロジイという、つらい目に合わせずに済む手段があるのに、それを使わない。おかしいと思わないか?」 大きな体を丸めるようにして動揺している様子にエヴァンスが震える肩を抱いた。 「ああ、一度にそんなにたくさんいろいろと言われても戸惑うばかりだな。少しずつにしよう」 悪かったと頭を額につけた。 「…おじいさま…」 育成棟を出てから、新都をゆっくりと一周した。似たような形の建物がほとんどだったが、板に書かれている表示でどういう建物かはわかった。病院、検疫棟、ワァアク管理棟、配給所、居住棟、郊外には噴水や池のある公園があって、夕方や休暇日には散歩するヒトたちの姿が見られるらしい。 「明日、食料プラントを見に行こう。きっと驚くだろうけど、とても有益なものだとわかるはずだ」 エヴァンスは上機嫌で中央棟に戻ってきた。 「わたしはワァアクがあるので、夕食を一緒に食べてあげられない。ソロオンと食べてくれ」 また明日迎えにくるからとアダンガルとソロオンを残して、モゥビィルで走り去った。 「おじいさま、どちらへ?」 ソロオンがラカンユズィヌゥというプラントに向かったといい、中央棟のアダンガルの部屋まで案内した。 「夕食まで少しワァアクを片付けてきます」 ソロオンがお辞儀して下がっていった。アダンガルが応接席の長椅子にどっと腰を降ろし、横になった。胸のポケットから小箱を取り出し、開いた。釦を押す。画面に母の画像が映し出された。 「母上」 幸せそうな笑顔。 …アダンガル、これ、大切にしてね。わたしだと思って。大切なものなの… まだ二十歳にもなっていなかった。かわいらしい顔立ちだったのに、死に際の顔は、青黒く変色し痩せて老婆のようだった。 母の死因は、大きくなってからアリュカから無理に聞き出した。堕胎薬の使いすぎで心臓と肝臓を傷めてしまったのだと聞かされた。国王は何度も身ごもらせて堕胎させていたのだ。実の父とはいえ、畜生以下だ。それでも異端の血が混じった自分を生かして黙認という形であっても執務をさせてくれていたからいくばくかの恩を感じていないわけではない。でも、あの王太子をいさめもせずにほおっておくことが許せなかった。 …おじいさまのもとに帰っていたら、死なずにすんだろうに。 そう思うと残念だった。 さきほどエヴァンスが言ったように、地上を汚染させない程度にテクノロジイを使うことなどできるのだろうか。そんな単純なことだったら、アランテンスや学院があれほど否定するだろうか。 …理《ことわり》に従い、国土と民を守ってほしい。 カーティアの王宮でジェデル王やラウド王太子とともにイージェンに訓示を受けたことも思い出された。 「これは…試練…か…」 小箱を閉じて胸に押し当てた。夕べ小船で移動してくるとき、ほとんど寝ていなかったので、うとうとしてきた。 (「イージェンとエトルヴェールの新都【ジェナヴィル】(上)」(完))
|
|