一の大陸セクル=テュルフ南方海岸にあるレアンの軍港に、マシンナートのテンダァと呼ばれる船がやってきた。沖合いに停まっている大魔導師の船に乗っているリィイヴという男に当てた手紙を持っていた。派遣軍の将軍が自ら出向き、その手紙を受け取ろうとした。ところが、手紙を持ってきたマシンナートが直接リィイヴに渡したいと拒否した。カーティア王宮でマシンナートたちと接したことのある将軍は、その男が肩に掛けている大きなオゥトマチクの威力がわかっていた。 少し待つことになると前置きして、船に合図の花火を送った。ほどなく、灰緑の外套をすっぽりとかぶった小柄な魔導師がやってきた。 「手紙を受け取りに来ました」 丁寧にお辞儀をした将軍が耳元でひそっと話した。 「直接渡すと言っています」 整った眉をひそめ、マシンナートたちの乗ってきた船が係留されている桟橋に向かった。桟橋の上に椅子を出して何人かマシンナートのつなぎ服を着た男たちが座っていた。 将軍が連れてきた灰緑の外套を魔導師だと示すと、男たちのうち、青いつなぎの男以外は何歩も引き下がってオゥトマチクを構えようとした。 「よせ」 青つなぎの男が手で制した。子供かと思うほど小柄な魔導師が手を出した。 「手紙を渡しなさい」 冷たく硬いが、女の声だ。青つなぎが首を振った。 「エヴァンス所長から、手紙はリィイヴに直接渡すように指示されている」 魔導師が一歩近づいた。後の連中は後ずさりしたが、青つなぎは一歩も動かなかった。 「わかりました、リィイヴさんを連れてきます」 そういうと、身体が浮き上がりはじめた。青つなぎが黒い瞳を見開いた。灰緑の外套が海上に飛び去った。 将軍が帰ろうとしたところを止めた。 「おい、聞きたいことがあるんだが」 将軍が手を振って去ろうとした。 「南方大島の総帥はどこにいる」 将軍が立ち止まり、振り返ったが、青ざめた顔で首を振った。 「答えられない」 そのまま去っていってしまった。 「…カトル助手…さっきの、この間とは別の魔導師ですね」 おびえて桟橋の隅に固まっていたマシンナートのひとりが声を震わせた。 「そうだな」 捕まえたはずの魔導師はいつの間にか消えていた。ラカン合金鋼の箱の屋根が丸く切られていて、そこから逃げ出したのだ。ラカン合金鋼について詳しいソロオンもありえないと驚いていた。 カトルは南方大島の総帥アルリカと恋仲だったが、アルリカがテクノロジイを受け入れないために別れた。でも、行末は気になっていた。しばらくして別の部下が空を指した。 「カトル助手、あれ」 あっという間に何かが落ちてきた。桟橋の上にあの灰緑の魔導師がだれかを抱えて降り立っていた。シリィの衣服を着ている薄い茶色の髪の若い男だった。 「リィイヴか」 カトルが近づくと男がうなずいた。カトルが腰帯袋の中から紙を出し、差し出した。リィイヴはすぐに開いて中を読んだ。 「すぐにお連れしろと言われている」 カトルが言うと、リィイヴが首を振った。 「即答できないです。ここで待っていてください」 また魔導師が抱えようとしたのでリィイヴの腕を掴んだ。 「手を離しなさい!」 魔導師がきつく言い、睨みつけてきた。まだ少女という年頃のようだ。 「いや、リィイヴにちょっと」 話があると桟橋の隅に引っ張っていった。 「なんですか、いったい」 知り合いでもない。話などないのだがといぶかしんだ。カトルが少し頭を下げて頼んだ。 「エトルヴェール島総帥の行き先を知りたい。俺が聞いても教えてくれなかった。おまえなら教えてもらえるだろう?」 リィイヴが目を細めた。 「なんで総帥の行き先を知りたいんですか。追いかけて殺すんですか」 不審そうにこちらを睨んでいる魔導師の目を避けるように背中を向けた。 「恋人なんだ、別れたけどな」 リィイヴがえっと息を飲んだ。 「あいつ、テクノロジイは受け入れられないって強情だから、しかたなく別れたんだが、敵国に逃げ込んだからどうなったのかと思って」 リィイヴがちらっと魔導師を見た。ちょっと待ってくださいと言って、そちらに向かい、何事か話していたが、すぐに戻ってきた。 「総帥はカーティアの王都で国王に会っているところだろうって」 この付近に住まわせてもらうようお願いしにいったのだ。 「そうか、無事ならいいんだ」 ではと離れていくのを再び止めた。 「なんですか、まだあるんですか」 リィイヴがいらだって手を振り解いた。 「おまえ、アーレで啓蒙ミッションに参加してたんだろ?ミッションでアリスタって女と一緒じゃなかったか?」 リィイヴの目が大きく見開かれ、唇が震えた。 「な、なんでそんなことを」 カトルが小箱を出して画面を見せてきた。産まれたばかりの赤ん坊の映像だった。手足をしきりに動かしていた。 「俺の息子なんだが、母親、アーレのアリスタだというから」 リィイヴがうろたえた様子で画面から目を逸らした。カトルが、なにもいわないリィイヴの肩を掴んだ。 「報道ではアーレのレェベェル7発動に巻き込まれた犠牲者ってことになってるけど、エヴァンス所長から、実際は、素子と性交渉を持とうとして処刑されたって聞いて、ほんとうなのかと思って」 もしや詳しく事情を知っていたら聞かせてほしいと言った。リィイヴがぐっと唇を噛んで目を閉じた。涙が頬を伝わるのを見てカトルが手を離した。 「アリスタ…」 リィイヴが激しく頭を振った。 「処刑されたっていわれてるなんて…そんな…」 カトルが険しい顔をした。 「いったい何があったんだ」 リィイヴがきっと赤くなった眼を上げた。 「アリスタは処刑されたんじゃありません、素子を脅す道具にされて殺されたんです」 カトルが戸惑った顔で見返した。魔導師が近づいてきた。 「リィイヴさん、行きましょう」 リィイヴがうなずいて抱えられて飛び去っていった。
手紙を受け取って船に戻る途中、リィイヴはエアリアに頼んだ。 「聞こえていただろうけど、アリスタの子どものこと、ヴァンには絶対言わないで」 エアリアがもちろんですと青ざめていた。 「…あのヒト、総帥が恋人って言ってた…」 リィイヴが深いため息をついた。どちらも譲れないなら別れるしかないだろう。そうは思うもののやりきれなかった。 ヴァンは、両親を事故で失っている。大好きだったアリスタを目の前であんな酷い殺され方をした。その上、あんなにアリスタとの間の子どもを欲しがっていたのに、『組み合わせ』であの男との間に産まれたと知ったら、きっと今以上につらくなるだろう。 「…なんでヴァンばかりこんな…」 悲しいことが起こるのだろうかとうなだれた。 船の甲板には、イージェンたちがみんな出て来ていて、ふたりの帰りを待っていた。 「すぐに連れて来いと言われてるって」 手紙を渡しながらリィイヴが報告した。イージェンがしばらく紙面を見ていた。アダンガルが不安げな顔で見つめていた。 「アダンガル殿、エヴァンスが会いたいと言ってきた。ただし」 アダンガルがびくっと顔を上げた。 「会見の場所は、南方大島の新都、魔導師の同席不可、手紙をもたせたものに付いてくるようにということだ」 アダンガルが首を傾げてから尋ねた。 「ひとりでと書いてあるか」 イージェンが首を振った。 「ならば、アートランを従者にして連れて行けば」 なんとかなるのではないか。 「そうだな、子どもなら魔導師と思わないかもしれないな」 あちらが使った手だがと皮肉った。 「アートラン、それらしく支度しろ」 アートランがうなずいた。アダンガルも支度するとヴァシルとともに船室に入っていった。 アートランが、部屋に戻って着替えていると、エアリアが入ってきた。 「首の傷まだ治らないから」 「これは残るね」 アートランが首筋のただれに触った。傷を隠したほうがいいと包帯のように布を巻きつけた。 「魔導師とわからないようにして」 エアリアが心配そうに言うと、アートランがちらっと窓の外を見た。 「リィイヴ、ずいぶんうろたえてるな、アリスタってヒトの子どものことで」 エアリアがうなずいた。 「ええ、ヴァンさんに絶対言わないでって」 アートランが長靴を履きながらため息をついた。 「そんなにすぐには吹っ切れないだろうな、そうとう好きだったみたいだし」 しかも、酷い殺され方をしたのだから、余計だろう。エアリアがはっと窓の外を見た。 「遣い魔だわ、どこからかしら」 自分の着替えなどを袋に入れて甲板に出て行くと、イージェンが遣い魔の伝書を読んでいた。ふたりは同時に足が止まった。イージェンからすさまじい怒りの気が溢れていたのだ。 「仮面…すごく怒ってるぞ」 「え、ええ…」 アートランを焦がしたときよりも怒っている様子にふたりともさすがにこわばった。ふたりにむかって黙って伝書を突き出した。 エアリアがそっと受け取ってふたりで覗き込んだ。 「えっ…」 アートランも険しい目で紙面を睨みつけた。 イージェンが別の伝書も突き出した。 別の遣い魔も来ていたらしい。 「これは…」 エアリアが顔を上げた。 イージェンが肩を回し背を向けた。 「まったく、あっちもこっちも」 起きるときはいっぺんだ。狙ってやってるのかと言いたくなる。 ヴァシルとアダンガルがやってきた。ヴァシルがアダンガルの着替えの袋をアートランに渡していると、イージェンが、一度船長室で話をするとうながした。リィイヴも付いていこうとすると、イージェンが来なくていいと手を振った。 「あれ、おまえは行かないのか」 ヴァンがいつもは魔導師たちの相談事には呼ばれるのにと首を傾げた。 「うん…」 リィイヴはヴァンを見ていられなくて船長室の隣の部屋に入った。セレンはもう寝ているらしくいなかったが、カサンがセレンのためにパズルをつくってやっていた。 「文字のパズルを作ってやってるんだ」 手作業だからなかなか時間がかかると苦笑していた。 「それは子どもにはいいかもしれませんけど」 パズルのようなものはシリィにはないようだ。ないものを作ってやっていいかどうかはイージェンに聞かないとわからないと注意した。 「そうか。ないものはまずいんだな」 エヴァンス所長がアダンガルに会いたいと手紙を寄越したことを話した。カサンが考え込んだ。 「会ったことはないが、穏やかそうな反面、対抗勢力には容赦ないと聞いたことがある」 パリスの兄だ、本性は似たようなものだろう。自分への嫌悪からもわかる。 「会わせてどうしたいんだ、イージェンは」 まさか、エヴァンスにテクノロジイを捨てさせようなどと思っているわけじゃないだろうなと戸惑った顔をリィイヴに向けてきた。 「それはないと思いますけど」 少しでもあちらの状況が分かれば。そんなところだろう。 …なんで今回は呼ばれなかったんだろう… ひとり『蚊帳の外』にされて、少しいらだちを感じていた。
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