ようやく頭の上でものが落ちてくる音がしなくなり、静かになった。貯蔵庫の暗闇の中で、リュドヴィクがアリーセをそっと横たわらせた。アリーセが上着の裾を握った。 「上の様子を見てくる、待っていろ」 アリーセが手を離した。手探りで階段を探し、登っていった。板張りの蓋は瓦礫を支えきれなかったようで、一階上の部分まで落ちていて、すっかり埋まっていた。瓦礫をのけようとした。ゴロッと石が足元に落ちていく。瓦礫が崩れ落ちたら奥まで埋まってしまうだろう。 「無理か」 他の出口はない。崩さないようにそっと下に降りた。 「陛下、陛下」 アリーセが泣きながら手探りしている。その手を掴んだ。 「ここにいる」 袋から王室の紋章旗を出した。それでアリーセを包み込んだ。 「ドレスは邪魔なので脱がしてしまった。これを代わりに纏うといい」 アリーセが首を振ったが、リュドヴィクが脇の下を通して胸元で結んでやり、膝の上に抱き上げて、くしゃくしゃになってしまった結い髪を撫でた。 アリーセが目を閉じて寄りかかった。 「こんなふうに抱いてくださったこと、なかったですね…」 か細い声でつぶやいた。リュドヴィクがすまなそうにため息をついた。 「ああ、そうだった…な」 いつも『義務』が終わると早々に身体を離し、帰ってしまっていた。 「わたくし、うれしいです…」 「そうか」 リュドヴィクが髪を撫でていた手でアリーセを堅く抱きしめた。 どれほどの時が経ったのか、蒸し暑くもなってきて、息苦しさも増し、しだいに頭がくらくらしてきた。 頭の上の方で光を感じた。目を開けると、瓦礫の間から光が差していた。 「王妃、あれを!」 アリーセを揺り起こした。アリーセも薄く目を開けて見上げた。 「陛下!ご無事ですか!」 上から呼ぶ声が聞こえてきた。 「無事だ!王妃もいる!早く出してくれ!」 瓦礫をどけるので、一番奥に入っていてくれと言われ、階段付近からなるべく遠ざかってアリーセに覆いかぶさるようにした。 ガガーッと瓦礫が動く音がした。肩越しに振り返ると、瓦礫が浮き上がっていた。光を背にして誰かが立っていた。 「魔導師か」 瓦礫が吹き上がっていく。 「陛下!」 兵士が何人か降りてきた。王妃を運ぼうと手を出してきたのを肩で振り払った。 「俺が運ぶ」 抱き上げて瓦礫の山を登ろうとした。すっと降りてくる影があった。 「そのままでは登れませんでしょう」 見たことのない魔導師だった。声からして女のようだ。手を伸ばしてきて、リュドヴィクの腕を取った。ふわっと浮き上がっていく。厨房のあった棟はすっかりなくなっていて、すぐに地上に出た。東の空が明るくなっていた。 「陛下、よくご無事で!」 魔導師たちが十名ほど、王立軍の将軍も五、六名いた。 「おまえたちもよく無事だったな」 将軍以下兵たちが一斉に片膝を付き、魔導師たちが胸に手を当てて頭を下げた。王妃を抱いたまま棟の跡から出て、王都が見下ろせる場所までやってきた。 「…無残な…」 建物のほとんどが崩壊し、石畳の道も大きな穴がたくさんあいていた。まだところどころくすぶっている。その惨状を呆然と見下ろした。多くの民が亡くなっただろう。以前より戦火に合うことが多かった王都とはいえ、ここまで破壊されたことはなかった。 側にさきほどの女の魔導師と確かイリン=エルンの魔導師だったと記憶しているものが寄って来た。 「陛下、クザヴィエのリンザー学院長です。こちらのレスキリの伝書を受け取り、すぐに駆けつけたのですが、すでにマシンナートたちは引き上げていまして」 間に合わず申し訳なかったと頭を下げた。 「いや、わざわざご苦労だった。少し手を貸してくれ、事態を把握したい」 リュドヴィクが侍女などで残ったものはいないのかと声を掛けると、女の魔導師のひとりが近寄った。 「何人か裏の庭園に逃げていました。呼んできますので、少しお待ち下さい」 丘陵状の王宮の反対側に、池や花園、東屋などが点在する庭園があった。リュドヴィクが王妃の手当てと世話をするよう言いつけた。魔導師たちがアリーセを受け取ろうと寄って来た。 「陛下」 アリーセが不安そうに震えた。 「手当てをしてもらえ、俺は執務がある。また後で」 リュドヴィクが頬に軽く口付けた。アリーセが顔を赤くしながらもうなずいた。 魔導師たちにアリーセを任せ、王都を見下ろしながら、レスキリたちを呼んだ。 「わかっているところまででいいから報告しろ」 まずわたしがとレスキリが話し出した。 リタース河国境守備隊本営が襲われたことを知り、急ぎ学院とリンザー、周辺諸国に遣い魔を出し、自分は王都への幹道沿いの村に先回りして、避難するよう触れを出した。そのため、王都までの幹道沿いでの人びとの被害はほとんどないはずだった。ただ、道々の住居や畑、山林などは破壊されてしまった。北の城塞に指示を出して学院に戻ったとき、襲撃が始まっていた。 「その伝書はどうしたんだ、襲撃の前に着かなかったのか」 「いえ、着いていました。緊急と記したので、学院長が不在でも開けてくれればよかったのですが、どうもそういうことを勝手にすると学院長にひどく怒られるようで、そのため伝書はそのまま転送してしまったそうです」 せっかくレスキリが報告したのに、事前に伝わらなかったのだ。 「そのくらい融通を利かせなくては」 リュドヴィクが怒りを押し隠してため息をついた。 レスキリが学院に着いたとき、グリエル将軍副官のレガトが学院の玄関先でうめいていたので、治療をしてやった。国王が後宮のほうに向かったと聞いて、後宮を探していたのだが、見つからず、そこにリンザーがやってきて、気配を探ってくれて、執務宮の地下にいることがわかったのだ。 「わたしでは見つけられませんでした」 深く頭を下げるレスキリにリンザーが手を振った。 「レスキリから遣い魔が来てすぐにこちらに向かったのですが、一足違いでマシンナートたちは引き上げていました」 これから追尾すると言う。 「危険だろうが、よろしく頼む」 無理をせずに状況報告をしてくれればいいと言うと、リンザーが胸に手を当てた。 「ガーランドでは王妃陛下の消息を案じています。無事であると伝書を出してください」 レスキリに送らせると承知した。リンザーはすっと浮き上がり風を纏うようにして飛び去った。 「そうだ、グリエルたちは」 リュドヴィクが確認するよう言うと、レスキリが顔を伏せた。 「それが、夜営も襲撃されていまして」 すぐにキーファ城塞と夜営地に魔導師を送り、さきほど報告が来て、キーファ城塞も夜営も襲撃され、生存したものはいないということだった。 「な…」 リュドヴィクが絶句した。自分の殺害も襲撃の目的だったのか。 「俺の命も狙ったというのか」 グリエルの遺体が確認されたと聞き、ぐっとこみ上げてくるものがあり、口を押さえた。 「ティフェン…」 「陛下、お気を確かに」 レスキリが手を差し出すと、リュドヴィクは首を振った。 「大丈夫だ、後で悲しむ」 動けるものを総動員して瓦礫の下に埋まっている生存者を助け、至急に王都北の城塞の軍倉庫から食料を運ばせ、炊き出しの配給所を作るよう指示した。 「そのふたつを最優先に」 そのほかの城塞や国境守備隊の本営には厳重な警戒をさせ、各州都には戒厳令を敷くよう指令書を出した。 「後はリンザーの報告を待ってからだ」 避難命令を出す地域を確定したかった。間に合えばいいがと空を仰いだ。 燃えずに残っていた学院の薬園を仮宮とし、そちらに移動しながら尋ねた。 「ユリエンはいつごろ着くのか」 昨日の夕方にはレスキリからの転送伝書が届いているはずなのでもう着いていてもおかしくないのだがと首をかしげた。 「陛下、この事態を一刻も早く大魔導師様に報告しなければなりません。わたしが代行で書いてよろしいでしょうか」 ユリエンを待ってからでは、どんどん遅れてしまう。 「学院のことは俺が許可するもしないも…」 言いかけてから、レスキリが困っているのに気づいた。 「あいつはしきたりに厳しいからな、俺がいいと言ってもうるさくいうだろうが」 それでもこれだけの緊急事態なのだから、臨機応変に行えばいいと返事した。レスキリがほっとした顔でお辞儀した。 「レガトはどうした、傷の様子は」 レガトの傷はそれほど深くはなく臨時の医院で休ませていた。 王都の被害の状況も次々に報告されていく。食料商などの倉庫を開放させ、穀物や食料を供出させた。井戸が崩れてしまったので、水の確保が大変だった。 学院の教導師たちが湯を沸かし、白湯を配っていた。茶碗などはほとんど割れてしまったようで、筒に入れてきた。リュドヴィクも受け取って飲み、ほうと一息ついた。ふっとグリエルやティセアのことが思い出されてしまいそうになったが、振り払った。 「すまん、まだ悲しんでやれん」 後でゆっくり悲しむからとまだ燻っている王都を見下ろした。 パミナのチィイムのリジットモゥビィル隊列は、リタース河の国境守備隊本営を壊滅させてから、王都までの幹道沿いの村や畑を破壊していった。 『パミナ教授、集落にヒトがいません』 掘っ立て小屋のような家々に突っ込んで踏み潰すようにしていたリジットモゥビィルから報告があった。 『どうしたのかしら、でも、いいわ、建物や農耕地は徹底的に破壊して』 パミナが首を捻っていた。 …あの本営に魔導師がいたとしたら、先回りして避難させたかもしれんな。 ジェトゥはそう思ったが、パミナには言わなかった。 パミナが耳のところをちょんと突付いた。『周波数』とやらを合わせろという合図だ。ジェトゥが目盛りを合わせた。 『ジェトゥさん、どう思います?村民がいないこと』 しばらく考えるふりをした。 『わからんが、もしかしたら、気が付いたものが逃げるように触れ回ったのかも』 この国は戦乱が多いので、逃げ足は早いのだと言うと、パミナが笑った。 『まあ、そうですの?それはそれは』
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