ハバーンルーク王国のアプトラス平原では、夜明けを待ってリジットモゥビィルの隊列が出発した。リタース河の川底の浅いところを渡り、国境を越えウティレ=ユハニに侵入した。その隊列の上空をプテロソプタ五台が爆音を上げて飛んでいく。その一台が記録担当兼指令機で、パミナとジェトゥが並んで後部座席に座っていた。 「ダリアトさんは、トレイルで運びます。王都を襲撃するときにこちらに乗せますわね」 パミナが隣のジェトゥに聞こえるように兜の耳当てから出ている細い管に話しかけた。ジェトゥがうなずき、横を向いた。プテロソプタの両脇は扉が全開になっていて、銃身の長いオゥトマチクを構えた何人かが身を乗り出すようにして眼下を眺めていた。 『パミナ教授、バレーから入電、トレイルから教授の小箱に転送するそうです』 マシンナートたちの会話が聞こえてくる。パミナが小箱を開いた。 『フロティイルからの補給が遅れるって、東海岸に低気圧が発生しているので、接岸が難しいそうよ』 パミナが前の座席の助手に話しかけた。 『とすると、国都襲撃後、東に移動するのは中止ですか』 国都襲撃後、東の海岸沿いでフロティイルと呼ばれるマリィンから補給を受けることになっていた。 『そうね、東海岸に行っても無駄になるわ。河沿いに北上して北海岸で受けるほうがいいわね』 補給は北海岸沿いリタース河の河口で受けると計画変更の返信をした。 『フロティイルとは何だ』 ジェトゥがパミナに尋ねた。パミナが目を見開いた。 『大型の海中戦艦ですわ、これです』 パミナが小箱に画像を出した。ジェトゥが覗き込んだ。小さいのでよくわからないが、甲板が平らで広く、端に塔のようなものがついていた。 『これが海を潜るのか』 『ええ、すごいでしょ。乗ってみたいですか?』 ジェトゥが機会があればと濁した。パミナがふふっと笑って、ジェトゥの手を取った。 『さあ、いよいよですわ』 前方に国境守備隊の本営が見えてきた。 『パミナ・ラボ・チィイムのみなさん、このミッションを成功させれば、我らマシンナートの悲願、テェエル奪還の第一歩となります。新たなる時代を拓く開拓者《ルゥピオニエ》となりましょう!』 パミナが檄を飛ばした。 『ミッション開始十秒前』 パミナが秒読みを開始した。 『…五、四、三、二、一、開始』 その合図によって、足元のリジットモゥビィルから第一砲が発射された。前を飛んでいたプテロソプタが速度を上げ、ほかのリジットモゥビィルからも激しい発砲が始まった。 砲撃はものの二十ミニツか三十ミニツだったに違いない。あっとという間に本営は廃墟と化した。 『ああ、手ごたえのない』 パミナがくすくす笑った。同じアウムズで対抗しなければ、たとえ魔導師が数人いたとしても防げないだろう。 『こんなすごい武器を持っていながら、なぜ今まで地上を占領しようとしなかったんだ』 ジェトゥが尋ねると、パミナが耳覆いのところにある目盛のようなものを動かし、ジェトゥの同じところも動かした。 『この周波数ならふたりだけしか聞こえませんから』 パミナがまたジェトゥの手を握った。 『ほかのものに聞かれたら困りますのよ、そういうことは』 ジェトゥがそうかとつぶやいた。これは最高評議会議員だった母親から聞かされたことなんですがと話し出した。 『地上でアウムズを使うと、大昔の大魔導師との約束を破ることになり、マシンナートは全滅させられてしまうんです。五、六十年前、この第二大陸の大魔導師が死んだというので、大魔導師も寿命があるのだとわかり、それから大魔導師の寿命が尽きるのじっと待っていたのです』 パミナの声は少し上ずっていた。 『大魔導師との約束…アウムズを使わないとか?』 ジェトゥがパミナの手をぎゅっと握り返した。 『ええ、でも、もうすぐでしょ、最後の大魔導師の寿命が尽きるのも。今回のミッションは、これからいろいろな国に対して啓蒙をするのに、言うことを聞かないとこういう目に会うという恫喝になりますから』 それで許可されたのだと説明した。ユラニオゥムつまり『瘴気』を使わないし、シリィに手を貸して欲しいと頼まれたのだしとうそぶき、少し派手になってしまいますがと笑った。 ジェトゥはおかしくてたまらなかった。やはりマシンナートたちはこの大陸で施設を始末したのは、ヴィルトだと思っているのだ。寿命が尽きるのを今か今かと待っているとは。だが、もし、新しい大魔導師が誕生したと知ったら。また何千年も待たなければならないと知ったら。 …やけになって『瘴気』を撒き散らすかもしれん。 『瘴気』は困る。威力の大きな発破のようなものであれば問題はないが、『瘴気』は土や空気、ヒトを汚す。それは魔導師を嫌い、学院を離れたジェトゥであっても、譲ることのできない部分だった。いずれにしても、イージェンはマシンナートを殲滅させる気満々だ。任せておけばいい。 明日の夜には王都に到着するという。もしそれまでに作戦行動がばれて、学院が動いたとしても、とうてい防ぎきれないだろう。派手に王都が炎上するさまでも見物させてもらうかと開放された窓の外を見下ろした。 身体が揺れるような感じがして、ティセアは目を覚ました。あの少年たちにいいようにされてしまったのか、そんなことをするようなやつらに見えなかったのにと女である身を嘆いた。 「…姫様…」 ルキアスの声がして、目を開けた。顔がすぐ側にあり、抱きかかえられていた。 「ルキアス…おまえ…」 パシッと手を叩き払った。殺してやろうかと睨みつけた。ルキアスが頭を下げた。 「すみません、わけを話してもわかってもらえないと思って…強引に連れ出すしかなかったんです」 見回すと、どこか外に入るようだった。空が赤くなっている。 「…なんだ、あの空は…」 ルキアスが身体をどけた。ふらっと立ち上がった。その光景を見て息を飲んだ。 「あ…ああっ…!」 赤く染まった夜空の下。小高い丘らしいそこから見下ろした場所にあるのは、王都だった。しかし、静かな眠りについているはずの王都は、真っ赤な炎に包まれ、黒い煙があちこちから立ち昇っていた。かつて州都襲撃を目の当たりにしていたティセアでさえ、あまりの光景に立ちすくんだ。 「王都…いったい、なにが…」 声が震えた。どこかの国の襲撃を受けたのか。それとも、王都の中で反乱でも起きたのか。 「異端の攻撃を受けたんです、ほら、あそこ」 ルキアスが指さす先を見た。鈍色の箱のようなものがいくつも火花を放っていた。 「異端が襲ってきたのか」 信じがたいことだった。がさっと草が踏まれる音がして振り返った。アルトゥールが木の陰から現れた。 「ルキアス、俺そろそろ行くから」 少し離れたところに馬が二頭いた。 「姫様、アルが、襲撃があるから逃げろって報せてくれたんです」 アルトゥールが手にしたものをルキアスに押し付けた。 「これ、必要だろ?」 金の袋のようだった。 「いい、俺も少し持ってるし」 押し返すと、アルトゥールが首を振った。 「それはかあさんや妹に送る分だろ?いいから持ってけよ」 それとと紙を出した。 「これ、通行証。たいていの関門は通れるはずだ。今は混乱してるから、国境越えるのも難しくないだろうけど、念のために持ってくといい」 ルキアスが戸惑いながらも受け取った。アルトゥールが、がしっと抱きしめた。 「気をつけろよ、また、会おうな」 ルキアスも応えるように腕をアルトゥールの背中に回した。 「なあ、おまえが好きなのは俺だよな?」 アルトゥールが甘えるように尋ねると、ルキアスが困った顔をした。 「ああ、六番目くらいに好きかな」 アルトゥールが身体を離し、驚いた顔でルキアスをしげしげと見た。 「えっ、待て、一番目が妹、次がかあさん、で、じいちゃんとイージェンってやつだったよな。その次じゃなかったっけ?」 言いつつ、気が付いたようで、振り返ってティセアを見た。 「その次は姫様…でその次がようやく俺?これだけしてやったのに、格下げか」 ルキアスが申し訳なさそうに鼻の頭をかいた。 「ごめん」 アルトゥールが参ったなという顔でため息をついた。 「でも、まあ、おまえは、ほかの連中と違っておべっかつかわないし、そういう正直なところが好きなんだ」 アルトゥールが少し寂しそうな眼でルキアスを見つめて、ふたたびぎゅっと抱き締めてから離れた。ティセアに頭を下げ、軽やかに馬に乗った。 「じゃあな」 はっと声を掛けて長靴で馬の脇腹を蹴った。馬が走り出し、丘陵線に沿って駆けていく。その先に何人かのものたちが待っていたようで、合流してどこかに走り去った。じっと見送っていたルキアスがようやく向き直った。 ティセアがまだ攻撃を受けている王都を見つめていた。 「あいつはなにものなんだ」 近寄ってきたルキアスに聞いた。 「あいつは、ヴラド・ヴ・ラシスの会頭様の孫なんです。俺、組合にいる叔父さんの伝(つて)で傭兵にしてもらって、その時に知り合って」 「アギス・ラドスの孫なのか」 ティセアが驚いた。アギス・ラドスは、父キリオスを何度も金で篭絡しようとしていつも突っぱねられていた。 「ええ、なんか気が合って、友だちになったんです」 ルキアスはまっすぐで気持ちのいい少年だ。さきほどアルトゥールがほかの連中のようにおべっかつかわないからと言っていたが、気に入る気持ちはわかる。ふたりが不埒な真似をしたと思ったことが申し訳なかった。 そういえば、国王と将軍は、王都不在だ。おそらく難は逃れただろう。 「陛下と将軍は、キーファ城塞から出発しているよな。アサン・グルアに行けば会えるだろう」 そこまで行こうと裸足だったが、馬のほうに歩み寄った。そのとき、ルキアスがティセアの両肩を掴んだ。真剣な目で真正面から見つめてきた。 「姫様…俺と逃げましょう」 ティセアが目を見開いた。 …三人で逃げよう。 かつてイージェンに逃げようと言われたときのようだった。 ティセアが戸惑っていると、ルキアスが続けた。 「俺が、必ずイージェンのとこに連れて行ってあげますから」 ティセアがはっとルキアスを見つめ返した。黙っているティセアにルキアスが肩を握る手に力を込めた。 「姫様、まだイージェンのことが好きなんでしょ?もう陛下や閣下のとこに行っちゃだめです」 ティセアが首を振った。 「いまさら、どんな顔をしてイージェンのところに行けというんだ、妻にした女はもう死んだって言われたんだぞ…」 ルキアスが目を細め険しい顔をした。 「捕われてたんだって話せばわかってくれます。イージェンだって、きっとまだ姫様のことが好きなんです、だから、忘れなきゃって振り払うためにあんなこと言ったんですよ」 大魔導師になったから、もう夫婦には戻れないだろうが、それでも国王にもてあそばれるよりはいいはずだと言われ、ティセアは胸が詰まり、目が熱くなった。 「ルキアス…」 「行きましょう」 ルキアスが手を取った。ティセアはその手に引かれ、馬に乗った。ルキアスは馬の鼻面をアサン・グルアとは逆の方向に向け、走らせ出した。 「どこに行くんだ!」 ティセアがルキアスの腰に手を回してしがみついた。 「ガーランドに行きます!そこの学院長にイージェンに連絡してくれるよう頼みます!」 知り合いなのかと聞くと、学院長の顔は知っているし、高地の話をすればわかるはずだということだった。ルキアスの背に身体を預けながら、ちらっと後を振り返った。だが、振り切り、二度と振り返らないと前を見据えた。
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