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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第215回   イージェンと炎の王都(上)(2)
「アル、こちら、グリエル将軍閣下の奥方様だ」
 アルと呼ばれた少年が立ち上がった。ルキアスも背が高いが、アルもなかなか上背がある。だが、まだふたりとも顔には幼さがあった。アルがテーブルから離れて、胸に手を当ててお辞儀した。
「奥方様、はじめまして、アルトゥールといいます、わざわざもったいないことです、ありがとうございます」
 行儀がいいなと誉めると、アルトゥールは恥ずかしそうにうつむいた。
「ルキアスはガーランド出身と聞いていたので、こちらに友だちがいるとは思わなかったな」
 ルキアスが何か言おうとしたのをアルトゥールがさえぎった。
「ルキアスがこの都に働きに来たときに知り合って。同じくらいの年なので仲良くなったんです」
 この少年もルキアスのような雇われ兵なのか、それにしては、けっこう見事な造りの剣を帯びているし、着ている服も質のよいものだ。顔つきや物怖じしない態度などどこかの貴族の子息といってもおかしくなかった。
「そうか、せっかく来たのだから、ゆっくりしていくといい」
 ルキアスとアルトゥールが揃ってお礼を言った。
 ティセアが立ち去ってから、アルトゥールがどかっと椅子に座った。せっかく持ってきてくれたからと茶をすすった。
「入れ方がいいな」
 なかなかうまいと飲み干した。ルキアスも座って茶碗を取った。
「あれがティセア姫か、確かにきれいだ」
 国王や将軍たちが手に入れたいと思ってもおかしくはない。美しいのは顔の造りだけでなく、まっすぐで豊かな銀髪や青い眼、きめ細かい白い肌、口調は男っぽいが、立ち振る舞いは優雅で品がある。そんじょそこらの民の女とは違う。身体の線も痩せすぎず豊かすぎず、すらっとしていて美しい姿だ。
「うん…でもお気の毒なんだ…」
 言いかけてルキアスがはっと口を塞いだ。
「ルキアス、おまえ、好きなんだろ、あの姫様のこと」
 ルキアスが真っ赤になって首を振った。
「そんなんじゃない」
 守らなければいけない方だと思うのだ。
…きっとまだイージェンのこと、好きなんだ。捕らわれているのも同然なんだって知ったら、イージェンだって。
 あんな言い方しないで、優しくしてやったはずだ。なんとか誤解を解いてやりたい。大魔導師になったのだから、もう夫婦に戻るわけにはいかないだろうが、ここにいて、国王にもてあそばれるよりはイージェンの側にいたほうがいい。
「わかってる、おまえが好きなのは俺だよな?」
 アルトゥールがからかった。ルキアスがため息をついて顔を上げた。
「まさか、さっきの話も今みたいな冗談か?」
 アルトゥールが真剣な顔で首を振った。
「いや、真面目な話だ」
 ルキアスの眼も軍人の鋭い目つきになった。
 ティセアは、夜になって、夕食を軽く済ませて書写をはじめた。イリン=エルンの後宮で、寂しくて眠れない夜、《理(ことわり)の書》を書き写していた。ここでもすることになるとはとため息をついた。
「…沈思に眠れぬ寝床から、夜の月光を看る。
秋の実り過ぎたる月、十の月の末、これは地上の霜のごとき、
白く輝く月の光、照らす地は冬の仕度を迎えんとす。
天空の中ごろに月輝きし夜の空の冷たく澄みしき頃、
冬の訪れを示さん…」
 丁寧にゆっくりと心を落ち着かせて書こうとしたが、途中で手が止まった。
 むなしい。
 羽ペンを置いて横になった。
 寝入りばな、側で気配がした。
「…早くしろよ」
 若い男の声だ。
「でも…やっぱり…」
 ルキアス?まさか…?
 眼を開けた。ルキアスとアルトゥールが覗き込んでいた。
「ほら、眼覚ましちゃったぞ」
 アルトゥールが手を伸ばしてきた。手になにか白い布を持っている。鼻と口を押さえられた。思わず身体を起こそうとした。
「うっ…」
 布は香り水のようなものが湿らしてあり、息を吸い込んだとたん、くらっとなった。ふたりの手が伸びてきた。
…まさか、こいつら…そんな…
 それが見えたのが最後で、気を失ってしまった。

 ウティレ=ユハニとハバーンルークを隔てる国境の河リタース河の川岸を巡回していた国境守備隊の兵士のひとりが、対岸になにか動くものを見つけた。木々の間に金物のように鈍く光るものを見たと、兵士長に報告したが、兵士長が見に行ったときにはなにも見当たらなかった。もともと河幅が広いので、対岸もよくは見えない。
「馬車かなにかか」
 たくさん通ったようにも思うが、定かではない。見間違えじゃないのかと叱られて、兵士も自信がなくなり、そうかもと引っ込めてしまった。
 国境守備隊の本営では、新しく就任した隊長のカッツエルに王都から伝書官として派遣されてきた魔導師が挨拶をしていた。イリン=エルンの副学院長だったレスキリだった。副学院長までしたものを伝書官、しかも国王や王族将軍などが派遣されているわけでもない辺境に向かわせるなど、学院長の嫌がらせにほかならない。
「次は、ヤンハイとの国境攻略だろうから、こちらは巡回したり流浪民を追い返すくらいだ」
 以前はかなり活発に暴れていた河の上流域をねぐらとする匪賊がこのところおとなしくなっている。資金不足ではないかと見られていた。
「去年閣下が視察に来たときに大掛かりに仕掛けてきたが、そのときにかなり大量の発破や舟を使ったから、それでもう金がなくなったようだ」
 下流域の連中も先月までにウォレヴィがほとんど退治してしまっていた。カッツエルが仕事がないなと笑っていた。
「この付近で異端の民の馬車など見かけませんでしたか」
 レスキリが尋ねたが、カッツエルは首を振った。
「異端の馬車というと金物の箱だったな、見たことはないな」
 レスキリがほっとした。魔導師学院総会の議事録附記で、マシンナートへの警戒を強めるようにと書かれていたが、ユリエン学院長は鼻先で笑うばかりだった。
確かに異端の民など、もう何十年も姿を見ないし、青白い顔をしていて、ひ弱で追い立てられるとこそこそと逃げていく連中だ。だが、一の大陸で武器を使ったというから、やはり警戒は必要だ。
レスキリがそのように進言すると、ここに追いやられたのだ。イリン=エルンにいたときも、ヴァシルがトレイルではない形のモゥビィルを見たというのに、ほおっておけとジェトゥ学院長に言われていた。なにごともなければもちろんそれでいいのだが。
 翌日、レスキリは、下流域の小さな砦にも挨拶に行くことになっていて、朝早く出発した。
 お昼過ぎ、十三〇〇の少し前、見張り台で河の方を見ていた見張り番が上流方向からなにかキラキラと光るものを見つけた。かなり遠いが、ガガガッと土を削るような音やキリキリという金物が擦れるような音がしてきた。
「おい、なにか近づいてくるぞ」
 見張り番のひとりが兵士長に報せに降りた。兵士長が登ってきて目を凝らした。各砦にひとつ備えられている望遠鏡でのぞいていた見張り番ががたがたと震え出した。
「どうした」
 兵士長が望遠鏡を奪ってのぞいた。
「な、なんだ…あれは…」
 小さな丸い窓の中に、屋根に長い棒を乗せた鋼鉄の馬車が見えた。もちろん、馬もなくて進んでいる。
「異端の馬車だ、早く隊長に!」
 報せなければと見張り台から降り、幕営小屋に向かった。
 その時、ヒューンと遠くから花火が上がるような音がして、光の球が飛んできた。
 光の球は見張り台に当たり、大きな爆裂音をたてて破裂した。火花や白く熱い迸りが飛び散る。
「うわぁぁっ!」
 兵士たちは、身がすくんで動けないもの、逃げ惑うもの、こけて折り重なったり、踏みつけられたりするものが入り乱れていた。
バラバラッという天を引き裂くような大きな音がして、振り仰いだ。
「わあぁっ!」
 鋼鉄の鳥のようなものが空に浮かんでいた。頭の上でなにかぐるぐると高速で回転している。それがバラバラッという音を立てているのだ。
 その鳥の足のように張り出しているところからバババッと火花が散った。
「ぎゃぁーっ!」
 その火花がヒトや地面に当たる。火花が当たったヒトは血を噴出し、次々に倒れていく。
「なんだ!?」
 幕営小屋から隊長のカッツエルたちが飛び出してきた。空中に浮かぶ不気味な鋼鉄の鳥に呆然と立ち尽くした。鋼鉄の鳥は高く浮かび上がっていく。
「隊長!」
 副官が呆然とするカッツエルの腕を掴んだ。
「逃げましょう!」
 カッツエルが首を振った。襲撃されてこのまま逃げるわけにはいかない。だが、とうていかなう相手ではないことはわかる。
遠くから次々と光の球が放たれてくる。地面や小屋に激突し、破壊していく。そのたびに火の粉や木の破片が飛び散り、さらには兵士たちの身体も跳ね上がった。手足がもげたり、頭が吹き飛ばされたりと、無残な姿で地に叩きつけられていた。血肉が飛び、うめき声や怒号、悲鳴が起こる。破壊されていない小屋にも火が飛び移り、燃え始めた。
「魔導師は…どこだ!」
 副官が朝から下流域の砦に行っていると言うと、カッツエルが、馬小屋に走っていった。
「砦に向かおう!魔導師と合流するんだ!」
 とにかく逃げろと叫びながら、走った。本営の一番外れの馬小屋が見えてきた。ヒューンヒューンという笛のような音が後からして、光の球が雨あられのように無数に落ちてきた。
「あああっ!」
 白い光が広がり、光が去ったあと、その一帯は跡形も無くなっていて、地面がすり鉢のようにえぐられていた。

 ハバーンルーク王都郊外に構えているヴラド・ヴ・ラシスの本拠をたったジェトゥは、もしや息子のアルトゥールが一緒に行きたがると困ると思い、父のアギス・ラドスと話をしてすぐに出発した。連れて行って見せてやってもいいが、戦争となれば、なにが起こるかわからない。いざというときは、魔力を使って逃げ出せばいいが、それで済むかどうかわからなかった。できれば危険なことは避けたほうがいい。
 まっすぐにアプトラスのパミナ教授のラボには向かわず、ある自治州を訪れた。ウティレ=ユハニとヤンハイの国境の自治州で、ウティレ=ユハニの次の標的ではないかと噂されている。
 イリン=エルン敗戦後、ヤンハイの王太子が公使として訪問する準備をしているようだったが、実際には、まだ国を出発していない。もし公使として向かうのなら、この自治州を通ることになる。
 ジェトゥは、ヴラド・ヴ・ラシスの詰所に向かい、アギス・ラドスの署名入り書面を見せた。ここ十日のうちにヤンハイの王太子が通ることがあったら、しばらく留まるよう工作するようにという指示書だった。
「…こちらまでは及ばないのですよね…」
 詰所の長(おさ)がこわばっていた。
「今のところはな」
 ジェトゥがあっさりと言った。マシンナートなど信用してはいない。いつなにをするかわからない。今まで敵に向けていた砲口をそっくりそのままこちらに向けないとも限らない。うまく使っているようで、逆に使われているのかもしれない。
「警戒は怠るな、ただし、州兵などに悟られるなよ」
 長がうなずいた。


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