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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第210回   イージェンと潮風の港街《アッパティーム》(下)(4)
すっかり平らげ、食べ終えた皿などを厨房に運んで、後片付けした。セレンに教わりながら、皿を洗った。片付け終わった頃、イージェンがやってきた。
「汚水は俺が船倉に運ぶから、さっきの部屋で続きしていろ」
 後で茶を持っていくと言われて、船長室の隣に戻った。セレンが壁の棚にある灯りに火を点けた。
 手元にも灯りを置いた。セレンはパズルの続きをし、カサンは書物を読んでいた。
 ほどなくイージェンが茶碗とやかんを持って来た。やかんにはおかわりがあると言って置いていった。セレンが茶碗に茶を注いでカサンに渡した。
「どうぞ」
 カサンが受け取り、ゆっくりと飲んだ。
「セレン、もう痛くないのか」
 額に触れると膨れていたところも治っているようだった。セレンがはいと返事をして茶をおいしそうに飲んだ。
 しばらくパズルをしていたセレンが眠くなったらしく、眼を擦り出した。
「眠いなら、部屋に戻って寝たらどうか」
 セレンがうなずいて立ち上がった。部屋まで連れていって、靴を脱がしてベッドに横にしてやった。
「おやすみ」
 セレンがおやすみなさいと眼をつぶった。
カサンは、船長室の隣に戻り、やかんから茶のおかわりを入れて、頁を繰っていった。
夜が更けてきて、うとうとしてきた。
…テクノロジイを捨てればいいのか?
 レヴァード、あいつはバカものだ。
 嫌われてるからか、エヴァンス大教授に。だからって、シリィになるなんて。不潔で不便な生活。我慢できるものか。病気になったらどうするんだ。タァウミナルがなくてどうやってワァアクや研究をするんだ。
…清潔で便利な生活に戻れる。
 そうだ、明日には…戻れる。セレンともイージェンとも、さよなら…だ。
 
 カサンは、ひやっとした空気で眼が覚めた。いつのまにか横になっていて、灰色の外套が掛かっていた。
 イージェンが掛けたのだろう。その外套を握り締める手が震えた。
 自分の部屋に戻り、顔を洗い、食堂に行った。
「おはようございます」
 セレンが朝飯の用意をしていた。
「ひとりでしたのか?」
 昨日のスープの残りとパン、果物だった。
 片付けを済まして甲板に出た。少し曇っていたが、潮風が心地よかった。イージェンが熊と仔狼を抱えてやってきた。
「買出し組、もうすぐ戻ってくるから、夕方には南方海岸に着く」
 リュールがグルルッと低い声でカサンを睨んでいた。
「そいつには、最初からずっと嫌われてる」
 カサンがやれやれという顔をした。
「あんたが嫌ってるからだろう」
「動物は嫌いだ、言葉が通じない」
 イージェンが首を傾けて、二匹の鼻面に交互に仮面を押し付けた。
「言葉が通じるヒト同士でも、そうそううまくはいかないがな」
 カサンがそっぽを向いた。
 北の空からなにか黒いものが近付いてきた。ぐんぐん迫ってきて甲板に降りた。エアリア、ヴァシル、アートランが、荷車に荷物とヒトを乗せて運んできたのだ。
「ずいぶんと買い込んできたな」
 その荷車もかとイージェンが呆れた。
「どうせこれからも買出しのときは必要かと思って」
 アダンガルが、買っていくことにしたのだ。荷物を船倉や船室に運んでいく。
 食堂でカサンとセレンが、みんなにお茶を出した。レヴァードに差し出したカサンがそっと尋ねた。
「どうだった、うまくいったのか」
 レヴァードがうれしそうにうなずいた。『お気楽』なレヴァードに、カサンがくたびれたようなため息をついた。カサンがヴァンとリィイヴの前にも茶碗を置いた。
「まさかカサン教授がお茶を入れるなんて」
 ヴァンが驚いて眼を剥いていた。
「フンッ!」
 不機嫌そうに鼻を鳴らしてセレンの隣に座った。
イージェンが茶を飲むよう手を振った。みんな小さく頭を下げて茶を含んだ。
エアリアから買い物の金額の書き込みをした紙を受け取り、見ていたイージェンが紙をバンとテーブルに叩きつけた。
「なんで『花代』に金貨二枚もかかってるんだ、『姫君』でも抱いてきたのか」
 アダンガルが手を振った。
「いや、ちょっとした手違いがあって」
 ヴァンがリィイヴにひそひそと尋ねた。
「『姫君』って金貨二枚で抱けるのかな」
 リィイヴがぎょっとして肩を引いた。アートランが両手を広げて肩をすくめた。
「まさか、もののたとえだよ」
 アートランが席を立って、イージェンの側にいった。
「おっさんが心づけと花代の包みを間違えて渡したんで、案内の婆が『お大尽』が『検分』しにきたのかと思って奥に通したんだよ。でも、婆は間違えたってことわかってたみたいで、金貨もって逃げた」
 『検分』とは、金持ちや貴族が娼館で側女を仲介してもらうときに品定めに行くことだ。気に入ったら何回か通って仲介料と身請代を払って引き取るのだ。ある程度格式のある娼館でないとやっていない。イージェンが肩でため息をついた。
「なんで金貨二枚も渡したんだ、銀貨五枚もあれば充分だぞ」
 それでもおつりがくると嘆いた。アダンガルが頭を下げた。
「俺が渡した。もし足らなかったりしたら困るかと思って」
 さすがにアダンガルも花代の相場までは知らなかった。
「それで、結局、どうしたんだ、このほかに払ったのか」
 レヴァードが戸惑いながら答えた。
「アートランが払ってくれたんだ」
 アートランに向かって頭を下げた。
「おまえにも後でワァアクして返すから」
 アートランが、水晶の原石で払ったと言った。
「少し小遣いが欲しかったから、帰り際に売ってこようかと思ったやつだから、いいよべつに」
 エアリアが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「アートラン!いい加減にしなさい!」
 はいはいと適当に返事して席に戻った。エアリアがまた泣きそうな顔で腰を降ろした。
…君のほうこそいい加減にしたら。
 ヴァシルがエアリアを睨みつけていた。今朝、顔をほころばせながらリィイヴと一緒に隣の部屋から出てきた。不愉快でたまらない。
 レヴァードがイージェンのところに行って、頭を下げた。
「ありがとう、とてもうれしかった。金はちゃんと返すから」
 顔を上げたレヴァードがてれくさそうに頭をかいた。
「また、港に寄ったら、行ってもいいかな。なんとなく事情がわかってきたから」
 イージェンが仮面の額に手を当てて伏せた。くくっと笑い出した。
「おまえは面白いな、マシンナートとは思えん」
 そうかなとまた頭をかいた。
「金貨二枚分、返せたらな」
 イージェンが言うと、レヴァードが何度もうなずいた。うれしそうに席に戻っていく背中を見ながら、アダンガルがひそっと言った。
「何をさせるか知らないが、いくらなんでも金貨二枚分働くといったら何年かかるか」
 イージェンは答えなかったが、なんとなくうれしそうな感じが伝わってきた。気に入ったのかとアダンガルもうれしくなった。自分もレヴァードは父親くらいの年だが、なにかかわいらしい感じがしていた。
 マシンナートもいろいろいる。リィイヴもそうだし。
…おじいさまもよい方だといいけれど。
 アートランが反対しているのが気に掛かっていたが、会ってみたい気持ちは募っていた。

 レヴァードはさっそくイージェンに甲板の清掃を言いつけられた。
「ひとりじゃ、一日で終わらないかも」
 イージェンが桶と雑巾を突き出した。
「終わらせろ」
 えっと顔を引きつらせたが、受け取ってはじめた。
「おっさん、素直だな」
 側にいたアートランが腕組みして笑っていた。イージェンが付いて来いと飛び上がった。
 上空に上がって、南方海岸方面を見渡した。
「アダンガル殿がエヴァンスと会うとき、おまえも同席しろ」
 エヴァンスの真意を知りたいのだ。アートランが呆れた。
「やたらにヒトの心を読むなと言ったのはあんただぜ」
「俺が許せばいいんだ」
 はあとため息をついた後、真顔になった。
「俺はじいさんに会うのは反対なんだけどな」
「アダンガル殿が啓蒙されると思うのか」
 アートランが首を振った。
「違う、じいさんを殺さなければならなくなったときにアダンガル様がよけいつらいだろうと思うからさ」
 足元の船がどんどん速度を上げていく。
「それはしかたない。逆に、アダンガル殿が啓蒙されてしまったら、俺はエヴァンスと一緒に殺さなければならない、そうなったら、俺はもっとつらい」
 言わずに済ませられたことだ。知らないままでよかったことだ。それをあえて教えた。それゆえに、もしアダンガルが啓蒙されてしまったら、ひどく後悔するだろう。そうはならないと信じているが、それでも一抹の不安は感じていた。
アートランが何も言わずに西に向かっていく船を見つめた。
 夕方、陽が沈む前に『空の船』は南方海岸に戻ってきた。
 南方大島寄りに停留し、曳航していたアンダァボォウトを浮上させた。アートランがカサンを甲板に連れてくると、全員が甲板に集まっていた。
「カサン教授、元気で」
 レヴァードが手を握った。カサンがいらだたしげにその手を振り払った。セレンが近寄ってきた。
「カサン教授、助けてくれて、ありがとうございました。パズル、もっと作って図形の勉強します」
 カサンがかがんでセレンを抱きしめた。アートランがカサンの肩を叩いた。
「そろそろ行けよ」
 カサンが抱きしめたまま動かなかった。
「まだ…」
 ぼつっとつぶやいた。
「まだ、あの部屋の本、読み終わってない…」
 リィイヴが困った顔でイージェンを見た。イージェンは少し仮面を伏せた。
「あの本を読んでも、あんたには何の意味もない」
「まだ、読み終わってない!」
 セレンをぎゅっと力いっぱい抱きしめて震えた。セレンがしくしく泣き出した。
 アートランがちょっととイージェンを船室の廊下に呼んだ。
「カサン教授、あんたやセレンと別れたくないんだ、でもテクノロジイも捨てられない、それで悩んでる」
 イージェンが首を振った。
「テクノロジイを捨てなければ、俺たちとはいられない」
 アートランが廊下の壁によりかかった。
「そうだけど、そんなに簡単に結論出せっていっても無理だろ」
 イージェンが甲板を見た。
 アートランがひとりで甲板に戻ってきて、カサンの側に立った。
「仮面から伝言」
 はっとカサンが顔を上げ、ほかのみんなもアートランに注目した。
「カサン教授、あんたがあの部屋の本を読み終える前にマシンナーは滅びるかもしれないが、それでもよければ、好きなだけ読めばいい、だってさ」
 カサンがセレンをまた堅く抱きしめた。
「カサン教授」
 心配そうなセレンの頭を撫でた。
「今度はもっと難しいパズルをやってみような」
 セレンがうれしそうに笑った。
 水平線に沈んでいく夕陽が、みんなの顔を赤く染めていった。
 ヴァシルがレアンの軍港に飛んでいき、カーティア駐留軍に『空の船』が戻ってきたことを告げに行った。
 夕飯の後、よたよたと壁を伝い歩きして部屋に戻ったレヴァードを追って、アートランが入ってきた。ベッドでぐったりとしているレヴァードをふわっとうつぶせにした。
「なんだ…ほっといてくれよ…」
 一日中甲板拭きをさせられて、身体が痛くなっていた。
「たぶん、ずっとさせられるぜ」
 レヴァードがうぅーっとうなった。
「しかたない、ワァアクしないと、金を返せないし、『ショウカン』にも行けないからな」
 アートランが手でぎゅっと腰を押した。
「てってっ!」
 ぐいぐいと押していく。涙目になった。
「その前におっさんの腰がだめになりそうだな」
「そ、それは困る!」
 真剣に困っている様子にくすくす笑いながら、手のひらを白く光らせて、腰を揉み始めた。ゆっくりとほぐされていく。
「それは…」
 温かい熱のようなものが伝わってきて、腰が楽になっていく。
「魔力ってやつか」
 アートランがああとうなずいた。太ももやふくらはぎもゆっくりともみほぐした。
「こんなの王族だって滅多にやってもらえないんだぜ」
 レヴァードが気持ちよさそうに眼をつぶった。
「そうか…ありがたいな」
 ヒューゥゥン!
 外で笛のような音がした。窓の外の空に火花が散っていた。
 食堂で見ていたリィイヴがつぶやいた。
「来た」
 リィイヴが眼を細めて南方大島《エトルヴェール島》の方に顔を向けた。
(「イージェンと潮風の港街《アッパティーム》」(完))


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