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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第209回   イージェンと潮風の港街《アッパティーム》(下)(3)
 テーブルの上に置き、駒を並べ始めた。エアリアがきょとんとしてその様子を眺めていた。サイコロがないので、この間と逆にしてリィイヴが先手となった。トンと駒を動かした。
「夕べのことは、もういいよ、君があまりに師匠が師匠がって言うから、ちょっとすねただけだよ」
 エアリアがすっと滑るように駒を動かした。
「君がいつも『師匠』のことを考えていたとしても、ぼくはもう気にしない」
 エアリアが盤に向けていた顔を上げた。リィイヴも顔を上げた。
「ぼくもいつもイージェンの助けになろうと思ってるからね」
 エアリアがじっとリィイヴを見つめた。リィイヴも見つめ返した。
「ふたりでイージェンの助けになるようがんばろう」
 リィイヴが優しい笑みを見せた。
「君のこと、とても好きだよ、イージェンにシリィの娘と結婚して、子どもを作って、ヒトの進むべき道を探して一生を過ごせばいいと言われて、真っ先に君のことを考えた。無理だとわかっている。だから、ぼくは君と一緒にいられればそれでいい」
ほんとうは、思い切り抱きしめたい。ふたり同じベッドで朝を迎えたい。でも、もうあきらめなければ…。
エアリアの青い眼の縁が赤くなった。エアリアは駒を進めなかった。
「君の番だよ」
 エアリアが王の駒を横に倒した。
「きっと負けますから、終わりにしましょう」
 エアリアが席から立った。戸惑っているリィイヴの側までやってきた。
 リィイヴも立ち上がった。
「殿下と『お別れ』する前から、あなたに惹かれはじめていました。好きなのは殿下だけと言い聞かせていたけれど…」
エアリアが目を細め、リィイヴを見上げた。いつものどきどきはもう身体いっぱいに広がっていた。
「あなたを好きになってしまったこと、もう否定できません…」
リィイヴも優しく目を細めた。
「わたしは魔導師の使命は捨てられません。だから、あなたの妻になることはできません」
 リィイヴが心の中でああとため息をついた。お互い惹かれあっているのに。だめか。
 こんなにもすぐ側にいるのに。押し倒してしまいたい。
 だが、それはできない。
 心も身体も納得させるのには時間がかかりそうだった。
エアリアがリィイヴに近付き、胸に手を置いた。
「妻にはなれませんが、抱いて…ください…」
まさか。ほんとうに?ほんとうにいいんだね。
リィイヴが眼を潤ませた。
「うん…」
 手をエアリアの背中に回し、抱きしめた。エアリアが眼を閉じて、リィイヴの唇が重ねられるのを待った。
 頭の中がしびれるような深い口付けを交わした。リィイヴが囁いた。
「今夜こそ、ベッドに行こう…ね?」
 エアリアがリィイヴの背中に手を回し、ぎゅっと抱きついてうなずいた。

 充分満足するほどに抱いて、ぐっすりと寝ていたレヴァードは、先に目を覚ました女に肩を揺すられてようやく起きた。
「なんだ、もう朝か」
 女が窓を開けた。
「ああ、朝だよ」
 窓から濃い潮の香りを含んだ風が入ってきた。扉が開いて、案内の婆が水差しを持って来た。女が杯に水を入れて渡した。
「お別れだよ、これ飲んで服着て」
 レヴァードが受け取って飲み干して、服を着けた。見送ろうとベッドから降りた女の頬に口付けた。
「俺と寝てくれてありがとう、すごくよかった」
 女が苦笑した。
「あんた、ほんとにヘンだよ」
 娼婦に礼を言うなんて、少し頭が弱いのかもしれない。廊下に押し出すようにした。
「さよなら」
 扉の隙間から、きれいな笑みを見せた。
「酒、飲みすぎるなよ」
 扉が閉じる寸前、レヴァードが手を振った。
案内の婆に連れられて、歩き出した。両脇の部屋は扉が開いていて、掃除を始めていた。すでに他の客はみんな帰っているようだった。
 一階に下りると、夕べ会った女主人がお辞儀して出迎えた。
「おはようございます、旦那様」
 ここで『勘定』というのをするんだろうなと包みを渡した。
「ありがとうございます」
 女主人がそっと包みを開いてくくっと笑った。
「旦那様、おからかいになってはいけませんよ、これでは…」
 包みの中を示した。銀貨が一枚あっただけだった。
「あ…」
 レヴァードが気が付いた。
「間違えた、案内の女に金貨のほう、渡してしまった」
 取り替えてもらってくれと言うと、女主人が側の女に何か言いつけた。少しして、戻ってきて耳元でこそっと何か告げると、女主人がくいっと顎をしゃくった。身体の大きな男たちが何人か出てきて、レヴァードを囲んだ。
「婆は見つからないんでね、とにかく遊んだ分は払ってもらわないと、こちらも困るんだよ」
 女主人は急に言葉遣いが荒くなって、男たちにふところを探るように言いつけた。両脇から男たちが腕を掴み、身体を触り出した。
「おい、なにするんだ!」
 男が首を振った。
「どう始末つけるつもりなんだい」
「どうって…あの女を捜してくれ、もう片方はたしかに金貨だったんだ、それでおつりももらってこいと言われたし」
 女主人がけらけら笑った。
「おつりだって?!ほんとに冗談じゃないよ、スリュズに酌させて、飲み食いしたんだ、金貨一枚でも足りないくらいなんだよ!ディルダの分はまけておいてやるから、さっさと払いな!」
 男のひとりが腹を殴りつけた。
「がっ!」
 ぐらっと身体が揺らぐのを両脇で押さえ、何度か殴った。
「殴っても…なんにもでないぞ」
 レヴァードが息を荒らしながら言った。内臓破裂で死ぬかなとかすかに思った。
 そのとき、扉がガンガン叩かれた。男のひとりが開けると、子どものように小柄な男が立っていた。
「うちの旦那様迎えに来たんだけど」
 女主人が小僧だろうと中に入れさせた。レヴァードがアートランと分かり、ほっとした。
「おまえのところの旦那は、ずいぶんと舐めた真似してくれるじゃないか」
アートランが、『花代』を踏み倒す気なのかと怒っている女主人の側まで行き、耳を貸すようにという仕草をした。かがみこんだ女主人の耳元で頭を指で指し、こそりと言った。
「うちの旦那様はここが少し弱いんだ、それで嫁さんも来ないから」
 腰から下げていた袋を差し出した。
「充分あるだろ、これで勘弁してくれよ」
 女主人が袋を開けて、中身を見た。フンとそっぽを向いて、男たちに離すよう手を振った。男たちが手を離し、レヴァードが腹を押さえて膝を付いた。
「さあ、旦那様、立って」
 アートランが腕を抱えて、立たせ、外に出た。後ろでぴしゃっと扉が閉まった。
「まったく、なにやってんだよ」
 アートランの肩に腕を回し、支えられながら、歩きだした。
「よくわからん、どうやら渡す包みを間違えたらしい」
 腹の痛みに顔を歪ませながら、レヴァードが首を捻っていた。
「でも、女抱けたんだろ?」
 レヴァードが頬を赤くして恥ずかしそうにうなずいた。
「まったく、その年でてれてみせてもかわいくないっての」
 アートランが呆れながらも、よかったなとレヴァードの腹を擦った。痛みがすっと引いたので、レヴァードが驚いた。
 周りを見回してから、アートランがレヴァードを抱え上げて、空に飛び上がった。

 アダンガルたちが『空の船』を出て港に向かってから、カサンは船内を歩き回っていた。今は静かに停留しているが、ここまでの海上を帆も張らず、ほかにいかなる動力もなく、この船は航行してきた。
「しかもこれが空を飛ぶ?!ありえん!」
 カサンは後部甲板から海に向かって叫んだ。両手で握った手すりに額をつけた。
「カサン教授」
 セレンが熊のウルスを連れて後ろに立っていた。何か差し出してきた。
「これ、作りたいんですけど」
 紙切れを三角や多角形に切ったものだった。
「図形パズルを作るのか」
 うまく作れないというので、紙と鋏がある船長室の隣の部屋に向かった。その部屋の棚には、リィイヴがエスヴェルンの学院から借りてきた『理《ことわり》の書』が何十冊も置いてあった。
「これが理《ことわり》の書…」
 一冊開いてみていると、セレンが紙を出してきた。棚に少し板が張り出しているところがあり、そこで書き物ができるようになっている。紙に羽ペンで大きな四角と中にいろいろな線を書いた。
「うーん、線がまっすぐ引けないな」
 ペンは何度か使ったことはあるが、線を引くのはなかなかうまくいかない。何枚かやってみて、わりかたきれいに引けた三枚をセレンに線の沿って切るように渡した。部屋の床には敷物が敷かれている。セレンがウルスとその上に上がって、切り始めた。
カサンが『理《ことわり》の書』の一冊をもってセレンの横に座り、頁をめくった。
「…なんて抽象的な…これでは…」
 数式も記号論理的表現もない。空や海や大地のもたらす有益性、四季や天候の変移、星や太陽、ふたつの月の運行、そうしたものの現象が、ただ歌の文句のように並べられている。
「これは、これで…」
 シリィにとっては充分なのだろう。しかし、こんな抽象的表現では、『理《ことわり》』を基礎に新しい理論や技術を造りだすことができない。
 そう思いつつ、しばらく読んでいると、セレンが出来たと見せてきた。
「きれいに切れたな、それをこの切った後の四角にはめていくんだ」
 三つ分の図形をごちゃごちゃに混ぜて、ひとつ選んで、四角の隅に置いた。
「この間ボォウドで動かしたようにはめていって、きちんとおさまれば正解だ」
 セレンがたくさんある図形の中からつまみとって、四角の中にはめていく。一回では出来ないので何度か選びなおしてやり直していた。カサンはまた書物に眼を戻した。
 しばらくして、急に部屋の中が暗くなった。陽が傾いたようだった。
「暗くなってきたな」
 扉が叩かれて、イージェンが顔を出した。
「夕飯の仕度をしておいたから、食べるといい」
 そんな時間かと周りを見回した。イージェンが、廊下に出てきたウルスを抱き上げた。
「こいつとリュールは俺が食べさせる」
 セレンがお辞儀してカサンと手をつないで食堂に向かった。
 食堂の窓際のテーブルにふたり分食事が乗っていた。
「これをイージェンが作ったのか」
 カサンが純粋に感心していた。テーブルの上に紙が置いてあった。セレンが読んでくれというので読んでやった。
「人参と青菜を鳥の肉で包んで甘辛いソォオスで煮込んだもの、香草、芋をふかしたものバター添え、鳥の皮を揚げたもの、玉子スゥウプ、押し麦粥…と書いてある」
 この献立だろう。いただきますとセレンが小さくお辞儀して食べ始めた。カサンも口を付けた。
「おいしいですね」
 セレンがうれしそうに食べていた。
「ああ…まあまあかな」
 内心おいしいなと思ったが、不機嫌そうにつぶやいた。


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