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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第202回   イージェンとマシンナートの教授(4)
 甲板で朝焼けを見ていたリィイヴにヴァンが声を掛けた。
「リュール見なかったか?」
 朝起きたら姿が見えないのだという。
「なんか、カサン教授にやたらに吼えてたけど…まさか、噛み付きに行ったとか」
 リィイヴが心配すると、そうかもとヴァンが駆け出した。入れ替わるようにレヴァードがやってきた。
「おはよう、夕べは楽しんだか?」
 にやっと笑って肩を叩いた。眼を腫らして疲れた顔で首を振った。
「そんなわけないでしょう、魔導師なんですよ、あの子は」
 さすがにリィイヴもすねていた。
やっとあそこまで行ったのに。終わってからぐっすり寝ればいいのに。ともかく師匠が言うことが一番だからなぁ。
もしかしたら、最大の敵はイージェンかもしれなかった。
「魔導師か…たしかに信じられない力だけどな」
 レヴァードが顎を擦った。
「おまえとヴァンは、テクノロジイを捨ててシリィになるんだそうだな」
 リィイヴがうなずいた。
「そうか…いいかもな」
 レヴァードが手すりに寄りかかって、空を見上げた。
「天井がないってのは…いいよな」
 両手を空にかざした。
「ええ、ぼくも、空が好きなんです、ずっとこの空の下にいたいなと思って」
 レヴァードも何度もうなずいていた。
夕べ、エアリアはレヴァードのことをそんなにヘンなヒトじゃないと言っていた。たしかにレヴァードは『まとも』なヒトのようだった。
急にレヴァードがリィイヴの肩を抱いて、耳元でこそっと言った。
「なあ、もうけっこうシリィの中に知り合いとかいるみたいじゃないか、俺と寝てくれる女、紹介してくれよ、エアリアみたいに若くてかわいくなくてもいいから」
 このままじゃ死んでも死に切れないからと言うのだ。
 …前言撤回、やっぱり『ヘン』なヒトだ。そういうこと頼まないでほしい。
「エトルヴェール島に行けばいるかも」
 独立プラントには女はほとんど配属されないが、シリィの女たちがいるだろう。すっかり啓蒙されている様子だから、マシンナートの男とでも寝るかもしれない。レヴァードはなかなか顔立ちがいいので気に入る女がいそうだ。それでこのヒトがいなくなればほっとする。悪いヒトじゃないのはわかるが、どうも調子が合わない。
 船室から大きな音がした。
 ガシャーンッ!ガシャーンッ!
 皿や杯でもひっくりかえしたような音だ。
「なんだ?」
 レヴァードがビクッとしてリィイヴと顔を見合わせた。
「食堂みたいです」
 ふたりで走っていった。
 食堂の入り口でヴァンと出合った。
「何があったの?!」
 リィイヴが聞いたが、ヴァンはわからないと首を振った。食堂の中に入ると、まだガシャーンガシャーンと音がしていた。しかも、吼える声と唸る声が入り乱れていた。
「ギャンギャーン!」「グルルルゥー!」
 獣の声だ。足元を何かがシュンッと駆け抜けてく。
「リュール?!」
 リュールと気づいたヴァンが追いかけようとした。別の何かがテーブルの上を飛び跳ねて、リュールに飛び掛った。
「グルルゥゥ!」
 真っ黒い毛のかたまりが唸っている。リュールがテーブルの下に潜り込み、奥に入り込んだ。黒い毛のかたまりは追いかけていって、リュールに噛み付いた。リュールがギャンギャン鳴きながら振りほどき、逃げ出した。
「ちょっと、だれか止めないと!」
 リィイヴが足元を走っていく黒い毛のかたまりを押さえようとした。だが、かわされて、リュールが逃げ込んだ厨房に飛び込んでいく。
「厨房に!」
 リィイヴが青ざめた。果たして厨房で何かがひっくり返る音がした。
「なんですかっこれっ!」
 朝飯の仕度をしに来たヴァシルが不可解な顔で両手になにかを掴んで出てきた。後ろからエアリアもやってきた。
「リュール!」
 ヴァンが左手につかまれているリュールを受け取って抱きしめた。あちこちひっかかれ、耳や足をかじられていた。すっかりおびえてがたがた震えている。もう一方は、真っ黒い毛の固まりで、眼を赤くして毛むくじゃらの手足をばたばたさせてもがいていた。大きさはリュールとあまり変わらない。
「なんだ、どうした!」
 イージェンをはじめ、起き出していたアヴィオスやカサンも現れた。アヴィオスが黒い毛の固まりを見て驚いた。
「ラックラムじゃないか、なんでこんなところに」
「熊か」
 イージェンがヴァシルの手から掴み取り、ぎゅっと首を締め上げた。ラックラムがキュゥゥと苦しそうにもがいた。
「熊の肉はあまり上手くないが、よく煮込めば食える」
「師匠!」
 セレンが食堂に入ってきた。
「セレン、起きたのか、歩いて大丈夫か」
 セレンがうなずいて、イージェンが握っているラックラムに手を伸ばした。
「その子、食べないで」
 ラックラムがセレンの手を掴もうとする仕草をした。イージェンがラックラムをセレンに渡すと、ラックラムがキュウッとうれしそうに鳴いてしがみついた。イージェンが窓のほうを見た。
「アートラン、おまえが連れてきたんだな」
 アートランが窓から入ってきた。決まり悪そうに鼻の頭を掻いた。
「ああ、セレンの鞄探しにいったけど、見つからなくて。そしたらそいつがいたから」
 セレンに懐いてたのでつれてきたと言い訳した。イージェンがセレンからそっとラックラムを取り上げて、アートランに投げた。
「置いて来い、獣はリュールだけでいい」
 ラックラムはアートランの腕からするっと抜けて、またセレンに飛びついた。ぎゅっと抱きついて離れない。
「師匠…」
 セレンが困った顔で見上げた。イージェンがため息をつくように肩を動かし、ラックラムの耳をぎゅっとつねった。
「今度リュールと喧嘩したら、熊シチューだ」
 ラックラムがぶるっと震えた。セレンがうれしそうに頭を下げた。
「師匠、ありがとうございます!」
 きちんと世話をしろよとセレンの頭を撫でながら、めちゃくちゃになっている食堂を見回した。
「片付け、誰がやるんだ」
 アートランがすねたように口を尖らせながら手を上げた。
「俺がやる」
 イージェンが当然だと言った。
 リュールをリィイヴに渡したヴァンも手を上げた。
「俺もするよ」
 では俺もしようとアヴィオスがアートランの頭に手を置いた。
「では、食堂はその三人とリィイヴ、ヴァシルはリュールの手当てしてやれ、エアリアとレヴァードは朝飯の仕度、カサンは俺と来い」
 リィイヴはヴァシルにリュールを渡した。エアリアの後ろからついていくレヴァードの背中を見ていたが、ため息をついて床に散らばった皿の欠片を拾い出した。
 カサンは、ついてこいと言われ、しぶしぶイージェンの後を付いていった。カサンの部屋に入り、小部屋の用桶を持つよう言った。
「こ、これをどうするんだ」
「もちろん、始末するんだ、船倉に汚水水槽がある。そこに捨てて、桶を洗うんだ」
 カサンが青ざめて首を振った。
「できない」
「自分の用桶だけでいいからやれ」
 夕べはしかたなく使ったが、湯で洗うのではなく、細い草の束で拭かなければならず、つらかった。
「昨日あんたは湯を使って夕飯を食わせてもらったんだ。世話になったんだから、片付けの手伝いをするのが礼儀だろう」
 蓋付き用桶には、取っ手が付いている。もたされてよたよたしながら階段を降りた。汚水水槽には梯子が付いていて、イージェンの手を借りながら昇り、中身を空けた。
「うっ…」
 桶の中身の臭いで吐きそうになる。
「吐いてもいいぞ」
 イージェンに言われて、押さえきれず吐いてしまった。背中を擦られて肩を振った。
「いいっ、よけいなことするなっ!」
 臭いが眼に染みてきて涙が出た。梯子を降りると、イージェンが、用桶を洗う大きな洗い桶に水を入れ、ささらで中を洗ってみせた。
「やってみろ」
「なんで、こんな…」
 まだ眼が痛かった。
…こんな涙が出るのは、屎尿の臭気が眼に染みるからだ。
 泣きながら洗っていたが、途中でささらと用桶を投げ出した。
「したくないっ!」
 ささらを握ったイージェンがカサンを押しのけて、用桶を洗った。
「ラウド王太子は、一生懸命やってたぞ」
 カサンが眼をしばたたいた。
「まさか、あの…バカ王子が…」
「王族だろうがマシンナートだろうが、食えば、糞が出る。当たり前のことだろう。あんたたちはそれを水に流して始末しているが、俺たちはこうして自分たちで洗うんだ」
 カサンがいらだたしげに言った。
「テクノロジイを使えば、清潔で便利な生活が送れる。おまえたちは動物と一緒じゃないか」
 不潔だ。それにろくな動力がないから手作業するしかない。おそろしく効率が悪く、不便だ。
「清潔で便利か。そのために犠牲にするものがどれほどあることか…いずれにしても、あんたは今夜にもその清潔で便利な生活に戻れる」
 手を洗って自分の部屋に戻るよう言った。
「もう行っていい」
 洗い終えた用桶を逆さにして床に置いた。
 カサンは、一度部屋に戻ったが、気になって、そっと船倉を覗きにいった。イージェンが各部屋の用桶を始末していた。カサンが降りてきたのとは別の階段からラックラムを抱えてセレンが降りてきた。
「師匠、ぼく、もうお手伝いできます」
 腰を降ろしていたイージェンがセレンを見上げた。
「そうか、もうすぐ洗い終わるから、甲板に干すのを手伝ってもらおうか」
 セレンがこくっと頭を下げ、ラックラムを床に降ろした。ラックラムはおとなしくしていた。ぺたっと座り込んで黒い毛の手で顔を擦っていた。
「名前つけてやれ」
 セレンが少し考えてから言った。
「ウルス」
 イージェンが立ち上がった。
「いい名前だ」
 ウルスが顔を上げて、ふたりを交互に見て、首をかしげるような仕草をした。
 洗い終わった用桶を甲板に上げ、取っ手を縄で縛って手すりにくくりつけて乾かした。ウルスはセレンの側でうろうろしている。
「師匠、ぼく、アートランに、透き通っていてとてもきれいな石がたくさん生えているところに連れて行ってもらったんです。師匠も見たらきっときれいだなって思いますよ」
 楽しそうに笑っている。いろいろと傷つくことがあったのに、心配させまいとしているのだ。
「きれいな石か…」
 水晶ならば、時計などの部品に使える。
「寄っていくか」
 セレンがウルスを抱き上げて喜んだ。


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