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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第2回   セレンと仮面の魔導師(2)
 明かり取りの窓から覗き込んで声を掛けたのは、鞭の男だった。腰を抜かしているセレンの腕を掴んで、宿の中に引きずりこんだ。納戸を乱暴に開け、セレンを中に投げ込んだ。
「おまえっ!おれたちをだましてたなっ!」
 子供たちが飛び起きて、悲鳴を上げた。騒ぎに気づき、黒布の男と宿の女がやってきた。
「なんだ、この騒ぎは」
 鞭の男が、セレンの服を剥ぎ取った。
「このガキ、小僧だぜ!」
 素裸にして、股間を開かせた。セレンはあまりのことに声もなく震えるばかりだった。
「おやまあ、とんだことだね、小僧じゃ、明日の市で売れないじゃないか」
 宿の女が呆れてセレンの体を蹴った。黒布の男が、腰を下ろしてセレンの顎を掴んだ。
「おれたちを謀って金を盗るとは、おまえの親父もずいぶんと舐めた真似してくれたな」
 声は静かだが、かえって恐ろしさがあった。セレンの青い瞳から大粒の涙が零れた。黒布の男が腰の短剣を抜いた。回りの子供たちが悲鳴を上げた。
「こうすれば、小娘と変わらなくなる」
 男の大きな手が、セレンの股間に伸びた。
「頭、ちょっ…」
 鞭の男が息を呑んだ。
「ギャーアア!!!」
 セレンが断末魔のごとき悲鳴を上げ、股間を真っ赤にして、気絶した。
 男たちと女が酒場に戻った。
「飲みなおしだ」
 黒布の男が杯を逆さに振った。酌婦がすぐに酒瓶を傾けた。年嵩の少女が駆け込んできた。
「お願いです!あの子をお医者さまに見せてやってください!」
 しかし、男は黙って杯を傾けた。
「あのままじゃ、死んじゃう!」
 少女が男の足にすがった。男が足を蹴り上げて少女を振り払った。
「死んでもいい。助かれば、娘として売り飛ばすだけだ」
 少女が泣き伏した。同じ村で生まれ育ち、よく見知っている仲だった。ひどい目に会わされるとはわかっていたが、あまりにもむごい仕打ちに、打ち震えていた。
 近くに座っていた、灰色の外套を頭から被っている客が、男たちの卓に寄ってきた。かがみこみ、伏している少女を起こした。くぐもった低い声で話し掛けた。
「その子はどうしたんだ。病か?」
 少女は顔を上げて話そうとして、短い悲鳴を上げた。灰色の布で覆われた顔は、気味の悪い灰色ののっぺりとした仮面をつけていた。
「なんだ、おまえ」
 黒布の男が椅子から立ち上がった。仮面の客も少女を立たせながら立った。
「医者ではないが、医術の心得がある」
「診せる金はない」
 黒布の男が冷たく言い、少女を押しやった。仮面の客が首を少し巡らせて回りを見た。
「金などいらぬ。それならいいだろう」
 そう言い、椅子の側に置いてあった頭陀袋を持って少女をうながし、奥へと向かった。鞭の男が追いかけようとしたが、黒布が止めた。
「勝手にやらせておけ。どうせ助けられん」
 隣に立っている宿の女に尋ねた。
「誰だ、あいつは」
 女が肩で息をつき、首をかしげた。
「さあ、今日初めて来た客でね、あんななりだろ?魔導師じゃないかって下働きたちが言ってたけど」
 黒布が鼻先で笑った。
「魔導師?そんなもの、幻術を操って貴族や金持ちから金を巻き上げるいかさま師のことだ。王都に行けば、何百人とうろついている」
 だが、その視線は笑っていなかった。
 仮面の男は、納戸の隅に寝かされているセレンの傷を見て、つぶやいた。
「むごいことを…血の通った者のやることではないな」
 セレンは虫の息で、かすかに目を開けた。黒い影が見え、青い瞳から涙を零した。
「ごめんなさい…ごめんな…さ…」
 急にぶるぶるっと震えて目を閉じた。
「セレン!?」
 少女が呼びかけたが返事がなかった。仮面の男が、頭陀袋から箱を取り出し、開けて中から茶色の小瓶を出した。瓶の蓋を開けて、セレンの頭を腕で起こし、口元に瓶の口を付けた。
「心配しなくていい、助かるから」
 瓶の中身は液体というより、煙のような靄のような感じで、すうっとセレンの口の奥に入っていった。ゆっくりと体を寝かせ、少女に水を汲んでくるよう頼んだ。少女がすぐに厨房から外に出て、湯屋から桶を持ち出し水を張って戻ってきた。さきほど剥ぎ取られたセレンの服を切り裂いて、水に浸し、血を拭い始めた。そのありさまをおそるおそる見ていた子供たちに、仮面の男が言った。
「君たちは、体を休めなさい」
 言われた通り、みな横になって目を閉じた。その内、ヴォーンというかすかなうなりのようなものが聞こえてきた。少女が薄目を開けると、セレンの傷に向けている仮面の男の手元が白く光ったように見えた。なにか、見てはいけないもののような気がして、あわてて目を堅くつぶった。
 ぐっすりとは眠れないままに朝を迎えた。男がセレンを抱きかかえていた。セレンは明け方大きな腕の中に抱かれていることに気がついたが、動けずにいた。
「セレン!大丈夫!?」
 少女が覗き込んだ。まだ意識がはっきりしていない様子だったが、薄く目を開けて、小さく頭を動かした。
「まだ起き上がれないが、もう大丈夫だ」
 男が手袋をした手でセレンの髪を撫でながら言い、静かに床に寝かせた。いきなり納戸の扉が開いて、宿の女が入ってきた。
「さあ、おまえたち、さっさと起きて、外に出な」
 少女が最後までセレンを後ろ髪引かれるように見やっていた。黒衣の男が子供たちと入れ替るように入ってきた。ぐったりとしているが、セレンが生きているのを見て、冷酷な目が不愉快な色に染まった。
「助かったとはな。医者ではないと言っていたが、たいした腕ということだな」
宿の女が、後ろから覗き込みながら言った。
「今日の市には出せないね、次までこいつを飼っておくのかい」
 黒布がセレンの腕をつかもうと手を伸ばした。
「いや、座らせておけばなんとかもつだろう。服もってこい」
 仮面の男が伸ばしてきた手を叩き払った。
「重い傷なんだ、しばらくは養生させないと」
 黒布が険しい皺を寄せた。
「さっさと厄介払いしたいんだ。これ以上口出すな」
 そして、外套の中に包み込んでいるセレンを指差した。
「それとも、あんたがその小娘を買ってくれるとでもいうのか」
 仮面の男が、一度腕の中のセレンを見、黒布を見上げた。
「いくら払えばいいんだ」
 黒布の顔が怒りで歪んだ。そして、片膝を付き、仮面に意地の悪い眼を向けた。
「ご覧のように、滅多にお目にかかれない上玉だ。金貨二十枚で手を打とうじゃないか」
 宿の女がケラケラと馬鹿にしたように笑い出した。先ほど外に連れて行かれた子供たちは、これから市に掛けられて売られていくが、一番いい値が付いても、せいぜい金貨五枚だ。たいていは、金貨三、四枚というところだ。仮面の男に売る気はないのだ。仮面の男が、頭陀袋の中に手を入れて、小袋を出した。その中から、金貨を出して、五枚ずつ四つの山を作った。
「これでこの子はわたしのものだな」
 念を押すように言った。黒布はまなじりを切らんばかりに目を見開き、怒りに震えた。金貨の山を手で崩して出て行った。宿の女があわてて金貨をかき集めて、前掛けを袋のようにつまんで入れていった。何が起こったのか、セレンにはよくわからなかったが、あの恐ろしい男から逃れられたことだけはわかった。仮面は不気味だったが、一晩中抱いてくれていた暖かい腕は自分にひどいことはしないと思った。
 仮面の男は、宿のあいそをすまし、セレンを抱きかかえて、栗毛の馬にまたがった。セレンは、遠ざかっていく宿をぼうっと眺めていた。急に悲しみが込み上げてきた。ここまで一緒に来たみな、売られて、ちりぢりになっていくのだ。かばってくれた年嵩の少女はこの先どうなるのか。泣きたいのを我慢していることに気づいた男が、静かに話しかけた。
「泣きたいなら、泣きなさい」
 そして、手綱を持っていない方の手でぎゅっと抱きしめた。セレンは、涙を零し、声を上げて泣いた。


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