リィイヴたちを乗せたアンダァボォウトは、北西に針路を取って、海中を航行した。事情は、大魔導師立会いで話すことにした。 海上に出るまでの間、エアリアはリィイヴの横で、音波探査装置のモニタァを見ていた。音波を発して、水中の物体にぶつけ、その跳ね返ってきた音で、位置を測定し画像化していると説明した。 「跳ね返ってきた音を絵にして映しているんですね」 他のアンダァボォウトやマリィンは周囲には見かけられず、極南島《ウェルイル》を目指したようだった。 後ろの席に座っていたセレンが隣のアートランの首筋のただれに触れた。 「どうしたの、これ…」 アートランが困った顔で答えた。 「これは…おまえがこんな目に会ったのは、俺が生もの食べさせて腹を壊したせいだから…仮面に叱られたんだ」 セレンがぽろっと涙を零した。 「アートランのせいじゃないよ、ぼくのおなかが丈夫じゃなかったから」 アートランが大きなため息をついて、首を振った。 「痛くない?」 セレンが心配した。 「痛くない、大丈夫」 アートランがぎゅっとセレンを抱きしめた。 カサンが隣のレヴァードにこそこそと尋ねた。 「なんでマリィンに乗っていかなかったんだ」 魔導師に殺されるかもしれないぞと言うと、レヴァードはバツの悪そうな顔をした。 「あんたに点数返さなきゃと思って。預かってくれと言われたのにセレンを所長に連れて行かれてしまったから」 カサンがそんなこと、もうどうでもいいのにと呆れたため息をついた。 ヴェール区の中央管制棟からアンダァボォウトに向かう途中、懸命に走っているレヴァードを見つけた。カサンたちが、せっかく逃げたのに、また連れ戻されたと聞いて、気になってヴェール区に様子を見に行こうとしていたらしい。アルティメットの警告を聞いて、小ドームに向かおうとしたが、完全に逃げ遅れていた。セレンに治してくれたお医者様だから連れていってと言われ、アートランがしぶしぶ抱えてきたのだ。 「そろそろ海上に出ます」 リィイヴが声を掛けた。前方モニタァをつけた。画面の上のほうに光が乱反射している海面が見えている。 「右舷〇二〇〇方向に、『空の船』確認しました。距離は三カーセル、こちらの船が少し南東に流されたようですね」 エアリアが音波探知装置のモニタァを見ていた。リィイヴが北西寄りに修正した。 レヴァードがカサンの耳元で尋ねた。 「あの女魔導師、なんていう名前だ」 「…エア…なんとかだったような」 一度ラウド王太子が呼んでいたようだったが、さすがに覚えていなかった。 ほどなくアンダァボォウトが浮上した。『空の船』のすぐ側で停まり、蓋を開けて、外に顔を出した。手すりの上からヴァシルたちが見下ろしていた。 「おおーいっ!みんな、無事かっ!」 ヴァンが必死になって大声を出していた。まっさきに出てきたアートランがセレンとカサンを抱きかかえて、甲板に上がってきた。 「セレン、よかった!」 ヴァンが寄っていった。途中でカサンに気が付いて、固まった。足元でリュールがワンワン吠え出した。 「カサン教授?!」 カサンも目を丸くしていた。リュールにも気づいて嫌そうに手で追い払う仕草をした。エアリアがリィイヴとレヴァードを連れてきた。ヴァンはリィイヴが無事でほっとした。 「アンダァボォウトはどうするの?」 リィイヴが見下ろした。 「師匠(せんせい)が始末するでしょう」 エアリアが海面を見回した。少し離れたところがぶわっと膨れ上がった。 海から上がってきた灰色の仮面が甲板に降り立った。ヴァンと抱き合っているセレンに近寄った。 「師匠、師匠―っ!」 イージェンがしがみついてきたセレンを抱きしめた。 「セレン」 抱き上げて船室に入っていく。 「全員、食堂に来い」 戸惑っているカサンとレヴァードの背中をアートランが押した。「行けよ」 リィイヴの後を追うように付いていった。リュールがずっとカサンに向かって吠えているので、ヴァンが抱えて、部屋に連れて行った。 食堂の窓側の席についた。 「まず、なんでセレンが海底の都に連れて行かれたのか、聞かせてもらおうか」 その声を聞いて、カサンがあのときの大魔導師の声だっただろうかと首をかしげた。どうも違うような気がする。そして、どこかで聞いたことがあるような…。 カサンが仮面を見ないようにして話出した。 「その…マリィンが、マリティイムに向かう途中、クァ・ル・ジシスの群島海域を通過しているときに、なにか海中を猛速で進むものと接触しかけて、岩礁にぶつかったので、艦内の点検のために浮上したんだ」 その点検の間、暇つぶしに近くの島を散策していたら、病気で倒れているセレンを見つけて、マリィンで治療させ、すぐには治らないので、そのまま連れていくことになった。なんとか、検体とごまかしてマリティイムに搬入したが、幼い男の子を乱暴する性癖のディムベス所長に連れて行かれて、暴行されてしまった。あまりにひどいので、所長に逆らい、奪い返して、アンダァボォウトで逃げたが、燃料がなくて、途中で連れ戻されてしまった。そこに魔導師たちが来たのだ。 イージェンが拳を震わせているのに気づいたセレンが見上げた。 「師匠、カサン教授に女の子だってごまかしてもらったのに、ぼく、あのヒトに殴られて…こわくて、男の子だって言ってしまって…」 イージェンがぎゅっと抱きしめた。イージェンが厳しい口調で尋ねた。 「なぜ、助けた。インクワイァから見たら、シリィなどヒトではないだろうに」 カサンが戸惑った顔を起こした。またすぐに視線を落として、落ち着きなく膝の上で作っていた拳を握ったり開いたりした。 「わからん…」 かわいそうだと思ったからだと思うが、なぜそう思ったのか、自分でもわからなかった。 「同情したんだろ、この子に」 レヴァードが横から口を出した。 「ずいぶん熱心に看病してた、スプーンでスゥウプを飲ませてやって、身体拭いてやって、ポットまで連れていってやって。四日間もしてやってた。最初は、自分のおもちゃにするのかと思ってたんだが、そうじゃなかった」 「よ、よけいな事、言わんでいいっ!」 カサンが顔を赤くして怒ったが、目も赤くなっていた。ぼつっとつぶやいた。 「シリィなんて、無知で、愚かで、汚くて…助ける価値なんかない…何度もそう思おうとした。でも、セレンは…」 ふっと顔を上げると、セレンがカサンを見つめていた。 「わたしのこと、覚えていたからな、無事でよかったと…喜んでくれたから…」 セレンがうれしそうにうなずいた。 「ええ、殿下もきっと喜んでくれます」 胸の詰まりを押さえきれずカサンが両手で顔を覆ってつっぷした。窓際に立っていたアートランが外を見ながら話した。 「この教授の一派は、失脚したんだな、アーレってバレーが消滅したときに逃げたけど、あの海底の都に追いやられた」 レヴァードが手を振った。 「確かに今回はあんなところに追いやられたけど、このヒトは教授だから、また日の目を見ることもある。上が変わったりしないとも限らないし、失態の後はしばらくおとなしくしていろという意味もあるから」 だから、今回のように上に逆らうようなことをして、将来を台無しにする必要もなかったのにとため息をついた。 「カサン教授」 イージェンが声を掛けた。カサンがまた顔を上げた。 「マシンナートからしたらばかげていることかもしれなかったが、そういうあんたの気持ち、大切にしてくれ」 この声。 「まさか、お、おまえ…」 カサンがぶるぶる震えた。ようやく気が付いたかとイージェンがくくっと笑った。 「まったく、ヒトの世はどこでどうめぐり合うかわからんな、まさか、あんたがセレンを助けてくれることになるとは」 カサンは口をぱくぱくさせてしまった。 「イ、イージェンなのかっ!」 イージェンがうなずいた。 「ああ、あんたがいつもイカサマ師って呼んでた、イージェンだ」 大魔導師を継いだので、こんな姿になったがなといつものように憎々しげに言った。 カサンは頭が混乱していた。イージェンがアルティメットで、だったら、エスヴェルンのあのアルティメットは。 イージェンがセレンを抱いたまま、立ち上がった。 「カサン教授、セレンを助けてくれて、感謝する。ありがとう」 真剣な声で礼を言い、小さくだが、頭を下げた。その様子を見て、カサンがぐっとこみ上げるものを堪えた。 また、こいつと会えるとは。死んだと思っていたのに。 また、胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになった。 だが、素直に喜ぶわけもなく、強がって、いつものキンキンした声で怒鳴った。 「お、おまえみたいなイカサマ師に頭下げてもらわんでもいいっ!わたしは自分がしたいからしただけだ!」 イージェンが苦笑しながら腰を降ろした。 「それでこそ、カサン教授殿だ」 どうせ殺さなければならないのだが、マリィンのことをいろいろと教えてくれた、あのひとときや、バレーの中で心細かったときに顔を見て不覚にも目頭が少し熱くなったことが思い出されてうれしくもあり、複雑な気持ちになった。 カサンが、リィイヴとヴァンをちらっと見た。 「おまえたちも無事だったんだな」 リィイヴが頭を下げた。 「はい、ぼくとヴァンは大魔導師に助けてもらいました」 ヴァンもうなずいた。 エスヴェルンの大魔導師はアーレを消滅させて亡くなり、イージェンが仮面を継いで、大魔導師になったのだと説明し、アーレの消滅のときに助けてもらってから、ずっとイージェンと一緒だと話した。第二大陸でのことは話さなかったが、南方大島《エトルヴェール島》でのエヴァンス大教授の話はした。 「エヴァンス所長を頼っていったらどうですか、その近くまで戻りますから」 カサンがテクノロジイを捨ててシリィになるとは思えないので、一緒にはいられないだろう。カサンはかなり考え込んでいて、すぐに返事をしなかった。
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