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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第195回   イージェンと海獣王《バレンヌデロイ》(2)
 おそらく、リィイヴの心を読んだのだろう。アートランが心を読めることがわかったら、不気味に思うだろうと、エアリアが遮った。
「アートラン」
 アートランがエアリアを見上げた。
「とにかく、リィイヴさんを連れて行ってマシンナートの海中船を操らせようなんて、絶対だめよ、師匠にわけを話して、どうするか、考えてもらいましょう」
 アートランがもがいた。
「いやだ、あいつに知らせたくないから、こいつにやらせようと思ったんだ、言いたくない」
 エアリアがため息をついた。
「叱られたくないんでしょう?わたしも同じ過ちを何度もしてしまったから、気持ちはわからないでもないけど」
 エアリアが手を離した。ヴァシルがゆっくりとアートランの身体を起こした。アートランが、甲板に座り込んで、うなだれた。
「わたしと同じ過ちをしないで。師匠は叱るけど、きちんと考えてくれるから」
 アートランが頭を上げた。十三にしては大人びた顔つきがくしゃくちゃな涙顔になっていた。激しく首を振った。
「いやだ、あいつが助けに行ったら、セレンはあいつのところに戻ってしまう!」
 ぶるっと身を振るわせた。
「俺と一緒にいても、あいつのこと、考えてる。セティシアンと泳いだこととか、きれいな石を見たとか、手紙を書いてあいつに教えたいって」
 アヴィオスがアートランの肩を抱いた。
「師匠と弟子の絆だ、おまえとのこととは違う。それくらいわかってやれ」
 アートランの黄金の髪が激しく揺れた。
「違わない、俺のことだけ考えていてほしい!」
 リィイヴがアートランの顔を覗き込んだ。
「アートラン、そんな意地張って、もし手遅れになったら、どうするの?」
 エアリアもなんとか説得したかった。まだ弟とは思えないし、あの嫌な声も払いきれない。でも、自分と同じ過ちをさせたくなかった。
「そうよ、師匠にきちんと話して、助けてくれるよう頼みましょう」
 背後でトンと音がした。いっせいに振り返ると、灰色の仮面が見下ろしていた。アートランが涙で濡れた眼で見上げた。
「仮面…」
 イージェンがいきなり手を伸ばし、アートランの首を掴み、吊り上げた。
「師匠!」
 エアリアが止めようとしたが、叩き払われた。
「ぐうぅ!」
 アートランが苦しくて、イージェンの手を掴んではがそうともがいた。
「どうしてセレンが腹を壊したんだ!あれだけ、注意してやったのに、言われたとおりやらなかったんだろう!」
 首に食い込んだ指が赤く輝いた。
「ぐわぁあっ!」
 じゅわぁっと皮膚が焼け焦げ、煙が出た。
「やりすぎだよっ!」
 リィイヴがイージェンの腕に飛びついた。アヴィオスやエアリアもしがみついた。
「やめてください、師匠!」
「イージェン殿、命は助けてやってくれ!」
 肉が焼ける異臭がしてきた。ヴァンが震えて甲板につっぷした。
「おまえなんかにセレンを渡したくなかった、でも、あいつがおまえと行きたいというから!」
 甲板に叩きつけた。首の周りにくっきりと手の痕が赤くただれてついていた。仰向けになって、見下ろすイージェンを見上げて震えた。
「いいか、選ぶのはセレンだ、俺かおまえか、どっちを選んだとしても、それはセレンが選んだことだ、俺たちはそれを受け入れるしかないんだ!」
 ヒトの心の向いている先を無理に変えることなどできはしない。時間を掛けてわかってもらうしかない、それでも心に響かないこともある。だが、自分を納得させるためにも、そうするしかないのだ。
 アートランが眼をつぶった。涙が頬を流れていく。
「そんなの、そんなの、わかってる…わかってるよっ…」
 アヴィオスがアートランの髪を撫でた。
「アートラン、イージェン殿に助けてもらおう」
 アートランがようやくうなずいた。

 カサンは、眼が覚めたとき、まさか、死後の世界というものがあったのかと信じられない思いで、うすぼんやりと見上げていた。
…ああ、でも、魔導師がいるんだからなぁ…
 そんなこともあるのかもと思っていると、しだいに回りがはっきりと見えてきた。
「眼が覚めたか」
 冷たい声が現実に引き戻した。
「ディムベス所長…」
 連れ戻されたのだとわかった。あのまま、眠るように死んでしまったほうがよかったかもしれない。ぐっと唇を噛んだ。
「おまえがこんな思い切ったことをするとはな、しかも、シリィの子どものために」
 どちらかといえば、慎重で臆病な性質だと自分でも思うし、周りにも思われていた。はっと気が付いて、身体を起こした。
「セレンは!」
 セレンは、近くには見当たらなかった。ここは、医療班区のオペレェイション室だった。ディムベスが手術室への階段を下りようとした。カサンが、よろよろしながら近寄ろうとした。
「もうやめてくれ!」
 それを警備員ふたりが両脇から押さえた。カサンが両脇を押さえる警備員を交互に見た。
「やめさせてくれ!頼む!これ以上ひどいことさせないでくれ!」
 必死に頼むカサンを見て、さすがに気まずくなったのか警備員が眉を寄せて顔を見合わせた。
 そのとき、全施設内に響き渡る緊急警報が鳴った。
「なんだ!?」
 ディムベスが降りかけた階段を戻ってきてボォゥドの釦を叩いた。
『緊急警報、第二タービンゲェィト破損、至急調査せよ』
 抑揚のない女の声が聞こえてきた。
深海マランリゥムは深層循環流によってタービンを回転させて動力源を得ているが、タービンは三基あり、常に二基動いていて、一基は点検のために休止させている。その休止している第二タービンの水門が破損したというのだ。タービンのある区画と居住区や研究区などのある中央島との間には、気圧室があるので、水が入ってくることはないが、調査には潜水服を着用して向かわなければならない。
 小箱で中央管制棟に連絡した。
「ディムベスだ、どうしたんだ、破損の原因は」
 報告を聞いていたディムベスの顔が青ざめた。
「なんだと…そんなばかな」
 コントロォルパネルには、五台のモニタァが埋め込まれている。
「映像をこちらに回せ」
 五台のモニタァが次々に明るくなって所内の各所の映像が映し出されていった。そのひとつを見たディムベスが眼を剥いた。
「なんだ、これは…」
 モニタァに影が横切った。次のキャメラが正面からとらえた。灰緑の布を被った金色の髪のまだ十二、三歳くらいの少年が、高速で通路を飛んでいた。
「こ、これは…」
 絶句するディムベスの後ろから見ていたカサンがつぶやいた。
「魔導師…」
 聞きとがめたディムベスが振り返った。
「魔導師がやってきた。ここはもう終わりだ、所長」
 振り返ったディムベスの顔が険しく歪んだ。
「所長、なにか別のものも!」
 警備員の声にふたたびモニタァに向き直った。さきほどの少年とは別にふたり、映っていた。やはり通路の中を飛んでいる。ひとりは灰緑の外套を着ていて、その腕に抱えられているもうひとりは。
「あれは、リィイヴ?」
 カサンが驚いて眼を激しくしばたたいた。たしか死んだと聞かされたのに。ディムベスがふふっと不気味に笑った。
「リィイヴ…」
 ディムベスが舌なめずりした。
「わたしが壊してやったリィイヴだ」
 ディムベスが、警備員のふたりに命じた。
「ふたりを逃すな、わたしは中央管制棟に行く」
 さっと出ていった。警備員のふたりは戸惑いながら、オゥトマチクを構えた。カサンがふたりを見回した。
「早く逃げないと、ここもアーレのようになるぞ」
 警備員たちが戸惑って顔を見合わせた。

 『空の船』は、レアンの軍港の駐留軍将軍に、しばらく南方海岸を離れることを伝え、極南列島《クァ・ル・ジシス》に向け、出航した。すぐに空中に飛び上がり、速度を上げた。
 イージェンは、みんなに食堂で夕飯を食べるよう言いつけた。
「食べられるときに食べておけ」
 アートランの首の火傷はひどく、皮が焼け溶け、肉がただれていた。エアリアが自分の部屋に連れて行って、傷薬を吹きつけ、手のひらに魔力を集中させて光を当てた。少し赤みが消えたように思えたが、ただれは治らなかった。熱が出ないように解熱の薬を飲ませ、自分の胴着を貸してやった。
「ちゃんと食べて、着くまで寝て、身体の力を戻しなさいね」
 シチューと薄焼きパンを持ってきた。渡されて、術を掛けながらシチューとパンを食べた。エアリアが、イージェンの精錬した茶をゆっくりと丁寧に入れた。アートランが、茶碗を受け取って、立ち昇る湯気を見つめた。
「姉さん、殿下と別れたんだ」
 どうして、この子は自分を姉と呼ぶのだろうか。アリュカのことは母とは呼ばないのに。
「ええ、師匠にも反対されたし、それに四の大陸から王女様が輿入れされるって」
 また嫌なことを言われるのかしら…お別れしてすぐに、別の男に惹かれてるって…
 だが、アートランは何も言わずに茶を何回か吹き冷ましながら飲んだ。
「力が…身体に広がっていく感じだな…」
 エアリアが、ふと気になって尋ねた。
「あなたの師匠はアリュカ学院長様なの?」
 リィイヴに持っていこうともう一杯入れた。
「いや、俺に師匠はいない。アランテンスは俺が生まれて少しして死んでしまったし、学院長は、自分が師匠になってもどうせ修練させられないからって投げた」
 盆に茶碗を乗せて立ち上がった。扉を開けたとき、アートランがてれくさそうにぼそっと言った。
「手当てしてくれてありがと」
 エアリアが肩越しに振り返って少し微笑んだ。
 リィイヴは船長室でイージェンと話していた。エアリアが茶を持っていくとうれしそうに受け取った。
「今イージェンに話していたんだ」
 深海研究所《マリティイム》のことだった。
「もう十八年くらい前だけど、父親と行ったことがあるんだ。そのときに所内をいろいろと歩き回ったから」
 思い出しながら配置図を描いてみたと見せてくれた。丸い中心の区画から五つの通路が出ていて、それぞれ小さなドームに繋がっている。全体は五角形のようにみえた。
「この五つのドームのうち、ふたつは港口でマリィンやアンダァボォウトが出入りするようになってる。ぼくはここから入った」
 ドームのひとつを指差した。また、中央島に隣接して動力である深海マランリゥムのタービンが三つあり、そのうちひとつは点検などのために止まっているという。
「水門は閉じているだろうけど、イージェンならこじ開けられるだろうし」
 タービンのある区画と居住区や研究区などのある中央島との間には、気圧室があるので、もし水門をこじ開けて入っても、気圧室を使って内部に侵入すれば、所内に水が入ることはない。小ドームのほうには気圧室はなく、出航のときに通路との間のゲェイトが閉まるが、万が一ゲェィトの閉鎖が間に合わなかったら、大洪水になる。
「師匠とアートランが行くんですよね」
 エアリアが念を押すように言った。イージェンが肩をすくめた。
「なに言ってる、おまえとリィイヴも行くに決まってるだろう」


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