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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第194回   イージェンと海獣王《バレンヌデロイ》(1)
 一の大陸セクル=テュルフの最南端に位置する南方海岸の沖に外海に出るような大きな船が停留していた。その船に大魔導師が乗っているという噂が南方海岸沿いの村々に伝わってしまい、村長たちが是非歓迎の品を渡したいと食べ物や飲み物を持って、レアンの軍港にやってきた。
 駐留軍将軍は漏らした部下を叱り、表敬したいという気持ちもわからないわけではないが、今は無理なので、ひとまず帰ってくれと追い返した。では、せめて歓迎の品だけでもと置いていったので、小舟を出して『空の船』に使いを送った。
 『空の船』では、イージェンが南方大島を見に行ったきり、まだ戻ってきていないので、エアリアが使いの者に、駐留軍でもらってくれと返事した。使いは困っていたが、了解した。
 もらっておけばいいのにというヴァンに、エアリアがきつく言った。
「魔導師は金品を受け取ることを禁じられています。立ち寄り先で食事をごちそうになるのもだめです。料金を払えば問題ありませんけど」
 魔導師にはいろいろと制約があるのだ。
 南の空を見ながら、リィイヴが尋ねた。
「イージェン、まだ戻ってこないけど、どうしたのかな」
 昨日出て行ったきり、今日もすでに夕方だが、帰ってきていなかった。
「いろいろと調べることがあるのでしょう」
 エアリアは心配していないようだった。リィイヴは、エヴァンス所長が地上に造った街を見たかった。もちろん、それはどんなに低レェベェルであっても始末されてしまうものだろうけれど。
 夕飯は、ヴァンとエアリアで作ることになった。アヴィオスはようやくヴァシルの世話焼きを止めて、船長室の隣でリィイヴが借りてきた《理(ことわり)》の書を読んでいた。昔はよく読んだが、今は執務が忙しくて読む時間がないのだ。
「これ、いくつの時に読んでいたんですか」
 夕飯まで間があるのでと茶を持ってきたリィイヴが尋ねた。
「十四くらいのときだったか、そのころはとにかく読書三昧だったな。その後しばらく戦争や匪賊討伐とか戦いばかりで、それがひと段落したら今度は執務が忙しくなった」
 何冊か重ねて置かれている中に、異端についての書もあった。イージェンにたしなめられていたので、わかっているのだろう。たとえ祖父であろうと異端なのだから、取り込まれてはいけないということは。
 アヴィオスが、ちらっとリィイヴを見て遠慮がちに聞いた。
「おじいさまって…その、どんな方なんだ」
 リィイヴがどこまで話すべきか考えながらちらっと船窓の外を見た。
「たしか、今年五十八か九だったはずです。白髪が豊かで、そうですね…」
 リィイヴは今まで見かけた中で雰囲気が似ているものがいるかどうか、記憶を手繰った。
「カーティアのセネタ公みたいな感じかも…あんなに背は高くないし、痩せていて、顔付きは優しい感じですけど」
 しかし、性格はきつい。断固として『己(おのれ)』を貫く。今は啓蒙論に傾いているが、本来はパリスと同じ強硬論者だ。いつどうなるかわからない不安はある。
 アヴィオスがうれしそうにうなずいてから、急に不安げな顔になった。
「俺と会ってくださるだろうか」
 リィイヴがたぶん大丈夫ですと応えて、部屋を出た。
 厨房に盆を置きに行こうとしたとき、風が船室の廊下を船首から船尾に向かって吹きぬけた。その風にリィイヴがさらわれるように連れて行かれた。
「な、なにっ?!」
 リィイヴが驚いて身体を捻ろうとした。そのまま船尾に抜け、海に落ちた。
…わっ!?
 てっきり水に濡れると思ったが、濡れなかった。自分を抱える腕を見て、首を巡らせた。見知った顔を見つけて目を見張った。
「き…み…アートラン?」
 金髪の少年が冷たく青みがかった瞳で見下ろしていた。
「手を貸せ」
 短く言ってどこかに連れて行こうとした。そのとき、前方にザアッという音とともに何かが落ちてきた。湧き上がった泡の中から出てきたのは、エアリアだった。リィイヴが思わず手を伸ばした。
「エアリア!?」
 アートランがちっと舌打ちした。
「気配消してたんだけどな」
 潜りながら速度を上げて泳いでいこうとした。エアリアが近づき、手に光の杖を出した。
『リィイヴさんをどうするつもりなの?!』
 篭ったようなエアリアの声が聞こえてきた。
「ちょっと借りるだけだ、後で返す」
 アートランが杖をかわそうとした。だが、エアリアは、肉薄してアートランの魔力のドームを杖で破った。
「姉さん!?」
 思いもよらなかったのだろう、アートランは驚いて、リィイヴを離していた。リィイヴはいきなり海の中に放り出されて、口と鼻からゴボッと空気を吐き出してしまった。エアリアがすぐに泳ぎ寄っていき、抱えて、魔力で包んだ。だが、アートランも魔力のドームで包みなおして、リィイヴを奪おうと突進してきた。
「やめなさい!」
 ふたたび光の杖を出して、突き出した。杖の先の光が強くなり、水がぐるぐると回りだして、渦となって迫ってくるアートランに向かっていった。
…その程度で、俺を退けようってのか。
 笑わせるとそのまま突っ込んだ。だが、その渦はアートランにぶつかって膨れて身体を巻き込むようにして身体の自由を奪った。
「なんだっ!?」
 渦に縛られたようになって動けない。ぎりっと唇を噛んで、身体から水を爆発させるように噴出した。
 ドオーォォォン!
 海上にも水柱が高く立ち上がった。大きな波が立ち上がってきて、船に向かってきた。甲板に出てきていたヴァンやアヴィオス、ヴァシルが手すりにしがみ付いた。波は船を左右に大きく揺らし、ひっくりかえりそうになった。
「わぁっ!」
 ヴァンが手を離してしまい、斜めになってた甲板を滑って行く。
「ヴァン!」
 とっさにアヴィオスが手を出してヴァンの腕を捕らえた。ヴァシルが飛んでヴァンを抱えた。
「船が…ひっくりかえる?」
 ヴァンががたがた震えた。まだ、左右に大きく揺れている。ヴァシルがヴァンをアヴィオスに預けて、船のわき腹に沿って降りていった。海の中で、エアリアが何かと戦っているのがわかった。ザブンと飛び込んで、エアリアに近寄った。
「エアリア!」
 エアリアが、抱えているリィイヴを差し出す仕草をした。近寄ってリィイヴを受け取った。
「リィイヴさんをお願いします」
 ヴァシルはリィイヴを抱えて、海上に飛び出した。アートランが追ってきた。空中に現れた姿を見て、アヴィオスが叫んだ。
「アートラン!」
 アートランがヴァシルを捕らえようとしたが、ヴァシルは身を翻すようにして避け、まだ揺れている船の甲板に降りた。
「リィイヴ!」
 アヴィオスが受け取り、アートランに怒鳴った。
「やめろ、アートラン!」
 だが、アートランは、リィイヴたちの前に立ちはだかるヴァシルに向かって拳を突き出してきた。
「どけっ!」
 ヴァシルが手のひらを輝かせて、光を放った。光がぱぁっと広がり、拳と手のひらが激突した。見知らぬ魔導師の魔力が意外に強いことに驚いたアートランが、後に回転しながら、甲板に降りた。そのとき、頭の上から、エアリアが光の杖で頭を叩いた。魔力のドームを張る間がなく、アートランが直撃を受けて、甲板に倒れ伏した。
「ぐあっ!」
 エアリアがアートランの腕を掴んで、ねじ伏せようとした。ヴァシルも駆け寄り、逆の腕を掴んで、ふたりでアートランの身体を甲板に押し付けた。
「おとなしくしなさい!」
 エアリアがきつく言い、ふたりでぐいっと腕を捩じ上げた。
「いつっ!放せ、放せよっ!」
 ふたりともすこしも緩めずに押し付けたまま、エアリアが聞いた。
「なんでリィイヴさんを連れて行こうとしたの!わけをいいなさい!」
 ばたばたと暴れたが、さすがに魔力が強いふたりに押さえつけられ、ここまで不眠不休全速で泳いできたので身体の力が落ちていたこともあって、動けなかった。
「そいつが必要なんだ、マシンナートの船を動かすのに!」
 リィイヴが驚いて、顔を向けてきたエアリアと見合った。リィイヴがアートランの前に片膝を付いた。
「マシンナートの船って、なんのこと?ちゃんと話して。じゃないと、ぼくが手を貸すこともできないよ」
 アートランが暴れるのをやめた。だが、まだふたりはアートランをねじ伏せたままにした。アートランが悔しそうに唇を噛み締めた。
「セレンが…マシンナートに連れて行かれた…」
 みんな息を飲んだ。
「そうとしか思えない…あんな、海の底まで、俺もいけないくらい深い海の底に」
 セレンはいる。
 アートランが首を振りながら話した。セレンが腹を壊して熱も出したので、薬を取りにセラディムの学院に戻った。島に帰ってくると、見たことのない、硬いものでできた桶が転がっていて、セレンがいなくなっていた。探し回っても近くにいない。心を手繰っていくと、海の底にいるようなので、潜ってみたが、とうてい届かなかった。
「…五〇〇〇セル…それが限界で…でも、セレンはもっと深いところにいる。そんなところにいけるのは、マシンナートの海中船しかないだろう?」
 アートランが悔し涙を滲ませた。リィイヴが難しい顔をして考え込んだ。
「リィイヴさん、そんな深い海の底にマシンナートの…バレーのようなものがあるんですか」
 水が苦手なエアリアが青ざめていた。
「うん、クァ・ル・ジシス海溝っていう海の底にある割れ目の底に、深海研究所《マリティイム》がある。深度およそ一〇〇〇〇セル、建物は、ラカン合金鋼の外壁で作られていて、もしマリィンやアンダァボォウト、マシンナートの海中船で行ったとしても、来訪の予定が通達されていて、中から開けてもらわないと入れないよ」
 よほど艦内事故などの緊急を要する事態でなければ通達がない場合入れてくれないだろうと言った。
「でも、なんで連れて行ったのでしょう…」
 エアリアが不可解そうに首を捻った。リィイヴがあまり考えたくないことだけどと前置きした。
「検体として連れて行ったかもしれない。マリティイムでメディカル分野の研究はしていないはずだけど…」
 アートランがこわばった顔を上げた。
「まさか…ほんとにそんなこと…するのか?検体ってそんな…」
 ぶるぶると震え出した。リィイヴが眼を見張った。
「そんなことって…」


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