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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第191回   セレンと蓬髪の教授《マシィヌ・プロフェスゥル》(3)
 中央区に到着したカサンは、モゥビィルを降り、小箱を開いた。所内地図で現在の位置を確認した。ラボはもっと中核にある。通路は幅が二セルくらいで狭い。すれ違うものもいない。中央区は他の地区以上にヒト気がなかった。ラボの受付室に到着した。自分のクォリフィケイションで開くとは思えなかったが、小箱を入り口脇の硝子にかざしてみた。
 赤く光り、すっと開いた。
「…そうか、バレーと違って、これのクォリフィケイションの更新だけでも使えるのか…」
 自分のバレーでレェイベェルが上がっても、別のバレーに行ったとき、ベェエスのデェイタが更新されていないとクォリフィケイションが以前のままになる。マリティイムは独立プラント扱いなので、小箱のレェイベェルだけで承認しているのだ。
 受付室では、かなり年齢がいった男がひとりぽつんと机に向かって座っていた。
「アーレのカサンだが、所長は」
 男が首をかしげた。
「巡回に行くと出かけて、戻ってきてませんが」
 てっきりラボに連れてきたのかと思っていた。そうなると、個人の居室か。
「所長は今どこにいるか、わかるか」
 男が首を振った。
「所長はわからないけど、教授のあなたなら、バインズやサヴィの位置を検索できるのでは」
 バインズやサヴィというのは、所長についている警備員だ。オゥトマチクを持たせていつも後ろに従えていた。小箱で検索してみた。
「医療班区?なんでそんなところに…」
 場所はラボからそう離れてはいない。受付の男は無表情で出て行くカサンの背中を見ていた。
 医療班区の入り口も小箱で入れた。電灯は消えていて、壁の足元近くに埋め込まれている非常灯のみが付いていた。奥の扉から明かりが漏れていた。扉は上半分が硝子張りで透けて見えていた。手術の記録を取ったり見学をするためのオペェレェション室だ。 黒いつなぎ服を着たふたりがモニタァを見ているようだった。
 そっと押し開けて中に入ろうとした。
『ああっ!い、いたいっ…やめてぇ…っ!』
 子どもの悲鳴が聞こえてきた。驚いてガタンと扉に当たってしまった。ふたりが振り向いた。
「カサン教授」
 ずっと悲鳴が続いている。セレンの声だ。なにかひどいことをされている。バインズとサヴィらしきふたりが立ち上がった。ふたりとも体格がよく、腰に下げている銃身が短いオゥトマチクに手を掛けようとしていた。
 カサンが臆病になりかけたが、声を震わせて言った。
「わ、わたしの検体が間違ってここに連れてこられたらしい、連れて帰りたい」
 ちらっとモニタァを見た。目に入ってきた光景に息を飲んだ。
「セ…レン…!」
 かなり殴られたらしく顔を腫らして鼻血を垂らしたセレンが映っていた。白衣がのしかかっていて、手足をばたばたさせ泣き叫んでいた。バインズだかサヴィだかが、よろよろと手術室の見える硝子窓に寄っていくカサンに向かってオゥトマチクを構えた。
 手術室は硝子の窓から見下ろせるようになっていた。手術台の上にセレンがぐったりとして横になっていた。所長の姿はなかった。
 モニタァの記録の再生はまだ続いていた。カサンが机に近づき、ボォウドを叩いて、再生を停めた。
「やめろ!こんな、ひどい!」
 わなわなと震えてきた。
「ひどいって、あの子ども、初めてじゃなかったみたいだし」
 あなたがもう犯していたんだろうと、ふたりが顔を見合わせてにやっと笑いあった。
 手が出ていた。パシッと頬を叩き、手術室への階段を駆け下りた。
「連れて帰る!」
 今なら所長はいない。
 連れて帰って…連れて帰ってどうする?どうにかするんだ。どうにか。
 手術室に入り、台に横たわるセレンを抱き起こした。
「セレン!」
 顔が血だらけで腫れあがっていた。ぼおぅとしていたが、カサンと気が付いて、震えだした。
「ごめんなさい…ぼく、男の子だって…」
 言ってしまってとうなだれた。カサンが首を振りながらぎゅっと抱きしめた。すでに誰かに抱かれたことがあったとしても、こんな暴力で痛めつけられたら傷付くだろう。
「早く帰ろう、きれいに洗ってやるから」
 抱き上げることができないので、背中におぶった。
「カサン、台に戻せ」
 目の前に所長が立っていた。
「この子はわたしの検体です。返してもらいます」
 こんな恐ろしい相手に、自分でも驚くほど毅然と言っていた。だが、所長が立ちふさがり、警備員のふたりも降りてきた。
「なにやってるんだ、やすやすと入れたりして」
 警備員が叱られて、震えながら頭を下げた。
「すみません!あっという間で」
 ぐずぐずしていただけだが、そう言い訳して、カサンの背中からセレンをはがすようにした。カサンの頭をオゥトマチクの台座でガッと殴りつけた。
「がぁっ!」
 よろけて、軽金属製のワゴンにぶつかって、ひっくりかえった。
「カサン教授!」
 セレンが手を伸ばした。
「わたしに逆らうとどうなるか、レヴァードから聞かなかったのか」
 所長が濁った眼でカサンを見下ろした。
 所長がセレンを押さえつけ、手に持っていたものをセレンの首筋に近づけた。噴射式の注射だった。
「なに打つんだ…」
 カサンが痛む身体を起こして立ち上がろうとした。所長がカサンに顔を向けた。
「面白いもの見せてやる」
 どうせ幻覚剤のたぐいだろう。意識がぐちゃぐちゃになって、おかしなことを口走ったり、跳ね飛んだり、のた打ち回ったりする。そんな様を見て、楽しむなんて。それに打ちすぎると肝臓や心臓を痛めて死んでしまうのだ。
「記録の準備は!」
 所長に怒鳴られて、警備員のひとりがあわててオペレェイション室に戻った。所長がセレンの髪を撫で始めた。セレンが、眼をつぶり震えた。
「いい反応するんだぞ」
 所長が眼をぎらっとさせた。カサンにオゥトマチクを向けていた警備員がちらっとその方に眼をやった。カサンがその隙に倒れたワゴンを立てて、警備員の腹めがけて思い切り押していった。
「わぁーっ!」
 急なことで警備員は止める間もなく、ワゴンが腹にぶつかり、ひっくりかえった。ワゴンの向きを変えて、所長の横っ腹にぶつけた。
「な、なにを!」
 所長が弾き飛ばされた。セレンをワゴンに乗せ、扉に向かった。自動開閉扉の開釦を叩き押して開き、廊下に出た。
「なにしてる、追えっ!」
 呆然としている警備員を怒鳴りつけ、オペレェイション室に上っていった。タァウミナルを中央管制室につなげ、警報を鳴らした。
『緊急事態発生、レェベェル4、違反者出現、器物損壊、重要検体の窃盗、所長への傷害行為、違反者レェィベェルサンクーレ・カサン教授、ワァカァにも確保の許可を与える。急げ』
 所内に所長の声が響き渡った。
 アジュール区にも警報は鳴っていた。レヴァードが大きなため息をついていた。子どもは死ぬまで乱暴されて、カサンは水路に投げ込まれて殺されるだろう。
「なんであんなシリィの子どものために」
 こんなことをしでかしたのか。
 教授になるのは容易ではない。数値が高いことに加えて、力のある指導教授の元に付き、『時』の最高評議委員会の方針に合った研究で成果上げたりしなければならない。もちろん、両親ともインクワイァでなければほとんど不可能だ。今はこんなところに追いやられていても、少し我慢していれば、また日の目も見られるかもしれないのに。
 医療室の外に出てみると、アーレの連中が何人か出てきていたが、すぐに自分の部屋に引っ込んでいった。関らないほうが身のためだと誰もがわかっている。レヴァードはしばらく立ちすくんでいた。

 セレンを乗せたワゴンを押しながら医療班区から出たカサンは、さきほど乗ってきたモゥビィルを停めたところまで行こうとした。途中で段差があり、ワゴンのままでは進めなかった。別の経路ならば、段差を避けられたかもしれないが、今さら戻れない。
おぶって走り出そうとした。
「カーディェット区まで来ました!車庫に向かいます!」
 後から、声が聞こえてくる。小箱があるので、場所がわかってしまう。ワァカァは測位マァカァを持たされ、インクワイァは小箱で位置を確認されているのである。かといって、小箱を捨てていくわけにはいかない。
 駆け出した。あと少しでモゥビィルのところまで行ける。だが、子どもとはいえ、それなりに重い。五十セルも行かないうちに、息が上り、足が動かなくなった。気づいたセレンが背中からすっと降りた。
「セレン?」
「ぼく、歩けます」
 カサンが白衣を脱ぎ、その下に着ていた上着を脱いで、セレンに着せた。丈が膝の上くらいまであった。白衣を着直したカサンがセレンの手をぎゅっと握り締め、早足で歩き出した。セレンはよろけながらもついてきた。
角を曲がり、まっすぐに百セルくらい進んだところに、モゥビィルを停めていた。細い通路を抜けて、広い道に出た。右手から声がした。
「いた!こっちだ!」
 左に向かって走り出した。
「あそこのモゥビィルに乗るんだ!」
 壁に寄って停まっているモゥビィルを指差した。セレンが何度がこけそうになった。なんとか乗り込んだとき、警告が聞こえてきた。
「止まれ!止まらないと撃つぞ!」
「その下にもぐってるんだ!」
 カサンが発車させながら、助手席の下を指した。セレンが席から降りてもぐりこんだ。パンパンと乾いた音がしてオゥトマチクが撃たれたが、すでに動き出しているモゥビィルには届かなかった。だが、相手もモゥビィルに乗って追いかけてくるだろう。
 一刻も早く、ここから出なければ。
…アンダァボォウトに乗れば。
 もともとのレェイベェルであるサンクーレではアンダァボォウトを動かすことはできないが、シスーレならばできるはず。一番近い港口のドームへの通路に向かった。隧道状の通路が見えてきた。そのまま進入すればいいはず。
「うわっ!」
 通路へのゲェィトが閉じられていた。急停車した。あやうく激突するところだった。 モゥビィルを降りて、閉まっているゲェィトの横の箱を小箱からの命令で開けた。


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