小箱で開けて入ると、受付があり、タァウミナルが五台置かれていた。そこで調査票を打ち込んでから順番に面談するという。全部塞がっていて、さらに三人ほど待っていた。その中のふたりはカサンのラボのものだった。 「カサン教授、今日だったんですか?」 待っていたのは、助手や研究員(フェロゥ)ばかりだった。 「ああ、出頭の日付は今日になっていた」 もういちど電文を確認したが、やはり今日の日付だった。タァウミナルが空くまで壁際の椅子に座って話をした。 カサンより少し年上の研究員がぼそっとこぼした。 「ずっと海の底なんですかね、地下とはいえ、バレーのほうがまだましですよ」 カサンのラボは本来飛行力学のラボで、地下のバレーにあっても、プレインを飛ばす研究をしていたのだ。 「ここでは、わたしの研究ができないから、考慮してくれるよう、交渉するつもりだ」 ふたりがよろしくと頼んで、空いたタァウミナルに座った。次のひとりが席についてからしばらく空かず、三十ミニツほどしてようやく席についた。ボォウドで認識番号と暗証番号を入力して、調査票を表示しようとしたが、表示不可になる。何度か入れてもだめなので、暗証番号が古いままかと思ったが、認識番号の更新日時を確認すると新しい方の暗証番号でいいはずだった。 通称白い四角、『個人通信』で、管制棟の担当官に呼びかけた。調べるのでしばらく待ってくれと返事がきた。 「まったく…なんなんだ、この扱いは」 確かに教授としてのレェイベェルは高いほうではないが、ただの研究員や助手などとは比べ物にならないくらい高い地位なのだ。バレーでこんな扱いを受けたことはなかった。調査票の入力を終えた研究員たちがひとりひとり呼ばれて面談室に入っていく。出て来るものはいない。出口は、反対側にある。ワァアク管制棟は、ときにワァアク上のトラブルや事故の聞き取り調査などに使われるので、聞かれたことを待機しているものに話さないように、こうした造りになっているのだ。 タァウミナルの白い四角が光って、担当官からの返事がきた。 『…カサン教授、大変申し訳ありません、教授の出頭は明日でした、そのため調査票が出力されませんでした』 明日だったなんて、なんでそんな不手際が起こるんだ。 不愉快極まりなかった。 「明日出直さないといけないのか」 担当官が明日でないと調査票が出ないので、明日また来るようにと返事を寄越して一方的に接続を切った。 カサンはそれでなくても百二十ミニツも歩いてきて、しかも待たされたあげくのこの扱いに、怒るよりも疲れてしまった。帰りはモゥビィルに乗りたい。この地区の車庫に向かった。 車庫にモゥビィルが二台あったので、ほっとして乗り込もうとした。車庫担当のワァカァが呼び止めた。 「それ、故障してますよ」 「二台ともか」 所内のモゥビィルは故障が多くて、使えないものが多いのだと言われた。 「アジュール区まで戻りたいんだ!行き、歩いてきたから、帰りはモゥビィルで戻りたい、どこかにないのか!」 いらいらして怒鳴った。ひっと顔をひきつらせて車庫担当がモニタァで調べた。ここから二十ミニツくらい歩いたところなら、一台あるというので、向かった。 ようやくモゥビィルに乗り込み、操縦輪に突っ伏した。 「まったく、こんな…」 大きなため息をついて、走らせ出した。小箱でレヴァードに連絡しようとした。呼び出しはしているが、出ない。とにかく早く戻ろう。明日はさきほど話した研究員に預けよう。 帰りは三十ミニツで到着した。医療室に入ると、レヴァードが机に向かってボォウドを叩いていた。 「なんだ、いるんじゃないか、何度呼び出してもでないし、どうしたのかと」 見回したが、セレンの姿が見当たらなかった。用でも足しているのかと奥まで見に行ったがやはりいなかった。 「あの子は」 レヴァードがモニタァを睨んだまま、返事をしなかった。 カサンが不安になって、レヴァードの肩を強く掴んだ。 「あの子はどうした、どこにいるんだ!」 レヴァードが顔を伏せたままつぶやいた。 「あの子は、所長が連れていった…」 肩から手を離した。 「なんで…あの子は女の子だぞ」 レヴァードが首を振った。 「あのヒトにはわかるんだろ、男の子だって。それに診療簿のデェイタ改ざんするなら、俺に送る前にしないと」 レヴァードが席を外したときにこっそり変えたのだが、アクセスの記録でわかってしまったのだ。 「所長のラボに連れて行かれたんだな」 助けなければ。 レヴァードが出て行こうとするカサンの腕を掴んだ。 「あきらめろ、どうせシリィの子どもじゃないか。ここであのヒトに逆らうと…」 深海マランリゥムのタービン清掃に回されて、清掃中に水門が開く『事故』が起きることになる。 「そうやって『事故』で死んだやつが何人もいるんだ」 幼い男の子に乱暴する病気だけではなく、猜疑心と強迫観念が強く、少しでも逆らったりされると異常な行動に出るのだ。 「そんなヒトが病棟送りにもならず大教授か」 カサンが震えた。恐ろしいヒトだ。逆らえる相手じゃない。自分が行ったって、助けられるわけがない。 そうだ、どうせシリィの子どもじゃないか。動物と同じだ。無知で、愚かで、汚くて。でも。 …よかった、カサン教授、生きてた… 自分が無事だと知って、ほんとうに嬉しそうだった。パズルができてほめてやったら、かわいらしく笑っていた。あんな笑顔を見たら、あのヒトがどんなことをするか知っていて、ほおっておくなんて。 だめだ。そんなことできない。 だめでもやってみよう。 やめろと言うレヴァードを振り切り、モゥビィルで所長のラボがある中央島の中央区に向かった。
カサンがワァアク管制棟に向かうために出て行ってから、レヴァードは、セレンのオウヴァオォウルの前を開かせて、聴診器で胸の音を聞いた。 「…お医者様、ぼ…わ、わたし、もう平気ですか」 セレンがか細い声で聞いてきた。熱もないし、もう腹の中に虫はいないから大丈夫だと言うと、うれしそうに笑った。 待たせるといっても何をさせたらいいかわからない。しかたなく、モニタァで環境ビデェオを見せた。暇なので、一緒に見ていた。山の風景にはあまり表情を変えなかったが、海の情景には身を乗り出していた。レヴァードがぼそっと尋ねた。 「海、すきなのか?」 セレンがにこにこした顔を向けてきた。レヴァートは、その笑顔を見て、少し気持ちがなごむような気がした。 レヴァードは、キャピタァルで医療事故を起こし、要人を死なせてしまい、引責のためにここに追いやられた。もう十五年になる。年に数日、海上に出ることが許される以外にここを出ることはなかった。おそらく一生ここにいることになるだろう。何で生きているのかよくわからなかった。でもここでこのまま死にたくはない、死ぬならその前に少しでいいからいい思いをしたかった。だが、ここにいては、どうにもならなかった。 二十ミニツくらいして、扉が開いた。誰か具合でも悪くて来たのかと思い、扉のほうに顔を向けた。 「所長…」 ディムベス所長だった。相変わらず眼をぎょろっとさせて、探るような目つきで見回した。セレンを見つけて指し棒で手のひらを叩いた。 「ここに預けていたのか」 セレンが振り返って、誰かわかって怯えた顔で席から立とうとした。くいっと顎をしゃくると、付いてきていた警備員のふたりがセレンを両脇から抱え上げた。セレンが、震えて首を振った。 「待ってください、その子はカサン教授の検体で…」 点数を譲ってもらったこともあり、とりあえず言ってみた。ディムベスがくるっと背を向けた。 「カサンに言っておけ、デェイタ改ざんは懲罰ものだぞとな」 セレンが引き摺られていった。 細い通路を進んでアジュール区と中央区との境に幅のひろい通路に出た。そこに所長専用のモゥビィルが停まっていた。抵抗することもできず、後ろの席に乗せられた。 中央区の車庫で降りた。中央区には所長室と所長のラボ、ベェエス管理室、マリティイム集中管制室などがあった。所長のほかには、ラボに助手が二名、フェロゥ(研究員)が十名、医療班にインクワイァが十名いるくらいで、あとは百名ワァカァがいるだけだった。もともと通信衛星工学分野が専門のラボだった。もうラボではほとんど研究はしていない。ここは『監獄』のようなものだった。 医療班の施設区画に向かっていた。手術室、処置室、診察室、予後観察室などがある標準的な施設だった。 セレンを手術室に入れた。細長いベッドがあり、いろいろな線や棒や奇妙な形の灯りやテーブルなどがたくさんあって、セレンには不気味でとても恐ろしかった。 『所長、準備できましたよ』 声が頭の上から降って来た。思わず見上げた。部屋にはあの所長というヒトしかいなかった。手には棒を持っていて、手のひらをパンパンと何度も叩いていた。 近寄られて、部屋の隅に逃げた。所長が大またで追い詰めた。 「セレン…だったな、おまえは男の子だろう?」 棒で肩を弱めにパシッと叩いた。セレンが首を振った。 「お…女の子…です…」 消え入りそうな声を出した。膝をしっかり合わせて顔を伏せた。所長が膝を付いて、セレンの顎を掴んで、顔を向かせた。 「本当か」 青い大きな瞳に涙を浮かべてセレンがうなずいた。 「おまえはうそつきだ」 所長が棒を振り上げた。 「ひっ!」 顔や頭、腕をめった打ちにした。腕を振り上げて防ごうとした。だが、防げず、顔を伏せようとすると、蹴り付けて、仰向けにした。棒を捨てて、馬乗りになって、拳で顔を殴り始めた。 「ひっ、や、やぁあっ!」 セレンが悲鳴を上げるたびに所長の目が大きく見開かれ、口元が笑いで歪んだ。瞼が切れて膨れ上がり、鼻血を流し、口の中も切っていた。セレンがしゃくりあげながら頼んだ。 「も、もうやめ…て…」 所長はセレンのオウヴァオォウルを脱がせた。身体が痛い上にたくさん殴られて心も痛めつけられ、抵抗できなくなっていた。下穿きもはがされた。 「たしかに男の子にあるはずのものはないが…」 ぐいっと股を広げさせた。 「女の子にあるはずのものもない」 股の間に身体を入れ、セレンの顎を掴んだ。 「正直に言うんだ、そうしたら、もう殴らないから。おまえは、男の子だろう?」 瞼から出た血が目に入って目の前が真っ赤になった。痛くなって目を閉じ、うなずいた。 「は…い、ぼく、男の子…です」 所長の口元がにやっと歪んだ。
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