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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第189回   セレンと蓬髪の教授《マシィヌ・プロフェスゥル》(1)
 深海研究所《マリティイム》は、深度一〇〇〇〇カーセルの深海、極南列島の南東の外れにある海溝の底にあった。
 ラカン合金鋼で出来た施設で、プライムムゥヴァ(動力)のコンビュスティウブル(動力源)は深海マランリゥム、つまり深層循環流でタービンを回し、動力源を得ていた。施設のほとんどは中央島《ミリウゥム》といわれる円形を半分にして伏せたドームの中にあり、その周囲に五つの小さなドームが筒状の通路でつながっていた。
 シリィの子どもセレンは、極南列島《クァ・ル・ジシス》の数百の島のひとつで、三の大陸の魔導師アートランと暮らし始めていたが、生貝を食べて、毒性の強い寄生虫《アルヴィクル》に寄生されてしまった。
アートランは、激しい吐き下しと高い熱で苦しむセレンのためにセラディムに帰って薬を取ってこようと島を離れた。そのとき、近くを潜航していた海中戦艦マリィンが、海中を驀泳するアートランと接触しそうになり岩礁にぶつかった。そのマリィンの乗員の中に、かつて一の大陸セクル=テュルフでセレンと出会ったことのあるカサン教授がいた。マリィンは、艦内損傷箇所を調べるために浮上し、近くの島を散策していたカサンが、倒れているセレンを見つけて、治療させ、マリティイムに連れてきた。
 マリティイムにやってきて四日目。セレンはようやくアルヴィクルが駆除できて、熱も下がった。アルヴィクルに寄生されただけでなく、すっぱい水を飲んだとか生ものを食べ慣れていなかったとかいろいろいあったようで、抵抗力がとても落ちていたのだ。昨日あたりから少し形のあるものに食事を変えた。それでもまだパンを牛乳で煮た粥っぽいものが冷凍乾燥されてパックになっている療養用の食事だった。
 胸の音を聞き終えてから、医療室の室長レヴァードがボォゥドで記録を更新した。
「予後を見る必要があるから、三日後にでも一度連れてくるんだな」
 また下痢したり吐き気がしたら、すぐに来るようにといい、療養用の食事のパックと夜中に熱が出るといけないからと解熱剤をよこした。一番小さなオウヴァオォウルを着せたが、やはり大きいので、袖口や裾を何回も折り返した。
 カサンに手を引かれて個人居室に向かった。
 ひとり部屋なので、ベッドもひとつしかない。横にしてから、タァウミナルで、報道デェイタや報告デェイタを閲覧した。いずれもマリティイムに来るまえに見たもので、新しいものはなかった。定期的に報道デェイタや物資を運搬してくるアンダァボォウトが来るのだが、それまではデェイタは更新されないのだ。個人宛のものもなかった。
「そうだ、セレン」
 退屈だろうから、あの記録ビデェオを見せてやろうと手招いた。セレンがベッドから降りてきて裸足で寄ってきた。
「面白いもの、見せてやろう」
 持って来た荷物の中から、人造樹脂で出来た箱を出して開け、外部保存用の棒状の記録媒体を取り出して、ボォオドの横にある穴に差し込んだ。椅子もひとつしかないので、膝の上に乗せた。さきほど湯浴びさせたので、まだ少し髪が濡れていた。
 モニタァを見るように指差し、記録ビデェオを再生した。画面の中にきらきらと輝く海とたくさんの船が現れた。セレンが驚きながらうれしそうな声を上げた。
「わぁ…船…」
 だが、その船があの南方海岸で見た軍船と気がついて、少しこわばった。声が聞こえてきた。
『カサン教授、前方十〇〇の方向に、飛行物です』
 キャメラがその方向に動いた。その黒い飛行物が拡大されていく。黒い外套が風にひらひらとはためいている。
『あの魔導師です、ほんとに何の動力もなく飛んでますね』
 撮影者の戸惑う声が入っていた。顔が映し出された。短い黒髪が風でわずかになびき、鋭い瞳で正面を見据えていた。その顔を見て、セレンが震えた。
「…せ、師匠(せんせい)…」
 仮面になる前のイージェンだった。手を伸ばし、身を乗り出してモニタァに触ろうとした。カサンがあわてて身体を引き留めた。
「これはえっと、記録してるもので、ずっと前の映像で、ほんとうじゃないんだ…といってもわからないか…」
 どう説明していいかわからず、途方にくれて、ビデェオを停めた。セレンが肩を震わせて泣き出した。
「せんせい…」
 イージェンが死んだことを誰からか聞いたのか。思いだして悲しくなったのか。
カサンは、こんなビデェオなど見せるのではなかったと後悔した。かわいそうになってぎゅっと抱きしめた。セレンが抱きしめた腕にしがみ付いてしばらく泣いていた。力がなくて抱き上げられないので、ひきずるようにしてベッドに連れて行った。
「悪かったな、思い出させてしまって」
 セレンが首を振った。
 しばらく、記録の整理などしていたが、そろそろ寝ようかとタァウミナルを消した。ベッドがひとつしかないので、セレンの横に寝た。セレンは、小さな寝息を立ててぐっすりと寝ている。何も警戒していないのか、それとも自分を頼っているのか。
…次にアンダァボォウトが来たときに島に戻してもらうか…
 自分が一緒に行ければそうしたいが、勝手に移動はできない。アンダァボォウトの乗員に頼んでもやってもらえるかどうか。難しいなとため息をついた。
そういえば、どうしてあの島にどうやって来たのか、聞いていなかった。
明日にでも聞いてみようと目を閉じた。

 翌朝、療養用のパン粥と栄養補給の液体を与えてから、簡単な図形を並べるパズルを教えようと、タァウミナァルに向かい、また膝の上に乗せた。ボォウドの移動釦の使い方を教えて、図形の並べ替えなどをさせてみた。
 最初まったく釦に触ろうともしなかったが、カサンがやってみせ、モニタァの中の三角や四角が動いているのを見て、少し興味が出てきたようで、たどたどしいながらも押し始めた。
「その四角の中にこの色が違う図形を入れていくんだ」
 うなずいて、真剣な目で釦を押した。正確にはまっていくと、四角がひとつになってきらっと輝く。驚いて身体を引き、後ろのカサンを振り返った。カサンがふっと笑った。
「そうやって光ると正解、正しくできたってことだ。よくできたじゃないか」
 ほめてやった。すると、セレンが顔を輝かせて喜んだ。その笑顔を見ていると胸が暖かくなるようだった。
 文字パズルも教えてやろう。いい暇潰しになるし。
 夕方まで、のんびりと図形パズルや文字パズルをした。文字はまだ全部わからないようだったが、図形よりも熱心にやっていた。夕食を食べながら、尋ねた。
「あの島へは、誰かに連れてきてもらったのか」
 セレンが、野菜のかけらが入ったスゥウプを飲みながら少しの間考えていたが、答えた。
「アートランに連れてきてもらったんです。でも、ぼくがおなか痛くしたので、どこかに薬取りに行きました」
 アートランというのは、誰なのか。聞いてわかるかどうか。
「アートランというのは、誰なんだ?」
 セレンがしきりに首をかしげたが、ようやく言った。
「えっと…魔導師です」
 カサンがやはりなと肩で息をした。
シリィが住む大陸や島からあの島にまでやってくるには、大陸間を行き来するような、大きく頑丈な船でないと無理だった。極南列島には、わずかにシリィたちが住んでいる島があるが、それはもっと北東の島々だ。あの付近の島にはまとまった村落などはない。あんなところまで来られるとしたら、魔導師に運んでもらうしかない。認めたくないが、実際に飛んでいるところを見たから、そう思わざるをえない。
 そのアートランは、セレンを探しているだろう。だが、魔導師がここまで潜れるものかどうか。
 もし潜って来られるようなら、それはそうとうな『魔力』の持ち主に違いない。
ここがアーレのように襲われるかもしれない。アルティメットはもう死んだという話だが、デェリィイトの力はないとしても、内部を破壊することはできるだろう。
 そうなる前にセレンを島まで送り届けるなにかよい方法がないものか、なついてきたので、離れるのは寂しい気もするが、セレンのためにはそのほうがいい。
定期便のアンダァボォウトが来たとき、なんとか頼んでみるしかなかった。

 翌日の朝食を終えた頃、小箱が震えた。開いて電文を読んだ。
 アーレからの移動者への通達で、滞在中のワァアクについての聞き取り調査や相談を行うので、ワァアク管制棟に出頭するようにと書かれていた。そんなものは、面談でなく調査票を送信してくればいいのにと呆れたが、所長の署名があるので行かなくてはならない。やれやれと腰を上げた。セレンを医療室に預けていこうと連れて出た。
医療室に行くと具合悪くなったのかとレヴァードに言われ、セレンを預かってほしいと頼むと、露骨にいやな顔をした。
「ここは保育棟じゃないんだが」
「ひとりで置いておけないので、なんとか頼む」
 点数を譲るからと小箱の無線でいくばくかの点数を送った。レヴァードはもらった点数を見て、不機嫌ではあったが、承知した。カサンがセレンの頭に手を置いた。
「いいか、おとなしくしてるんだぞ」
 セレンがカサンの白衣をぎゅっと握って、少し不安そうな顔でうなずいた。
 ワァアク管制棟は、今カサンたちがいるアジュール区のちょうど反対側の区域にあり、しかも、移動用モゥビィルが足りないらしく、車庫に一台もなかった。歩いていくしかない。
 時間の指定はなかったので、それほど急がなくてもいいが、あまり長い時間セレンを預けておくわけにもいかない。所内地図で確認して、中央島《ミリウゥム》を横切るように最短距離で向かった。ワァアクの時間帯もあってか、ほとんどヒトの姿は見られない。施設の大きさに比べても、員数が少ないのだ。
 マリティイムの外壁はラカン合金鋼だが、内部は通常の鋼鉄や人造石材で作られていた。鈍く光る通路を百二十ニミツほど歩いたがもうばてていた。ようやくワァアク管制棟に着いた。


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