「とうさん、来てたんだ!」 十五か六くらいの少年が大きな声で叫んで、ジェトゥの背中に抱きついた。 「アルトゥール、お客様が来てるんだぞ」 ジェトゥが首に回った手を払った。 「いいじゃないか、おまえに会えてうれしいんだろう」 アギス・ラドスがうれしそうにふたりを見た。ジェトゥが呆れたため息をついて、アルトゥールに隣に座るよう示した。アルトゥールが椅子をぐっとジェトゥの横に寄せて、座った。 「アルトゥール、とうさんはもうずっとここにいるからな」 アギス・ラドスが言うと、アルトゥールが顔を輝かせた。 「やったーっ!」 両手の拳を突き上げて喜んだ。ジェトゥが内心のうれしい気持ちを隠して不機嫌そうに水を飲んだ。 アルトゥールは、従者が持ってきた酒の杯を飲んで、骨付きの肉をかじった。 ジェトゥが、ダリアトがしきりに廊下を気にしていることに気が付いた。 「女がひとり、男が三人、もうすぐこの部屋まで来ますね」 ダリアトがはっと驚いて下を向いた。アギス・ラドスがにやりと笑った。 従者が来訪者の到着を告げた。扉が開かれて、長く白い上着を着た女と、灰色のつなぎ服を着た男三人が入ってきた。 アギス・ラドスとダリアトが椅子から立ち上がった。 「これは、パミナ教授」 アギス・ラドスが小さく顎を引いた。パミナ教授と呼ばれた小柄で顔も身体もふっくらとした三十過ぎの女が部屋の中を見回し、ジェトゥの側までやってきた。 「会頭、こちらは?」 低く落ち着いた声で尋ねた。ジェトゥが横に立ったパミナをちらっと見上げた。 「俺の息子のジェトゥだ」 アギス・ラドスがジェトゥの横の椅子に座るようパミナに示した。パミナだけ腰掛け、お供らしい三人のうち、ふたりは入口の前に立ち、あとのひとりはパミナの後についた。三人とも、肩から紐でオゥトマチクを提げていた。 「お孫さんとは何度かお会いしたけど、息子さんには初めてお会いしますわね」 パミナがジェトゥをじろじろと見回した。 「大胆ですね、マシンナートと手を結ぶのですか」 ジェトゥが空の杯を示して、給仕に水を注がせた。アギス・ラドスが不敵な笑みを浮かべた。 「これまでもいろいろと道具をもらったことがあったが、今回は実験とやらも兼ねて、大々的に戦争に手を貸してくれるんだ」 パミナが隣のジェトゥを覗き込んだ。 「第一大陸のカーティアの争乱や戦争に手助けして、成功しているんですのよ」 ジェトゥがパミナを避けるように顔を逸らした。 「そうですか。よいのではないですか、マシンナートの武器を使えばひとたまりもないそうですから」 ダリアトは、口止めされたわけではないが、ジェトゥが魔導師であることはしゃべらないほうがよいと嗅ぎ取った。パミナが後のお供から銀の筒を受け取って、蓋を杯にして中身を注いだ。その中身を飲んでから話し出した。 「すでに『鋼鉄の馬車』はリタース河近くの平原に集結して、会頭とダリアトさんの臨検を待っています」 ハバーンルーク側のリタース河近くに不毛でほとんどヒトが住んでいない平原がある。ヴラド・ヴ・ラシスが借り受けていて、昨年から、パミナが『鋼鉄の馬車』と説明したリジッドモゥビィルをはじめとしたアウムズの組立てや実験をしていた。ハバーンルークの学院は特級が三人しかいない上、あまり魔力が強くなく、スケェイルを保持するだけで手一杯の状態だった。そのため、見過ごしているのだ。 「俺は他に行かなければならないところがあるんで、ジェトゥに行ってもらう」 ダリアトが青ざめた。 「息子さんでもいいですわ。それでは、明日来てください」 パミナがまたジェトゥを覗き込むように見てから、アギス・ラドスに眼を戻した。 「それと、大魔導師のこと、わかりましたか」 アギス・ラドスが首をかしげた。 「ウティレ=ユハニの祝賀会で国王と会い、すぐに立ち去ったそうだ」 パミナが少し眉を寄せた。 「もうこの大陸にはいないのかしら」 アギス・ラドスがジェトゥに目配せした。ジェトゥがため息をついて、口を開いた。 「いないと思いますよ、ウティレ=ユハニではかなり急いで立ち去ったらしいですから、一の大陸に戻ったのでしょう」 大魔導師がウティレ=ユハニに立ち寄ったことは知らなかった。まだこの大陸にいるかもしれないが、口裏を合わせた。 パミナが銀の筒の蓋を閉めて立ち上がった。 「いたらわたくしたち、逃げる間もなく全員消滅させられますのよ?」 パミナが笑った。それでは明日とお供を連れて帰っていった。 ダリアトが震えた。 「マシンナートに手を借りたら、大魔導師に消されるんですか」 ジェトゥが杯を見つめた。 「心配しなくてもいいですよ、消されるとしてもマシンナートだけです。惑わされてすまなかったと謝れば問題ありません」 カーティアの騒動からして、啓蒙されたとしても、あやまれば大魔導師は許す。いや、許さなければならないだろう。あのイージェンであっても。 戦費や物資についての取り交わしにアギス・ラドスの署名を貰い、明日朝臨検に向かう段取りをして、ダリアトは宿舎に下がった。 「具合が悪いようですね」 ダリアトが立ち去ってから、ジェトゥが言った。顔色や息の様子から肝臓でも悪いのだろう。アギス・ラドスがうなずいた。 「今度マシンナートがいい薬をくれるらしい。少しは寿命が延びるようだ」 ダリアトが残した分も食べていたアルトゥールがジェトゥのほうに顔を突き出した。 「俺も連れて行ってくれよ、マシンナートの馬車見てみたいよ」 ジェトゥが少し考えていると、アギス・ラドスがうなずいた。 「連れて行ってやれ」 ジェトゥが気難しい顔で了解した。アルトゥールが椅子をがたがた言わせてはしゃいだ。 ジェトゥは、そろそろ休むと断って、丁寧にお辞儀して出て行った。まだ食べていたアルトゥールも席を立った。 「じぃ、おやすみ」 アギス・ラドスに抱きついて髭の頬に頬摺りした。 アギス・ラドスが満足そうにアルトゥールの髪をくしゃっと掴んだ。
ヴラド・ヴ・ラシス《商人組合》の本拠は、以前はウティレ=ユハニ王都に広い敷地にある大きな館に置いていた。しかし、今は、ハバーンルーク王都から五十カーセルほど離れた、古い貴族の館に移っていた。この屋敷の主だった貴族の血筋はすでに絶えていて、すっかり寂れていたものを買い取って、改装したのだ。 かなり手狭なので、実際にこの館に移ってきたのはほんの一部で、実務部門はじめほとんどは西海岸の自治州に移していた。 ジェトゥは東館の自分の部屋でくつろいでいた。 ジェトゥは窓際に立って、外を眺めていた。雨が降っていた。従者に濃い茶を入れるよう言いつけた。テーブルに置くと、窓際に立っていたジェトゥが寄ってきた。 書類を読みながら、ゆっくりと茶を飲んだ。飲み終わってからは、ベッドに横になりながら、いくつかの書面に眼を通していた。 扉が叩かれもせずに開き、アルトゥールが入ってきた。 「扉を叩かないと次から入れなくするぞ」 ジェトゥが怒った。まったく気にするようでもなくアルトゥールがベッドに腰掛けて草履を脱ぎ、布団の中にもぐりこんできた。 「とうさん」 甘えるように背中に抱きついてきた。 「もう子どもじゃないだろう、女の寝床にでもいけ」 読んでいた書面をジェトゥの背中から覗き込んだ。 「もう済ませてきた」 たしかにかすかに花のような香りがアルトゥールの肌から匂ってきた。この本拠には、遠方から来訪した幹部や来客のもてなしのために娼婦たちを住まわせていた。アルトゥールはまだ決まった側女などはもっていないが、女が欲しいときには娼婦を抱いていた。 「三の大陸に行ってるやつからのだっけ」 書面を奪い取るようにして読み始めた。 「ああ、スティスという男からのだ、今セラディムの王太子の側近になっている」 もともとセラディムの隣国ドゥオールに送り込んでいたものだ。ドゥオールの学院長ゾルヴァーはスティスがヴラド・ヴ・ラシスの息がかかっているものであることを承知で使っている。ゾルヴァーは直接にヴラド・ヴ・ラシスと繋がってはいない。だが、セラディムとドゥオールの統合を狙っているので、ヴラド・ヴ・ラシスを上手く使っていきたいのだ。 「…個別に訓諭すればいい…か。訓諭はゾルヴァーにすべきだったな」 ぽつっとつぶやいた。 「なに?」 アルトゥールが聞きとがめた。なんでもないと手を振って、書面を奪い返した。 「明日早いぞ」 ジェトゥがたしなめるよりも早く、アルトゥールは横で眠っていた。布団を掛けてやった。 身体は大きくなったが、顔つきはまだ子どもっぽい。寝顔は赤ん坊のときと変わらないなと、いとおしさでいっぱいになった。髪をなでながら、書面に眼を戻した。 翌朝、アルトゥールはまだ支度をしていなくて、一度本館に戻っていった。支度をして東館に向かうと、すでにダリアトの馬車は出発していた。ジェトゥは馬に乗って待っていた。 「とうさん、遅くなった?」 申し訳なさそうな顔のアルトゥールに、ジェトゥが隣の馬を調鞭で指し示した。 「早く乗れ」 アルトゥールがうなずき、馬上に上がった。ゆっくりと歩き出しながら、ジェトゥが雨空を見上げた。 「いまいましいな、この雨」 大粒の雨が降る中、二頭が並んで館を出ていった。 馬車には昼すぎに追いついたが、雨のために速度が出ず、どうやら今日中には着きそうになかった。途中で宿泊することになった。もともと貧しい土地柄なので、どこに行ってもきちんとした旅館などはない。幹道沿いの大きめの家に金を出して泊まることにした。 「この先、かなりぬかるんでいるらしいよ」 アルトゥールが村人に聞いてきたらしく、暖かい茶を飲みながら、ジェトゥに報告した。ジェトゥが窓の外に眼をやった。 「この雨はあさっての朝まで上がらない。遅れると伝書を送ったほうがいい」 ダリアトに書かせて誰かに届けさせることにした。アルトゥールがダリアトに伝えに行くと、ダリアトが疲れた顔で了解した。
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