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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第181回   セレンと深海の都《マリティイム》(4)
 艦は夜中のうちに海上に浮上していたが、夜明けを待って艦体を調べ始めた。損傷はないはずだが、念のために音波診断することになった。
 そのため、出航まで時間ができたので、カサンはテンダァで近くの島を見に行くことにした。このあたりは無人の島ばかりだが、近くに火山のある島を見つけて、上陸してみることにした。
 島の北側から西側は砂地だったが、東側に少し岩礁があった。少し島の周囲を巡った後、テンダァから長い渡り板を出して、何人かの運転士や作業員が岩の上に降りた。カサンが渡り板の上をおそるおそる歩いていると、上陸した作業員が呆れた。
「カサン教授、渡れないなら、テンダァで待っててくださいよ」
 さっさと行ってしまった。カサンは、脚が震えたが、なんとか渡り、岩の上をおぼつかない足取りで砂地のほうに降りて行った。
 熱帯地域の日の光がじりじりと照りつけていた。雑多な臭いのする空気ともしばらくお別れだった。しばらくのんびりと海岸を歩いていた。
 さきほどの作業員が駆けてきた。
「カサン教授、ちょっと来てください!」
 なにかを見つけたらしく、ひどくあわてていた。急がせる作業員に手を引かれて付いて行った。細い葉で編んだらしい屋根だけの小屋が見えてきた。無人の島だと思っていたので、驚いていると、その屋根の下でテンダァの運転士のひとりが鼻と口を手で覆って、指差した。近づくにつれて、異様な臭いが鼻を突いた。白衣のポケットからタオルを出して鼻と口を覆った。
「カサン教授、これ!」
 指指した先を見ると、小さなヒトが横たわっていた。
「シリィの子どもか?」
 死んでいるのかと思ったが、作業員がオゥトマチクの銃口で突付くと、胸が少し動いた。
「病気のようです」
 口からは吐しゃ物が吐き出ていて、下痢をしているようだった。小屋の隅に甲殻類の殻や貝の殻が捨てられていた。
「貝類は、アルヴィクルが寄生しているものが多いからな、感染したのかも」
 アルヴィクルは寄生虫で貝類以外の動物を宿主にすると、強い毒性をもつのだ。高熱、嘔吐、下痢の症状が出て、腸に卵を産み付けて孵化すると腸壁を食い破るなど、宿主を死に至らしめることがあった。対応抗生物質で駆除できるが、ろくな薬もないシリィにとっては致死率が高い。
「どうします、まだ生きているようですけど」
 運転士が覗き込んだ。カサンも顔を覗き込んで、目を見張った。
「…セレン…?」
 なんでここに?
 驚いたどころではなかった。イージェンがバレーに戻るトレイルに乗り込んできたときにはどこかに預けてきたという話だった。
「ほかのシリィはいないのか。この子どもがひとりでここに来たとは思えん」
 運転士がうなずいて、何人かで周囲を見に行った。
「ぐうっ」
 セレンが苦しそうに顔を歪めて肩を動かした。カサンが残っていた作業員にテンダァからシートを持ってくるよう指示した。
「マリィンに運んで治療する。抗生物質を投与すれば助かるだろう」
「えっ…助けるんですか?」
 作業員が驚いて聞き返した。早くしろとカサンが急がせた。そのままではシートにも載せられないので、作業員が持ってきた桶で海水を汲んで、下半身だけ流すことにした。
「下着を脱がせないと」
 カサンが作業員にやらせようとしたが、嫌そうな顔で首を振ったので、しかたなく指先で端を摘んでそろそろと下穿きを降ろした。
「あれ、この子、女の子だったんですね」
 嫌そうにしていた作業員が急にじろじろと覗き込んだ。
「いや、男の子だと思ったが」
 カサンが、女の子だっただろうかと首をかしげた。だが、確かに女の子のようだった。
 タオルでセレンの口元を拭って、下半身に何度か海水を掛けた。シートに載せて、戻ってきた運転士たちに持たせた。近くにヒト影はないということだった。運転士たちもシリィの子どもを助けるというので、驚いていた。
 マリィンに戻り、テンダァも収容した。点検はあと少しかかるらしかった。
 医務室に連れて行き、医療班の班長に見せた。班長はシリィの子どもを持ち込んではまずいでしょうと言いながら、女の看護士にセレンを清拭するよう指示した。近くに貝殻があったこと、嘔吐と下痢、高熱の病状を聞いて、検査しないと断定できないがと言った。
「アルヴィクルの中毒症状に近いですね」
 看護士に吐しゃ物と便の採取をするよう指示し、看護士がカーテンの向こうで返事した。少しして看護士が班長を呼んだ。
「班長、ちょっと来てください」
 班長がカサンに小さく頭を下げてカーテンの向こうに行った。なにかひそひそと話し声がした。看護士が検体を持って出てきて、隣の検査室に向かった。班長がカサンを呼んだ。
「かなりバァイタァルの数値がよくないから、とりあえず点滴して、脱水症状だけは避けましょう。すぐに検査結果でるので、そうしたら抗生物質が決められますから」
 汎用のものだと、解熱くらいにしか効き目がないかもしれないのだという。
「感染してから一日たっているようです、卵産み付けられているかも、それと」
 熱が高くてぐったりしているセレンをちらっと見た。
「この子は男の子のようですよ」
 事故か人為的かわからないが、陰茎と陰嚢が切断されているようだと眉をひそめた。もう少し大きくなったら辛いだろうなとカサンが同情してしまった。
 シリィの子どもなどに同情するなんて…。
 きっと気持ちが落ち込んでいるのだとため息をついた。
「ここに停留している間には、治らないよな?」
「まあ、無理ですね、どうします」
 カサンが考えこんでいると、班長がセレンの胸に聴診器を当てて、胸や腹の音を聞いた。戻ってきた看護士に音波検診装置を持ってこさせて、腹の中を探って見ていていた。少しして検査士からの結果がモニタァに出てきた。
テェエルでのミッションを行うトレイルやマリィンには、感染症などの恐れがあるので、必ず医療班には検査士と検査設備を組み込むことになっていた。多種の抗生物質、中和剤も揃っている。
「やはりアルヴィクルですね。すぐに対応抗生物質投与します」
 吹き付け式の注射と薬用点滴を出させて、処置した。
 マリティイムは、独立プラントに近い施設で、バレーのように検疫は厳しくないから、もしかしたらセレンを持ち込むことはできるかもしれない。だが、治してやっても、テェエルに戻すことはできないかもしれないのだ。
『艦長アランストだ、艦体修理完了、これより潜行する。乗員は配置に着け』
 艦長の声が響いた。どうやら、連れて行くしかないようだった。
「わたしのクォリフィケイションで搬入できるかな」
 ジャイルジーンが、最後に教授のレェィベルをサンクーレからシスーレに上げてくれたが、それはおそらくどこにも伝わっていないだろう。
 セレンは、少し楽になってきたようで、苦しそうだった顔が和らいできていた。班長に後は看護士が看ますからと言われたが、カサンはセレンに付き添っていた。
 何時間かして、看護士が点滴の袋を替えていると、セレンの目が開いた。
「…アー…トラ…?」
 手を伸ばそうとしている。ベッドの側の椅子に腰掛けていたカサンが気づいた。
「セレン」
 呼びかけると、セレンの意識がはっきりしたようだった。
「…カサン…教授?」
 覚えていたのかとなぜかほっとした。シリィの子どもから見たらマシンナートなどみんな同じに見えるだろうし、忘れただろうと思っていた。セレンが胸で息をした。苦しそうな中に笑みを浮かべた。
「よかった…カサン教授…生きてた」
 まだ熱があって汗をかいていたので、看護士が冷却布を持って来た。戸惑ったカサンが受け取って額や頬の汗を吸い取った。
「なんで、そんなことを…」
 セレンが冷たさに気持ちよさそうに目を閉じた。
「殿下が心配してたので…大丈夫かって」
 よくわからないが、ラウドが自分のことを心配していたらしい。胸がぎゅっと締め付けられるようだった。
「そうか、あのバカ王子は元気なのか」
 わざと不機嫌そうにいうと、セレンがうなずいた。
「オルス水飲ませましょう」
 看護士が脱水症状のときに飲ませる水を持って来た。透明な筒に吸い口がついているものをセレンに持たせた。少し身体を起こしてやると喉が渇いていたので、勢いよく吸い上げた。
「げほっ」
 あまりに勢いよすぎて咳き込んでしまった。
「おい、そんなにあわてなくていいから」
 カサンが背中をさすってやると今度はゆっくり飲んだ。飲み終えるとまた瞼を閉じた。
「薬効いてきてますから、もう少し寝ると思いますよ」
 看護士がオルス水を足した筒を置いていった。

 アーレ・マリィン弐号艦は潜行を開始した。深海研究所《マリティイム》は、深度一〇〇〇〇セルの深海、極南列島の南東の外れにある海溝の底にあった。
ラカン合金鋼で出来た施設で、プライムムゥヴァ(動力)のコンビュスティウブル(動力源)は深海マランリゥム、つまり深層循環流でタービンを回し、動力源を得ていた。施設のほとんどは中央島《ミリウゥム》といわれる円形を半分にして伏せたような中にあり、その周囲に五つの小さなドームが筒状の通路でつながっていた。
南方海戦に使われたマリィン壱号艦の艦体は通常の鋼鉄なので、マリティイムまでは潜行できなかった。弐号艦以降はラカン合金鋼で作られているので、潜ることができるのだ。
 小さなドームのうち、二つが港口で、それぞれマリィンが一艦づつ停泊できた。船渠所も兼ねている。水門からそのひとつに入港した。
『マリティイムに入港完了、乗員以外の乗艦者は全員退艦』
 アランスト艦長の声が艦内に響いた。
カサンは、班長にセレンを自分の検体として荷物と共に下ろすように頼んだ。班長は、カサンの専門はメディカル分野ではないので、難しいかもと言いつつ、引き受けてくれた。マリティイムの医療士に見せられるようにとセレンの診療簿のデェイタをカサンの小箱に移した。
カサンは艦長に挨拶に行こうと艦橋に向かおうとしたが、途中で艦内放送が響いた。
『艦長アランストだ、乗員にも退艦指示が出た。現在の作業を中止して全員退艦』
 すぐに出港すると思っていたので、驚いた。艦の脇から出ている昇降口から降りると、艦長がすでに出ていた。


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