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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第178回   セレンと深海の都《マリティイム》(1)
 一の大陸セクル=テュルフのエスヴェルンで生まれたセレンは、三の大陸ティケア・セラディムの魔導師アートランに連れられて、極南列島《クァ・ル・ジシス》の島のひとつに住むことになった。
 セレンは、心に呼びかける魔力を持つアートランの声を聞いた。セレンは海を泳ぐ大きな魚の形をした獣セティシアンが呼んでいると思い、その声に強く惹かれ、応えた。そして、アートランの呼びかけに、ヒトが応えたのは初めてだった。
アートランは、母親の胎内にいるときからヒトの心の奥底まで覗くことができた。意識を持つとすぐに『学院長』であった母親の知識がすべて頭に入ってきた。アートランは誕生以前から知識においては『学院長』だった。そして、産まれてのち、セラディム王宮の悪意に満ちたヒトの心を嫌い、底意のない獣とばかり睦んでいたが、澄んだ心を持ち自分の呼びかけに応えたセレンを好きになった。
 ふたりは、互いに惹かれあうものを感じて、男同士だったが、結ばれた。好きなものはヒトだろうが獣だろうがひとつになりたい。アートランに『ヒトの道』は関係なかった。交われない獣は自分に取り込むために食べてしまったが、ヒトであるセレンとは身体を結んだ。
 セレンは好きになったアートランに触れられると胸がどきどきして身体がふわふわして気持ちがよかった。身体を結ぶ意味よりも、好きになったアートランが夢中になって自分と身体を重ねるのがうれしかったのだ。
イージェンたちと別れ、『空の船』から島に戻ってきた後、セレンは屋根だけの小屋の中を見回した。
「かまどとか、水がめとかないの?」
 料理しないのと尋ねると、アートランが首を振った。
「俺は生で食うから煮炊きしない」
 そういえば、イージェンに生ものを食わせるな、火を通せと言われたなと思ったが、かまどを作るのは面倒だった。
「ちょっと焼いたり、湯沸かすくらいなら焚き火でいいよな」
 セレンが戸惑いながらもアートランの言うことを聞いたほうがいいかなと、うんと承知した。
 アートランがうっとおしい外套と胴衣を脱ぎ捨てて下帯だけになった。セレンの服も下穿きだけ残して脱がした。島を案内しようと手を引いた。南国の大きな瑞々しい葉がたくさん茂っている林の中に入っていく。どんどん走っていく。
「島のまんなかに火山があるんだ。近くにあったかい泉がある。そこに行こう」
 見上げると林の間から山が見えた。てっぺんから煙が昇っていた。
「キーッ、キーッ」
 かん高い鳴き声に、はっと頭の上を見ると、赤と黄色の羽の大きな鳥がたくさん飛んでいた。
「みんな、ついてこい」
 アートランが声を掛けると、足元にいたトカゲやら小さなクマのような動物が、アートランたちを追いかけてきた。急に藪が開けて、短い草と岩がごつごつしたところに出た。セレンを小脇に抱えて、その岩をひょいひょいと飛び渡っていく。獣たちが懸命についてくる。ときどき岩の間に落ちたりしても這い上がってくるさまが見えた。水の音がしてきて、目の前に川が見えてきた。河原をさかのぼっていくと、窪みに水溜りのようなものがあった。ようやくアートランが止まった。川の水が入り込んでいて、水溜りからは白い湯気が出ていた。アートランがかがみ込んで手を入れていた。真似して手を入れると熱かった。
「あつっ!」
 水溜りではなく湯溜りだった。底から湧き上がっているようだった。アートランがフフッと笑って、川に近いほうに手を入れさせた。そこはぬるくてちょうどいい感じだった。獣たちが足元でちょろちょろとしていた。トカゲは見た目が怖いが、小さいので噛み付きもしないようだった。こぐまのような獣がアートランに飛び掛った。
「こら」
 アートランが首のあたりを掴んで、ざぶんと湯溜りに落とした。あっぷあっぷしていたが、足が立つとわかるときょろきょろと回りを見回した。
「ラックラムっていうんだ。小さなクマだ、ねずみとか虫とか食ってる」
 ラックラムが毛がふさふさの手で顔をこすった。その仕草がかわいらしくてセレンが笑った。アートランが湯の中に足を入れてセレンに手を差し伸べた。そのまま湯の中に座った。膝の上までしかないが、寝そべると身体が浸かれるほどだった。
「きもちいいね」
 セレンが隣で伸びをしているアートランに言った。
「ああ、気持ちいいな」
 のんびりと湯に浸かってから、林の中で果物を取って食べた。ラックラムの巣を見に行ったり、トカゲを追いかけたりして、夕方、海岸の小屋に戻った。途中で果物と芋を取ってきて、芋は皮ごと大きな葉に包んで、砂に埋め、その上で焚き火をして蒸し焼きにした。セレンはおいしく食べたが、食後のお茶がなくて、少し寂しかった。
「アートラン、お茶飲みたいよ」
 茶葉がないと言った。
「ちょっとまってな」
 アートランが藪を飛び越えていった。しばらくしてなにかにおいの強い葉っぱを採ってきた。
「今日のところはこれ、飲もう」
 唯一ある鍋で湯を沸かし、葉を入れた。茶碗もないので、水の筒に入れた。香草のようだが、苦くてなかなか飲めなかった。
「氷砂糖ない?」
 アートランが首を振って、鍋から葉ごと残りの茶を飲んだ。セレンはため息をついて吐きそうになりながら、ぐっと飲んだ。
 昼の間は、森の中などで、鳥や獣が鳴く声がしていたが、夜になると、それも止み、虫の声と波の音が聞こえてきた。夜空いっぱい輝く星たちの下で寝そべった。
 アートランが身体を触れている間、セレンはずっと星を見上げていた。
「星、きれい…」
「おまえのほうがきれいだ」
 耳元で囁かれてセレンがくすぐったくて身をよじった。
 アートランは、朝になってもなかなか起きなかった。ぐっすり寝ているようで、ゆさぶっても起きないので、セレンもまた寝てしまった。昼になってようやく起き上がり、ふたりで一番近い湧き水のところまで歩いていった。それでも、ひとときほどかかるところだった。水の筒がひとつしかなく、汲みなおしたが、ひどく暑いところなので、すぐに喉が乾く。
「水、すぐなくなっちゃうよ、水がめないと」
 アートランが水がなくなったら、すぐに汲んできてやるからと頭を撫でた。
「そんなに水や食い物のこと、心配しなくても、島のあちこちにいくらでもあるし…」
 魚だってたくさんいるからと呆れたように肩をすくめた。 
気ままなアートランは、好きなときに食べて、好きなときに寝て、好きなときにセレンを抱き、好きなように過ごしていた。セレンは、そんなふうに過ごすのは初めてだった。掃除したりとか、木の実を集めたりとか、きちんと働かないでいいのかなぁと心配になった。
でも、アートランがこうしたいのだから、いいのだろう。そのうち、読み書きを教えてもらって、師匠に手紙を書こう。湯溜りのことやラックラムのことや、セティシアンを見にいったら、そのときのことを師匠に教えたい。
 たくさん手習いして、好きなことを書けるようになりたいなと思いながら過ごしていた。
夕方、海に飛び込んだアートランが魚を二匹捕まえてきた。セレンの分は、木の枝に突き刺して、焚き火で焼いてよこした。湯気がたっている。ふうっと冷ましてそっと噛み付いた。
「おいしい」
 セレンがうれしそうに微笑んだ。アートランは生のまま、かぶりついた。セレンが驚いて、心配そうに見ていた。
「おなか、こわさない?」
「こわさないよ、生のほうがうまい」
 そうなんだと感心したが、自分は生では食べられそうになかった。
 翌日も昼前まで寝転んでいたが、急にアートランが立ち上がった。
「潜りにいこう」
 セティシアンがたくさんいるところへと言うと、セレンが眼を輝かせた。
 魔力のドームで包み込んで、飛び上がり、少し沖まで行ってから海に飛び込んだ。
「ひゃっ!」
 セレンが水に浸ると思って、声を上げた。アートランがくすくす笑った。
「濡れないよ」
 セレンが頬を赤くして見上げ、恥ずかしそうにうなずいた。
 海面から日が射していて、海の中できらきらと輝いていた。まだ島に近いところで、豊かな海草の間を色鮮やかな魚たちが群となって泳いでいる。どんどん深いところに向かって潜っていく。魚たちがふたりの回りに集まってきて、ドームをぐるっと巡っては遠ざかっていく。その様子をセレンがうれしそうに見ていた。
「気に入ったか」
「うん」
 魚たちの色とりどりの流れるような姿がきれいだった。空の船で食べた魚はおいしかったし、昨日食べたのもおいしかった。見るのも食べるのも好きになった。
 深く潜るにしたがって、周囲も日の光が届かなくなってきて、暗くなってきた。その暗い色に合わせるように魚たちの色も姿も変わっていった。黒く頭の大きな大型の魚が顔一杯に裂けた大きな口を開けて迫ってくる。
「このへんの魚は、ちょっとこわいね…」
 セレンが肩を震わせて、アートランにしがみついた。
「セティシアンたちは怖いか?」
 セレンがううんと首を振った。
「同じだよ、怖くない」
 ギュンと潜る速度を上げた。暗くてなにも見えなくなっていく。
「アートラン、何も見えなくなってきたよ」
 アートランが拳を作って前に突き出した。その拳が輝き出して、周囲を明るく照らしていく。
「わぁ…」
 深い海の中は静かで、黒々とした岩がまるで崖のように切り立っていた。その間をひらひらと長いきれはしのような魚が泳いでいく。あるいは透き通っているちいさなクラゲやイカのようなものがゆらゆらとしている。そして眼の下の白い砂の上には白っぽい身体のエビが大きなはさみを振り上げていた。アートランがそのエビを示した。
「あれ、うまいんだ、今度獲ろう」
 セレンが振り返った。もう頭の上も暗くて、ほとんど見えない。アートランが拳の光を少し弱くした。
「ほら…あそこ、見てみなよ」
 セレンが言われた方に眼を向けた。


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