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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第174回   イージェンと極南島《ウェルイル》(1)
 エトルヴェール島を出発した小型の潜行艇アンダァボォウトが、極南の島《ウェルイル》近海に到着した。エヴァンス大教授が最高評議会に出席するためだった。
 ウェルイルは島といっても第五大陸とほぼ同じ大きさだった。地表は氷点下をはるかに下回る気温で、ほとんど雪と氷に閉ざされていて、強い嵐が吹き荒れる厚い氷床(ひょうしょう)で覆われている。島の海底隧道(トンネル)を通って地下のキャピタァルに向かった。
 エヴァンスは、パァゲトゥリィゲェイトで検疫を受け、キャピタァルへの入管を済ませた。通常は、テェエルのものを持ち込むことは禁じられているが、大教授のクォリフィケイションで標本として油紙を持ち込んだ。
 キャピタァルの内部も各大陸のバレーと構成は同じで、中心部に中央塔がそびえ立っている。エヴァンスはモゥビィルで中央塔の研究棟ではなく、別の研究棟のひとつに向かい、教え子ではないが『系列』のひとりがやっているラボを訪ねた。ラボの主任教授が出迎えた。
「エヴァンス大教授、早いですね」
 最高評議会開催にともない、今回は各大陸バレーの議長も招集されているという。エヴァンスがそっと油紙を出した。
「これをジェノム照合してほしい」
 耳元でつぶやいた。
「えっ…」
 教授が目を見開いて見つめた。
「…まさか…」
 口元を押さえた。エヴァンスが『係累』照合してほしい、できれは会議開催の前に結果を知りたいと頼んだ。
「まだ第四大陸の議長が来ていないようです。揃ってからの開会らしいです」
 なんとか間に合うだろうと了解した。
 ラボを出て中央塔七階にある自分のラボの教授室に向かった。椅子に座り、タアゥミナルを起動させた。ボォゥドの釦を叩く。モニタァ一杯に記録映像が再生された。
 青空にいくつかまっ白い雲が浮かび、地上に緑の畑が広がっている。画面がさっと左に動いて、ひとりの少女を映し出した。
『だめ、ちゃんとあっち写して』
 まだ幼いかん高い声がして、手を伸ばして畑のほうにキャメラのレンズを向けようとしたが、レンズは少女を捕らえていた。レンズから顔を逸らしている。
『ジェナイダ様、こちら、見て、笑って』
 撮影しているものの声が聞こえてきた。
『おとうさまへのご挨拶入れましょうよ』
 背中の中ほどまでのこげ茶の髪を振って振り向いた。
『おとうさま…ウフフッ』
 呼びかけたとたん、笑ってしまって後が続かない。茶色のくりっとした眼、鼻筋が通っていて、老いても美しく気高かった母親の『ザンディズ』にそっくりだ。愛らしい顔で少し恥ずかしそうに笑い続けて、くるっと後を向いた。
『だめ、笑っちゃう』
 そのまま画面から姿が消えた。
『紀元二九九九年八月一日、えっと午後二時、えっと…』
 最初恥ずかしいのか、たとたどしく説明を入れていたが、しだいに流暢になった。
『春に作付けした米、二期作で秋に収穫、ふたたび作付けして来年春収穫です。この地区では麦ではなく米が主食です。発芽率は〇コンマ四八、比較的率のよい地区です。収穫率もよく肥沃な土地です』
 急に画面がぐるっと回って遠くに海の見える画面になった。
『おとうさま、海の側のシリィの都、見えます?水の都と呼ばれているそうです。水路が整っていて、シリィの施設としては珍しくアァティフィシャリティと認定してよい設備だと思います』
 キャメラはジェナイダが回しているようだった。
『日没のとき、水の都、赤く染まって、とてもきれいです…とてもきれい…水に夕日が反射してきらきらと赤い宝石のよう…今、この水の都の保護についての報告書を作成しています、できたら送りますね』
 そのまま途切れた。もう一度再生の釦を押す。
『だめ、ちゃんとあっち写して』
 この二十五年間、何度見たことか。いつ見ても震えが来る。いとおしさと悲しみと憤り。この記録ビデェオを送ってくれてから、ほどなくジェナイダの乗ったトレイルラボは、嵐に巻き込まれ、崖から落ちたのだ。
 隣の別のモニタァに白い四角が現れた。来訪者がいることを告げている。拒否したかったが、しかたなくボォオドで許可を出した。扉がすっと開き、来訪者が入ってきた。
「久しぶりだな、にいさん、到着したらすぐにわたしのところに顔を出してほしいな」
 小柄だが、押しの強さでヒトよりも大きく見える。四十過ぎているが童顔なので、三十くらいにしか見えない。エヴァンスは不愉快なことを隠さなかった。
「パリス議長、できれば会いたくはないのだよ」
 マシンナートの頂点に立つ女。父親は違うが母親が同じ妹、パリス議長だった。パリスはさっさと机に近づいて、エヴァンスの後に回った。エヴァンスは顔を逸らした。
「相変わらずだな、そんなに嫌わなくてもいいだろう?」
 ちらっとモニタァに眼を向け、エヴァンスの肩に手を置き、首に腕を回そうとした。
「触らないでくれ」
 肩を振った。パリスがフンと鼻を鳴らして離れた。
「いつまで死んだものの画像を見ているんだ。カウンセリングにでもかかったほうがいいんじゃないのか」
 エヴァンスの拳が震えた。
「私は、君とディゾンを許さないからな」
 パリスがしらっとした。
「あなたに、そんなに恨まれるようなこと、したかな」
 エヴァンスが憎しみで歪む顔を伏せた。
「いつまでもそうやってとぼけていればいい。わかるものにはわかっているんだぞ」
 パリスが手をエヴァンスの顔に伸ばした。
「なにをとぼけてるというんだ、はっきり言ったらどうだ」
 エヴァンスがパリスの手をはたきのけた。
「あのトレイルの運行経路、他の二台とまったく別のデェイタが送られていたと聞いた。あの当時、テェエルの全経路デェイタの管理をしていたのは、ディゾンだった。そのデェイタは間違っていて、そのため経路を誤って、あの事故に」
 ディゾンはふたりの従兄弟で、リィイヴの父親だった。
 あの時期は熱帯性低気圧が上陸する時期で、トレイルは平地を主として走行することになっている。それでなくても事故率が高くなる山岳地帯にわざわざ入り込むことはしないはずだった。
「初めて聞いたな、そんなこと。いったいどこからそんな根も葉もないことが沸いてくるんだ」
「ザンディズ議長の生命維持装置の事故も…君たちが関係してるんじゃないのか」
 パリスは下を見たままのエヴァンスの前に立った。ジェナイダの母親ザンディズはパリスの前の議長だった。それまで敵対していた系列だったが、ジェナイダが産まれたことをきっかけに会うようになった。エヴァンスに強硬論の不利益と啓蒙論の有益を教えてくれた。エヴァンスは、ザンディズの啓蒙論にすっかり魅了されて、傾倒した。かしこく愛らしい娘がふたりを一層親密にした。
 ザンディズは、ジェナイダが亡くなってからも気丈に議長を務めていたが、すでに八十を超える高齢だった。心労もあって脳溢血で倒れ、集中治療室に入っているときに生命維持装置の事故で亡くなった。
「言いがかりだな、あれは事故だ。それにあの高齢ではそうは長くはなかったよ。トレイル転落も事故だ。未熟な行法士がナビゲェイトを誤ったんだ。事故調査書もそう締めくくられている」
 膝の上に置いた拳がぶるぶると震えていた。
「よくないな、そんな妄想が出てくるとは。カウンセリングどころか専門医の精神療法が必要かもしれんな」
 エヴァンスがきっと眼を上げた。
「出て行ってくれ」
 パリスが肩をすくめた。
「では、明日会議場で会おう」
 扉の向こうに消えていった。エヴァンスは机に顔を伏せ、大きなため息をついた。

 パリスは、二十三階にある議長室に戻り、モニタァでいくつかの報告ファイルを開いて見ていた。
「ファランツェリたちは、クァ・ル・ジシスに移動中か…」
 セクル=テュルフ・アーレのインクワイァたちは、第一大陸から脱出した後、一時第五大陸に避難した。一部は第五大陸のバレーに残るが、残りは、現在はほとんど使用していない深海研究所《マリティイム》に移ることにし、現在マリィンに分散して移動中だった。
「ファランツェリだけでも、エトルヴェール島に転属させるか」
 ファランツェリをビィイクルの打ち上げミッションに参加させよう。指導教授が横取りして発表したが、もともとファランツェリの兄が作ったコォオドだ。
現在その横取りした教授は深海研究所《マリティイム》の所長という閑職に追いやられていた。議長選のときにその教授の指導大教授の協力が必要だったので、息子を壊してくれたことも眼をつぶったし、その後も重用してきたが、おととし大教授が亡くなってからはもう見向きもせずに左遷した。傲慢なだけで、もともとそれほどの数値も能力もない男だった。
 アーレの議長は、今はニーヴァンだが、遠からずトリストになるだろう。今は間借りだが、マリティイムをアーレにしようという話もある。いずれ、地上に最初のバレーを建設することになったら、それをアーレとすればいい。
「それまでトリストはこちらで研究チィイムを組ませよう」
 トリストは能力も高く、行動力もある。今回、素子解剖を執り行った経験を得た。臓器や四肢の標本を失ったのは失態だったが、それでも、申請してきた計画書を認可し、取り組ませてやろうと決めた。
 とりあえずマリティイムに向かってしまっているので、到着してからキャピタァルに来るよう指令書を出すことにした。
 すっと横の扉が開いて男が出てきた。
「にいさん、来てたのか」
 パリスが男を見て、立ち上がった。パリスの従兄ディゾンだった。パリスはディゾンを『にいさん』と呼んでいた。ひとつ年上の四十三歳で、パリスの七人の子どもの中でも一番優秀だった息子リィイヴの父親だ。
 リィイヴをアーレで素子を脅す道具にして見殺しにしてしまったが、ディゾンはパリスのすることにはいっさい逆らわないし、すでに壊れて捨てていたので悲しみもしなかった。現在は第二大陸キロン=グンドの評議会議長だった。
ディゾンは青ざめた顔でパリスの肩にすがるように手を置いた。
「パリス、精製棟がアルティメットにデェリィイトされた」


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