迎賓殿の広間では祝宴の準備も始められていた。サリュースが屋根の上まで飛び上がって、北の空を見た。極北の海の上を通る最短の経路で来る予定だった。しばらく見ていたが、すっかり暮れてしまったので、下に降りた。 そのとき、サリュースを追うように風が吹き降りてきた。シュルンと風が払われて、灰色の外套が現れた。外套の中に影が見えた。サリュースが背を曲げて覗き込んだ。 「王女殿下か?」 頭巾を落としたのは、若い女だった。大きな袋を背負い、白い布を抱きかかえていた。 「サリュース学院長様、タービィティンのアディアです。ソテリオス学院長様から頼まれまして、サンダーンルークの第一王女殿下をお連れしました」 白い布がふらっと倒れそうになった。アディアが支えた。 「どちらか、休めるところへ」 すぐに宿舎に案内した。リュリク公夫人ラクリエが、宿舎の控室に待機していた。白い布で包まれた王女を部屋の奥の寝室に入れた。 「すぐにお湯を」 大きなたらいを運び込み、湯を張った。アディアが袋をおろして、白い布を取り去った。両肩を出して胸から下を筒状の上着を着て、下はゆったりとしたズボンを穿いていた。すらっと背が高く、暁色の髪を長く垂らし、布で顔半分を覆っていた。侍女たちが沐浴をと近寄った。ジャリャリーヤ王女がくるっと背を向けた。 「自分でやるから下がって…」 ほとんど聞き取れないくらい、か細い声でつぶやいた。侍女たちがラクリエを見た。ラクリエが手を振って下がらせた。背を向けたままのジャリャリーヤにラクリエが声を掛けた。 「姫君、わたくしはリュリク公の妻で王宮雑務のお手伝いをしておりますラクリエと申します。姫君のお世話をさせていただくことになりましたので、なにかご用がありましたら、遠慮なく言いつけてください」 ジャリャリーヤは何も答えなかった。ラクリエが困ってしまっていると、アディアが頭を下げた。 「奥方様」 そのまま手を扉のほうに向けた。出てくれということだろう。ラクリエが小さくお辞儀して出ていった。 ジャリャリーヤが立ったまま動かないので、アディアが一歩近づいた。 「殿下、こちらのしきたりなどは、さきほどの奥方様にお尋ね下さい。それから、ご不快のようですが、サンダーンルークの王女として恥ずかしくないようにお振舞いください」 ジャリャリーヤが肩を震わせた。 「こんな遠くに…父上も母上もひどい…」 アディアが目を険しくした。 「大国の王太子の正妃、願ってもないこととお喜びください」 急ぐのでと背中に向かってお辞儀した。 アディアが取っ手に置いた手を止めた。 「殿下、お幸せに」 扉を出ると、ラクリエや侍女が控えていた。アディアが寝室を見返った。 「身の回りのことはご自分でされますから、簡単な食事を用意してください。それだけでいいです」 ラクリエたちが戸惑う中、アディアは宿舎の外に出た。サリュースが待っていた。 「おまえの宿舎も用意させたから、そちらへ」 案内しようとするサリュースを止めた。 「イージェン様はどちらですか」 サリュースが険しい顔で南方海岸に行って留守だと言った。 「いらっしゃればご挨拶と思いましたが、帰ります」 すぐに帰るというので、サリュースが驚いて学院に寄ってくれと頼んだ。 「ソテリオス殿に渡してもらいたいものがあるんだ」 学院に向かい、学院長室で伝書と包みを渡した。それから別に包みを作ってタービィティン学院長に渡してくれるよう頼んだ。 「くれぐれもよろしくとお伝えしてくれ」 アディアが胸に手を当てて深くお辞儀して出ていった。 ジャリャリーヤ王女が迎賓殿の宿舎に到着したことは、王太子宮にもすぐに伝えられた。 「かなりお疲れのようだそうです」 レオノラが心配そうにしているのを見て、衣装合わせを終えたラウドが、ずっと魔導師に抱えられて飛んできたのだから、当たり前だと言った。レオノラが夕飯の用意が出来たと告げて下がった。 従者の給仕で少し口を付けたが、なにか胸がいっぱいであまり食欲がなく、進まなかった。明日の朝に回すよう言って下げさせた。 食後の茶を飲みながら報告書の続きを書いていたが、落ち着かなかった。窓の外をちらちらと見てしまう。 どんな姫なんだろう。 サリュースが美しい姫と言っていた。 優しくしてやらなければ。たったひとりで遠くから来たのだから。 おいしい茶を飲みながら、たくさん話をしよう。お互いのことを話して、エスヴェルンの美しい森と湖を見せてやろう。砂漠の国から来たのだから、水と緑の美しさにきっと驚くに違いない。 落ち着いたら、イージェンに頼んで、あの『空の船』で、サンダーンルークのご両親のところに挨拶に行きたい。ジャリャリーヤという名は美しい響きだが、長いから、リーヤと呼ぼう、そのほうがかわいらしい感じだし。 …でも、ヒト前では妃って呼ばないといけないな… エアリアのことは忘れがたい。だが、これからはジャリャリーヤが守るべき相手になるのだから、楽しく過ごすことをあれこれと考えよう。 高鳴る胸を押さえるように、従者が茶のお代わりを入れるのを見つめた。
四の大陸ラ・クトゥーラのサンダーンルーク王国では、第一王女の輿入れを喜ぶどころではない騒ぎになっていた、 国土のほとんどを占める砂漠地帯の奥地に本拠を持つグルキシャル教団が、八つある州都で一斉に破壊活動をしたのだ。 グルキシャル教団はこれまでほとんど破壊活動を行ったことはない。もともと非信者に対しても『信じないならばそれは眼を開いていないものである』という程度で、それほど過激な教義はないのだ。 今回の組織的な攻撃は、それでも個々の規模が州都を全滅させるほどのものではなかったので、宮廷、王立軍、学院は、ほどなく治められるものと思っていた。 手口としては、州都の執務所に鉱山用の発破を仕掛けて爆破し、混乱に乗じて、執務官や護衛隊を襲うという単純なものだった。八つのうち、四つはすぐに王立軍が鎮圧したのだが、教団兵たちは、教団からもしものときには死を選べと教えられていて、捕まえる前に自殺してしまっていた。 残る四つの州都の執務所は、教団兵に占拠された。国同士の戦争であれば、学院は手出ししないが、ソテリオスは、大魔導師イージェンからもグルキシャルを野放しにしてはならないと言われていたので、『災厄』の範囲として、特級を鎮化に向かわせた。 「一刻も早く、教団を潰さなければ。四の大陸の面目にかけても」 ソテリオスは、タービィティンとの国境の街ロシュラで老学院長ネルガルと会っていた。 砂漠の奥地には、サンダーンルークとタービィティンが共同で保有している地域があり、井戸も掘れないような砂地で本来はヒトが住むことのないところだった。グルキシャルの本殿はその地域にあるらしい。 「アディアが戻ってきたら、向かわせよう、貴殿は、王宮に戻ったほうがいい」 ソテリオスが、第一王女をアディアに送ってもらった礼を言った。 「わたしが送ればよかったのだが、どうも、年頃になられてから、避けられているので」 でも、このような騒動が起こってしまったので、送ってもらってよかったのだ。 「よい縁談じゃよ。姫君にとってはこれ以上の嫁ぎ先はないじゃろ」 ソテリオスがうれしそうにうなずいた。 「国王陛下も王妃陛下もたいへん喜んでおられる。とくに王妃陛下は、そちらの王太子に嫁がせたかったのにと、悔しがっていたのでほんとうによかった」 タービィティンの王太子は、ジャリャリーヤ王女とはいとこ同士で、すでに大公家の姫を妃に娶っていた。 「最近は丈夫になられたから問題ないと話したのだが、病弱だったことを気にされていたからな」 ジャリャリーヤは、幼い頃病弱であったことに加えてヒト嫌いで、侍女や教導師はもとより両親、兄弟ともほとんど口をきかなかった。ソテリオスもそのことが気にはなっていたが、逆に知るヒトのいない遠い異国のほうが気持ちも変わって良くなるのではと考えた。 ネルガルが杖にすがって立ち上がった。ソテリオスが小さなため息をついた。 「グルキシャルの教団兵だが、みんな、ふつうの民だ。傭兵や兵士などひとりもおらん」 ソテリオスがネルガルに手を貸して、窓際の椅子に座らせた。 「殲滅するとなると、ふつうの民を殺すことになるわけか。しかし、武力で向かってくるのだから、いたしかたないだろう」 ネルガルがうなだれた。 「こんなに信者がいたとは。しかも、教導も行き届いていて、『神の子』を騙る『紅玉の双眼』の教えを忠実に守っている」 ソテリオスが窓の外の砂漠を見つめた。はるか遠くだが、砂嵐の黒い兆しが見えた。 「うむ…。アディア以上の魔力だとするとやっかいだ…サイードとかいう、その『紅玉の双眼』、神殿に捨てられていたらしい」 貧しい土地柄なので、産まれても育てられないと赤ん坊が捨てられることが多い。とくに神殿に捨てることが多かった。施しの教えがあるので、それにすがってのことだった。それでも赤ん坊は、神官が石板に乗せにやってくることになっており、それは滞りなくされているはずだった。 「奥地で捨てられると乗せに来ないこともあるのかもしれんな。教団兵たちにもそうした捨て子たちが混じっていそうだ」 帰順させようにも捕まえる前に自殺してしまうので、今のところ、どうにも手が打てなかった。 「信者と思しきものたちを保護しようと思っていたが、だれが信者かなかなかわかりずらい」 ふつうの民に紛れてしまっている。州都近くの神殿はすでに閉鎖していて、神官や巫女たちもほとんどいなかった。 「今回の蜂起に合わせて閉鎖したのだろう」 ネルガルもタービィティン国内の神殿を調べさせたが、ほとんどもぬけのからだったのだ。 「タービィティンでは破壊活動をしていない。そこまでは手が回らないのかもしれん。だから、今のうちじゃ、徹底的に潰してしまおう」 ネルガルの提案にソテリオスがうなずいた。 (「イージェンと暁(あかつき)の王女」(完))
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