南方大島の軍船七隻は、南方海岸沖に停留していた。まず小舟で岸に向かい、カーティアに特使監禁の謝罪と帰順の意を示そうと考えた。特使のふたりは必ずアルリカ総帥の意を伝えるからと約束し、使者を連れて小舟に降りようとした。そのとき、甲板に降りる影があった。 「何だっ!」 アルリカはじめ甲板にいたものたちが剣を抜き払って構えた。外套にすっぽりと身を包んだ姿が現れた。 「魔導師様!」 アルリカが剣を納めるよう命じ、自分も鞘にしまって、片膝を付いた。 「魔導師様、南方大島の統治総帥アルリカです」 全員がひざまずいた。アルリカが顔を上げて、自分を見下ろす灰色の仮面を見て驚いた。 「アルリカ総帥、大魔導師イージェンだ。立ってくれ」 アルリカが立たずに膝でイージェンににじり寄り、その足元にひれ伏した。 「大魔導師様」 足に口付けせんばかりにしているので、イージェンが両腕を掴んでひょいと持ち上げた。 「立てと言っただろう」 甲板に立たせた。アリルカが目をくりっとさせてきょとんとした顔でイージェンの仮面を見つめ返した。気が強そうな中にかわいらしさがある女のようだ。 「イージェン様、大魔導師になられたのですか?」 イージェンを知っていた特使たちが驚いて膝を付いて最敬礼した。小舟を出すのを止め、主だったものを集めて話をすると艦橋に向かった。 「島がエヴァンスというマシンナートに啓蒙されてしまったことはわかっている。受け入れずに出てきたものたちはこの七隻で全部なのか」 アルリカが顔を伏せた。 「何年か前は、軍人やその家族以外にも反対するものもいたんですが、ここ三年ばかりで殆んどいなくなってしまいました。島の東側にマシンナートが造った街があって、そちらにも多数住んでいます」 イージェンたちが最初に見た街の周辺や都はもともとあった街を改造した地域だったので、それほど見た目は変わりなかったのだ。後でもっと詳しく調べにいこうと決めた。 「罪深いあの島をどうか始末してください」 アルリカが両手で顔を覆った。魔導師学院のない島とはいえ、教本や《理(ことわり)の書》などはあり、魔導師ではないが教導師はいる。指導者の教育を受けていたアルリカは、テクノロジイが異端であることはわかっていた。臨終にも立ち会えず、親不孝とは思うものの、父が受け入れたことは許せなかった。 「総帥、そう急ぐな。一度啓蒙されるとなかなか元に戻すのは難しいだろうが」 統治総帥にこの覚悟があるのなら、逆に進めやすいだろう。 「ひとまず、カーティアの王都に向かい、国王陛下に謁見して、南方海岸に住まわせてもらうようにしろ。事情は俺が伝書に書くから、心配しなくていい」 アルリカはじめ主だったものたちが感謝して何度もお辞儀した。ダルウェルに向けた伝書を遣い魔で先に飛ばした。特使たちにもジェデル王とセネタ公に向けた伝書を書き、持たせた。 「軍港の駐留軍に王都までの馬車を用意させる」 先に行って用意させるから、小舟で軍港に入れと指示して、飛び去った。軍港の駐留軍将軍に事情を話し、馬車と護衛兵を準備させた。 「それと、南方大島からリィイヴというもの宛に伝書が届いたら、船が沖にいる間は花火で合図してくれ。発つときに言いに来るから、その後届いたら、早馬を出して学院長のダルウェルに届けろ」 ぐれぐれも滞りないようにと命じ、『空の船』に戻った。 サリュースからの遣い魔が来ていて、書筒から伝書を抜き取った。 「あいつ、こんなときには頼んできて」 不愉快そうにくしゃっと伝書を握ると煙のように消えた。エアリアが目を見張った。 「どうしたんですか」 イージェンがエアリアを見つめ、しばらく黙っていたが、つぶやいた。 「…殿下の婚礼の式を俺に執り行えと言ってきた、今ここを離れられないんだがな」 イリィからカーティア国王の婚礼式で黄金雨が振ったと聞かされたらしい。隣国に負けない荘厳な式にしろと書かれていた。エアリアが胸元をぎゅっと握って目を伏せた。 「式は学院長様が行えばよいのでは」 少し肩を震わせた。その肩を掴んだ。 「そうだな、そう返信しておこう」 ラウドのことを思うとしてやりたいが、また南方大島を調べに行くから忙しいのでと断ることにした。 「式は五日後だそうだ」 サンダーンルークの王女が到着してすぐに執り行うようだ。王女は特級の誰かが運んでくるらしい。ラウドの気持ちが変わらないうちに式を挙げてしまおうということなのだろう。そんな心配をしなくても、一度決意したならば、異大陸から嫁いでくる姫に優しくしてやり、よい契りを結ぶだろうにと、あまりに気が急いているサリュースが愚かに思えた。 下を向いたままのエアリアの頭をポンと叩いた。 「船を頼んだぞ、みんなをよろしくな」 エアリアが顔を上げずにうなずいた。 イージェンは落ち着く間もなく、伝書を遣い魔に持たせて飛ばすと、南方大島に向かった。 「ひとりでいっちゃったんだ」 ぼくが行っても足手まといかとリィイヴが飛び去る方向に目をやった。ラウドの婚礼の式が五日後というのは聞こえていた。 ヴァシルの具合もかなりよくなって、自分で歩き出していた。ところが、アヴィオスが心配して、ずっと付きっ切りだった。 「まだ無理しないほうが」 自分の祖父かもしれないヒトがひどい目に会わせたと責任を感じているらしく、世話を焼いているのだが、ヴァシルが困っているほどだった。 リィイヴが厨房に湯を取りに来たアヴィオスを呼び止めた。 「アヴィオスさん、そんなに気にしなくていいですよ、ヴァシルもわかってると思いますよ」 アヴィオスが鍋から立つ湯気を見つめた。 「気にしたいんだ」 そう言ってから、リィイヴを優しい眼で見た。 「おまえが親類だなんて思いもしなかったが、とてもうれしい」 リィイヴも笑った。 「ええ、ぼくもです。たしか同じ年の生まれですよね?ぼくは十一月ですけど、アヴィオスさんは?」 七の月生まれだという。 「じゃあ、アヴィオスさんのほうが少しおにいさんですね」 そうだなとアヴィオスが笑ってから、もっともっと話したいと真剣な眼をした。 「申し訳ないですけど、テクノロジイの話はできません。イージェンからだめだって言われてますから」 アヴィオスもうなずいた。 「わかっている。アランテンスも、母が俺に話そうとするのを禁じていた」 たわいのない話でいいんだと小さく顎を引いて、ヴァシルの部屋に向かった。 リィイヴは不安になった。エヴァンスはきっとアヴィオスで失った娘ジェナイダの穴を埋めようとするだろう。アヴィオスも早くに母を失い、身内から虐待されてきたから、肉親の愛情に飢えている。かわいがってくれたら、エヴァンスに啓蒙されてしまうのではないだろうか。いくら親類とはいえ、自分ではアヴィオスの求めている愛情は与えられないだろう。それに、アヴィオスは民を思う優秀な為政者だ。エヴァンスの考えに同調する可能性は充分ある。 イージェンにはわかっているだろうがとアヴィオスの背中を見送った。
エスヴェルン王国では、王太子ラウドの妃となるはずだった隣国の第三王女が争乱に巻き込まれて亡くなったと知らされて、深い悲しみに包まれていた。しかし、ほどなく、その悲報を打ち消す吉報がもたらされた。 「四の大陸の国から、王女様がお輿入れされるそうだよ」 王宮に出入りする商人たちが、公式の発表前から王都のそこここで噂していていたが、すぐに公布されて、ふたたび春がやってきたと喜びに溢れんばかりとなった。 「こんどの姫様もお美しい方だそうよ」 王太子宮の侍女たちが、うれしそうに支度部屋で噂し合っていた。侍女の中でも幼い頃から勤めているレオノラが暗い顔をしているのに王太子宮の侍女長が気づいた。 「レオノラ、こちらへ」 レオノラがはっと顔を上げた。侍女長がそっと連れ出した。 「お兄様から聞いたのでしょうけど、そんな顔で殿下のお世話をするつもりですか」」 レオノラの実家は貴族軍人の家柄で、当主はレオノラの兄、リュリク公の腹心の部下だった。ラウドがエアリアを妃にしたいと泣いて頼んだが、だめだったことを聞かされていた。 「殿下とエアリアが気の毒で…」 姉妹のように育ったエアリアのことを思うと、胸が痛む。そっと袖で眼を押さえた。 「殿下も納得されたというし、お世話するあなたがそんな沈み込んでいてはいけません。お輿入れされる姫様にも失礼ですよ」 レオノラがうなずいたが、そうそう気持ちが切り替わるものでもなかった。 厨房で午後の茶を入れる湯と口汚しの木の実を用意して、ラウドの部屋に運んでいった。ラウドは机に向かって、熱心に書き物をしていた。 「殿下、午後のお茶です」 レオノラが声を掛けると、少し眼を上げたが、黙って指先で置いていくよう示した。机の隅にそっと置き、静かに茶を碗に注いだ。そこに従者が執務宮からの国王執務室に出向くようにとの伝言を伝えにやってきた。ラウドがレオノラの入れた茶を飲み、立ち上がった。 「着替える」 従者が隣の衣装部屋からもってきた略服を衝立の向こうで着替えた。レオノラがお辞儀して見送った。 王太子宮の外でイリィが馬のくつわを持って待っていた。すっと乗り、少し早足で向かった。 「急な用件なのか、何か聞いているか?」 伴走するイリィに尋ねた。イリィが首を傾げていた。 執務宮の玄関前で馬を降りた。従者が駆け寄ってきて、ふたりの馬を連れて行く。執務宮の扉が大きく開かれて、正面からラウドが入っていった。玄関の広間を通り、右の棟にある国王執務室に向かった。
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